第12話 編集会議、十月刊行残り枠の二本を巡る争い
取次最大手「日販」の2015年度半期決算が取次事業の赤字を不動産業等で穴埋めする苦しいものになっています。
売上高2399億円、営業赤字3億円、経常赤字1.3億円で、売上が落ちた分、営業損益を圧迫する不況型の決算で、売上が回復しないかぎり、コスト削減で業容をダウンサイジングするしか無い状況です。
取次は商社ですので、物を運ぶ商流と、商品を信用で預ける金融の2つの機能を持ち、書店と出版社を支えています。
今回の取次最大手の不況型の業容悪化は、出版業界に暗い影を投げかけています。
さてPart3佳境の入口の本日は3300字です。どうぞよろしくお願いいたします。
川絵さんがスマホを取り出しながら言う。
「ちょっと、待ちや。こんなん、ふつうあり得へんから……なんかの間違いやと思うねんけど。鳳梨⑨先生に確認してみるわ」
川絵さんは俺から視線を外して、スマホに耳を立てる。
「もしもし、鳳梨⑨先生ですか。お久しぶりです、川絵です。冬コミ以来ですよね……はい、寒くて大変でしたけど……ええ、テレビに映った、はい……えっ、連撃文庫のブースで……『荒川クリスティ』の抱枕の実演販売のバイト?……何してはるんですか、先生……」
このあと、かなりどうでもいい脱線に脱線を重ねた挙句、ようやく、状況が明らかになる。
「……結局、鳳梨⑨先生のスケジュールを抑えたんは、蟹江さんやって。昨日の十時過ぎに電話があって、お願いされたらしいわ」
「えっ、どうして蟹江さんが、鮫貝さんのために……」
俺と、川絵さんと同時に同じ光景を思い浮かべる。
昨日の蟹江先輩、鮫貝後輩のサンラ編集部でのやりとりだ。
「「あぁ、あのときの」」
しかし、それを打ち消すように、川絵さんは眉をひそめて言う。
「いや、ちゃうちゃう、そもそも、鮫貝君は、キャラ・サポートは要らんって話やってんで」
俺も状況が分からないながら、考えを述べる。
「それは、『補佐 汁耕作』から『GOTICS』に変更したから要るようになったんじゃ……」
「いや、『補佐 汁耕作』は去年、万が一、『助手 汁耕作』の続刊が決まった時のためにって、私が企画書だけ預かっててん」
「え、そうなんですか」
「……そして、鮫貝君から大学受かったって電話があった時に、新作の恋愛推理モノで『GOTICS』を書いてるって聞いてん。それやったらサポート・チームに声掛けようかって、私が聞いたら、そんなん要らんって……これ、二月の話やで」
俺も川絵さんも訳が分からなくなって、やはり、諸悪の根源である蟹男に電話で話を聞くことにする。
「……なんか、昨日の晩に、あったんかなあ。あ、もしもし、蟹江さん」
川絵さんは、早速、鳳梨⑨先生の話を切り出す。
蟹男も虚を突かれたのか、はぐらかすこと無く、話をしているようだ。
しばらくして、電話を切った川絵さんは、少し憂鬱そうだ。
「ぶたにん、ゴメン。ひょっとしたら、昨日の私の話を聞いた鮫貝君が、蟹江さんに依頼したコトかも知れへんわ」
蟹男の言うところによると、昨日の夜十時頃に鮫男から電話があって、キャラ・サポートの鳳梨⑨さんの日程を、至急抑えて欲しいと懇願されたらしい。
「その、俺、よく理解ってないんだけど、サポートって先着順だったりするの?」
「編集室のサポート・ブースの裏手に、二ヶ月先まで予定が貼りだしてあるわ。鉛筆で書いてるのがサポート希望で、赤ペンで書いてあるのが担当本人の入れた確定やねん」
川絵さんとサポート・ブース前まで行くと、何枚か予定表が挟んであるボードが掛かっていて、中に『鳳』と書かれたボードを取り出す。
そこに挟んである予定表に、この二週間先の四月十一日まで赤文字で『GOTICS(仮)』と書いてある。
間にいくつか書かれていたと思しき予定は、いずれも四月十二日以降に繰り延べられている。
サポート要員の日程は基本的に一ヶ月先までに希望日程を調整し、それを切ると先着順になるらしい。
そして、問題の五月の編集会議のエントリーは四月十三日に始まる。
征次編集長の言っていた三週間後とは、まさに、この日のことを指している。
「これは、意図的に編集会議エントリー開始日までリソースを押さえたってことやなあ。ぶたにんへの嫌がらせとしたら、鮫貝君に言うても日程は譲ってくれへんやろ」
「お、俺への嫌がらせ? えっ? 訳が分かりません……」
ついに、存在さえ疎まれるところまで嫌われているのか、俺。ヤバ過ぎるよ。
