第6話 鵜野目川絵のもう一つの顔
法学部出身の身から言いますと、未成年者は法律上の契約者になれませんので、未成年と知りながら取った念書には効力が生じません。ムダです。
それでは、なぜ、ギョロ目編集長は形にこだわるのかということですが、この念書を持って両親に追加でサインをさせると、民法上の追認が成立し、念書は有効になります。きゃぁ、大人って汚い。
【投稿の調整のお知らせ】
さて、今回は作者が投稿日の設定をミスっていました。月曜深夜投稿分を日曜深夜投稿してしまいました。大変申し訳ありません。
そこで、今週の投稿は、日曜深夜、月曜深夜のあと、火曜深夜のお休みを頂いて水曜深夜、木曜深夜の投稿とさせていただきます。
どうぞよろしくお願いしますm(__)m
「お前、話したのかーッ」
政一編集長の怒号のせいか、近隣の会議室がざわついているのが分かる。
ヘルメット編集長はまったく悪びれる風もなく言う。
「いや、概要だけ、肝心なところは何も言っていませんよ、政一編集長。そもそも、二編の制作方針は弁護士にもコンプラの確認は取ってあるんですから、違法じゃないでしょ……」
「コンプラは当然だ。ウチの営業政策上の極秘事項だ。前の編集会議でも言っただろう。おい、猪、デスクから念書を取ってこい」
その言葉を受けて、猪又さんが会議室を飛び出していく。
ヘルメット編集長はそれを見てボソリと呟く。
「サンラ編集部は都合が悪くなると、なんでも、念書だなぁ。未成年から念書を取ってどうするんだよ」
「武谷さんが未成年だと誰も確認していないだろう。形だけでもいいんだ」
え、政一編集長、俺、まだ十七歳ですよ。生年月日は作品エントリーシートにも書いているし、今だって高校の制服着てるし……
その後、猪又さんから、ここで聞いたことは一切口外しません、と言う念書を渡されて、俺は人に話す気もなかったのでサインだけはした。
そして、三月七日のプレス発表と同日の授賞式のスケジュール上、賞の辞退については、明後日の朝までに猪又さんの携帯に連絡をすることになった。
なんだか、受賞の連絡から今まで片時もおかずに、追い詰められているよ、俺。
出版社を出ると、もう、すっかり陽は落ちて辺りは夜の街になっている。
帰り道は神保町の駅まで、川絵さんが方向が一緒ということで来てくれた。
その道すがら、俺は今日、自分の周りで起こったことを確認するように訊く。
「あの、川絵さん聞いてもいいですか?」
「ええけど、私等タメやねんから川絵って呼び捨てでいいし、敬語はいらんで」
言われてみれば同い年だなと俺は思い直して訊く。
「俺、なんか悪いことでもしたのかなって?」
「なんで? 武谷さんは、今日は入選おめでとうの日なんやろ」
「そうなんだけど、最初に電話をもらった時は嬉しかったのに、いまでは……」
「なによ、新人賞なんて欲しくなかったんかいな」
「いや、欲しかった……けど、そのあとが大変すぎてちょっと引いたっていうか」
そう言った俺のほうを見て、川絵さんは呆れたように言う。
「大変って……小説書くのが一番大変やのに、その他のなにが大変なん? そんなん言うてたら、そのうち、息吸うのも大変になってくるで」
「いや、その、う、う、う……」
売れるとか売れないとか、なんだか卑しくて言葉にしにくくて吃っていると、川絵さんが勝手に俺のセリフを編集する。
「う、う、う? うつくしい? 瓜実顔の? 鵜野目サン? まあ、当たってなくもないけど……って、瓜ってなんやねん」
なにそのノリツッコミ。しかも、全然、俺の言いたいことと違うし。
それに、瓜実顔なんて自分で言っておいて、そんな言葉、今どき誰も使わねえし。
ただ、いたずらっぽく笑う川絵さんの顔に緊張感が和らいでいく。
しかし、よく見ると、ちょっとズレているような気がするのは、俺の気のせいだろうか。
「……違う、違うくて」
「そうやと思った」
「書いても売れないかもって思うと、ちょっとビビるって言うか……その……変かな?」
ひええ、恥ずいぜ、結構。
新人賞が内定した日に、何言ってるんだよ、俺?
そう思っていると、川絵さんは腹を抱えて笑っていた。失礼にもほどがあるぞ、と思ったら川絵さんは割りと良さげなことを言う。
「うわぁ、傑作やなあ。そんなん、作家さんから見たら、売れへんのは書かせた編集が悪いねんやって言わな……逆に、売れたら、それでも売れるように書いた武谷さんが偉いねん。そう思うて、書いていたらええねん」
なにか楽天的すぎるぞ、関西人。
それに、微妙に説得力ありすぎるぞ、関西弁。
「でも、売れなかったら、もう書かせてもらえなくなるとか」
「……武谷さんは、なんで小説家になろう思うたん?」
「えっ、それは、俺には小説くらいしか取り柄がないから……」
「小説は書いていて、楽しくはないん?」
それは、面白いものが書ければ楽しいし、下らないものを書いていると思うとつまらない。
でも、ケモミミ・ディストピアは書いていて超面白かったんだ。
なんだか、去年の夏の俺、眩しすぎないか。
ひょっとして、あれが俺の人生の絶頂?
