第4話 それは序章に過ぎなかった
電子書籍と紙書籍の売上を単純に比較するのは、コンビニの缶ビールとビヤホールのビールの単価を比較する程度には馬鹿げているといえます。
電子書籍が著作、校正、編集、ファイル化で客送できるのに対し、紙書籍は更に、印刷し、配送し、陳列しなければなりません。しかも、輸送効率は60%(返本率40%)と非効率です。
紙書籍の印刷費・配送費・販売費が定価の50%を占めている現状では、紙書籍1000円のものを電子書籍400円程度でもペイしそうですが、今後、挑戦する出版社が出てくるのか期待です。
本日は3500字となりました。どうぞよろしくお願いします。
ミイナ様の隣りにいるマンタ氏は、時計ばかり気にして、打ち合わせの内容には興味が無さそうだ。
「でさ、あーしなりにセンセの『ケモミミ!』を読ませてもらったんだけど、一週間かけても序章しか読めなかったんだ。相性悪いってか、とても、つまらなかったからじゃないかな。だから、センセ、どうにかしてよ。これをファンの人に売りつけるのは、あーしとしてもザイアクカン感じるわけよ」
「……とても……☆◯△なかった?」
しかも、序章しか読んでないって……え?
状況を飲み込めない俺が目を白黒させていると、ミイナ様がさらに俺に追い撃ちを加える。
「マンタが言うにはさ、このラノベプロジェクトには、あーしの文学アイドルデビューと年末の西木坂総選挙のセンター獲得がかかってるらしい。だから、ファンの人から、なんで?って言われるような恥ずい作品はやめて欲しいわけ。で、序章で直すトコはこれに書いておいたからさぁ、あとはセンセで頑張ってよ。プロなんでしょ」
途中読みで、一方的に断罪された。
もし、これが戯曲なら、俺はここで血を吐いてぶっ倒れるのが筋だろう。
いや、もういっそのこと駄々をこねて転げ回りたいぐらいだ。
そもそも、俺が紡いだ物語にムダもツマラナイもない。
直すトコなど、片言隻句たりともありえない。
文句があるなら最後まで読んでから言え。
誰だよ、いい感じの感想くれるなんて言っていた事変の首謀者は。
来るんじゃなかった。
来るんじゃなかった。
来るんじゃなかった……
俺は、ミイナ様からノートを無理矢理に渡されると、そのまま力なくソファに身を沈める。
しばらくして、俺は視界の端から現れた征次編集長を確認して、息を吹き返す。
「なんだ、打ち合わせは、もう終わりか? 休憩か?」
「お……終わりました……」
うん、芸能界に見てた夢と、『ケモミミ!』で世界征服する夢の両方が終わった。
ミイナ様の酷評の効果で、しばらく、何もする気が起きない。
「それだけじゃ分からんが、向こうさんの感想はどうだった?」
「……」
無言の俺の代わりに、戻ってきたマンタ氏が編集長のすぐ隣から声をかけてきた。
「あの……四霧鵺編集長。ミイナからの要望は、まとめて、そちらのノートに書いているようです。私はあのままでも構わないと思うんですが……まあ、お互い、より良いものにしていきましょう」
マネージャーのマンタ氏の呼びかけに、征次編集長が短く言葉を交わすと、そのまま、打ち合わせはお開きとなった。
帰りのタクシーの中、放心状態の俺の傍らで、ミイナ様の福音書に征次編集長が目を走らせる。
「なになに、ケモミミ!序章から、つまんない所チェック?」
俺が頼みもしていないのに、征次編集長は車の中で読み上げる。
「出だしから、ちょー暗い! ストーリーに夢がない……ほう、剛球だな」
「……理屈っぽい。主人公が無反応でイラッとくる。イイ男キャラがいない(絶対、あと3人はイケメンキャラ必要)。ヒロイン、男見る目なさすぎ。軍隊なんて怖い、学校にしとけ。寒い世界で愛要素がなさ過ぎ……ふんふん。これで序章って、この先、読むのがツラすぎ。なるほど」
俺のガラスの心臓がタクシーの中で完全に砕けたところで、ようやく、ミイナ様の福音書の朗読が終わる。
拷問を終えた獄吏は、俺に福音書を手渡して言う。
「とにかく『ケモミミ!』の譲渡は円滑に進めてくれよ。法的な問題はちゃんと解決してやるから」
「あの……書き直しって、しなきゃ駄目ですか?」
「そこは任せる。地鶏ヶ淵の個人的クレームなら、本人に書き直させる方法もあるし、作品の商業性そのものに対する苦情なら編集部対応だが、『ケモミミ!』にそれはない。とにかく締切までに、向こうさんを上手く納得させるようにやってくれ」
ミイナ様には書き直す能力はない。マンタ氏はそもそも、内容に興味がない。
とすると、ミイナ様が俺の書き直しに納得する以外に道はないのだが……それは難しそうだ。
