第4話 鵜野目川絵の真骨頂
2ヶ月間充電不要の新型端末の投入でさらに電子書籍が紙の書籍に近づいた感があります。
しかし、本来、書籍と書籍データ(電子書籍)は異なるものですので、このベクトル感覚は古いのかもしれません。
いかに書籍らしく見せるか、に拘るのではなく、コンテンツの特性を活かしたブラウジングが出来るようになると、書籍データ市場は一層の拡大が見込めるはずです。
さて、本日は3300字となりました。どうぞ宜しくお願いします。
「とにかく、征次編集長に聞いてみよう」
小鮒さんはノーパソを開いたまま持ち上げると、編集ブースに行って征次編集長を捕まえる。
「征次編集長、待って下さい。企画書原価が赤字になります。このままでは刊行できませんよ」
「でも、小鮒君、前の部数減も最初は赤字だったけど、営業部と経理に聞いて直したら黒字になっただろう」
「いえ、今回は多少の値増しや歩戻しなんか誤魔化せません。企画シートベースで二割近く赤字なんです」
「ええっ、そんなことないだろう。まったく、どうしてそんな……」
征次編集長は次の打ち合わせに出るところを、編集ブースで有無を言わさず近くの椅子に座らされる。
◯企画原価
想定売価600円(税別)六千部セット
印刷外注 本体_____1,260,000
印刷外注 製版______240,000
印刷外注 カバー_____150,000
印刷外注 帯・付物____144,000
原稿外注 原稿料_____288,000
原稿外注 原画稿料____108,000
編集外注 DTPデザイン__108,000
編集原価 編集費_____138,000
固定原価 本社費広宣費__600,000
取次原価 取次原価____288,000
販売原価 販売原価____792,000
◯企画損益
原価合計____4,116,000円
売価合計____3,600,000円
企画損益____▲516,000円
「うん、売価は四十円上げになったから24万円アップするんだが……まだ赤字か。小鮒君、悪いけど、これから急ぎの打ち合わせがあるから、売価は六百四十円に上げて、あとの帳尻は営業の美々透君と、経理の木常君に聞いて数字合わせ頼む」
どうやら、征次編集長から伝え漏れがあったのは売価の上げだけのようだ。
それだけでも、改善する赤字は五十一万円が二十七万円まで軽減され結構デカイ。
あと五十円上げれば、楽勝で黒字なのに……。
当然、ラノベ読者としてはラノベは安いに越したことはなく、三冊で二千円のラインは死守して欲しいのだが、今は言うまい。
しかし、それだけ言うと、本当に急いでいるようで、慌ただしく征次編集長は二編を出て行く。
それと入れ違いに、ピカピカの笑顔で川絵さんが二編に入ってくる。
「おはようございますっ。なんと、企画人生で初白星っの鵜野目川絵ですっ」
な、なんだと。
焼き野菜定食の企画が勝利だなんて、俺は、認めないぞ。
弾んだ声の川絵さんを横において、俺は、ビックリしてこれまでの出来事の記憶をすっかり失いそうになる。
「えぇっ、本当に? 川絵ちゃん、凄いよ。やったやった」
「えへへ、おおきに、有り難うございます。これまでの連敗が、みんな吹っ飛んだみたいで……」
鷺森さんが川絵さんの手をとって喜びの輪を作ると、サポートブースから少し背の高い爆乳のお姉さんが現れる。
なんだろう、少しやつれた感は否めないが、少し長めの黒髪のストレートヘアと圧倒的な胸の重量感は、茶烏氏が見たら、そのまま食らいつくんじゃないかと思えるほどのドストライク感がある。
「川絵、ついに編集デビューかぁ。おめでとう。何の企画?」
「鳳梨⑨さんも有り難うございます。京野菜のグルメムックなんですけどね……」
鳳梨⑨さんなのかっ、オーバーFで間違いない。
Gカップ以上確定だよな……などと思っていると、更にサポートブースから、二編の住人こと茶烏氏も現れる。
ええっ、茶烏さんと鳳梨⑨さんを、同じブースに閉じ込めておいて大丈夫なの?
もし、何かあったら誰が責任取ると思っているんだよ?
