第13話 役員会議室の見本刷り
−−−−ペンは剣よりも強し
19世紀の英国劇作家、エドワード・ブルワー=リットンの言葉とされています。
21世紀、ペンはネットに、剣は自動小銃程度に進化しましたが、思想については武力介入を誘発するようで、5月4日も、某出版社が暴漢の侵入を許したとの報せが入っています。
さて、本日は3900字となりました。次回以降は通常通り火曜0時からの投稿です。
どうぞ宜しくお願いします。
ピッと言うカードキーの解錠音がして、二編に小鮒さんが現れる。
小鮒さんは、まるで屍のようになった川絵さんが、寝ているものだと思って、小声で話しかけてくる。
(川絵さん、どうしたの? 寝ているの?)
ちなみに、小鮒さんの掠れ声が、小声になると余計に耳障りになるのか、川絵さんがムクリと起きる。
「私は、寝てへんわって……土野湖先生やん。ちょうど良かった。ショートストーリーのプロットがまだ一本も上がってへんのは、どないかしたんですか?」
「いや、今回は企画自体がボツになるかどうか判らないからさ……はははっ」
「企画は全然、生きてます。私は京野菜の企画が無くなったんで、土野湖先生のほうの企画にバッチリ張り付きますから」
「あ、京野菜の……ムックの企画、無くなったんだ。それは、残念……」
川絵さんは、手帳をペラリとめくって言う
「ちなみに、ショートストーリー三本のプロットと表紙のカバーストーリー案もまだやし、挿絵打ち合わせ用のイメージペラももらってへんわ……土野湖先生は慣れてはるから大丈夫やろうと思てますけど」
「ひょ、表紙は、印刷イメージが変わるかもしれないしさ、それに、挿絵も中綴じはともかく、口絵は流動的だよね……」
「土野湖先生は製作に首突っ込まんどいて下さい。ちゃんと書いて、ちゃんと上げてくれたら、間違いのないもんに仕上げますから」
舌鋒鋭く小鮒さんを追い詰めていく川絵さんに、小鮒さんを気遣う意識は微塵もないようだ。
しかし、追いつめられる立場の小鮒さんは、土色の顔からさらに生気を抜き取られたようになっている。
「ぶ、ぶたにん君、僕、ちょっと、体調が悪くなっちゃって、後で編集長に言っておいて貰えるかな……」
そう言うやいなや、小鮒さんは荷物を抱えて二編を後にする。
トイレに行くには重装備なので、どこかに出て行くらしいことは理解できた。
「え、小鮒さん? ちょ、ちょっと」
「逃げんでもええのに」
川絵さんは不機嫌そうだが、いつもの調子を取り戻しているようだった。
それから、暫くして征次編集長が二編に姿を見せる。
「おう、遅れてすまない。川絵、元気無さそうだな。ぶたにん君、営業部の部数ヒアリングが2時に決まった。軽く打ち合わせて、2時に5階の役員会議室に移動しよう。川絵も時間、大丈夫か?」
「ムックの新企画が轟沈させられたんで、不本意ながら時間に余裕が出来ました」
「轟沈……京野菜通販のお惣菜企画はダメか。涼子さんがサンらいふムックなんかに声をかけるなんて珍しいと思ったが、ダメ元企画だったか」
「昨日から現地行って、ダメ確認して帰ってきたようなもんやわ。ほんま、ダメ元企画やわ」
「それにしても、涼子さん、上のサンらいふムック編集部にはほとんど行かずに、二編にいる時間のほうが長かったらしくて、痛くもない腹を探られたよ。ところで、涼子さん、何しに二編に来てたの?」
嫌味を含んだ口ぶりで川絵さんが征次編集長に言う。
「西木坂46のラノベアイドル絡みでしょ、どうせ」
「いや、その件じゃない。その件は、今、弁護士と最後の詰めをしててだな……」
「え、私でもないで、さっき5分ほど喋ったのが初めてやし」
