第3話 死にたいほどの朝
編集者が映画などに登場する場合、情報が集まりやすい職場とのイメージから起用される場合が多いようです。
しかし、編集者自身を映画にする場合、驚くほど退屈な日常が垣間見えたりします。
本屋大賞にも輝いた『舟を編む』は、辞書編集部の驚きの実態を見せてくれました。
しかも、刊行にこぎつけた翌日から、改稿に入る地道さ……思わず辞書を買ってしまう佳作でした。
さて、本日は3400字となりました。よろしくお願いいたします。
かなり盛大に学校バレが予想されるゴールデンウィーク明けの月曜日。
俺は、母親に家を送り出されて登校したものの、憂鬱で、憂鬱で、休みたくて仕方がない。
ただ、それまで、昼夜逆転した生活が続いていたせいもあって、月曜の朝、俺は惰性で学校にたどり着いて、気がついたら朝礼台の横に立たされていた。
朝礼台の上で、5月が皐月だのメイだの、どうでもいい話を展開した校長先生が、最後に本当にどうでもいい話を始める。
「さて、ここで皆さんに、喜ばしいお知らせがあります。本校の3年4組の武谷新樹君が、ダ、ダイ包茎出版社のサンポール、ラ、ライトノベル新人賞で見事、馬丘雲という筆名で最終選考入りを果たしました」
いや、俺、そんな怪しい会社の便所掃除っぽい新人賞に応募なんてしてないんですけど……アンチョコ紙を横目にどこまで間違えてくれるんだろう。あと、筆名はバラしたら意味無いじゃんか、校長センセ。
しかし、全校生徒は、ざわつきこそすれ、誰一人ツッコむことなく、淡々と校長先生の話は続く。
「しかし、それだけではありません。武谷君は『家庭の事情』から入賞を辞退した上で、その出版社への就職を前提に、見習いで……編集のアルバイトをしているというのです……うぐぐぐっ」
朝礼台の上の校長先生は目頭のキラリと光るものを拭うため、メガネを外して、ついでに洟を啜り上げて、メガネを戻して話を続ける。
「みなさん、これは武谷君の厳しい『家庭の事情』を察するとやむを得ない面はありますが、先生は……新人賞という名誉をなげうって、日々働こうと言う武谷君のこの立派な姿を……うぐぅっ」
何を話に詰まっているんだろうか。まあ、人情話が人一倍好きな校長ということで通っていたので、涙しながら話す姿に違和感はなかったが、話に詰まりながら三年の学年主任を呼んでいる姿には、違和感を禁じ得ない。
そして校長先生は小声で、とんでもないことを訊いている。
「武谷君の『家庭の事情』ってなんでしたっけ」
学年主任が小声を荒げているが、校長には聞こえていないのか、朝礼台の上で固まったままだ。
いや、確かに俺の父親がリストラされて転職し、両親が共働きになったのは確かだが、そんなことはどうでもいい……いやいや、ちょっと待て。話を思いっきり、そっち方面にそらしてくれたほうが『ラノベの武谷君』が、『苦労人の武谷君』になるかもしれない。
よこしまな心で、俺も朝礼台の上の校長に向かって言う。
「父が、会社を、クビに、なったんですっ、父がっ、クビっ」
俺が首に手刀を当てて言う素振りをみて、校長は了解したと、涙ながらに首肯いて話を続ける。
「この過酷な状況下においても、母親孝行に励む立派な武谷君の姿を、ひと目、会社をリストラされ、縊死されたお父さんに見せてあげたかったと、そう、思います。ぐぐぅずずっ」
え? 校長センセ、嗚咽にむせびながらサラッと嘘臭いことを混ぜるんじゃない。俺の父親は、今日も元気に通勤電車に乗って、今はしっかり社畜中だ。
まあ、縊死なんて多分、口頭では伝わらないからいいか。
でも、どこまで盛り上げたいんだよ、誰得の人情話。まったく、油断も隙もないものだ。
「さて、この武谷君の心意気を讃え、本学では学校長特別賞を授与して武谷君の行動に最大限の賛辞を送りたいと思います」
そして、校長から用意された賞状と目録を渡されて、俺は、まばらな拍手の中を、いつものクラスの列に戻る。
しかし、父の縊死とかいうノイズが混ざったものの、特に進路に敏感になっている三年生にとって『就職』という言葉は、刺激が強かったようだ。
いつもは浮遊霊のような存在の俺が、運動場を後にして、昇降口の辺りから痛いほどの視線を感じる。
「アレ、ラノベのセンセじゃない?」
「名前、なんだったっけ?」