誰にも転嫁できない責任論に軽くめまいを覚えながら、俺は後ずさりして執筆ブースへ自然と身体を向ける。
ちなみに、こうした、キャッキャウフフの雰囲気を良しとしないのか、小鮒さんはパソコンを閉じて、なぜか無愛想に執筆ブースへと戻っていった。
そう言えばそうだよ、こちらは部数減で企画倒れの剣ヶ峰に立たされているのだ。
加えて、俺は、先のことを考えると川絵さんの企画通過を喜んで良いのか、悲しんで良いのか、よく分からなくなっていた。
俺は、小鮒さんに隠れるように、これ見よがしに執筆ブースに逃げ戻る。
そして、このことを後悔することになろうとは、その時の俺には、全く予見できなかった。
「さて、営業部が相手となると厄介だな」
執筆ブースに戻ると、小鮒さんは神経質そうに、そう呟く。
営業部といえば、川絵さん曰く、二編をあまり快く思っていない向きがあるとのことだが、その急先鋒の美々透主幹を相手に話を聞くとなると確かに厄介だ。
隣の編集ブースの盛り上がりとは対照的に、執筆ブースの盛り下がりが半端ない。
「あの、とりあえず、話だけでも聞きに行きませんか。は、話せばわかるはずですよ」
言っては見たものの、俺には話がどう転がるのかすら分からない。
小鮒さんは暫く考えていたものの、どうにも、考えがまとまらないようだ。
「そうだな、ぶたにん君の言うとおり、話だけでも聞きに行くか……しかし、前向きだねぇ、ぶたにん君は。だから川絵さんとも馬が合うのかな? 僕は女の子にビシビシ詰められるのは苦手でさ……」
そう言いながら、少し目尻を下げていた小鮒さんだったが、電話に美々透氏が出たようで、少し改まったようにしてアポ取りをしている。
俺は、川絵さんを苦手という人種がいることに戸惑いながら、小鮒さんのアポ取りが終わるのを待つ。
結局、美々透氏のアポは一時半からということで、小鮒さんとは一時過ぎに編集ブースで待ち合わせをすることにして、俺は、編集ブースに川絵さん情報を求めて出て行く。
編集ブースに行くと、もう、川絵さんは鳳梨⑨さんと編集ブースで話しているだけで、ほかは解散して平常営業モードに戻っている。
「ケモミミのイラスト、誰かええ人いませんか?」
「ケモナーなら描ける子、多いんだけどさ、ハードSFが背景ってトコが厳しいかな。私もラフ画は描いたけど、緻密に仕上げて萌えキャラと合わせられる子って微レ存だよ。希少価値だね。思い切って劇画タッチなら紹介できる子もいるけどさ」
眠そうな目を擦りながら前かがみに肘を落ち着ける鳳梨⑨さんの豊かな胸に敬意を表しつつ、俺は編集ブースに足を踏み入れる。
「劇画調になると多分、三熊さんNGやと……あぁ、ぶたにん、おったん? ちょうど、ケモミミのイラスト発注の話しててんけど、画稿発注用の説明資料って上がってるん?」
何を仰る川絵様。ケモミミの画稿用補足資料なら、バッチくて香ばしい匂いがついてはいるものの、既に去年の今頃には完成度120%の域に達している。
あとは、川絵さんの指定カットの部分用に加工して渡すだけだが、俺としては原稿も設定資料も全て渡したい気持ちで一杯だ。多分、渡された方は迷惑半分だと思うが、そこは仕事と思って我慢して頂こう。
「はい、もうあとは匂いをどうするかだけで……」
「えっ、ケモミミって匂い設定もあるんや。まあ、イラストに影響のある範囲だけでええで」
「イラストを描く方にとっては、著者指定が多くある方がやりやすいから、いいと思うよ」
鳳梨⑨さんの言葉に、俺は、母のつけた天ぷら油の匂いが伝わらないようにコピーを取ろうと頭に留める。
「はい……」
「じゃあ、私は夏コミに向けてもう一頑張りしてくるか……川絵、忙しくなるんだったら身体、気をつけて」
鳳梨⑨さんは、そう言うと上半身のストレッチをしながら、無作法にも豊かな胸で、俺を蹴散らすようにしてサポートブースに戻っていった。
「川絵さん、忙しくなるんですか?」
「……そうやねん。こっちで出来ることはうちのお母さんが仕切ってくれるんやけど、どうしても、現地での打ち合わせとか、取材は私がせなアカンから……明日からのスケジュールで言うとこんな感じ」
見せられた川絵さんの手帳には見開きで六月と次の七月のほとんどに京都泊のマークが付けられている。
その他にも合間々々は、『ケモミミ!①』も含めて文庫四冊、ムックの製作も入っていて温泉どころか、海水浴に行く隙もない。
「川絵さん、これ忙しすぎませんか?」
俺は心のなかで絶叫する。いったい、俺と、京野菜、どっちが大切なんですか?
それに夏といえば、ビーチかプールで水遊びをしながら、ラノベっぽいイベントを嗜むのがお約束じゃないですか。
「私も心配やねん」
川絵さんの言葉に俺は少し救われたような思いがしたが、次の瞬間に大きく裏切られる。
「著者紹介やろ、書店向けポップやろ、ホームページ原稿にホームページ用ショートストーリー、特典用ショートストーリー……私がおらん間に、ぶたにんが出来るかどうか心配で……」
傷心の俺は心で泣いて、顔でも半分ほど泣いていたような気がする。




