第2話 ケモミミこそ我が人生
雑誌編集は時代の先端を行く多様なテーマを追う花形。書籍編集は一つのテーマを深く追求する職人気質。
雑誌と書籍の編集の違いは色々なことが言われますが、ここに来て時代の先端を行く雑誌が売れなくなって苦境に立たされています。事実、一昨年頃から、雑誌の紙媒体休刊や電子媒体化が先行して進んでいました。
中でも、100誌以上の雑誌を月額400円程度で提供するdマガ、楽マガに押されて雑誌の媒体整理は急速に進みました。特にdマガジンは昨年、登録者数300万人を突破し新たなビジネスプラットフォームとなりました。
消費者にとって、読み捨てられる傾向の強い雑誌は、紙より電子媒体が馴染むのかも知れません。
さて、本日は、ちょうど3000字です。どうぞよろしくお願いいたします。
――――そんなんで悔しくないん?
――――出版できたらホンマに『ケモミミ!』は誰のものになっても良いん?
…………悔しくないわけはない。
ただ『ケモミミ!』を世に出す以上、売れて欲しい。ミリオンを目指したい。
自信作の『ケモミミ!』だから、売れるはず……だけど実際はどうなのか。
もし、売れなかったら……そんな畏怖の念を俺は消しきれない。
万が一、ぶたにん著で売れなかったら、オレの心は粉々に砕け散る。
『ケモミミ!』が無名作家の駄作で消えるのに耐えられない。
だから、保険をかける意味でもアイドル名で出して売りたい。
ズルいと思われるかもしれないが、考えても見て欲しい。
毎月発刊されるラノベは100タイトル以上にも上る。
そんな中、稀代のケモミミラノベという珠玉の書を6000部程度出したところで、数多のケモミミストには届かず、玉石混交の出版物の中で見逃されるおそれが大である。
その中で少しでも売ろうと思えば、初刷は多いに越したことはなく、話題性に富むに越したことはない。
ケモミミストにあまねく福音書を届けるためには、帯も、イラストも、著者名もなげうつ覚悟だったのだが……
その意気や良し。しかし、客観的にみると違ったのだ。
作品の著者名義を売るということの重さ、喪失感。
例えばの話、何が起こるか分からないなりに、良い方向に妄想を働かせてみても、行き着く先は決っして気持ちのよいものではないのだ。
……………仮に、アイドル名義で出したラノベが大ヒットしたとしよう。
テレビが叫ぶ。
「ラノベの今年一番の話題作となったライトノベル、ドラマCDに続いてアニメ化企画が進行中の『ケモミミ!』ですが、これを書かれたのは、あのアイドル地鶏ヶ淵ミイナさん。本日はスタジオにお招きして人気作の真相に迫ります!」
そんなこと言われても、俺には関係ないことになる。
もう、虚し過ぎて俺としては、何日か絶食できるレベルだ。
…………他方で地鶏ヶ淵ミイナはチヤホヤされるわけで、これまた精神衛生上よろしくない。
「歌って踊れるだけじゃない、ラノベを書いて爆発的ヒットを飛ばした西木坂46、地鶏ヶ淵ミイナさんに、今日はアニメ化を記念して、そのアニメの主題歌『漆黒の花』を歌っていただきます」
いや、書いたのは、地鶏ヶ淵ミイナじゃなくて俺ですけど、と言っても通じるはずもない。
そう、世間的にはアイドルがラノベとは言え小説を書いたというほうが面白いに決まってるのだ。
…………そこから進んで、西木坂事務所から『ケモミミ!②』を書いてくれと注文が来たら俺はどうしたら良いんだろう?
