第6話 営業部のリーサルウェポン
作家の収入は印税収入と稿料収入、講演収入などがあるようです。
ラノベ作家となると文芸誌に連載するわけでもなく、講演依頼も稀でしょう。
となると、印税収入が頼みの綱ですが、これは印税率と出版部数の積となります。
700円のラノベを1万部、印税率8%で出版して56万円です。
そして、初刷の減部がなされると……極めて厳しい状況が目に浮かびます。
実際に翻訳出版業界では3ヶ月かけた訳書が、印税30万円となっている模様です。
参考ツイート:https://twitter.com/frswy/status/655935147632553984
さて、本日は3200字となりました。どうぞ宜しくお願いします。
東京駅から戻ってきた俺が、執筆ブースで鞄を抱えるように枕にして寝ていると、いつの間にか、小鮒さんが出社してきている。
「こ、小鮒さん、おはようございます」
「おはよう、ぶたにん君。今日は早いね、何かあったっけ?」
「いや、川絵さん……じゃなくて、川絵さんのお母さんに、ちょっと」
まさか、川絵さんを送って東京駅に行ってましたなんて言えない。
執筆ブースの長椅子にかけると、いつもの掠れ声で小鮒さんは言う。
「ところで、今回の件、黒幕が営業部だとしたら厄介だな」
「どうしてなんです?」
「営業部としては売り易いタイトルはやりたいけど、それ以外はやりたくない。でも、これまで営業部には拒否権がなかったんだ。編集会議で決まると、せいぜい部決で部数を削るのが精一杯だ」
「編集会議と役員会で出版が決まってるんですから……それを土壇場で拒否権だなんて」
俺は、五月の編集会議で企画を通した時の苦労を思い出す。
「ぶたにん君、どうして二編やサンラ文庫編集部がコミック学習局の所属で、営業部が局所属無しか知ってるかい?」
「いいえ」
「太陽系出版社では、編集部門が局所属の上位部署って文化があるんだ。営業部は編集部局が作った本を機械的に売るだけの下位の部署ということだね」
「営業部が局に昇格したがってるって話は聞いたことがありますけど……」
ついでに、二編を潰そうとしている話も聞いたことがある。
「このところ、出版不況で本が売れなくなってきたからね。それでも売ってくる営業部の発言力は福楼営業部長の取締役就任で決定的になった。あとは、営業局昇格の名誉を取るかと思ったんだが、今回の役員会では六千部で部決できるように提案しただけ……いや、違う。六千部が企画赤字ラインなら、それを理由にタイトルの企画自体をボツにできる、それが営業部の目的だとしたら……部決権限の強化をリーサルウェポンに仕立てるとは、ずる賢いにも程がある」
俺としては、営業部なんてどうでも良かったが、編集部の決定に拒否権を持つなんて厄介な話は許せない。
そして、小鮒さんは俺以上に静かに怒っているようだ。
「そうか、部決で六千部の無理出しをして、編集部が自主的に企画を取り下げる仕組みにすれば、営業部は責任を問われないのか……それは姑息過ぎるぞ」
そう憤った小鮒さんの言葉を、俺はしばらく反芻していたが、時計の針を見て、はたと気づいて言う。
「そ、そう言えば、十時から、経理の木常さんでしたっけ」
「ああ、営業部が散々だったからね、今日は何か手掛かりが欲しいよ」
荷物をまとめて、小鮒さんと二編を出る。
経理課は総務企画局にあって、俺にとっては未知の領域である五階にある。
五階には役員会議室や社長室もあって、通路に面したパーティションも木目調のシャレたものを使っている。
経理課に入ると木常係長の案内で、小さな会議室に通される。
木常さんは、年は小鮒さんと同じぐらいだが、見た目が若い感じで体育会系風だ。
「木常係長、さっそく征次編集長から話は行ってるかと思いますが、僕らのサンライトノベル文庫の最低発行部数が半分の六千部に減らされることになりました。でも、編集部で使っている原価シートで計算するとどうしても赤字になってしまうので困っているんです」
小鮒さんはそう言うと、原価シートのコピーを木常係長に見せる。
「ははぁ、見事に……赤字ですね」
木常係長はそう言ったきり、何も言わない。
