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神田神保町の高校生あちゃらか編集手帳  作者: 錦坂茶寮
PART4 書籍化デビューと学校バレの五月病
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第2話 おさなづま

編集者が登場する映画は数多くあり、劇中で編集らしい活躍をする場合もあります。

「ツレがうつになりまして。」を見た時に、編集者冥利につきるシーンがありました。

クレーム主の三上が「この本を出してくれて ありがとう」と言う場面、流石です。

この映画の良い所は多々ありますが、編集の切り口からはこの辺りでしょうか。


さて、本日は3800字となりました。どうぞよろしくお願いいたします。

 三熊さんが高価そうな腕時計に、ちらっと目を遣って言う。



「ぶたにん君……ケモミミで美少女キャラの出てこないラノベって考えられるかな」


「ありえません」



「それじゃあ、その美少女キャラと主人公の絡みのないラノベって考えられる?」


「無理です」



「だよねえ、その絡みが恋愛なんだから、ラノベでは避けて通れないよねぇ。超重要だよねっ」


「で、でも、書いてますよ……一応」



「そう、そこっ、一応じゃなくて、しっかり書いて欲しいんだよ。ぶたにん君は、SFも、ケモミミもしっかり書けてるんだから」



 そう、俺は、褒めて伸ばして欲しいんですよ。三熊さんも嬉しいことを言ってくれるじゃん。俺は身を乗り出して、三熊さんの話の先を追う。



「でも、ラノベのコアはキャラと絡みだからね。ほら、猪とか、征次編集長ってSF好き過ぎるから、『ケモミミ!』を推してるけど、ハードSF中心でキャラや絡みを薄くするとさ、まるっきり読者がついてこない怖さがラノベにはある。これって理解るよね?」



 確かに、俺はさっき本格ミステリーがラノベのスタイルに合わせきれずに、編集会議で辛酸を嘗める現場を見ている。


 俺は仔犬のように首をすくめながら、三熊さんに訊く。



「しっかり、絡み……恋愛を書くには、どうすればいいんですか?」



 三熊さんは安易にすがりつく俺を、汚れたブタを卑しむかのように睥睨へいげいしているかのようだ。

 そして俺は、瞬時に三熊さんの言葉の暴風圏内に取り込まれる。


「理解らないなら、勉強しなさいっ。恋愛小説、恋愛映画、なんでもいいから、ケモミミを追いかけた時のように、恋愛に興味を持って追いかけるの。そして、ケモミミを書くときのようにアウトプットできれば、ぶたにん君にも、絶対に恋愛は書けるんだから」



 三熊さん、語りは熱く、ふらっと書けそうな気にさせるところが凄い。いや、もう、このまま、三熊さんに書いてもらいたいよ、俺。



 だって、俺、そんなに恋愛なんて興味ないし。

 ……あ、やべえ、いまの、ラノベの主人公っぽいじゃん。



 まあ、俺はいつだって、異世界転生してハーレム構築をする心の準備だけはできているのだが。心の準備がないとすると、恋愛のほうだ。


 しかし、目の前の三熊さんは俺の心の準備を待ってくれそうにはない。



「いいかな、まず、主人公とヒロインにガツンと恋愛をさせて欲しいんだ。筆圧高めでボリュームは少なくていいから。そうね、ヒロインが最後に特殊部隊に入るんだから、恋愛的にはヒロインが逃げで、主人公が追う展開になるようにね。間違いなく、ぶたにん君なら絶対書けるよ、がんばろうっ」



