第3話 西木坂事変
全国出版協会の月次売上が出揃い、2016年の書籍雑誌の売上が1兆4709億円(前年比−3.4%)と遂に1兆5千億円の大台を割り込みました。
内訳は、雑誌売上の落ち込みにより、雑誌7339億円、書籍7370億円となっています。
こうなってくると、1909億円へと37%も伸びた電子書籍売上が紙の書籍を駆逐しているのは認めざるをえないところで、雑誌の「dマガジン」、書籍の「キンドルアンリミテッド」、それに電子コミックの好調が続くと2017年は2000億円の大台突破は確実で、コンテンツのデジタル化、細分化、流通の多様化に拍車が掛かることでしょう。
本日は3400字となりました。どうぞ宜しくお願いします。
トップアイドルに会える。俺にとって、これは事件だ。
しかも、そのアイドルが俺の小説を読んでくれるのだから、もう大事件だ。
そのうえ、いい感じの感想までくれるらしい。
これは事件を越えて、西木坂事変と言って差し支えない。
俺は当初の煩悶をすっかり忘れて、異様に緊張しながらタクシーから滑るように降り、劇場裏手の勝手口のような出入口に急ぐ。
そこで、警備会社のセキュリティ・チェックで待たされたものの、十数分ほどで楽屋に続く通路横の応接セットに通され、そこに地鶏ヶ淵( ふち)ミイナとマネージャーの鰻田氏が現れた。
「その髪型、ひょっとして、サンラの編集長サンですか? ミイナ、ぶち感激ですぅ!」
髪型で本人確認されたことに戸惑っているのか、征次編集長の返事は短い。
「はい……え、髪型?」
人の良さそうな短い茶髪のマンタ氏は、目当ての人物と見るや、名刺を手に相好を崩して距離を詰めてくる。
「話はカルチャーショックの鵜野目涼子さんから伺ってます。私、西木坂事務所のマネージャーのマンタです。そして、こちらが売り出し中の文学アイドルの地鶏ヶ淵ミイナです」
「地鶏ヶ淵ミイナですぅ。ブチミイのこと、応援よろしくお願いしまーす」
突然、目の前に小顔でショートの黒髪の、そのままスマホの壁紙にでもなりそうなダテメガネの文学美少女が現れた。
何と表現して良いのか分からないが、俗に言う芸能人オーラのようなものが滲み出ている。
征次編集長ですら、少し気圧されているような感じだ。俺に至っては言わずもがなである。
「太陽系出版社第二編集部編集長、四霧鵺征次です。よろしく。こちらは、原作担当の武谷君。部内ではぶたにんで通っています」
そのぶたにん紹介、要らないんですけど……
ただでさえブチミイの華やかオーラと、ぶたにんの陰極のオーラとの間は等圧線が密集していて、種の違いすら感じさせる。
ブチミイと俺との間には、オーラ格差社会の絶壁がそそり立っていると言って差し支えない。
緩衝材としての役割を果たす征次編集長に感謝の念を……そう思った矢先、征次編集長のスマホが鳴る。
「あぁ、弁護士の先生からだ。ちょっと、失礼しますね」
一礼して征次編集長は少し離れたところで話し始める。
ちょっと待て、編集長、緩衝材の自覚がないのかよ。
俺が優勢なブチミイのオーラに容赦なく侵食されてしまうじゃんか。
どうして良いか分からず、オーラ圧で視線を下に這わせる俺に、マンタ氏が優しく声をかけてくれる。
「売れそうなものを発掘して、大いに売る。プロダクション業も編集業も似たところがあると思っていますよ、ぶたにんさん」
マンタ氏は俺にそう耳打ちすると、ブチミイのほうに踊るように取って返して、改まって言う。
「えぇと、タケタニ先生、どうぞお座り下さい。うちのミイナも、今、リハーサル、途中抜けしてるんで、早々に打ち合わせだけでも進めてしまいましょう」
「だね、手短に行こっかぁ。さぁ、座んなよ。センセ」
なんだ、文学アイドル地鶏ヶ淵ミイナが極めてフランクになっている。
アイドル、ブチミイに違和感を感じるのは俺だけではあるまい。
そう、いきなりのタメ口じゃん。これが噂の『ミイナ様』なのだろうか。
高校三年生の俺は、高校生アイドルからタメで話しかけられる確率は3分の1なのだが。
脳内収録プロフによると、東京都出身、水瓶座のO型。
生まれつき身体が弱く、アイドル活動のため、高校を中退している。
だが、ステージで見せる正統派アイドルの『ブチミイ』に対して、影ではどす黒いフランクな裏の顔である『ミイナ様』になるとも言われている。
その都市伝説かも知れない二面性も含めて、地鶏ヶ淵ミイナは類まれな文才とアイドル性に恵まれたキセキの十七歳なのだ。