痺れを切らして小鮒さんが言う。
「あの、その原価シートなんですが、間違ってるとか云うことはないですか?」
その言葉を聞いて、木常係長はもう一度、数字に目を通す。
「えっ、間違っているんですか?」
「そう願いたいのですが……」
「でも、これを作ったのはどなたなんですか? 経理ではこんな原価シートは見たことがありませんよ」
「作ったのはサンライトノベル文庫編集部ですが、経理の協力を得て作っているはずですので……」
「いつの話ですか?」
「おそらく、七、八年前だと思います」
小鮒さんからそう聞くと、木常係長は目を閉じ、少し考えて言う。
「私も、入社して十年目、経理課配属八年目になりますが、そんな話は聞いたことがありません。失礼ですが、営業か経営企画の間違いでは?」
「ですけど、社の数字については、経理でほとんど把握しているんじゃないですか?」
「入出金や費目は管理してますけど、こんな風に文庫のタイトル別に損益を細かく集計したりはしていませんよ」
小鮒さんは、意表を突かれたようで言葉を失う。そこに、木常係長が言葉をつなぐ。
「細かい数字を出せと言われれば、システムを止めてデータを吐き出させますが……」
「い、いや、それは結構です。ところで、係長の目から客観的に見て、その原価シートって合っていそうですか?」
「そんな、出所の分からない数字を適当につなぎ合わされても……」
結局、木常係長は、合ってるとも合ってないとも言わず、困ったふうにして小鮒さんに原価シートを戻して寄越した。
「お役に立てずに済みません。そうそう、この類の分析は営業部とか経営企画室ならやっていると思います」
俺は、『営業部』の言葉に思わず脊髄反射で言葉が口をつく。
「え? 営業部って、美々透さんですか?」
「いや、ぶたにん君、美々透主幹は関係ないんじゃ……」
「美々透主幹と言えば、先月かな……役員の福楼部長とその美々透さんが経理課長と私を会議に呼び出して……いや、これは関係ないかな」
「「何の会議ですか?」」
「そんな、やましい会議じゃないですよ。外注費削減の検討をしてるようでした。美々透さんは、印刷外注部数が半分になるのに費用が半分にならないのはおかしいっとかなんとか、まさかとは思ったのですが、経理と編集が外注業者を甘やかしてるせいだ、とか散々好き放題言われましてね。課長も私も呆れてものが言えなくなりましたよ。ここだけの話ですが」
木常係長は、金輪際、関わりたくないといったようなジェスチャーをして言葉を濁した。
そこに、小鮒さんがマッハでツッコミを入れる。
「うちが外注業者と癒着してるんですか?」
「まさか、どこもギリギリですよ。お互い業界のことは理解りますからね。あと、経営企画室でしたら四月一日という私の同期がいますので、分析が気になるようでしたら聞いて下さい」
経理課を出て、少し疲れ気味の小鮒さんに訊いてみる。
「美々透さんの言っていた、印刷外注部数が半分になるのに、費用が半分にならないって言うのは本当ですか?」
「商業印刷で何千部も本を刷る場合は、製版作業があるんだ。刷る量に関わらず製版作業は必要だから、単純に発注量に比例して費用が半分になるはずはない……ことは美々透主幹も理解っているはずだけどね」
「理解っていて、どうして無茶を言うんですか?」
「それは一つの方法でね、原価削減が常識を疑うことから始まるって話がある。原価低減なんて、まともにやると十人並みの成果しか出ないから他社には勝てないんだって……まあ、征次編集長の受け売りだけどね」
なんだか、とても泥臭いことを聞いたような気がする。
ただ、常識を覆すようなことに挑戦するのは、俺的にはワクワクなのだが。
五階の廊下を歩きながら、俺は小鮒さんに訊く。
「これから、経営企画室にも寄っていきますか?」
「いや、一旦、征次編集長に今までのことを報告して、それからにしよう。そもそも、役員会の説明資料さえ手に入れば、営業部が渡したがらない資料も手に入る」
なるほど、そういうものかと思って、俺は小鮒さんと二編に戻ることにする。
しかし、そこには、征次編集長ではなく、もっと、意外な人物が待っていた。