 俺は、なんだか、書けそうな気がして思わず首肯うなずいてしまう。



「は、はい。ちょっと待ってください」


 俺は、鞄から手帳を取り出して、三熊さんから言われたことを走り書きでメモを取る。




 すると、三熊さんは暇になったのか、川絵さんをいじり始める。


「ところで、川絵は最近どうなの? 仕事ばっかり?」


「まあ、今日まで、ぶたにんのチューターとして、OJTオンザジョブトレーニングもしてたんで……」



「それじゃあ、これから恋愛のチュートリアルとかはどう? 急ぎよ」


「工数が凄いことになってもええんですか?」



「そんなに丁寧にする必要はないわよ、今回は」


 しばらく沈黙の後、怪しげに女子二人で、きゃっきゃうふふしていたかと思うと、三熊さんが俺に言う。



「ぶたにん君って、恋人はいないけど、人を好きになったことは、あるよね」



 唐突な恋バナは、川絵さんのツボに、ドストライクだったようだ。


「ぶははっ、……スミマセン」



「あ、川絵は理解るよね。好きな人を呼ぶ時と、どうでもいい人を呼ぶ時の違い」


「まあ……それは、全然、テンションちゃいますからね」



「それじゃあ、ぶたにん君を彼氏だと思って呼んでみて」



 三熊さんの無茶振りが、より一層深く、川絵さんのツボをえぐったようで、川絵さんがうつむいたまま笑いをかみ殺し、気息きそく奄々(えんえん)としている。



「ぶ、ぶっ……んっん」


 そぞろに川絵さんの声が聞こえた。俺の名前はタケタニアラキだが、なぜか、『ぶ』の途中で川絵さんは声につまり、『んっん』と失笑のような声を漏らす。


 それを見た三熊さんが、ここぞとばかりに言う。


「ぶたにん君、これが『好き』って言うことよ」



「えっ……」



「息苦しくて、切なくて、呼ぼうにも声が出ない。それを描写するの、理解るっ?」



 いや、三熊さん、異議あり。


 断じて、川絵さんは、愛しさや、切なさを感じさせる演技なんてしていません。


 俺がツッコもうとした刹那、立ち直った川絵さんが顔を上げて加わってくる。



「そうやわ。ぶたにんには、この高度な乙女心は理解できへんやろなあ」



 川絵さんが、今日一番のキメ顔で勝ち誇る高難易度の演技『高度な乙女心』とやらに、俺は力なく感想を述べる。


「えと、あの……り、理解できるよう、がんばります」




 その後、三熊さんは、来月中には原稿を校正出しできるように目標を立てる。



 最後に厳に言い渡された注意事項は、存外、簡単なことだった。


 書籍化デビューが決まっても、『オフィシャルにオープンになるまでは、発売日は他人に話してはならない』と言うことらしい。



 まあ、そんな注意事項は、今の俺には関係ない。


 俺の前にはもっと厄介な敵が立ち塞がっているのだ。





『彼女いない暦』



 グレゴリウス暦より冷徹なこのこよみが、いつの頃から人々の間で使われ始めたのかはよく理解っていない。ちなみに、今年は、俺の彼女いない暦0018年にあたる。



 そのせいか、俺はゴールデン・ウィークのほとんどを改稿作業ではなく、恋愛研究に費やすことになった。


 朝から恋愛要素の高いコミックの一気読みをし、合間に名作と言われる恋愛物の映画を見て、晩には恋愛小説の書き方の本を読む。



 なんとも驚くべきことに、繰り返すこと一週間で、門前の小僧が習わぬ経を読むようになるから不思議だ。




 まず、恋愛を身近にたとえるならば、俺が本屋に行ってエロ本を買うようなものだろうか。



 仮に、そのエロ本の題名を『おさなづま』としよう。



 まず、俺が、その『おさなづま』を手にしたら、世界が一変するかのような、生涯ズリネタに困らないくらいの『勘違い』を起こすことから、恋というものは始まる。



 しかし、いざ書店に行くと『おさなづま』が、あるということは分かっているのだが、ほうぼう探しても見当たらない。ここで、俺は、生涯最高の『おさなづま』を見失うかもしれないと焦るのだ。



