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神田神保町の高校生あちゃらか編集手帳  作者: 錦坂茶寮
PART4 書籍化デビューと学校バレの五月病
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第6話 間違いだらけの恋愛講座

20年で年平均3%縮小し続けた出版市場、なれの果てはどうなるのか。

生き残りが固いのは専門書、業界紙、写真集など。取次も専門業者がいます。

滅びそうなのが、一般雑誌、新聞。特に、スポーツ紙はおどろくほど酷いです。

勢い良くネットに行きそうなのは、メディアコンテンツ類でしょうか。


さて、本日は3800字となりました。よろしくお願いします。

「ぶたにん、恋愛なんて簡単ですわよ。私でよろしければ、基礎から教えて差し上げますわ」

 紀伊馬きいまチナツが胸を張って、そう宣言する。


 不用意に大きく張り出した紀伊馬の胸に、俺の焦点が持って行かれているうちに、痴女の痴女たるゆえんなのか、紀伊馬は一人、熱く語りだす。


「そうですわよね。貧困に耐え抜き、ペン一つで生計を立てていこうとする厳しいぶたにんの生活環境では、恋する心の余裕がなくてもやむを得ないことですわ」


 ちょっと待て、貧困な俺の家庭でもラノベを月に二冊ほど買う金銭的精神的余裕はある。それと、さっきから名前の『馬丘』と『さん』が、ごっそりと行方不明なのは、どうしたことだ。


