第13話 ライトノベルを見下すな
出版業界でツブシの利く業態は意外にも「書店」だったりします。
岩○書店の買取書籍を除くと在庫は原則、返品可能で、換金できます。
土地建物は商店街か、駅近く、ロードサイドにあって、ファイアセールで売り払えます。
残った返品不能図書も青空市で売り払って、ほとんどの営業資源を資金化できます。
そのため、大日本印刷が文教堂、丸善、ジュンク堂を、トーハンがブックファーストを傘下に収めるなど、統合再編が進みやすい業態と言えます。
さて、本日は3000字です。どうぞよろしくお願いいたします。
「いや、昨日はごちそうさまでした。川絵さん、ちょっと怖いですよ。僕は昨日忘れたパソコンのアダプタを取りに来ただけです。すぐに帰ります」
鮫男がニヤけながら執筆ブースに入ってきて、放りっぱなしになっていた電源アダプタを回収する。
川絵さんが、すぐにも帰りそうな鮫男に話しかける。
「鮫貝君、キャラ・サポートの鳳梨⑨先生の予定、二週間も取るなんて、どうしたん。この前、サポートは要らん、言うてたやん」
「川絵さん、僕の作品って、蟹江さんから言わせると、まだまだラノベらしくないって言われるんです。だから鳳梨⑨先生に徹底的にチェックしてもらおうと思っているんですよ。これから合宿です」
さすがに、合宿と聞いて驚いた川絵さんが、鮫男に問い質す。
「チェック? 合宿?」
「スパイシー・コミック・マーケットって、ゴールデン・ウィークにやってるコミケがあるらしいんですけど、鳳梨⑨先生のサークルの原稿追込み合宿にお付き合いする形で、僕も四月十一日まで企画書合宿ってことで参加しますので……」
「そんなん、私、聞いてないで。企画書出来るまでは、勝手なことされたら困るやん」
「企画書案は、毎日ちゃんとメールしますよ。あと、鳳梨⑨先生の日程調整は蟹江さんが仕切ってくれたおかげで、水戸先生も、火浦先生も快く応じてもらえましたし、何より鳳梨⑨先生も気合が入っているようですので、誰も困って無いと思うんですが」
シレッと言う鮫男に川絵さんの怒りは収まる様子がない。
「何を言うてるんよ、二編のリソースは皆のものやろ。こっちのぶたにんかって初めての企画書で、頼まなアカンことはあんねんから。最終チェックやったら、少しは日程、譲ったりいや」
なんだか、川絵さんが俺のことを代弁してくれていると思うと、少し胸が熱くなる。
しかし、鮫男は相変わらず強気の姿勢を崩さない。
「ルールは守っていますよ。もし、鳳梨⑨先生のリソースを譲って、僕の作品の完成度が下がったら、鵜野目先輩は責任とってくれるんですか?」
妙な責任論を振りかざす鮫男に、川絵さんは負けてはいない。
「なんで、そうなるんよ。第一、最終チェックやったら、編集会議終わってからでも出来るやん」
「僕は万全を期したいんですよ。できれば、ベタなラノベの『昨日の旅⑲』なんか目じゃないくらいの評価を取りたいんです。ぶたにん君の『ケモミミ!』って、言っちゃあ悪いですが、新人賞崩れでしょう。時間かけて練りなおして、他の新人と同じ年明け刊行で充分じゃないですか」
新人賞崩れと言われればその通りで、崩れた選択をした責任は俺にもあるが、何とも卑しめられたようで我慢がならない。
「鮫貝君はホンマにそう思って言うてるん?」
鮫男は、怖気づいたのか、話をはぐらかすように言う。
「こんどこそ、僕の本気のミステリーですからね。まあ、ラノベ用に書き換えて、あえて質を落とすっていうのが癪ですが、仕方ありま……」
その刹那、パァーンッと、乾いた音がした。
川絵さんの右の平手が、鮫の左頬肉を打ったのだ。
それを見た俺は心のなかで呟く。
痛カッコいい……
もちろん、痛いのは鮫で、カッコいいのは川絵さんだ。
川絵さんは、驚いて呆然としている鮫男を厳しく叱責する。