「ウマオカなんとかだよー、知らないけど」
聞こえよがしに、話しているのは物見高い野次馬女子だ。筆名は恥ずいから、やめて欲しい。あと、片仮名センセ呼びも、やめて欲しい。
女子高生と言うと世間的にかなりのステータスにあるようだが、無論、学校の中では単なる五月蝿い一生徒にすぎない。
「なになに、ラノベって何? オイシイの?」
ちなみに、ラノベが何かについてかは俺自身、いや、世間様すら、よく理解っていない。
「いいよなぁ、受験勉強しなくて良いなんてさ」
これも、聞こえよがしに流れてくるのだが、進学なんて諦めてしまえば、受験なんてしなくても万事オッケーだ。どこかに就職するなり、自宅を警備するなり、自分の生き方を学業以外に見つけて頂きたい。
ただでさえ居心地の悪い教室の不快指数が、極限まで高まるのを感じて、俺は、昼からの授業をサボって図書室の一番奥の席で、本を適当に重ねて頭を伏せていた。
「タケィ、タケィ、みなし児タケィ、父無し子タケィッ」
俺は、聞き覚えのある罵声で夢から現に帰る。
「なんだ、ハルキか。どうして、ここに?」
「五時間目が自習でさ」
なるほど、ハルキの言うとおり、3組の生徒が図書室に溢れている。
ハルキが向かい側の席に座ると、朝の公開処刑の話になる。
「酷い紹介だよな、校長の殺人的人情トークな」
「ああ、それな」
「で、何もらったんだよ?」
「図書カード500円……使える気がしねえ」
「あははは、校長らしいや。で、デビューは決まった?」
ふらっと、話を振られたせいなのか、頭がぼうっとしていたのか、合いの手を打つように応じてしまう。
「10月刊行予定で決まったけどさ、いろいろ大変だよ……」
「刊行が決まったとすると作家デビューされるんですね。バイト編集だと思ったら、ぶたにん、素晴らしいですわ! ですけど……その、ぶたにんさんに。そのお父様が首を吊……その、縊死されて、とてもご苦労されていると耐えられませんわね」
おっと、『遺址で縊死した医師の遺志』について、正確に聞き取った人がいるよ。
しかし、ぶたにんに『さん』が付くのは、有史以来初めてじゃないだろうか。と言うより、この「ですわ」口調の御令嬢女子、誰なの?
それを訊くと、ハルキが小声で耳打ちしてくれる。
「タケィ、気をつけろよ。アレは、純真無垢な痴女令嬢だ」
ハルキが小声で言う、痴女令嬢は、黒い髪をスッと肩まで伸ばした知的な感じの美少女だった。
それに、ふつう、髪を肩まで伸ばすとなると、枝毛や切毛で綺麗にまとまらず、ボサッとした感じになるものだが、それもない。それまで、栗毛の獣毛にケモミミしか考えられなかった俺の頭のなかで、化学反応が起きる。
『漆黒のケモミミ』降臨……俺は雷で身体を打たれたようにして、その言葉を手帳にメモする。セカンド・ヒロインはこれしかないよ、『ケモミミ②』で使える!
痴女属性を外しながら、俺は固くそう信じる。
しかし、こんなに綺麗な子が同級生にいたのは、高校生活3年目まで気が付かなかったのは、不覚というしか無い。
体育会系の川絵さんに対して、文化系の高嶺に咲き誇っていても良さそうな薫りすらする。
知的なのは雰囲気だけではなく、『縊死する』を正確に把握してしまう程度に国語レベルは高そうだ。
しかし、気になるのは、育ちの良さというか、なんというか。上から目線での発言がにじみ出ていて、鼻につくのは俺だけではあるまい。
「あのさ、紀伊馬、朝礼で言ってたけどさ、こいつは馬丘雲って言うデビュー予定のラノベ作家だ。その『ぶたにん』は……なんだ、ニックネームだ。あと、タケィにも、一応、転校生を紹介しておく。4月からの転入だから知らないかもしれないが、こっちは同じクラスの……」
ハルキの言葉を手で制して、転校生は自ら自己紹介をする。
「紀伊馬チナツです。尾張・紀伊・水戸の紀伊に『馬』と書いて紀伊馬ですわ。ブタだなんて、酷いこと言ってご免なさい。でも、作家の才能があるあなたと同じ『馬』を名前に持つなんて光栄です。仲良くして差し上げますわ」
なんだよ、この時代劇令嬢……マジで痴女なのか? 俺と仲良くしようだなんて。
でも、なんだか『馬』仲間として、仲良くしていきたい気もする。
俺の気分は『漆黒のケモミミ』のおかげで、不快指数は急低下していた。