「面白いものが書けると、楽しいけど……どうしてそんなこと訊くの?」
俺が訊き返すと、川絵さんは脇に抱えたトートバックの中から、B6サイズほどの中綴じのパンフレットを出す。
「これが、今度の四月に出す私が編集した『本』やで。可愛いやろ、京野菜の漬物情報ばっかり十六頁もあんねん。こうやって形になるから、楽しくてやめられへんねん」
「本って、これパンフレットじゃん」
「これでも、私がぜーんぶ、制作の手配したんやから、『本』って言うたってよ。低予算で出来合い写真も多いけど、文章は手は抜かせへんかったで。それに、レイアウト頼んだデザイナーの子がメチャクチャ、センスええ子やねん」
確かに川絵さんの制作したパンフレットは、フルカラーで仕上げも良い綺麗なもので、こんなものが作れればいいなあ、と思わせるには充分な魅力があった。
俺って、こんな綺麗なもの作っていましたっけ。
ケモミミ・ディストピア以外の作品は、ちょっと、他人様にお見せする自信はない。
川絵さんはくれると言ったが、俺は京野菜も漬物もまるで興味が無いので、パンフレットは貰わなかった。
どちらかと言うと川絵さんの持っている楽天的なパワーを分けて欲しかったが、叶いそうにないので、それはやめた。
神保町の駅の改札で方向別にわかれると、俺は、渡された川絵さんのもう一枚の名刺に目を落とす。
何かあれば相談しなさいと、名刺の裏に手書きでスマホの番号を書いてくれていた。
川絵さんの名刺を見ながら、俺の肩書について考えてみる。
『ケモミミ小説家 馬丘 雲?』
俺は、そうなっている自分を思い描けないまま、電車を乗り継いで家に帰る。
川絵さんは業界三年目の十七歳の編集さんで、太陽系出版社にはお父さんが勤めているらしい。
定時制の高校にも通っているらしく、聞いているだけで、意識が高いことこの上ない。
俺は高校生の今、英語が嫌いで進学か就職かも決めずに、SFやらファンタジーやらの世界にどっぷり浸かっている、意識の低い系の小説オタクだ。
これで太陽ラノベ新人賞審査員特別賞を辞退したら、俺の高校生活に残るものは何一つ無いんじゃないだろうか。
家に着くと、スマホの時計はもう八時半を回っていた。あと、二十八時間後には、家族に相談して、猪又さんにどう返事をするか決めなくちゃいけない。
小説を書いているなんて両親に話すのは、とにかく、途轍もなく恥ずかしい。
さらに、それを声に出して読まれた日には押入れの中に入って一日中出てこない自信はある。
いや、言わなきゃダメなのかよ。
どうにか言わずにすませる方法はないものか。
考えろ、俺。
……無理だ。賞をもらう以上、どうしてもコトが公になるし、身内バレ、親戚バレは避けられない。
更にそれに続く、教室バレ、先生バレまで行くのも容易に想像がつく。
高校、退学しようかな……さすがに、自殺はしないけどさ。
しかし、『ケモミミフェチ武谷』の恥ずかしい二つ名は、ぶたにんを容易に死の淵に追いやる。
また、俺の廻りを走馬灯のように灰色の日々が廻る。だから、走馬灯にフィクション混ぜろよ。成長しろ、俺。
猪又さんへの返事についての、選択肢は簡単で、このまま賞を受賞するのか、受賞を辞退して『二編』に入ってプロの勉強をするのか、どちらかだ。
前者は厳しいプロの道が待っていて、十年後の生存確率はほぼゼロとも言われるタフな競争を強いられる。
後者は太陽系出版社に入って、あのヘルメット編集長の下で……何をするのかよく分からない。
しかし、『二編』では、孤独な創作活動から解放されると言われたような気もする。
どうするのか、あとで、事情を知っていそうな川絵に電話して聞こう。
俺って、どちらかと言うと放っておかれると、何もしないタイプなので創作活動をみんなでやると言われると悪い気はしない。
しかし、俺が書いたものが他人の成果になるのは、どうにも嫌だ。
え、我儘? そう言われても、書いたのは俺だし譲る気はない。
こっそりと自宅の二階に上がると、俺の部屋から明かりが漏れている。
少し不安になって階段を駆け上がると、隙間から見える部屋の中はキレイに整理されて、俺の母親があろうことか俺のノーパソを開いてマウスを動かしている。
おいおい、もう嫌な予感しかしないよ。
不安に駆られて、ドアを払うように開け、勢いよく中に踏み込んだ。