第6話 第2次西木坂事変
出版業界を数字だけで追いかけると、単調減少を続ける衰退業種に見えるかもしれません。マスコミが取り上げると「出版不況」と呼ばれ、業界内では「活字離れ、図書館の悪弊、違法自炊」など犯人探しが始まります。
じつのところ、出版社が書誌を紙に刷って本屋で売る、というビジネスモデルが崩壊しているだけで、コンテンツを娯楽として消費する文化は発展を続けています。だからと言って、出版業が電子出版業に進化するのだと夢見ると書籍売上に電書売上を足すという、頓珍漢なグラフが出来上がることになります。
重要なのはコンテンツの消費形態として、人がいつまで、本を読み続けるのかでしょう。
結局、文章コンテンツは学術書とニュース速報以外では扱えない面倒なコンテンツ形態とみなされると、書籍市場は壊滅して中間生産物の「テキスト」が中間コンテンツ市場で取引され、消費者には何らかの媒体コンテンツとして提供する業態が新規に発達するものと思われます。
さて、本日は3300字となりました。どうぞ宜しくお願いします。
幸い、西木坂事務所でもラノベ出版プロジェクトの扱いは優先度が高いようで、翌日にはアポが入った。
午前十時、今度も同じ西木坂劇場で、打ち合わせの会議室にミイナ様とマンタ氏が出て来る。
「初めまして、太陽系出版社の鵜野目です」
川絵さんが精一杯の営業スマイルで名刺を差し出すと、ミイナ様の面差しが変わる。
マンタ氏も異様なミイナ様の豹変ぶりに驚いているようだ。
「嘱託編集? 鵜野目川絵ぇ?」
ミイナ様が低い声で唸るように言う。なんだよ、女子ってわかんねぇ。
「はい、今回は地鶏ヶ淵先生の編集補助を担当させて頂きます。若輩者ですがよろしくお願いします」
川絵さんは気づいていないが、ミイナ様は既に真っ黒にモードチェンジ済みだ。
しかし、川絵さんにとっては取り立てて言うほどのコトでは無いようで、ミイナ様とコトもなげに会話を続ける。
「あーたさ、中学の部活って陸上部だったりしない?」
「え……はい、陸上部では短距離やってました。全国大会にも出れたんですけど、最後ボロボロで。ホンマにお話するのもお恥ずかしいんですけど」
「へぇ……そしたら、そのお恥ずかしい奴の記録に抑えられて、ハードル転向させられた部員のことは覚えてないとかぁ?」
「それが、私、中学時代、編集の勉強と掛け持ちで、部活のほうは自主練中心やし、陸上部には大会前くらいしか顔出ししてへんかったんで、実はあんまり覚えてないんです」
「ふうん、自主練中心で陸上部のエース、なんかぁ才能の塊みたいで、ミイナ、超〜ムカつくんですけどぉ」
ブツリ……やばい、明らかに何かがキレた音がした。
「いや、走るんは好きなんで、毎朝、サーキットだけはしてて……」
「何処の世界でも、天才が努力するんだから嫌だよねぇ。あーしら凡人は努力しても|ヒャッパー(100mH)やらされてぇ、潰されたりするんだから、馬ッ鹿みたいじゃん」
問わず語りのミイナ様の恨み節は、鬼哭啾啾、川絵さんへと注がれる。
「蹴ったほうは覚えてなくても、蹴られたほうは覚えてるんだよ。あーしのコト、覚えていないみたいだねぇ、四霧鵺川絵サン」
四霧鵺川絵……それは口にしちゃいけない呪文じゃなかったですか、地鶏ヶ淵ミイナさん。
それに、なんで知ってるの? 川絵さん家の複雑怪奇な事情を。
高校までの本名、四霧鵺川絵でようやく思い出したのか、川絵さんは信じられないようにして言う。
「ひょっとして、ハードル倒しで標準記録を超えた春中陸上部の弾丸ヒャッパーって地鶏ヶ淵さんのこと? それやったら地鶏ヶ淵さん、私と同い年やん……え? なんやのそれ」
「なんやのそれって……それは、あーしのセリフなんですけどぉ」
ミイナ様が川絵さんを眼光鋭く睨みつけると、あろうことか名刺を破り捨てる。
「こら、ミイナ。失礼じゃないか……いやぁ、鵜野目さん、スミマセンねぇ。プロフの中学は架空ですから」
これまで事態の推移を見守っていたマンタ氏が謝りながら、ちぎれた名刺を回収する。
「マンタ、謝らなくてイイんだから。それより、あーし、この人が担当なんて無理なんで……編集長に電話して担当変えるように言って頂戴っ」
「いやぁ、なかなか息はあっているように見えますが、何か別に理由が?」
「理由なんてどうでもいいっしょ、こんなのが担当なんて、ありえないんだから」
