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神田神保町の高校生あちゃらか編集手帳  作者: 錦坂茶寮
PART4 書籍化デビューと学校バレの五月病
50/90

第5話 若草物語クリスマス連続殺人事件

出版市場がピークだった96年の2兆6560億円から、15年には1兆5220億円、なんと20年で1兆円超の減少です。

消えた市場は、概ね96年以降成長したネットメディアが吸収している模様です。

特にニュース(新聞)、グルメ本、地図、コミック雑誌はネットにかなり、代替された感が否めません。

出版不況は図書館が悪いなど、当時、諸説ありましたが、今では(ry


さて、本日は3800字となりました。どうぞ宜しくお願いします。

 車に揺られて20分ほど経っただろうか。中央道から首都高に入って、西神田で降りると神保町は目と鼻の先だ。


 太陽系出版社のビルの隣に車を停めさせて、今にも車から飛び出しそうな紀伊馬きいまチナツをゲスト用入館IDカードをもらいに行くからと、どうにか制して俺は一人でビルの二階に駆け上がる。


 『二編』の扉を開け放つと、編集ブースに鮫貝さめがい氏がいて、その前にはいつの間に戻ったのか、川絵さんがいつもの席にいる。川絵さんは、鮫貝氏の話には生返事で、傍目はためには、ちょっといらついているようにも見える。


「ぶたにん、やっと、おったやん。じぶん、恋愛描写の加筆、どうなってんの? ゴールデンウィークは一回も連絡してえへんし」

 急にスイッチが入った川絵さんに、俺は小うるさく、せっつかれる。


「い、いや、まだ習作を書いていて」

 果たして、あの『おさなづま』を習作と呼んでよいのか躊躇ためらわれるが、今の俺には、そう言うしか手は無い。



「5月も、もう9日やで。今月中に校正稿プルーフ上げるんやなかったっけ? 校正もギリギリはアカンで、理解ってんのん?」


 そんな、本なんて一冊も出したことのない俺には、校正の段取りなんて理解らない。


「あ、あの、まだ恋愛描写の研究中なんで、もう少し待ってください」


「もう、しゃあないなあ……でも、恋愛研究って、目処めどとか立ってんの? 早めに三熊さんの了解もらわなアカンのに」


 いまの川絵さんに、紀伊馬チナツのメンドクサイ怒鳴りこみ案件を持ち込むとなると、その怒りが爆発しそうで怖い。


 俺は鷺森さぎもりさんのほうに駆け寄って言う。


「鷺森さん、ちなみに見学希望者がいるのですが、征次編集長はどうしたんですか?」


「多分、社内かと……」



 そう言って、鷺森さんは征次編集長のスマホに伝言を入れる。


 そして、ついでに俺に小声で川絵さん情報をくれる。


「……川絵さんね、武谷さんのチューターを外されて、連絡もなくて、ずっとイラついているみたいなの。若くて頼りないかもしれないけど二編の製作編集の要なんだから」


「い、いや頼りにしてますけど」


「それなら、何でも相談してあげて下さいね」


 小さく笑う鷺森さんはどこか憎めないが、『決して川絵さんは頼りないわけではなくて、三熊さんの無謀な要請と、俺の能力不足が原因なんです』と俺に言い訳させてくれる余裕は見せてくれない。


 鷺森さんはふつうの声、ふつうの顔つきに戻って、俺に言う。


「武谷さん、見学者なら、執筆ブースが空いてますから、そちらでお待ち願えますか」


「え、でも、ブースは鮫貝さんが使うんじゃ……」


 その声に反応するのは川絵さんだ。


「あ、そうや、ぶたにんはまだ聞いてないんやんな。鮫貝君な、編集作家からプロットサポートに移ってん」


「え、プロットサポートは茶烏ちゃうさんじゃないんですか?」


「鮫貝君は、茶烏さんの苦手なミステリのプロット担当や。内緒やけどな、征次編集長に掛けおうて、プロット5本書いたら、手当とは別に『GOTICSゴチック』のプロットの著作権、返してもらえんねんて」


