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神田神保町の高校生あちゃらか編集手帳  作者: 錦坂茶寮
PART5 交わらないラノベの損益分岐点
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第8話 ズルい原価

ラノベといえば、最大手であるKADOKAWAの動向は無視できません。

そのKADOKAWAの今後の書籍市場の見通しが公表されています。

KADOKAWAの書籍売上セグメントである「書籍IP」の数字に注目してみます。

16年3月期の書籍IPは売上高700億円、営業利益49億円を見込んでいます。

18年3月期はこれをさらに、売上、利益とも大幅に伸ばせると野心的です。

KADOKAWAは成長のカギを「電子書籍」と「海外市場の拡大」としています。


さて、本日は3800字です。第9話は26日(火)0時予定。どうぞ宜しくお願いします。

 小鮒さんが借りてきたのは、出版社にありがちな社名入りの業務用ライトバンで、紀伊馬チナツの乗っていたベントレーとは大いに様相を異にしていた。

 まあ、どちらが間違っていたのかと言われれば、似つかわしくないほうは、明々白々である。


 ところで、俺が、昼休みに調べたネット情報では、車に上司と乗るときは、必ず助手席に座らなくてはならないらしい。

 厚かましくも後部座席に座ろうものなら、客と運転手の関係のようになって好ましくないようだ。


 さらに続きがある。助手席に座ったら、ナビはもちろんのこと、自動車の周囲に目を光らせ、極めつけはドライバーが眠くならないように、適当に会話を振るというのもマナーとして存在するらしい。

 ちなみに、イノイチ印刷の本社工場は神保町から車で40分ほど走った朝霞市内にある。


 この魔の40分を乗り切って無事帰れたら、俺、ノーパソ買い換えようかな。

 絶望的な状況をみて、ちょっと、気の利いた死亡フラグでも立ててみたくなる。



 地下の一角にある社用車駐車場で、小鮒さんが車に乗り込んで荷物を後部座席において、助手席のロックを解錠してくれる。

 続いて俺も、年代物のライトバンに乗り込んで、シートベルトを締めるとスルリと車は神保町に繰り出していく。



 さて、無事に車が首都高に差し掛かると、口先の魔術師ぶたにんの正念場だ。


「こ、小鮒さん、誕生日はいつですか?」

「えっ、8月6日だけど」


 8月6日……ハムの日か、俺、豚肉の話は転がしたくありません。

 あと、ほかに何かあるかというと、何もない普通の日じゃん。


 小鮒さん、本当にすみません。俺、特に興味なかったです。


「……お、俺は、11月3日です」


 誕生日自慢ではないが、訊いた手前、名乗っておくのが礼儀という話もある。


「ああ、文化の日か。でも、どうして文化の日って言うんだろうね」


「お、俺の誕生日だからじゃないですか」


 俺が、全身全霊を傾けたボケは、車の振動音にかき消され、華麗にスルーされる。


「昔は明治天皇の誕生日で祝日だったんだ。けど、近い将来、ぶたにん君が偉くなったら文化の日が、ぶたにんの日になるかもね」


 なんだよ、知ってるんですか、小鮒さん。危うくネットで調べかけたじゃないですか。

 あと、近未来のぶたにん偉くなる情報は、確定事項です……じゃなくて、禁則事項です、だったっけ。


「はい、全国のカレンダーを塗り替える覚悟です」


 そのためには、俺がラノベ作家でミリオン連発まで行かなくちゃなのだが、初っ端の、伝説となるべき名作『ケモミミ!』ですら、刊行が危ういのはどうにかしたい。


「それで、あの……原価の話なんですが」


「原価協力の話? 僕も初めてだから、やってみないと理解らないよ」


「印刷外注費はイノイチ印刷さんにお願いするとして、他の原価はどうするんですか?」


 俺は、本を作るのにどれぐらいの人が関係しているかよく理解らないので訊いてみる。


「そうだよね、印刷会社以外の外注で言うと、例えばイラストレーターさんへの原稿料や、題字のデザイン料なんかがあるよね」


「イラストレーターさんへの原稿料を減らすとどうなるんですか?」


「有名な人には頼めなくなるだろうね。あとはサンラはケチ臭いから描きたくないと言う風評被害も出るだろうし……ただ、どうなるか、よく分からないな」


 なんなんだろう。訊いてはいけないことなのだろうか。

 しかし、そう思ってしまうと訊きたくなるのが心情というものだろう。


「10万円って何かイラスト・ギルドみたいなところで決まってるとか……」


「ああ、公定価格みたいな感じ? それはないよ。5万円でも描いてくれる人は描いてくれる」


「なら、その人を見つければ良いんですね」


「ただ、相場ってものがあるからね」


 その相場という常識を打ち破らないと、原価削減は上手く行かないんじゃないですか?