なんとなく、川絵さんの視線が送られてきたような気がしたので、俺は弁明する。
「お、俺は、昨日、ケモミミ本の企画書原価の話に助言してくれたのと、さっきは、ケモミミ本の話を聞いてくれたのと、それだけで……」
それだけで、何もないよね、涼子さん。
俺に会いに来てたのか? いや、考えすぎだろう。
なんだか、征次編集長が目を細めて、俺のほうを見ているのは気のせいではない。
「ひょっとして、娘に変な虫がつかないように涼子さんが偵察に来てたのかい?」
「そ、そんなん、ムックの企画があるから、太陽さんに来るのは当たり前やん」
「二編に来て、ぶたにん君と話をするのも当たり前かなあ? 川絵?」
征次編集長はしたり顔で言うが、川絵さんはそっぽを向いて取り合わない。
見た感じ川絵さんの頭はフル回転しているようだったが、ついに、その口からは何も言葉は出なかった。
腕時計に目をやった征次編集長が慌てて言う。
「おい、もう時間がない。5階に急ごう。川絵、状況は把握しているな」
「あ、はい、ぶたにんから聞いてます。なんや、営業部の減部要請が厳しいとか、なんとか」
「そうだ。しかし、奴らも部決で企画を潰すと、会社の損になるのは理解っているらしい」
「そんなら、なんで今回は強硬なんです?」
「私の勘だが、一度、企画を潰した実績があれば、あとあと、編集会議での営業部の発言権が強くなるのを見越した動きだと思うんだ。ウチに強硬に来るのは、企画を潰して作家とモメないのは二編だけだからと裏読みすると、妙に説明がつく」
「なんや、泥臭い話やなあ。でも、私の仕事を潰しに来てるんやったら、ガチで守ったるねん」
川絵さん、カッコ良すぎですよ。それに、俺の仕事でもあるんで、俺もガチで守ります。
ただ、どこから川絵さんの根拠の無い自信が湧いてくるのか、いつもながら、俺にはよくわからない。
役員会議室に着くと、編集会議以来の営業部の灰江奈ブロック長と、ウワサの美々透主幹が先に座っている。
「失礼します」
そう言って、征次編集長が奥に、そして、川絵さん、俺の順でテーブルにつく。
役員会議室の楕円の円卓は重厚で、他の調度も、厳しい佇まいだ。
灰江奈ブロック長が、最近の他社のラノベ文庫でも初刷減部の動きがあると世間話のように言う。
そして、灰江奈氏の話が終わるやいなや、美々透主幹が野太い声で話し始める。
「征次編集長、文庫の10月刊の部数見通しは持ってきて頂けましたか。サンラ編集部はすぐに出してくれましたよ」
美々透氏は嫌味を込めて言うと、『八月部決見込(サンラ文庫10/25)』の資料を俺たちに配る。
見事に刊行予定10本のうち、7本まで部数が埋まっている。
サンラの中では安定して売れている『異世界賭博伝 刀イジ⑱』と『舟これ! 赤城直上、零戦隊、ガラ空きです♡』が20,000部を付けているほかは、いずれも12,000部だ。
征次編集長は、美々透氏の資料には目もくれずに言う。
「うちは、3万部、2万部、2万部で頼む」
美々透主幹が呆れたような口ぶりで言う。
「『刀イジ』も重版前提で絞ってますので、『昨日の旅』も当初2万部で、重版をかけながら4万、5万と行きましょう。ですから、2万部、2万部、1万部ってことですかねぇ。ところで、ほかの2タイトルは?」
「いや、だから、『昨日の旅』3万部、『王室第三婦人が一妻多夫で炎上中』2万部、『ケモミミ!①』2万部だよ」
いかにも、気分を害した風にして征次編集長は吐き捨てる。
その向かい側で、美々透主幹は遂に、例の提案を口にする。