 ミステリと言えばトリックを使った謎が提示され、それを解き進める小説を言うが、謎解きのプロセスはプロットそのものだ。


 要するに推理ネタ5本と『GOTICSゴチック』1本の交換ということなのだが、俺には、とんでもなく不平等条約のような気がしてならない。

 哀れな鮫……と思った俺に、川絵さんを押しのけて鮫貝が近づいてきて言う。


「ぶたにん君、僕は近い将来、太陽ミステリ大賞を取って推理作家になることにしたよ。まあ『二編』には育ててもらった恩もあるから、やむを得ずミステリ担当のプロットサポートをやりながらだけどね」


 近くで、鮫の声を聞くと、不思議に憐憫れんびんの情が薄れていくのが不思議だ。


「早速だけど、ぶたにん君、僕のプロット『若草物語』をモチーフに四姉妹と母親がクリスマス連続殺人に遭うミステリ・プロットが、シリーズ物で五本あるんだ。どうだろう、君さえ良ければ、書いてみないか。一気に『二編』のスターダムに上り詰めること請け合いだよ」


 本当にそう思うなら、自分で書けばいいじゃんか。


 そして誰もいなくなる若草シスターズとその母、5人の数合わせで殺される母親が不憫だが、犯人は消去法で戦争から戻った父親だろう。


「すみません、いま忙しいんで、また今度で……俺、そしたら、紀伊馬さん呼んできたいんで、鷺森さん、来客用のIDカード、もらえますか?」


 いま、かわしたと思った鮫が、なおもみ付いてくる。


「ふぅん、珍しい苗字だ。キイマ? まさか、見学っていうのはキーマ製薬社長の紀伊馬きいま剣剛けんごう殿か? まさか、俺を青田買いに来たのか?」


 あり得ないことを鮫が言うので、俺は早速、答を言う。


「いや、紀伊馬チナツって言うんです。キーマ製薬は知りませんが痴嬢……いや、御令嬢なのは確かですが」


 俺が、紀伊馬チナツ用のIDカードを渡されると、『ほう、僕を婿養子に取りに来たのか』と興味深そうに鮫が頷いている。


 俺は鷺森さんの言葉を思い出して、川絵さんに近づいて一言、声をかける。


「川絵さん、その……恋愛研究とか、とても頼りにしてますので」


 赤面しながらそう言うと、川絵さんはキメ顔で俺の肩をたたいて笑顔になる。

 俺、変なこと言った? だいたい、俺の嫌な予感は当たることになるのだが。 




「遅いわよ、私を待たせるなんて、何をしていたの。ぶたにん・馬丘」

 既に呼び捨てにされていた俺だが、それにめげず、緑の紐のIDカードを彼女に渡しながら言う。


「いや、出版社ってところは厳重でさ、このIDカードがないと出入りができないんだ」


「それならそうと、最初から手配なさい。今度から、容赦しないわよ」

 車から降りた容赦しない痴女、紀伊馬チナツは、首にIDカードを通して、制服のシワを手際よく伸ばすと、少し深呼吸をして、形の良い胸を反らし身を正して俺に言う。


「さて、絶対に負けられない闘いですわ」


 彼女の勝利が何に繋がるのか理解らないが、俺は、不安を感じつつ受付の鮎ちゃん(氏名不詳)に会釈をして、彼女を『二編』まで案内する。


四霧鵺しきりや征次せいじ編集長は、今、席を外しているみたいだから、少しのあいだ隣のブースで待たなくちゃなんだけど、いいかな?」


「仕方ないですわ。いない人に文句は言えませんしね」


 意外に物分りの良い紀伊馬チナツに安心しながら、俺は二編の扉を開ける。


「失礼しますわ。私、1時間前にぶたにん・馬丘さんの同級生と判明した紀伊馬チナツと申します。本日は編集長に一言、物申しに参りましたわ……なに? 意外と整然として、物置のような……ちょっと、ここ、本当にあなたを苦しめる『第二編集部』なの?」