こんな爆弾低気圧のさなかでも、川絵さんはサクサクと会話に分け入っていく。
「地鶏ヶ淵さん、担当替えもええんですけど、『ケモミミ!』の校了締め切りまで20日を切ってるんです。もし書籍に連動企画や封入物を付けるのでしたら、早めに言っていただかないと間に合いませんよ」
やんわりと締め切り日をチラつかせたのが逆鱗に触れたのか、ミイナ様は更に荒ぶってしまった。
「……な、なによ、上から目線のつもり? あーしは素人から注意されるのが一番気に食わないんですけどぉ」
「ミイナ、まず、落ち着いて。鵜野目さんと言えば、例の編プロ代表、鵜野目涼子の関係者っぽいですよ。ここでコトを荒立てると良くない気がします」
マンタ氏は小声でミイナ様を牽制しながら、川絵さんに言う。
「鵜野目川絵さん、こちらの企画関係の付き物は先に涼子さんにお渡しして、納品のチェックもお願いしています。あと、ファンクラブの予約受付や連動イベント企画も調整が進んでいます。ですから、今日のところは、先日ぶたにんセンセに依頼した原稿の修正についてお聞かせ願えませんか」
川絵さんが、俺の方を見る。ということは、俺にバトンが渡されたようだ。
言いにくいことだが、卒爾ながら述べねばならないようだ。
「原稿の修正については……できません」
表現が直截的過ぎるということでもないだろうが、場の空気が凍る。
「な、なに言ってんのよ。間違いをていねいに指摘してあげてるっつーのにどういうコトォ?」
剣呑な空気にマンタ氏が場を落ち着かせようと割って入る。
「ミイナ、今日は熱くなりすぎだって。少し黙っていようかな。この場は私に任せて……」
「はいはい、あーしは黙ってるわよ。その代わり、キッチリ、片つけてよ」
ミイナ様はとても態度の悪い生徒のように、あからさまにプイと横を向く。
それでも可愛く見えるのは、アイドルのアイドルたる由縁なのか。
そのアイドルの引率の先生のようなマンタ氏が改めて川絵さんに言う。
「川絵さん、先だって編集長と少しでも良くして行きましょうと話し合った上で、ぶたにんセンセに改善案をお渡ししてあるんですが、それでも修正に応じられないというコトでしたら、それなりの理由を聞かせて頂けるんでしょうね」
「理由もなにも、作品を理解しての改善案やないと言うのが最大の理由です。そんなん、序章しか読まずに書き直しやなんて、非常識です。それに、設定から変えるには抜本的に書き直しせなアカンのですが、そうなると締切までの時間が足りません」
「そこを、イイ感じに差配して下さいよ。我々芸能界ではイメージを売ってる部分が多くて、やはり、ミイナが自分のイメージと違うと感じている部分は直してもらわないとこちらも困っちゃうんですよ」
「ですけど、頂いたノートは作品の全否定に近いもんですし、部分的な手直し程度のようにはいけへんかと」
「うーん、それでは、ノートの件は一旦脇に措いて、最初にこちらから鵜野目涼子さんにお出しした依頼書をご覧ください」
そう言うと、マンタ氏は一枚のファックスを拡げる。
「なになに、一定の水準を満たした恋愛モノで、透明感のある文体。読み手の男性の魅力を引き出していること。アイドルのイメージを傷つけるようなものではないこと……やって、ぶたにん。『ケモミミ!』でも充分やんなあ」
川絵さんに突然、振られた時の俺の答えは、気持ちいいほど愚直だ。
「憚りながら、勿体無いくらいです」
またも、凍りかけた空気を動かすのはミイナ様だ。
「えーっ、これの、どこが恋愛モノォ? あーし、読んでて男性キャラの魅力なんてカケラも感じてないしぃ、怖いとこあるしぃ、それって、ブログ読んでるファンの皆様のイメージを裏切ることにもなるしぃ」
どこまで厚顔無恥なのか、ブログを書いてるのはマンタ氏であってミイナ様ではない。
しかし、涼子さんに出された依頼書には、完全に応えてはいないのは事実だ。
「まあ、ミイナの感じているところについては、私も読んでて感じました。ハードSFに近くて、ラノベからは遠い。とにかく、このまま出版というのなら涼子さんには申し訳ないのですが、ご依頼はこれまでと言うしかありません。当然ながら、太陽系出版社さんや、涼子さんの編プロとのお付き合いも見直すことになるでしょう」
やったね、交渉決裂じゃん! 得たりや応と、俺は帰り支度を始める。
でも、殊勲甲の川絵さんは、ひどく狼狽しているようで、直後に思いもかけないことを口走った。