第9話 鮫貝と蟹江の作戦会議
消費税の食料品軽減課税の議論が喧しい中、出版業界でも書籍への軽減課税を要望しています。
食品ですら加工食品が弾かれようとする中、実現は厳しいかもしれません。
仮に消費税10%となると業界の衰退に拍車がかかるとの議論もあり、目が離せません。
さて、本日は3600字となりました。どうぞ宜しくお願いします。
『Surell LN』の検索画面を見ながら、俺は川絵さんに尋ねる。
「実際の本を見るにはどうすればいいのかな?」
川絵さんは腕組みして、少し考えてから口を開く。
「サンラ文庫の本やったら三階の資料室に行ったら全部置いてあるわ。でも他社の本は、ネットに無かったら担当のヒトが資料で残してないかぎり難しいやろうな」
「どうして?」
「知ってるやろうけど、ラノベってナマモノやんか。出るのも早いけど撤去も早いねん」
そりゃ、ラノベは月刊サイクルで回っているんだから、返品も早いのは理解る。
実際に連撃文庫の出る十日を過ぎると、前月発売のラノベは徐々に撤去され、なかなか書店では手に入らない。
でも、そのためにアマゾソとかがあるはずで、実際に俺も書店で入手しそこねた本を購入した覚えがある。
あの時は、こっそり購入したので、両親がアマゾソから覚えのないクレジット請求が来たということで、何を買ったか照会しようと大騒ぎになったものだ。
「取次から出版社に戻ってきた分は徐々に売れるか断裁されるかで、二年もしたら無うなってしまうからなあ」
「ダンサイされるって……」
俺は、耳慣れない言葉に思わず鸚鵡返しに聞いてしまう。
「業者に頼んで、まとめて本を刻んで溶かしてもらうねん。ほら、本って保管するのに倉庫代が要るやろ」
そんな、売れば六百円するものを刻んで溶かすとは何事だ。
そんなこと川絵さんが許しても、俺は許さない。
「でも……そ、その後に注文とかが来たら、どうするの?」
「そんなん、後で取次から戻ってくる分でどうにかなるし、ラノベなんて一年経ったら注文なんてあらへんねん。続刊が出るような人気作じゃない限り、書店注文が来るなんてないからなあ」
注文が来ないからといって、捨てるのは論外でしょう。
俺は、適当に本の処分先に困ったときのことを思い浮かべながら訊く。
「す、捨てるぐらいなら、ブッフ・オフに売ればいくらかになるんじゃない?」
「そんなん、定価で買ったお客さんに悪いやん」
まあ、前月買ったラノベが今月ブッフ・オフに百円で並んでいたら、定価でラノベを買うやつはいなくなるに違いない。
川絵さんの正論に、俺は、正論で対抗しようとする。
「でも、断裁するよりマシだ。せっかく作ったのに……捨てるぐらいなら俺が引き取るよ」
自分の著書の在庫に埋もれて寝るのも悪くはない。
俺は、かなりまじめに思っていたが、川絵さんにとっては、とても非常識だったようだ。
「引き取ってどうするんよ。それに引きとるんやったら定価やで」
「えっ、タダじゃないの?」
そんな、捨てるぐらいなら下さいというものが、定価で引き取れるわけがない。
おれは、驚いて息を呑む。
「そんな他の中小出版やったら、いざ知らず、太陽系出版社ほどの会社は大量の規格外流通なんかさせへんで。本はとにかく、定価販売やねん。その中で、定価で売れへん本は断裁処分するしかないねん」
え、なんで、そうなるの?