 もちろん、社内のここをおいて他に『第二編集部』などという怪しい組織はない。宣戦布告のような挨拶を終えた彼女に寄ってくるのは他でもない、鮫男だ。


「紀伊馬チナツさん、僕は東大理一で薬学部進学予定の鮫貝さめがいさとしといいます。将来を約束された推理作家、兼、医薬研究者の卵として、第二編集部に……がっハァッ」


 猛然と自己じこ紹介アピールを始めた鮫貝氏を、いきなり、後ろから引剥ひっぺがして指示をするのは元・上司の川絵さんだ。


「第二編集部の嘱託しょくたく鵜野目うのめ川絵です。見学者は隣のブースへどうぞ」


 川絵さん、ちょっと、眼力めぢからが半端なく怖いです。そして、俺の目の前に、その眼力を跳ね除けようと対抗する者がいる。


「見学だなんて、あなたもゲストIDの見学者? じゃない……」


 俺は、久しぶりの修羅場にてられて、危険を回避すべく紀伊馬チナツを編集ブースに隔離する。


「いや、川絵さんのIDは特別だからさ。と、とりあえず、ブースを移ろう」





 どうにか、編集ブースを戦火から守った俺だが、執筆ブースでも息つく暇もない。


「なんなのですか、この座敷牢は」

 執筆ブースの殺風景な情景を見て、その言葉は当を得ている。


「ここは、執筆だけに専念できるように配慮された編集作家用のブースになります。自由裁量で外で書く方が多いので、牢屋ではありませんけども。殺風景なのはたしかですね。すみませんが編集長が戻るまで、もうしばらくお待ち下さい」


 お茶を持ってきた鷺森さんが、苦笑いしながら言い添えると、世紀の痴女、紀伊馬チナツでも、さすがに照れてうつむきながら礼を言った。


 鷺森さんが退室して、ブースの扉がカチャンと閉まる。扉は閉まるが、編集ブースと執筆ブースは上でつながっているので話は筒抜けだ。


 とりわけ、鮫が話している声は大きく、こちらに聞こえるように話している感じもしなくはない。


「僕、一応、東大理一なんですけど、薬学部って製薬関連企業に向いてるでしょう?」


 それに対して、やや遠くに聞こえるのは川絵さんの声だ。


「まあ、せやなあ」


「その僕が推理作家の卵っていうのも、意外で魅力的ですよね」


「そうなんかもなあ」


「それに自分で言うのも何ですが、ルックスもまずまずだし、ファッションセンスもいい感じだと思いませんか?」


「そう言う人もおるかもなあ」


「やっぱり、薬学の学問的素養と男性的な魅力にあふれた僕こそが彼女に相応しい」


「えっ、彼女って誰?」


「いや、僕はただ彼女一人のためだけじゃなく、会社で働く全従業員の幸福のためにも、経営学と帝王学の隠れた素養もあるんです」


「なんや、東大理一って、ワケワカメやな」

 ワケワカメと言う、まさに訳の分からない言葉が出てきた頃、紀伊馬チナツも黙ってはいなかった。


「ぶたにん、私は小説を書きませんのでよく分かりませんが、あなたが、こんな騒々しい環境で労働を強いられているのは理解りましたわ」


 いや、全然、理解ってないし、重要な『馬丘』がどっかに行っちゃったしさ。


「ほかにも困っていることはございませんの? 無理難題を言われて悩んでいることがあるのなら、微力ながら私が何でも力になりますわ」


「無理難題っていったら、恋愛音痴をどうにかしろって、担当編集の三熊さんから言われてるけど」


「恋愛音痴?」


 痴女で鳴る紀伊馬チナツは、好奇心で目を爛々(らんらん)と輝かせて俺を見る。

 人は、長い人生の中で、三度はモテ期があると都市伝説は言う。ひょっとして、俺って、今、モテ期到来なのかもしれない。


 『勘違い』かも知れないが、『勘違いから恋は始まる』と『おさなづま』研究でも教えられた俺は、世紀の痴女、3次元の『おさなづま』紀伊馬チナツを前に、ドキムネで自分の足もとを見失っていた。

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