 しかし、焦って探しても見つからず、疲れ果てて喫茶店で休むことになる。


 意気揚々と『おさなづま』を手に入れることを夢見て家を出てきた俺は、半端ない喪失感に沈む。



 ところが、たまたま入ったその店で、思いがけず求めていた『おさなづま』に出会ってしまうのだ。


 奥の席の客が手にしているのが、まさかの『おさなづま』である。



 『おさなづま』に恋い焦がれる俺は、なぜか、ここで躊躇ためらう。



 『拒絶されるかもしれない』ことに、異常なまでの恐れを抱くのだ。


 当然だろう、喫茶店の衆人環視の中、『おさなづま』を譲ってくれと言って断られたら、もう俺は生きてはいけない。



 かくして、蛮勇を奮って声をかけ、『おさなづま』を譲ってもらうか、諦めて別のエロ本に手を染めるか……そんな、思い悩んでも仕方ないことを、ひたすら悩み続ける。



 俺は自らを鼓舞し、それでも悩み、ジリジリと時間が経過して、奥の席の客が退店する時間が訪れる。



 決断の時だ。その客に声をかけて、俺は言わなければならない。



「その『おさなづま』、俺に譲って下さい」



 その一言さえ言えれば、明日から、俺の世界はバラ色に一変する。


 これまでの旧態依然とした2次元のズリネタは全て博物館に追いやられ、『おさなづま』が新世界のルールとなるのだ。



 たった一言だ。時間にして10秒もかからない。


 これまで俺が『おさなづま』に心奪われた時間は既にその何千倍になろうか。



 ダメだと言われても、失うものなど何もない。


 俺は何をそんなに傷つくことに怯えているんだ。



 葛藤を乗り越えて俺は叫ぶ。



「世の中、『おさなづま』だけじゃないんだっ、俺は『ケモミミ!』を裏切れないっ」



 おい、どうした、いや……すっかり、醒めてしまった。



 俺は『おさなづま』との擬似恋愛から覚める。


 どうやら、恋とエロ本は違ったようだ。



 これで恋愛研究成果の発表を終わらせて戴く。


 質問、反論などは認めない。以上である。






 4月29日から始まったゴールデン・ウィークも、もう5月6日の金曜日だ。


 本来、学校のある日なのだが、俺は恋愛研究にかこつけて休んでしまった。



 研究結果が平々凡々なものに終わった今、来週からは座学は止めようと俺は心に誓う。




 恋愛教科書を捨て学校に出よう、そう決心したところで、リビングに降りた俺はとんでもないことを母親から聞かされた。


「あーくん、今日ね、進路面談に行ってきたんだけどさ、まだ、就職のこと、先生に言って無かったの?」



「な、何かあったの?」


「何かじゃないわよ。新人賞のことも知らないって言ってたし、出版社に就職することも知らなかったみたいだし、話したら先生、ビックリして校長先生まで呼んできてさ……」



「えっ? 先生に新人賞のこと、言ったの」


「そりゃあ、言うわよ。あーくん、新人賞を辞退して、出版社でバイトしてるんだもの。そしたら、出てきた校長先生が近頃にない親孝行な勤労青年だって、感動して涙流して喜ぶのよ。でもって、学校でも表彰をしたいって言ってたから、月曜日は絶対に学校に行きなさいよ」



「ええっ? 校長先生まで……表彰って何を?」



 これは、俺がこっそりラノベを書いていたことや、ケモミミ新人賞受賞内定と辞退が、盛大にバレる。


 ハルキに知れる程度はいいと思っていたが、全校生徒教職員にバレるのは勘弁して欲しい。



 俺、月曜からは、『ひゃーい、ふもふも!』とか、挨拶されるのかな。ちょっと、嬉しいかも知れない。


 それとも、『ケモミミヲタ』とか、『ラノベ野郎』とか、机に落書きされるんじゃないだろうか。



 週末、俺は公開処刑(学校バレ)を免れようと、ケモミミ四十八神に祈ってみたが、ご利益は何もなかった。

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