第7話 川絵さんの切り札
1925年、ラジオ放送が開始されたとき「いずれ、新聞は廃れるだろう」と言われました。同じく、テレビ放送が開始されたとき「いずれ、ラジオはなくなってしまうだろう」と言われました。衛星放送・ネット時代が来て「テレビ地上波も廃れるのでは」と言われています。今のところ、ラジオはマスメディアの地位から追われ、新聞もビジネスモデルの変革を迫られる瀬戸際にいます。
実際に廃れると言われたラジオの聴取率は首都圏NHK第1で0.5%と言われています。しかし、聴取層の固定化が進み事実上、廃れたと言って良いでしょう。縮小再生産の果てにコンテンツの純化が進みきった状態になっていて、たとえばNHKラジオ深夜便は、看板番組ですが気がつくとラジオ自体が家からなくなり、普通の一般人がふらっと立ち入る世界ではなくなってしまっています。
メディアが廃れるという状況は、純化が進みコンテンツ消費層が固定化することと理解すると、書籍雑誌メディアの将来も理解しやすくなるのかもしれません。
本日は3300文字となりました。どうぞ宜しくお願いします。
「ちょ、ちょっと待って下さい。まだ校了まで20日あります。もう少し頑張らせて下さい」
えっ、川絵さん、なんで頑張るの?
お役御免のハッピーエンドのはずなのに、おかげですっかり攻守逆転だ。
早速、余裕を取り戻したマンタ氏が慇懃に言葉をかけてくる。
「ほう、もう少し頑張りたいと言うなら、お待ちいたしましょうか。ミイナもそれでいいかな」
ミイナ様は立ち上がって、オーラを最大限に張り出しながら、川絵さんを睥睨して言う。
「今日のところはマンタがOK出してるしぃ、待つだけなら待ってもいいんだけどぉ。次、しくじったら担当外れてよ、鵜野目川絵サン」
一触即発ってこんな感じ? 怖えよ、ミイナ様。
「……それじゃ、あーし、レッスンの続き、あるんで失礼しまぁす」
ミイナ様は、あっけらかんとして言うと、よく分からない仕組の劇場の扉をくぐって姿を消してしまった。
マンタ氏はフォローというわけではないのだろうが、最後にこう付け加えた。
「あれでも、痛み止めを打ちながらのレッスンですので、ストレスが溜まっているのでしょう。ただ、今年の年末総選挙でのセンター奪取には並々ならぬ意気込みを感じます。鵜野目川絵さん、ぶたにんセンセ、どうにか納得の行く作品をお願いします」
マンタ氏はミイナ様の創作希望作品の走り書きと、西木坂46の劇場ライブ招待チケットを2枚、こっそり、帰りぎわに渡してくれた。
ちなみにミイナ様の創作希望の作品を読み取ると、次のとおりである。
『(仮題)三男三女猫一匹;中世ヨーロッパの異世界が舞台の恋愛モノで、主人公の美形王族末弟の三男の青年が、使い魔の猫の助けを得て、女性貴族の悩みを次々に解決してハーレムを作り、無能な兄たちを失脚させて最終的に王国を継ぎ、有能な眷属を従えて戦国乱世を切り抜けていくファンタジー』
いくらマンタ氏にお願いされても……『ケモミミ!』がそんな作品に書き換わるわけがないじゃん。
登場人物からして、主人公の上に5人も兄姉がのっかっているわけで、さらにハーレム要員と眷属まで出てくるとなるとキャラだけで20人ぐらい行きそうだ。
俺は「猫一匹ぐらいしか『ケモミミ!』と共通点がねえ」と独り言い捨てて、川絵さんと社に戻った。
俺たちが二編に戻ると川絵さんの顔を見るなり、編集長が尋ねる。
「どうだった、打ち合わせのほうは?」
「てんで話になれへんって感じで、そもそも、恋愛モノって注文やったのにケモミミが来たってダメ出しされました」
「恋愛モノの注文? なんだ、そんな話、注文聞いてないぞ」
「それが、うちの母が、このファックスで作品の依頼書を貰てたらしいんです」
川絵さんの差し出したファックスを見ながら、征次編集長は安心したように言う。
「なになに、一定の水準を満たした恋愛モノで、透明感のある文体。読み手の男性の魅力を引き出していること。アイドルのイメージを傷つけるようなものではないこと……か。まあ、下ネタラノベじゃなければ、だいたいのラノベは大丈夫じゃないのか?」
「それが最初の恋愛モノのところで『ケモミミ!』はダメらしいんです。あと、キャラに男性の魅力が感じられへんとも……」