「ご冗談を。サンラ文庫は売れ筋でも20,000部、見込みありでも12,000部以下に絞っているんです。『王室第三婦人が一妻多夫で炎上中』と『ケモミミ!①』は新しい枠の6,000部で試しませんか?」
「何を試すんだ?」
「売れるかどうかですよ。売れれば重版にすれば良いし、売れなければ在庫リスクを減らせます。それに、トオハンとも6,000部での展開について、事前協議はできてますし」
嬉しそうに配本協議書をひけらかす美々透主幹に、征次編集長の額から汗がじわりと流れる。
「イノイチ印刷とは……協議はできてないらしいじゃないか?」
征次編集長が意味深に間を持たせて言うと、例の出禁事件が頭を過ぎったのか美々透主幹の顔から余裕が消える。
それを察してか、灰江奈ブロック長がフォローを入れる。
「イノイチにはカバーと付物を依頼する繁忙期対応で了解は取れているよ……なあ、美々透君」
美々透主幹が黙って頷くのを見て、征次編集長は言葉を足す。
「イノイチを外す理由が、さっぱり分からんのだが……」
「高価いんですよ。さすがに企画から赤字はマズイので、頑張ってくれる業者を入れないと、ねえ」
とても嬉しそうに美々透主幹が言うのを、征次編集長は忌々しそうに聞いている。
途中、ノックの音がして、清掃会社の人が会議室の掃除に入ろうとするが、川絵さんがそれを謝絶する。
言葉もなく、征次編集長が営業部の資料に渋々目を通し始めた頃に川絵さんが言う。
「字衆館印刷さんは、よっぽど安いんですね」
「ジシュウカン印刷? なんだそりゃ」
眉間にしわを寄せていた征次編集長が素っ頓狂な声で言う。
それを受けて川絵さんが、鞄から『見本』と判の押された文庫本を取り出す。
「父から一昨日、渡されたんですわ。役員会で珍しいサンラ文庫の見本刷りが出たって」
役員会議室から社長が持ち去った見本刷りが、こんな形で戻ってくるとは誰も思ってはいなかった。
もちろん、俺も、征次編集長も、川絵さんの手にある見本刷りを穴の開くほど見つめている。
「この奥付の字衆館印刷って、自分では印刷機持たずに、零細印刷所の空き時間をかき集める再外注専門の業者らしいんですけど、クラウド印刷って、外注データ管理も問題やし、品質もバラけるし、出版社として使うべき業者やないと……」
予期しなかった所から上がった火の手を消そうと、灰江奈ブロック長はすかさず口を挟む。
「だから、ウチのOBが立ち上げた字衆館印刷なら使えるだろうと云うことじゃないかっ。もう、役員会で採用が決まったんだよ」
もう、俺一人だったら泣き出してるかも知れないような、恫喝まがいの声が響く。
しかし、川絵さんは、営業部の努力を水泡に帰してしまう言葉を口にする。
「せやけど、クラウド印刷ってオフセットやないから、部数が伸びて重版になっても、コストダウンが効きませんやん」
それを聞いて、征次編集長が、やや大仰に訊き返す。
「えっ、本当にそうなのか?」
「オンデマンド印刷所の赤字受注を前提に組んでる非っ道い単価やけど、さすがに10,000部を超えてくると、断然オフセットのほうが、単価も品質も、ええもんが出来るんですわ」
「なるほどなぁ、安かろう悪かろうで、最初から重版しない前提って云う原価企画も、非っ道いよなあ」
非道い、非道いと二編で合唱しているうちに、営業部の二人は、塩をかけた青菜の上のナメクジのように小さくなる。
ここに小鮒さんがいないのが可哀想に思えてくるほど、形勢は二編に傾いている。
しかし、役員会議室に芽生えかけた二編の楽勝ムードに水を差すような事態が出来した。
「どうも、失礼するよ。話は進んでるかね」
そう言って入ってきた福楼営業部長は、灰江奈ブロック長の肩を叩いて、その隣に腰を掛けた。