「向こうは……ミイナさんは、納得するんですか? 俺は納得できないですけど」
そう訊くと、征次編集長は少しむずかしい顔をしたが、最後は涼しい顔でこう言った。
「その気持はわかるよ。でも、この世界、泣く子と締切には勝てないんだ。その辺りを弁えるように説得すれば、地鶏ヶ淵サイドも無茶は言わないだろう。特に10月25日の刊行日には御執心だから、いざとなれば締切に間に合わなくなりますがいいんですか、とでも脅せばいいさ」
車から降りた征次編集長は、頭を手櫛でササッとヘルメット状に直すと、二編への階段を上がっていく。
だが、二編の扉の前で征次編集長が異常を察知したのか中の様子を伺っていた。
すると、二編の中から川絵さんの声がする。柔らかく透き通った声だが、口調は辛辣だ。
「『ケモミミ!』の話かって、もともと、お母さんが悪いんやんか。ゴーストのラノベライターなんか聞いたことないわ」
なんだろう、川絵さんが『ケモミミ!』の譲渡話に反対してくれているのだろうか。
よく分からないが、さっき、ミイナ様にぽっきり折られた心が癒されていく。
さすが川絵さん、不思議と頼りになる。なんだか声を聞くだけで元気が出る気がする。
さっそく、二編に入ろうとする俺を、征次編集長が腕一本で止める。
そう、二編の中には、もう一人、気になる人物が川絵さんと対峙しているのだ。
「川絵は、ライターのぶたにんはんに気をつこうてるのか? それに、ゴーストとか聞いたこともないんなら、口挟んだらあけへん。見習い編集は黙って見ときよし」
独特の口調で、どこか京路を楚々と歩むように言い返しているのは、鵜野目涼子さんに違いない。
「ぶたにんは……今、関係ないやん。もう。そもそもゴースト自体、著作権法違反やねんから。犯罪やんか」
「これこれ、子どもみたいに法律とか振り回しなさんな……ほな、川絵は誰が著作権法違反の犯罪者やって言いはる気?」
「そ、それは、偽物のくせに本物の著作者やって言う人が犯罪者やわ。悪いのは西木坂事務所のアイドルやん」
「ほな、西木坂事務所を訴えたら終いやないの。私らのことを犯罪者扱いしたらあきませんえ」
「そんなん、分かってやってる出版社も、関わってる編集者も共犯やん? 同罪やわ」
「私、そんなこと知らんえ……原作者同士で話はついてはるんやろ。訴える人は誰もいいひん。それを共犯やなんて、酷いこと言いおすなあ。ライターのぶたにんはんも、おまんまの食い上げやて怒りはるわ」
「みんなグルって、そんなんアカンやん。そこまで言うんやったら、私が聞いたこと、全部、ネットに流したるわ」
「なんで、あんたがそこまで、しおすのん。まあ、そんな根も葉もないこと、芸能プロっちゅうところが揉み消すのは、お茶ノ子さいさいや。最後に困るんは、あんただけおすえ」
「根も葉もあるやん……そんなん、絶対、おかしいやん」
「川絵もよう知っての通り、有能なライターさんがゴーストを引き受けてくれはるから、納期通りに本ができるんよし。そんなん業界の常やないの。そもそも、ふつうの芸能の人に原稿なんか書けるわけあらへんねやさかい。今回もライターさんを使う件は、みんな納得ずくどっしゃろ」
「そんなん、みんな納得してるかなんて、確認してへんやん……」
しばらく、部屋の外で聞き耳を立てていた征次編集長が、さすがに潮時と見たか、カードキーをセンサーにかざす。
ピッ。
乾いた確認音の後ろに続いて、二編の中に入る。
「いやあ参ったね。その通り、なかなか納得がいかないようで、とても困っているよ」
征次編集長は、そう嘆くように言って涼子さんに何か囁いている。
「いやあ、ぶたにんは、やっぱり、納得してへんかったんや。さすが、男の子やなあ……うんうん、こっちおいで」
久しぶりの川絵さんは、笑顔で俺の頭をかいぐり、かいぐりしてくれる。
俺の髪に少し嬉しい、こそばゆい感覚が往来する。
ビバ、マイライフ。
ええと、そう言えば川絵さん、やっぱり納得してへんって言ったよね?
川絵さんの『やっぱり』ってなんだ?
ミイナ様から書き直しを食らうことを川絵さんは『やっぱり』と見抜いていたのか。
それとも、まさか俺が著作権譲渡を迷ってることまで見抜いているのか。
ともあれ、川絵さんなら、この問題の傾向と対策的なコトを知っているんじゃないだろうか。
「川絵さん、ちょっと教えてもらっていいですか……できれば、外で」
「ええで、編集長、私ら、打ち合わせで少し外に出ます」
川絵さんは、ホワイトボードに『外出◯ぶ』と書くと、俺と一緒に早々に二編を後にした。