川絵さんが、その俺の手を引いて執筆ブースに戻り、声を潜めるようにして言う。
「五月の編集会議は、予定では連休もあるから、いつもより早い四月二十八日やろ……」
川絵さんが言うには、そこに掛けられる企画書はサンラ編集部から十二本、二編から三本の十五本らしい。
ただ、十月刊行分で絞るとサンラ編集部からは新人賞モノが一本あるかないかで、執筆ペースの早い二編は三本全部が十月刊行予定らしい。
四月上旬の編集会議では通例、最大八本まで十月刊行予定を決めているので、残り刊行枠は二本で、特別に三本もあるらしい。
そこに、二編の『昨日の旅⑲(木盧加川)』、『GOTICS(仮)(寺嶋ミロ)』、『ケモミミ!(仮)』がぶつかることになる。
運が良ければ三本とも通って十月刊行は十一冊になるのだが、悪くすると、新人賞から一作品と『昨日の旅⑲』の二本が通って十冊ということも予想される。
「メグさんの昨日の旅は、もう決まりだよね」
俺は、どうなるかわからない、と言ったコメントを期待するが、それはすぐに裏切られる。
「そこはガチやな。十二月の⑳巻まで間違いないわ」
俺は肩を落とすが、すぐに話の真相が見えてくる。
「それじゃあ、残る枠は一冊、特別に二冊かもってことですか?」
「そうやな」
「そうなると、実績のある鮫貝さんが有利になるとか?」
俺の声に、川絵さんは困ったように言う。
「実績って言うても実売五割の六千部やったら関係ないと思うで。大体、二編の作品は期日までに間違いなく仕上がるから、ぶたにんも二編の筆名で企画書を出す以上、実績なんか関係無しで、寺嶋ミロと横一線やわ」
俺は、編集会議がよく分からないまま、川絵さんに無茶なことを訊く。
「編集会議で、鮫貝さんが企画書通らなかったら、自分がクビになると言ったら?」
「……そんなん関係ないし……逆にそんな話で編集会議が通るんやったら、次の月からみんなクビ掛けて会議に出てくるで」
なるほど、鮫男が俺の企画書を疎んじる気持ちがようやく理解できた。
俺は、追い詰められた鮫男も、俺も、助かる妙案を、後ろめたい気持ちで口にする。
「俺の企画書が六月の編集会議に回ったら、どうなるんでしょう」
「そんなん、鮫貝君の思う壺やん。それに、ぶたにんの編集作家としての評価が下がるだけやで。それに、十二月のクリスマス刊行なんて激戦区に入ったら、普通の感覚じゃ売れるかどうかすら、分かれへんわ」
俺も、元より五月の編集会議で鮫野郎に譲る気はない。
ただ、よく理解らないことだらけで、整理のために川絵さんに尋ねる。
「でも、鮫貝さん、どうして蟹江さんを通じて鳳梨⑨先生にお願いしたのかなあ?」
「そこが、鮫貝君のズルいって言うか計算高いところやねん」
川絵さんは、少しイラッとした雰囲気で言葉を継ぐ。
「……蟹江さんはなあ、鎌内先生の『とある』シリーズのコミカライズ制作やってるから、少年誌の月刊エーフ編集部、少女誌の月刊ラララ編集部とか妙に信用があって顔が広いねん」
蟹男の意外な一面を見た気がする。確か最初に編集部に来た時には、企画のできないダメ編集と言う印象が強かったが、それを言ったのは征次編集長だ。
一方で猪又さんは、蟹江さんのことを鎌内先生の担当制作編集として認めていた気がする。
しかし、今はキャラ・サポートの話じゃないか。俺は、川絵さんに訊く。
「それと、サポート・チームの鳳梨⑨先生とどう関係してくるの?」
「鳳梨⑨先生って、もともと、漫画家でメジャー誌で連載するんが夢やから、蟹江さんを通じて月刊ラララ編集部に紹介してもらおうと思ってても、おかしくないやろ」
俺は大人の事情のようなものを感じて嫌気がさす。
「鳳梨⑨先生が、蟹江さんからの無理な依頼を引き受けて、ポイントを稼ごうとしているとか? とんでもないゲス野郎だ」
そう言った俺に、川絵さんが更に近寄ってきて小声で囁く。
「ぶたにん、声が大きい。サポート・ブースに聞こえてたらどうするんよ。それと、鳳梨⑨先生はゲスかもしらんけど、野郎ちゃうで、めちゃ別嬪さんやねんから」
「は、はあ」
え、女なの。鳳梨⑨先生。
川絵さんが元に戻って、呆れたように言う。
「社内にも鳳梨⑨先生のファンは多いねんから言葉遣いには気をつけや」
「わ、理解りました……」
そのとき、不意に半開きの執筆ブースの扉の向こうから、鮫男の声がする。
「僕も大ファンですよ。鳳梨⑨先生の」
俺が振り返るよりも早く、川絵さんが言う。
「……鮫貝君、あんた何しに来たん?」