「ラノベが嫌なら、サンラで書かんでええっ。ラノベの質が悪いって言うんやったら、あんたが最高のラノベを書いてから言いっ」
鮫男は口の中を切ったのか分からないが、頬のあたりを気にしながら顔を上げる。
「いやだなあ、ラノベなんかに熱くなっちゃって。川絵さんもそうなんでしょう。心の何処かでラノベは文学じゃない。レベルの低い文芸だって見下しているんでしょう」
「あんた、勘違いも大概にしいやっ」
再び食って掛かかろうとする川絵さんを、俺が後ろから川絵さんの右腕を抑える。
「川絵さん、いいです。原稿の直しは、俺、自分でどうにかしますから」
その言葉を聞いて、鮫男はニヤけ顔を取り戻す。
「そうそう、『GOTICS』の原稿と企画書案、じつは蟹江さんにお願いして太陽ミステリ編集部に見てもらったら好評みたいでね。誰の原稿なんだ、ラノベなんかで出すのは、もったいないって……まあ、今はサンラだからと蟹江さんが断ったけどね。それじゃあ、ぶたにん君、お互い、編集会議を目指して頑張ろう」
差し出された手を、俺が、ただ眺めていると、鮫男はそのまま手を引っ込めて、執筆ブースを後にした。
少したって、落ち着いたのか、長椅子に腰を落とした川絵さんが言う。
「ぶたにん、ありがとうな。もう少しでパワハラになるところやったわ……」
もう少しで、じゃなくて、しっかりパワハラしていたように感じたのは気のせいだろうか。
「鮫貝君って、おかしい、おかしい、思ってたら、自分の書くべきものを自分で見下してやってんやわ。そら必死になられへんし、面白く無いわなぁ」
『汁耕作』はいろいろ見下されても仕方がないんじゃないかと思いながら、俺はラノベを擁護するために言う。
「多分、自分のミステリーに自信があるか、まだ、面白いラノベを読んでいないだけですよ」
「そうなんかなあ、それやったら、ラノベの新人賞に応募なんかしてくんなっちゅうねんなあ。そう言うところが腹立つねん」
蓋し正論である。異論を挟む余地もないが、俺はなぜか感想のようなことを言う。
「俺も……たまに、つまらないラノベ読むと、こんなラノベなら俺の書いてるヤツのほうが面白いって思うことがありますよ」
「でも、ぶたにんの場合は、もっと面白いラノベを書こうって思うんやろ」
「も、勿論です」
そうか、鮫男の場合、ラノベを書こうとしているんじゃなくて、ミステリーを書こうとしているんだっけ。なんでなんだろうね。
東大生ラノベ作家、鮫貝論は、本当にミステリー作家を目指したほうがいいんじゃないだろうか。俺は思う。
気が付くと鮫男のせいで、時刻は午後三時のほうが近くなっている。
川絵さんが手帳を取り出して言う。
「期待はせんどいて欲しいんやけど、キャラのサポート、鳳梨⑨先生にヘルプの子、誰かおれへんか、訊いとくわ。あと、エピソードのほうはどうすんの? 要るんやったら、茶烏さんにメール入れとくけど……」
「ち、茶烏さんってプロット担当じゃないのか?」
「ぶたにん、残念。最初は茶烏さんに相談やねん。そのあと、ストーリーに合わせて茶烏さんの知り合いを紹介してもらえんねんけど……どうしよう、馬丘さんからの依頼って言うたら、メール入れた瞬間、電話かかってきそうやけど」
「え、遠慮しておきます。自分でやってみて無理ならお願いするんで」
「なんや、そしたら、企画書、早く見ときたいんやけど、私はこれから打ち合わせで出なアカンねん……」
そう言った川絵さんと、結局、俺は月島のタワーマンションに超人気ラノベ作家、木盧加川こと、鶫野廻さんとの打ち合わせに連れて行かれることになった。
将来の勉強のため、と言うよりはネタ探しのためと言ったほうが正解かもしれない。
あと、ついでに、死ぬほど恥ずかしい写真集も、同時に処分しておきたいところだ。
移動の地下鉄の中、俺の頭は妙にフル回転していた。