「タケタニ先生、ぶっちゃけ、ミイナと同い年ということで気を悪くなされないで下さいね」
あっけらかんと、マンタ氏から言われて、俺、息止まるかと思った。
「ミイナさぁ、スポーツ推薦で上がった高校で、ドジって怪我して中退した不良だから、セーカクもちょ〜悪いところあるんだぁ。ごめんね、ぶたにんセンセ!」
これまた、あっけらかんと透明な文学アイドル、ブチミイはミイナ様へと変化する。
3歳のサバを読んで、プロフ詐欺に良心を痛めているのが、例の二面性の原因なのか。
俺がプロファイリングしていると、ミイナ様が哀れなラノベオタク少年を見るかのような目を向けながら言う。
「あーし、陸上部の部活で怪我した右足首のせいで、ライブ2時間ぶっ通しで踊るのは結構限界なんだ。けど、マンタが絶対売れるからって言うからこの世界に入った。まあ、入ってみれば悪くはなかった。そして、マンタが今年こそセンター狙えって言うから、ラノベアイドルの話にも乗ったし出版の話にも乗った。けどさ、あーし、じつは文章なんて読むのも書くのも苦手なんだ」
なんだよ、陸上部の部活って。病弱じゃないじゃん。外見以外、ほとんど設定なのか。
でも、苦手とか言いながら、『ぶちみいブログ』の完成度は高いと思うんだよな。
昨日、読んだけど、少しドキッとしてファンになりかけたのは秘中の秘だ。
「ウチのミイナはアイドルとしての実力は抜群でね、惜しむらくは高校のとき、陸上部のハードル倒しで足を痛めたのが悔やまれぇ……ぐっふぅ」
警告なしにミイナ様の肘鉄が、致命的なツッコミを入れたマンタ氏の脇腹をえぐる。
容赦ねえよ、ミイナ様。
「100mハードルっ。倒したほうが早いこともあるんだから。それに、あーし、もともと短距離枠じゃん。でもインターハイ狙うために無理やりハードル転向させられたっつーか……って、どうでもいいじゃん。そんなコトさ」
あからさまに気を損ねたミイナ様をおいて、息を整えたマンタ氏が俺に言う。
「まあ、これでも西木坂46メンバーの中ではバツグンの知性美を誇ってますからね。公式ブログのアクセスランキングトップ、握手会指名5位、グッズ売上4位でメンバー総合3位ですから、この年末はいよいよセンターを狙えるチャンスなんですよ」
いつの間にか、マンタ氏の視線は俺のほうを向いていた。
そして、諭すように、俺に言い含めるように淡々とした語り口で言う。
「西木坂46の名前でCD、ブルーレイ、写真集が何千、何万の単位で捌けるんですから、単価の安いラノベ単行本なら、なおさらですよ。ミイナの握手券を付けるだけで、産業廃棄物でさえ飛ぶように売れます」
おい、ラノベも産廃も一緒って穏やかじゃねぇ。しかし、万単位の売上には生唾が出る。
「そうなんですか」
「はい、私の書いたブログですら、ミイナの名前をつけるだけでブログアクセス数はウナギ登りですからねぇ。握手券付きラノベなんて、ミイナの握手の大バーゲンですよ」
おいおい、ブチミイのブログってマネージャーが書いてたのか……危うく、アイドルのマネージャーに心を売るところだったよ。
握手券付きラノベか……待てよ、握手券だけ買われて、ラノベの中身はどれだけ読んでもらえるんだろうか。
ふと俺の脳裏に、昔、シール付きチョコ菓子のシールを集めていた頃の記憶が鮮やかに蘇る。
「それって、ラノベじゃなくて握手券を売ってるんじゃ……」
「ラノベも買われてるさ。握手券だけ取って本だけ捨てるファンなんて少ないよ。大丈夫だよ、センセ。あーしのイメージ通り書きゃあ、捨てられはしないからさぁ」
ミイナ様の言葉に俺はコクコクと頷きながら聞いていると、次にマンタ氏の信じられない言葉が飛ぶ。
「ま、写真集とかは、ぶっちゃけ、中古書店で買い取ってくれなくなる程度に、ダブつきますがね」
中古市場でダブつくということは……売れてることの裏返しだよね、そうだよね。
無言で動揺する俺の反応を伺っていたらしいミイナ様は、潜むように微笑んでいる。
俺と目が合うと、そそくさと色気のないキャンパスノートを取り出した。なんというか、とても嫌な予感がする。
そして、俺のこの種の予感は間違いなく当たる。
「でさ、あーしなりにセンセの『ケモミミ!』を読ませてもらったんだけど……」
俺はミイナ様の言葉を固唾を呑んで待ち受ける。いよいよ、事変の緊張感は最高潮だ。
編集長はスマホを握ったまま、いつ終わるともしれない電話から帰ってくる様子はない。