第15話 ケモミミ!のドナドナ!
ゴーストライティング契約は古くから出版業界、音楽業界にあるようです。
典型的な契約は、著作権放棄と著作人格権の氏名表示権の放棄を謳うものです。
しかし、著作権法121条には明確に刑事罰が定められており、問題と思われます。
ただ、同法の判例は大正時代に一例あるだけで、無罪とされています。
業界慣行として定着し、訴訟技術的に立件が難しいためゴーストは、まだ残りそうです
PART5の最終話は3,800字となりました。どうぞ宜しくお願いします。
「ぶたにん君、『ケモミミ!』をアイドル・グループ西木坂46に著作権譲渡してくれないか」
俺は、アイドルには向いていないと思っていたので、ホッとする。
でも、『ケモミミ!』が無くなったら、俺、デビューできなくなるよね。
だめじゃん、それ。
かと言って、土野湖先生のタイトルは、アイドルが書いたとなると文字通り炎上しかねない。
「そ、それじゃあ、俺のデビューはどうなるんですか」
「落ち着いて聞いてくれ。このままじゃ、福楼営業部長が、灰江奈ブロック長の多少のミスは顧みず、10月刊だけでも部決6,000部ありきでドンドン話を進めかねない。そうなったら、ぶたにん君の企画も、小鮒君の企画も、6,000部で潰されるぞ」
確かに、6,000部の実績ができれば福楼営業部長の役員会での約束は達成されるわけだ。
そして、10月刊なら、6,000部は字衆館印刷が1点だけは引き受けてくれることになっている。
仮に、企画を取り下げてもいいが、そうなれば、また、編集会議からやり直しだ。それは、気が遠くなりそうだ。
しかし、恐ろしいのは6,000部で黒字になるのは1点限りで、2点目からは赤字になることだ。
おかげで、営業部は二編に2点の6,000部の部決を出すことで、片方を6,000部の部決実績に、もう片方を赤字取り下げに追い込むことが出来る。
「このままでは、二編の10月は『昨日の旅』1本しか無くなることにもなりかねない。ここは、二編と小鮒くんを助けると思って、『ケモミミ!』をラノベ・アイドルに譲渡してくれないか? ぶたにん君の二編デビュー作は次回作で必ず約束する」
すでに、会話は周囲にダダ漏れで、会議室の中の誰もが征次編集長の話に耳を傾けている。
そうした雰囲気の中で、冷静に突っ込んでくるのは川絵さんだ。
「征次編集長、ひそひそ話してるとこ、悪いんですけど、ラノベ・アイドルの話は弁護士と詰めが残ってるんやないんでしたっけ?」
「いや、実は解決案があって、先方とも了解は取れている……ゴースト・ライティングと言う業界慣行を少し改善すれば、コンプラ上もクリアできるらしい」
「ゴーストは、明確に著作権法違反ですやん」
「だから、弁護士からその点をクリアできると回答も貰っている。あとは社内調整だが、状況が状況だ。ラノベ・アイドル企画本ということなら、8,000部の言い訳にもなるし、企画もハードSF設定は気になるが、ヒーロー、ヒロインも含めてアイドル・イメージにマイナスにはならないと思う」
「そんなん、ぶたにんの気も知らんでよう言うわ。征次編集長は思い込んだら、それしか見えへんねんからなあ」
「まあ、それはそうだが……」
状況は煮詰まっている。俺は、何を優先させるべきかは明確に分かっていた。
理由はどうあれ、俺にとっては『ケモミミ!』が世に出ないことが問題だ。
「俺、『ケモミミ!』が出版されるのなら、譲ってもいいですよ。ラノベ・アイドルに」
「え、ぶたにん、なんでよっ」
川絵さんの声はたしかに聞こえたが、かぶせるように征次編集長が俺の肩を軽く叩いて短く小声で囁いた。
「よし、よく言ってくれた」
そして、元の席に戻って改めて福楼営業部長に言う。
「福楼営業部長、ぶたにん(仮)の仮名で通していた企画ですが、西木坂46のユニットに所属する地鶏ヶ淵ミイナが原作でして、二編としては8,000部で通したいんですが」
地鶏ヶ淵ミイナ。愛称はブチミイ。チドリンと呼ぶファンもいる。
去年、西木坂46の研究生から抜擢されるやいなや、知的なイメージと妹っぽい可愛さを武器に、人気実力ともに赤丸急上昇中のアイドルで、俺としても目を付けていなかったといえば嘘になる。
「なるほど、注目アイドルがラノベを書いてましたと……征次編集長、ラノベ購読層の新規開拓も含めて戦略案件と言えるが、何と言っても色物だから、プロ並みの12,000部とは行かない。しかし、6,000部で試すのは示しが付かない……8,000部ならコケてもトントン、伸びれば緊急増刷も青天井かぁ。灰江奈君、この件、アイドルと言うところだけ出してノンネームでトオハンと協議に当ってもらえるよな?」
「はい、それは、早速」
「征次編集長、弁護士との調整については猫柳局長だけじゃなく、私にも逐次、報告を上げてくれ。もしダメなら……いろいろ対処が必要だからな」
福楼氏が、ギロリと灰江奈氏を見据える眼力は尋常ではない。
「そのようにします。それでは、二編の10月刊の予定部数は20,000部、12,000部、8,000部でお願いします」
「常務会の根回しに頭が痛いなぁ。くれぐれも、ラノベ・アイドルを徒花で終わらせんようにしてくれよ」
