第14話 オール・ユー・アスク・オブ・ミー
出版社が出版業界の上流とすると、一番の下流は消費者と出版倉庫になります。
消費者に渡った本は目を通され、最後は古紙回収業者等でリサイクルされます。
それと同様に出版倉庫業は出版社宛の返品を管理し、最後は断裁処理を行います。
出版倉庫業は流通系や紙業系などが入り交じる業界で、紙の管理に長けています。
なお、リサイクルされた紙は週刊誌や月刊誌に再生紙として混入し再利用されます。
さて、本日は最終回手前で3900文字です。どうぞよろしくお願いいたします。
俺は、ケモミミ小説のバージョンアップ作業に向かい合うために、ノーパソを開いて独りごちる。
「ヒロインのエマの情報について、主人公アイディは、どこまで知ってたっけ?」
ケモミミ・ヒロインのプロフィールを開いてみると、外観については毛穴の隅まで設定しておきながら、これまで、どこでどうやって生きて、主人公の住むシェルターにたどり着いたのかが無い。
「これじゃあ、アイディも彼女情報をエゴサしそうだよ。飢えてるじゃん! 俺のラノベ主人公っ」
俺は、もう一度、ヒロインの外見と身体能力以外の部分について細かい設定と、ストーリーラインに絡みそうな、主人公の知らないヒロインのエマのプロフィールを作りこむ。
そして、主人公アイディ少年に、少女エマとの出会いから、徐々にエマの両親、生い立ち、コロニーでの生活を、段階を追って知らせていく。
特に『好き』の部分と、『あなたは特別』の部分は、重要なので忘れないよう重ねてイベントでアピってみたりする。
そうすると、不思議なことにアイディとエマの現在の安定したコロニーでの生活という共通体験と、過去のツラい体験のギャップが何だか、上手い感じでストーリーに織り込まれていく。
「なるほど、主人公アイディって、エマに何かしてあげようって考えているイイヤツじゃないか」
今更、なんて発見してんだよ、作者! いい話じゃないか、頑張れ、主人公……おいおい、まさか、ストーリーにつられて、プロット崩壊してないよな。
不安に駆られる俺は、もう一度、加筆、改稿した十七箇所の前後を含めて通し読みをして、崩れた箇所がないかをチェックする。
しかし、改めて見ていると、主人公の言動が地についてきたのか、俺と似てきたような気もする。
特に、ヒロインのエマから突き上げを食らうと、伝家の宝刀『別に』を抜いたりする辺りは、ヤバイくらい似てきた。
何だか書いていて、かなり恥ずかしくなってきて、推敲作業の途中で全部、元に戻したい衝動に駆られる。
だが、どうにか、改稿部分を維持したまま、推敲作業を終えて、執筆ブースのプリンターでプリントアウトする。
直しを終えた原稿を抱えて編集ブースに行き、川絵さんにチェックしてもらうと、その第一声に驚く。
「うわっ、読んでて、ちょっとコレ恥ずかしい感じがするかも……なんか、ドキドキが伝わってくるやん。ぶたにん、このラノベ、恋愛路線で行けるんちゃう!」
いや、ケモミミ路線で行きます。
第二希望はSFかファンタジーで、恋愛路線はその次だ。
「そうなん。ここまで書き込まれたら、私は、恋愛押しやけどなあ。三熊さんの反応が楽しみやわ。そしたら、これコピーして打ち合わせ用にするで」
経験から、画面でのチェックとプリントアウトしてからのチェックとでは、何故か、プリントアウトしたもののほうが、アラが見つかりやすい。
俺は、川絵さんを引き止めるために言う。
「あの、打ち出し原稿をベースにもう少し推敲したいんで、ちょっと待って下さい」
「熱心やねんなあ。感心するわ。別段、構へんよ、三十分前に出してもらったら充分、間に合うから」
川絵さんはそこまで言うと、ふと思い出したようにして言う。
「そや、昨日、三熊さんから言われてたんやけど、原稿の直しのチェックと、あと、初刷の部数についても相談したいって言うてはったわ」
「は、はい……」
サンラ文庫の初刷の規格ロットは、大御所で20,000部以上から、小ロットの12,000部まで、いろいろだ。