地鶏ヶ淵ミイナの吹聴する次回作の構想を取りまとめて、企画書を練り上げてみたところで、それは全て地鶏ヶ淵ミイナのためにしかならない。
莫大な熱量と精力を傾けて脱稿したところで、評価されるのはアイドル・地鶏ヶ淵ミイナだ。
そして、3巻、4巻と続刊が出ることになったとき、果たして俺は『ケモミミ!』を書き続けることが出来るだろうか。答えは限りなく否定的だ。
逆に、闇堕ち不可避の俺は、ゴーストライターの地位が嫌になって「『ケモミミ!』の本当の作者は俺なんだ!」などと某週刊誌にぶちまけてしまいそうだ。
それより、何より、俺は俺としてラノベを書きたい。
そして、書く以上は『ケモミミ!』よりも売れる作品にしたい。
俺の新作を書かなければならないときに、地鶏ヶ淵ミイナの『ケモミミ!』の続編にも同等のエネルギーを注ぐことなんてムリだ。
…………そこまで妄想を働かせてみて、俺は改めて思う。
俺は、あの会議でどう言ったら良かったんだろう。
そんなこと、今をもってしても分からない。
さて、冒頭の川絵さんの言葉がすぐにも聞こえてきそうなぐらい、耳には残っているはずなのに、その声の主はもういない。
いったい何処に行ったんだろう?
お手洗いか?
いや、ピギーバックを引いていくとなると外出だろう。
となると、家に戻ったのかもしれない。
しかし、川絵さんが何の挨拶もなく、一人いなくなるなんてことは今までなかった。
考えれば考えるほど、すぐには帰って来ないような気がして俺は気が気ではない。
失ってみてはじめて分かると云うものなのか、川絵さんのいない二編で独りうまくやっていく自信はないし、『ケモミミ!』を喪失した俺は存在意義すら怪しい。
いわば、俺の十七年余りの人生で生産したものは『ケモミミ!』のみと言って過言ではない。
科学的に数式で表すと次のとおりだ。
『俺の人生』=『ケモミミ!』
ケモミミこそ我が人生。
ここから、中学数学で学んだ通り、『ケモミミ!』を両辺から引く。
要するに、『ケモミミ!』を左辺に移項すると次のようになる。
『俺の人生』−『ケモミミ!』=0
悲壮感溢れる方程式だよな。
なんだか、科学的にも存在意義を問い詰められているじゃん、俺。
しかし、どうしたらいいのやら?
『ケモミミ!』をアイドルに譲渡すると、会議の席上で言ってしまった。
取り消せるものなら取り消したいが、既に、色々なことが俺の決断から動き出している。
俺は当てどなく、征次編集長に訊いてみる。
「編集長、『ケモミミ!』の件なんですけど……」
だが、征次編集長は俺の顔を見るなり勢い良く声をかけてきた。
「ぶたにん君っ、ちょうど良かった」
征次編集長はいつもより興奮したように、手招きしている。
「いまから出られるか? じつは西木坂事務所のマネージャーから、リハーサルの合間に打ち合わせできないか連絡があってね」
「え、あの、打ち合わせって、何を……ですか?」
「いやあ分からん。私も芸能事務所は初めてだからな。でも、アイドルに会えるぞ」
アイドル! 俺はドキリとして、甘い芸能界の香りに籠絡されそうになる。
何だよ、この唐突な胸の高鳴りは。アイドルなんかに負けるな、俺。
しかし、征次編集長から追い打ちがかかる。
「あと、涼子さんが『ケモミミ!』の原稿を前もって地鶏ヶ淵ミイナに渡しているようだから、いい感じの感想でも聞けるんじゃないか」
マジですか? アイドル、それも地鶏ヶ淵ミイナと言えば、超弩級アイドルだ。
ただ、噂によると典型的なアイドルの表面の一つ下には、極めてどストレートに毒を吐く闇の一面を隠し持っているらしいこと、そしてそれがファンに受けているらしいことを俺はネットの情報として得ていた。
まあ、初対面の相手に意味もなく闇の顔を見せるとは思えず、そうした芸風なのかと俺は軽く思っていた。
とにかく、トップアイドル一歩手前の彼女にいい感じの感想がもらえるなんてドッキリは、ふつうの人生でそうそう待ち構えてくれているものでもない。
俺は、一も二もなく支度を整える。
いつもより二割増しテンションの上がった征次編集長に引き連れられ、大通りでタクシーを拾うと10分ほどで都内の西木坂劇場に到着した。