 実際、安く描いてくれる人が上手いかどうかは、保証の限りではない。


「ぶたにん君も印税率を8%から5%に下げるって聞いたら、どう思う?」


「やる気が半分、無くなります」


「書くラノベの完成度はどうなる?」


 えっ? そりゃ、ヒロインを減らして、サービスシーンもちょっと大人しくして、主人公の活躍もトーンダウンさせる……なんて器用な真似はできない。

 多分、ふつう通り書くしか無いんだろうけど、何だか悔しい気持ちになってくる。


「理解った、筆名を変えて手抜きして書きます」


「新人が手を抜くと征次編集長に怒られるよ。最悪、クビかも」


「えっ、それなら、どうしろって……」


「原稿料にも文字印刷原稿なら売価の10%、ラノベやフルカラー写真ベースの文章原稿なら8%〜5%と言うように相場があって、それよりも安くすると必ず本のデキは悪くなる。相場を崩すって言うことは、本作りにとってプラスにはならないね」


「そうすると、そこは削れないんですか」


「難しいよね。絶対に悪くなるかというと条件が悪くても良心的に引き受けてくれる人もいるから、どうなるかは分からない。あと、画稿料も固定にせずに印税方式にしている出版社もあるみたいだね」


「それなら、次の編集外注費は減らせないんですか?」


「DTP処理は内製化すると減るけど、その分、内部の編集原価が上がってしまうし、単純に値下げだと言ったら、作業工数を減らされるだろうから、ちょっとみっともないラノベが出来上がるだろうね」


 『みっともないラノベ』というのは、カバーを開くと青◯文庫のようなひたすら文字だけ、というようなラノベなのだろうか。

 できれば、中学校の卒業文集みたいなラノベは避けたいのだが。


「次の編集原価は安くならないんですか?」


「そこを削るとサポートチームの鳳梨⑨(ぱいん)さんや川絵さん、あと、征次編集長の給料がなくなるからなあ」


 ひぇぇ、川絵さん、ごめんなさい。鳳梨⑨さん、すみません。

 知らないということは恐ろしい。





(ぶぶぶぶぶっ、ぶぶぶぶぶっ)


 唐突に、小鮒さんのケータイのバイブが唸る。


「悪い、会社からだ。ぶたにん君、代わりに出て」


 運転中の小鮒さんが、日本一電話を受けるのが下手な俺に、繋がったケータイを渡してくる。


(もしもし、小鮒さん? もしもし……)


「もひもし、小鮒はんの代わりのぶた……武谷です」


「ああ、さっきのぶたにん君? 経理の木常きつねです」


 おい、大人気だなあ、ぶたにん君。

 もう、筆名も『地球ぶたにん』で良さそうな気がしてくる。 


「君でもいい。ちょうど、いま経理課に営業部の美々(みみ)(ずく)サンの書いた『固定費原価改定について』って言う稟議書が回ってきてさ、ざっくり言うと発行タイトルが増えてるラノベやミステリの固定費を、タイトル当たり54万円から48万円に下げるんだって。下半期から改定だから10月刊なら間に合うかなと思って電話したんだけど」


「は、はい、有り難うございます。えっ? でも、どうして、木常さん、わざわざ……」


「いやあ、私も人間だからね。美々透って男が好きになれなくてさ。そして、小鮒さんとぶたにん君を応援したい気持ちもあるし。あっ、営業部には聞かれたくないから、この話は総務部あたりから噂で聞いたことにしておいてくれ」


「わ、理解りました。総務部のウワサさんから聞いたことで……」


 俺は、その後、笑われながらも何度かお礼を言って電話を切る。

 そして、内容を伝えると、なぜか、小鮒さんの表情がにわかに曇る。


「美々透、あいつ固定費仕切り原価、60万から54万に下がってたこと黙ってやがったのか。ぐぅ……許さんぞぉ」


 その瞬間、アクセルが踏み込まれたのか、苦しそうなエンジン音を上げて、ライトバンが加速する。



 俺は、加速の圧を受けながら、企画原価表を訂正する。


◯企画原価

想定売価640円(税別)六千部セット

印刷外注 本体_____1,260,000

印刷外注 製版______240,000

印刷外注 カバー_____150,000

印刷外注 帯・付物____144,000

原稿外注 原稿料_____307,200(↑)

原稿外注 原画稿料____108,000

編集外注 DTPデザイン__108,000

編集原価 編集費_____138,000

固定原価 本社費広宣費__480,000(↓)

取次原価 取次原価____307,200(↑)

販売原価 販売原価____844,800(↑)


◯企画損益

原価合計____4,087,200円(↑)

売価合計____3,840,000円(↑)

企画損益____▲247,200円(↓)



「小鮒さん、すごいですよ。あと24万円で黒字です」


 俺は、声を上ずらせる。それに、小鮒さんはドライバーズ・ハイで応える。


「ようし、素晴らしいぞ、ぶたにん君。その勢いでイノイチ印刷に乗り込むぞ!」


「ちなみに、取次原価とか販売原価っていうのは減らないんですか?」


「そこは取次や書店に払う分なんだ。実際のところ、増えてるかも知れないから……そっとしておこうか」


 小鮒さんは少しズルい原価計算をしているような気がするが、俺的にはどうでもいい。

 都合の良い部分だけ訂正して、とにかく、形だけでも黒字にしないと本が出ないのだ。


 車が首都高を降りて下道を走り始めると、いよいよ、工場が近い感じがする。

 いよいよ、他人様に俺の原稿料を守るため、原価協力と言う名の値下げをお願いしないといけない。


 武谷新樹、いよいよ原価協力の正念場だ。


 さて、今日は正念場と言う言葉を何回使うことになるのだろう。どうやら、今日は、俺の正念場日和らしい。

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