「しかし、ぶたにん。恋は二人でするものですわ。あなたにはその覚悟はございますのかしら?」

 口を真一文字に結んで、痴女っ子、チナツは俺に覚悟のほどを訊いてくる。


「も、もちろん……それは」

 俺がごにょごにょと、口ごもっていると、紀伊馬チナツが、例の上から目線で尋ねてくる。


「さあ、ございますの? ございませんの?」


「はい、ございますっ」

 俺が、勢いでそう答えると、かさにかかったかのように、お嬢様は質問をしてくる。


「よろしい……それでは、ぶたにん、プロファイリングからですわ。これまでのアナタの恋愛経験を私に四百字以内で話してちょうだい」


 そんなもの、簡単だ。三百字以上とか言われなかった幸運を俺はみしめる。


「ありません……以上」


 俺は、蚊の鳴くような声で言うと、顔が真っ赤になって火を吹きそうになる。

 おい、なんなんだよ。痴女、紀伊馬チナツを前に、この羞恥心をめいいっぱいくすぐる恋愛プロファイリング。ライフが半分飛んでしまった。


「聞こえませんわ」


 莞然かんぜんとした面持ちで言い放つ紀伊馬チナツに、俺は凛然りんぜんとして言う。

「恋愛経験は、ありませんっ」


「ぶたにん……、一体どういうことなの? 回答が幼稚園児以下ですわ」

 え、俺、一応、義務教育から高等教育に歩を進めているつもりだったのだが……


「幼稚園児以下?」

「手足が伸びきった分、乳児よりタチが悪いですわ」


 なんだよ、恋愛分野では『おさなづま』の第一人者のつもりだったのに、俺は、思い上がりも甚だしい大馬鹿野郎だったのか。いや、手に負えない乳児っぷりだったのだろう。


「よろしいこと、ぶたにん。恋愛にはABCのステップと呼ばれるものがありますわ。それは、ご存知ですの?」


「ABC……?」


 それは、ステップAがキス、ステップBはよく理解らないが、ステップCは三十歳まで我慢していると、魔法使いに転職できるという噂のナニだろう。


「それでは、手始めですので、恋愛のAから練習いたしましょう」

 おい待て、痴女っ子。それは唐突だし、一足飛びだし、破天荒だ。いくらこんな状況にご縁のない俺でも、心臓は頻脈ひんみゃくと血圧上昇で痙攣けいれんを起こしそうだ。


「え、それは、誰が誰と」

「もちろん、ぶたにんが、私と、ですわ。他にどなたがいらっしゃるとでも?」


「「「えぇっ」」」

 異口同音に、その声が発せられるや否や、ドーンと勢い良く執筆ブースの扉が開かれる。


 さすがに驚いて入り口の方を見ると、妙に静かだった川絵さんと鮫貝が二人して雪崩なだれこんでくる。


「こ、こらっ、そこの二人。サカリのついた猫じゃあるまいし、こんな真っ昼間から、神聖な仕事場で変なこと、せんどきや」


 川絵さんは、顔を紅潮させながら、大声で怒鳴りながら俺たちの座っている執筆ブースの長机の前まで来る。

 そして、そのすぐ後ろから、鮫貝氏もなぜか勢い込んで、俺を非難する。


「いや、社内でも構わないが、相手が違うよ、紀伊馬さん。僕こそが、東大生で推理作家の金の卵で、君に相応ふさわしい相手なんだ。そこのけがれたブタは即刻、都指定の産廃業者に引き取らせよう」


 誰が、穢れた産廃豚だ。

 俺は、この先、多少暇ができても、若草物語連続殺人ネタだけは書くまいと心に誓う。


「鮫貝君も、要らんチャチャ、入れんどいてや。相手が誰であれ、職場での破廉恥はれんち行為は厳禁なんやから」


 そう言い放つ川絵さんに、紀伊馬家最大の恥部、チナツが反撃を始める。


鵜野目うのめさん、破廉恥とは何を仰っていらっしゃるのでしょうか? あなた、嘱託しょくたくということは体制側、編集長の手先ですわよね。事と次第によっては、私、自ら神の鉄槌てっついを下しても構いませんのよ」


「編集長なんか関係無いやん。アカンもんはアカンねん。常識やん。あんたも、エエところのお嬢さんなんやったら、淫乱いんらん痴女ちじょみたいなこと言うてたらアカンで」


 そして、顔を紅潮させっぱなしの川絵さんの横から、いちいち鮫が不用意に口を挟む。


「そうだよ、紀伊馬さん。豚は豚、人は人として、自分を大切にしないといけないんだ」


 もう、暴走する鮫を放っておいて、サシで話をつけるつもりなのか、川絵さんは紀伊馬チナツの手をとっていざなう。


「鮫貝君、あんたは黙っとき、紀伊馬さん、ちょっとこっち来て」

 川絵さんは執筆ブースの奥のほうで、コソコソと紀伊馬チナツに事情を聞いているようだ。


「紀伊馬さん、あんた、ぶたにんに弱みでも握られてんの? 脅されてるんやったら、そうと私に早う言いや」

 なんだよ、脅されているのは俺であって、傍若無人ぼうじゃくぶじんに振る舞っている紀伊馬チナツではない。それくらいは、川絵さんに理解ってもらえているものだと思っていた俺は、少し憮然ぶぜんとする。


「いいえ、ぶたにんとは1時間ほど前に会ったばかりです。私がぶたにん相手に弱みなんて……手に余るほど握りこそすれ、握らせるなんてことなんて、あり得ませんわ」

 おい、握っちゃっているのかよ、手に余るほどの弱み。怖えよ、紀伊馬チナツ。


 俺、恋愛以前に、重篤じゅうとくな女性不信に陥りそうだ。


「でも、それやったら、なんで恋愛の……そのAとかBとか、してあげようとするのよ? 理解できへんわ」


「だって、ぶたにんに、そういうことをしてあげようとする人が、この世に誰一人いないんですもの。困ったときはお互い様だわ」

 おお、そのお互い様は、最初の文がなければ麗しいのだが……残念過ぎて、俺は言葉を失う。


 そう思っていると、鮫も、合点がいった風に、俺の方を憐れむように見ながら首肯うなずいていて虫酸むしずが走る。


「でも、紀伊馬さん、あんたはええん? そのキスとか……」


 おいおいおいおい、どストレートな川絵さんの豪速球の質問に、いやが上にも執筆ブースの緊張感は高まり、勢い俺も聞き耳を立てざるを得ない。


「な、なんて破廉恥な。あなたこそ淫売いんばいじゃないですの? 私がどこで誰とキスしようと言うんですっ。そ、そう言うあなたは、いつ、どこで、誰とキスなさっているんですの? 言えまして?」