ひょっとすると、恋愛ケモミミ小説として評価が高まる俺の作品が、12,000部では足りないので、大御所レベルの20,000部、いや、30,000部スタートということなのだろうか。
編集作家の月の給与は最低限に抑えられている。その代わり、刷り部数の多さは完全出来高制の賞与に直結する。
30,000部スタートなら、賞与は30,000部✕30円で900,000円、上乗せされる。
おいおい、このままでは、俺は、我が家の稼ぎ頭になってしまうんじゃないか。
その後、俺は、パソコンの電卓を引きずり出して、30円✕20,000部から、50,000部、100,000部と妄想を拡大していく。
「ぶたにん、そろそろ、時間やで。プリントアウトして」
川絵さんのビジネスライクなタイムキーピングに敬意を表しながら、俺は『ケモミミ!(仮)①』の勝負原稿を用意する。
そして、直しを入れた箇所に付箋を貼って、いざ決戦の巌流島だ。
『……遅いっ、おのれ、臆したか三熊っ』
いや、そのセリフって、言ったほうが死亡フラグじゃん。
しかし、三熊さんは5時過ぎには二編のドアを開けると、執筆ブースにやってきてくれた。
「いやぁ、二人ともごめんね。待たせて悪いわねぇ。ちょっと、営業部の連中に捕まっちゃって……」
エネルギッシュに、俺にはよく理解らない言い訳を一通りしたあと、三熊さんは、川絵さんから受け取った原稿の付箋の修正部分を読んでから言う。
「うん、全然イイね。やれば出来るんだよ、ぶたにん君は」
「ほら、私の言うたとおりやん」
「あ、有り難うございます」
三熊さん、川絵さんから相次いで褒められると、思わずニヤけてしまうのは、俺だけじゃないだろう。
「でも、何かあったの。その心境の変化とか」
「い、いや、ゴールデンウィーク中に、恋愛映画と、恋愛小説と、恋愛漫画を見て、主人公の気持ちを研究しました」
俺は、嘘のようだが、本当のことを言う。
「ふうん、よほど教材が良かったのね。書き手の感情がストレートに入ってて、本当、感じ良いよ」
ここで終わっていれば、打ち合わせは30分でお開きになるはずだったのだが、話はまだ続くようだ。
「それじゃあ、直しはその方向で進めてもらって、あとの原稿整理は川絵にお願いするから、ファイルをリッチテキスト形式で送ってやって頂戴。さあ、直しが早くすんだお陰で、話しやすくなったよ。営業部からの話っ」
相変わらず、三熊さんの語り口は、カロリー消費量が高そうだ。
「まだ、正式決定じゃないから、そのつもりで聞いて……そうね、川絵は知っているでしょ、2年前かな、サンラ文庫の初刷が一律4割カットになったの」
「ええ、印刷所の方がデジタル化やらなんやらして、小ロットでもコストダウン出来るからって、20,000部刷りが12,000部刷りになったっていう」
「作家さんからは印税率下げ以上の総スカンを食ったよね。だけど、20,000部で刷り続けていたら、今頃、朝霞の倉庫が破裂するくらいの返品在庫になっていたのも事実だよね」
「まさか、営業部の提案って、また、初刷を減らすって言うんや……」
「その、まさかよ。今度は6,000部。損益分岐点が9,000部だから、初刷が全部捌けても、重版がないと基本赤字。だから、印税率も下げようなんてことも言っていたみたいだけど、他社見合いでそこは現状維持だって」
まさか、ケモミミが半減の6,000部ってことなの? 完全出来高制の賞与にすると6,000部スタートなら、6,000部✕30円で180,000円だ。
もし、仮にサンラで印税8%で書いていたら6,000部×600円×8%で288,000円の稿料となるわけで、それだけで卒倒ものだ。しかも、後で知ることになるのだが、稿料288,000円には『消費税等』という怪物も含まれていて実質266,667円だったりして厄介なようだ。
とにかく、月給並みに萎んでしまった出来高賞与に、俺は驚きを隠せない。