「うん、たしかに『ケモミミ!』はディストピアの世界観メインで最初は進むから、バトルイベント中心の進行にならざるをえないからなぁ。恋愛も盛るには盛ったが、これ以上は……続刊に入れますとしか言いようがないな」
すっかりお手上げの体で、川絵さんは言う。
「はあ、せやから書き直しは無理やって念を押しに言ったんですけど」
「なるほど、依頼書を出されて、逆に良いように押し返されたってとこだな。まあ、相手も夢を売る商売だから、妥協はないよな」
「妥協してくれんと、困るんですけど」
「ホントに困るねえ。もう、西木坂事務所との出版契約も成立してるしね」
なぜか昨日付けで交わされた出版契約書が、征次編集長の手元にはある。
「どうして契約書なんか……」
「ぶたにん君、地鶏ヶ淵ミイナ作『ケモミミ!』は10月刊行だよ。出版契約はもっと早く締結しておかないといけないんだ。今回は異例中の異例だ」
「じゃあ、このまま、納得の行く作品が出来なかったら」
「うちも西木坂事務所も大損害だね。色んな所に迷惑がかかるし、契約という形になっている以上、なにがしかの責任とかいう問題も出るだろう」
え、責任問題って? 俺の学校処世術に連帯責任は無責任というのはあるが、誰かが責任を取ると言う言葉は存在しない。
どうして、征次編集長は、こんな時に契約書を交わしてしまったのだろう。
「まあ、早いうちにこうして出版契約という形にしておけば、相手も締切までに原稿を入れなくちゃいけなくなるわけだ。向こうの責任も問えるようになるって、弁護士さんがサジェストしてくれてな」
なんとも脳天気というか、ビジネスライクな話だ。
俺と川絵さんが、ミイナ様と丁々発止のやり取りをしていたと言うのに……
その川絵さんは、編集長に言う。
「とりあえず、母に出ていた依頼書の話は知らん話やったんで、こちらが持ち帰る話になったんですけど」
「今度は納得の行くように、作品を直さないと、単に締め切りですからと言う押しは聞かないということだな……仕方がない、出来る範囲で直すよう二人で検討してくれ」
編集長はそう言って、俺たちに手直しの対応策を考えるように指示をした。そのあとは「ファックスの経緯を涼子さんに確認しないと」と独り言のように言ってデスクのノーパソに向かってしまった。
川絵さんは、意外に元気そうに皿眼で自分のデスクのカレンダーとにらめっこしながら、俺に訊いてくる。
「ぶたにんやったら、チドリンの言ってたラノベ『三男三女猫一匹』、15万字目処で何日で書ける?」
「俺が、ですか……あの内容で、キャラ作りのサポートしてもらって、ある程度プロットも仕立ててもらえれば、一日一万字で15日……って言っても推敲してないので、スカスカのボロボロですが」
「そうやんな。ふつう、20日以内で書けって言われたら、文字数、揃えるんが関の山って答えるやんなぁ」川絵さんはキメ顔でそう言うと、踵を返して振り向きざまに得意げに言う。「でも、人間の気合ってナメたらアカンで。15万文字に魂込めて20日で書けてしまう人がおんねん。しかも、スケジュール的に余裕のある作家さんが……」
どこを探せばそんな都合のいい作家さんが出てくるのかと思ったが、何の事はない。
俺が、年間12冊刊行も可能な月島のラノベの女王、メグさんに行き当たるのに、そう時間はかからなかった。
確かに、ガッチャーガッチャ、ボーンパン、ハイ完成と、例のごとく、ことも無げにやってのけてしまいそうではある。
「でも、メグさんって、『昨日の旅』以外の作品って書いているんですか?」
「うん、何本か書いてはるで。確か恋愛小説もあったんちゃうかな。それに、メグさんの性格からして他人が困ってるところを見て見ぬふりはでけへんと思うねん」
川絵さんは上機嫌で化粧を直しながら、開いた手帳でメグさんのスケジュールを追っている。
おそらく、メグさんに窮状を打ち明ければ、何らかの協力はしてくれるに違いない。確かに、メグさんの協力を得ることが、二編で現状考えられうる唯一、最良のミイナ様対策だ。
それにしても、流行ラノベ作家の木盧加川先生に代原を依頼するとは、雲に梯、霞に千鳥、ぶたにん先生も今や相当に偉くなったものである。
そのまま川絵さんに急き立てられるようにして、俺は二編を出て神保町の駅に向かう。
駅に向かう途中で、川絵さんが運良く帰宅途中のメグさんをつかまえていた。そして、メグさんには急用なので是非とだけ断ってアポを取り付け、3人で月島駅近くの喫茶店で待ち合わせることになった。