 白熱する応酬に、俺と鮫は、固まったまま、全身全霊を聴神経に傾けるが、音圧が低すぎて聞き取りづらい。


「私は、その……前に……」


 俺の心臓が、バクバクと鳴り響くが、それは、紀伊馬チナツ主審の裁定で取り消しとなる。


「いえいえいえいえ、幼稚園はノーカンですわ。中学校以上で勝負致しましょう」


「ちょ、ちょっと、待ってや。声を落として……まずAは……で、BとCは……やわ」

「そんな、Aは……して、Bは……な雰囲気から、……なCがふつうですわ」

「どこまで、……なん、そんなん……やわ。……なん、お子様やんか」


 なんだよ、全然聞こえねえ。もう、空欄に好きな語句を入れて遊びたくなるが、川絵さんの『お子様』の言葉に、挑発されたのか、紀伊馬チナツの声が一段上がる。


「このような屈辱、受けるとなるとカノッサ以来のことですわ」

 おい、史上最強の痴女、お前はどこのローマ人なんだよ。


「それは、チナツちゃんがおかしいねんやん」


「もう、らちがあきませんわ。私はもう決めたんですの。これから身を清めてまいりますので、しかるのち、私がぶたにんのAから順に可能な範囲で召し上げて参りますわ」


 なんだか、よく理解らないうちに召し上げ決定をくらっているが、俺としては喜んで良いのやら、哀しんで良いのやら、判断は保留したい。


 しかし、召し上げられるモノにもよるが、緊褌一番きんこんいちばん、いや、褌を開帳してでも男を貫く所存である。


「そんなん、恋愛ちゃうやん。チナツちゃんって、そのあたりが、破滅型やなあ」


「そ、それじゃあ、実体験以外に、恋愛音痴のぶたにんに、どのような恋愛講座をしろとおっしゃいますの?」


 紀伊馬チナツの声が、執筆ブースに響き渡る。恥ずかしながら、編集ブースにいる鷺森さぎもりさんにも聞かれていることだろう。


「そやなあ、東京堂の向こうの神田町シアターに映画でも見に行くって、なんか恋愛っぽくない? たしか、鮫貝君、さっき、ぎょうさんチケット持ってたやん。それを使って、チナツちゃんとぶたにんが『デート』をしてみて、恋愛を教えるって言うことでどう?」


「「それは反対」」


 鮫貝と紀伊馬チナツが、ほぼ同時に反対する。

 なんとも映画ごときで非道い反応だ。


「どうして、僕のチケットが穢れる」

「編集部の施しは受けませんわ。私が手配します」


 いや、二人とも反対のツボがズレていないか。まあ、『デート』はいいのかと思うと安心する。


 鮫貝を沈黙させた紀伊馬チナツは、返す刀で、川絵さんに向かって宣戦布告をする。


「私が、あなたなんかにはできない恋愛講座を致します。ぶたにんの調教について教えて差し上げますわ。ついていらっしゃい」


「あんたなんかには無理やって。ソッコーで投げ出すに決まってるわ」


「悪の編集の手先、しかも嘱託のアナタに何がお分かりですの? こんなのが担当編集だから、ぶたにんが恋愛音痴になるんですわよ」


「ぶたにんは元から恋愛音痴で、これから私がトコトン指導するところやねんから」


「ふん、負け惜しみは、負けてからおっしゃい」


 なんだろう、この俺得状況。まるで、ラノベの主人公みたいじゃねえか。

 川絵さんも、どうして俺の恋愛音痴を治すなんて言ってくれるんだよう。嬉しすぎるじゃん。

 あと、編集長との負けられない闘いはどこへ行った? 紀伊馬チナツ。


 外を見やると、残念ながら神保町の怪しく曇った空は、今にも雨が落ちてきそうな様子である。

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