福楼営業部長は、予定部数での部決を約束しつつも、ラノベ・アイドルを人質にしている風な口ぶりだった。
「納得、行けへんわあ。なんで、『ケモミミ!』が8,000部で生贄の羊にされなあかんのよ」
二編に戻ってきて、開口一番、異議を唱えたのは川絵さんだった。
そこまで、被害者意識のない俺が、川絵さんをなだめるように言う。
「いや、6,000部で変な本に仕上がるよりは、ちゃんとした所で作ってもらったほうが、作品としては幸せだから」
「そうだな、『ケモミミ!』は出来た作品だから、ラノベ読者層にも、アイドルファン層にも浸透するさ」
「そんなん、営業部長ですら色物やって、ハッキリ言うてはったやないですか。ラノベ読者層からは反感買うて、アイドルファン層からは小難しいって相手にされへんリスクがあるっちゅうことでしょ」
「まあまあ、良くも悪くも話題作だよ。化ければ、『昨日の旅』を抜いて一気に看板作家かな」
「地鶏ヶ淵ミイナが、でしょ」
「まあ、そうだな。ぶたにん君の二編での最初の筆名が『地鶏ヶ淵ミイナ』ということでこっそりデビューというわけだ。そうしたら、次回作からは天王星から筆名を取ることになるなあ」
「それじゃあ、『地球塵』は無しで、『天』で考えて良いんですね」
「……まあ、そうだな。次回作の編集会議が楽しみだね。でも、先に、執筆補助者としてのぶたにん君の仕事も忙しくなるよ」
「「執筆補助者?」」
「そう、他人が執筆して著作権が成立したものを譲渡するのは、明らかに著作権法違反だ。業界ではゴースト・ライティングと呼ばれる禁じ手で、公然の秘密になっているが、これを組織的に行うことは太陽系出版社としてはできない」
「そ、そしたら、どうするんですか?」
「ぶたにん君が、地鶏ヶ淵ミイナを補助して『ケモミミ!』を書かせるように指導してもらいたいんだ。世界観も含めて彼女の頭のなかで一切の創作活動が行われたことにしてくれ。結果として、口述筆記部分をぶたにん君が手伝ったとしたら、その創作物は地鶏ヶ淵ミイナによって創られたことになる。著作権法上は主たる創作者が著作権を得ることになるようだから、手間だと思うがよろしく頼む」
「具体的には、何をすれば……」
「そこは、鵜野目涼子さんが間に入っている。大丈夫だ。我々、二編の制作体制を上手く隠しながら、西木坂事務所と渡りをつけてくれる稀有な人材だよ。ただ、コンプラ上、ぶたにん君には地鶏ヶ淵ミイナと会って『ケモミミ!』の世界観から何から、すべてを伝授してもらわないといけない。そして、川絵は、これからは地鶏ヶ淵ミイナの製作編集として動いてくれ」
アイドル・地鶏ヶ淵ミイナに直接伝授ですとぉっ。
これは、思いもかけず大変なことになった。
ブチミイファンの嫉妬を、一身に受ける覚悟を決めないと……
俺的脳内では、ブチミイに惚れられて、結婚を申し込まれる寸前まで来ている。
俺たちへの指示を終えると、忙しそうに、征次編集長は席に戻って電話にメールにてんてこ舞いだ。
そして、川絵さんは顔色が悪いように見えたが、俺は、二編の照明のせいだろうぐらいに考えていた。
それに、窓の外は雲行きが怪しく、梅雨どき特有の怪しさを秘めている。
「ぶたにんは、デビュー作がゴーストライティング作品になっても良かったん?」
「あ、あのまま、没になるよりはどんな形でも出版されて、読まれないと意味が無いですから」
「そんなん、読まれてもぶたにんの作品じゃないやん。地鶏ヶ淵ミイナが生みの親になってまうねんで。出版社なんか太陽系出版だけやないやん。星の数ほどあんねんから……」
言われてみると、本当は、『ケモミミ!』は俺の作品だから、手放したくないに決まっている。
俺以外の人の言葉でいわれると、珠玉の作品を手放した俺の軽率さが、ひしひしと感じられる。
だけど、俺は、川絵さんを心配させまいと気丈に振る舞うことにする。
「川絵さん、俺、全然、平気ですから。筆名も『天』で始まるほうが格好良いですし、それに、アイドルにも会えるなんて得しちゃった感もあったりで、ははは」
「自分、そんなんで悔しくないん。出版できたらホンマに『ケモミミ!』は誰のものになっても良いん?」
川絵さんの顔は上気して頬は赤く、瞼は少し厚ぼったく感じた。
その双眸に光るものが浮かんでいるのを見て、俺は何か取り返しの付かないことをしたのだろうと悟る。
編集ブースの奥で、大きな声で征次編集長が、鵜野目涼子さんと話しているのが耳に入ってくる。
「いやあ、涼子さん、例の件、早々に動いて下さいよ。提供作品は『ケモミミ!』って言う猫耳のヒーローとヒロインのファンタジー作品でお願いしたいんですがね……いや、原作者は喜んで手放すと……はい間違いなく……」
俺の『ケモミミ!』が売られていくというのを実感する。
もう、心が千切れてしまいそうな思いがする。
「か、川絵さん……」
俺が振り向いた時には、川絵さんも、鞄も、ピギーバッグも、すべて目の前から消え失せていた。
(PART5 了)
PART5も最終話までお付き合い戴きまして、ありがとうございました。
PART6は、また、インターバルを置いてのスタートとなります。
開始時期等は、決まり次第、活動報告でご報告します。
引き続き、お読みいただけましたら幸いですm(_ _)m