言葉は通じているのに、意味が通じない不思議さを感じながらも、俺は自分の著書の中で埋もれて寝るのは、高くつきそうだと気づく。
「定価か……」
「そう、出版社にとって再販売価格維持制度って重要やねんから、ネットで調べて覚えときや」
川絵さんはメモで書いて、宿題のように俺に渡す。
「……あと、ぶたにん、自分で理解らんことがあったら、なんでも連絡すんねんで、それじゃあ、お先に」
出版業界の『再販売価格維持制度』とやらの矛盾を感じながら、俺は、上司川絵さんを見送る。
川絵さんがいなくなった執筆ブースで、検索で上がってきた類書を印刷して読み返してみる。
しかし、ケモミミ本トップ・セールスの『狼と更新料』からして、俺から言わせるとケモミミ本ではない。
『狼と更新料』はタイトルから理解る通り、狼耳少女と不動産屋の若旦那との旅物語で、経済小説の要素が色濃い。しかし、狼耳少女の作中の描写は惹き込まれるものがあり、俺もケモミミ本の参考として一目置いている作品だ。
ただし、俺のラノベカテゴリーでいくと、ラノベ、その他ファンタジー、その他実用(経済)のタグで整理される。
『遊びにお越し』は、本命の猫耳少女の登場となるのだが、ケモミミ本として見ると猫耳も犬耳も取り込もうとしている意欲作だ。猫から進化したキャティーマンの異星人ヒロインが、スキヤキに惹かれて北海道に降り立つと言うラノベならではの設定も素晴らしい。
ただし、俺のラノベカテゴリーでいくと、ラノベ、SF、学園モノのタグで整理される。
『我が家のオヤシロ様。』は、狐耳もので、ケモミミ本としての要素は薄い。しかも、妖狐設定なので外見は男女どちらもありと言う、少し変わった設定だ。オヤシロ様と言うぐらいなので、当然、神社や巫女さんも出るし、モノノ怪の類も出る。
俺のラノベカテゴリーでいくと、ラノベ、ラブコメ、伝奇(日本)になる。
そうして見ていくと、類書らしい類書が見当たらないことに気がつく。兎に角、きっかけを掴むため、サンラの過去作の中で、ケモミミ検索に引っかかったものを、三階の資料室から借りて家に帰る。
しかし、五冊ほど借りたは良いが、ラノベとはいえ、読むには一冊、二時間ほどはかかるのだ。
俺は、二冊目も佳境と言うところで、悪い癖なのだが、いわゆる寝落ちをしてしまった。
翌日、起きると午後二時を回っていてビックリする。
初出社の日以来、俺には春休みなんてものは、金輪際来ないものだと思っていたので、大遅刻だと思って大いに焦ってしまった。
しかし、よくよく考えてみると編集作家に定時はない。
ソウカ、朝カラ自宅近クノさいぜデ企画ヲシテイタコトニスレバ、何ノ問題モナイ。
……問題があるとすれば、ケモミミの類書探しが順調ではないことぐらいか。
俺は、母親の帰宅時間に鉢合わせしないように、急いで家を出る。
駅前に出てサイゼに行くと、ランチが三時までと書いてあるのに俺は救われる。しかし、サイゼでケモミミ本の続きを読んでいると、時間はあっという間に過ぎていく。
初巻廃刊とはいえ、廃ラノベ、恐るべしである。
少し時間は早いが、午後七時に出社する。
午後七時を早いと言うとは、生き馬の目を抜く業界の出版社も、恐るべしだ。
「お、おはようございます」
俺が、二編のドアを開けると、白襟スーツの川絵さんが逆にかっ飛んで出てきて驚く。
「ちょうど、良かったわ。さっき、猪又さんから電話があって、時間、今のほうがええらしいねん」
「あ、そ、そうなんですか」
俺としては、事前に訊く内容を整理しておきたかったのだが、已んぬるかな、仕方がない。
しかし、川絵さんは容赦なく俺に訊いてくる。
「それで、今日、訊くことは決めてきたん?」
俺は、予想していたことにだけは対処が早い。
「はい、誰に、何を、どう売るか、です」
川絵さんは、一呼吸置いてから、俺に返してくる。
「それ昨日、私が言うたことやんか……まぁ、理解ったうえで云うてくれてるんやったら、ええけど」
水曜日のサンラ編集部の夕方は、意外に落ち着いた様子だった。
『二編』のほうが、何か文化祭前の学校のような感じで浮ついている気すらする。
落ち着いている編集部の中で、落ち着いていない二人が、妙に浮いて見えてくるのは、当たり前といえば、そうかも知れない。
昨日、別れたばかりなのに、何かしら懐かしい印象を受ける鮫男が、蟹江氏の前で大仰に頭を下げている。
「蟹江先輩、『学園生徒会探偵助手 汁耕作』では、大変お世話になりました」
それを迎える蟹江氏も満更でもない様子だ。と言うより、なんだか身内を迎えるかのような口ぶりで話しだす。
「おぉぅ、鮫貝センセ、合格ぅおめでとうぅ。昨日ぅは忙しくて、ゴメンナサイィ」
「いいえ、蟹江先輩のおかげで、デビューできたようなものですから……今までどおり、鮫貝でお願いします」
「いやぁ、それではぁ、周囲にぃ、示しが付かないってぇいうか……」
この蟹男、周囲に何を示そうとしているのか意味がわからない。
そして、もっと理解らないのが、この男にへつらっている鮫男である。
「それでは、鮫貝後輩と仰って頂ければっ」
「それじゃあ、鮫貝後輩ぃ、おめでとうぅ」
さらに、鮫男は蟹江氏を持ち上げる。もうワケがわからない。
「あ、有難うございます。先輩っ、ところで、いつも突然ですみませんが、企画書を通すアドバイスを頂ければと……」
「じゃあそれ、作戦会議しなきゃあねぇ、鮫貝後輩ぃ、ちょっと待ってて……」
話していた蟹江氏が、猪又さんに了解をもらって、二人で奥の会議室で打ち合わせするようだ。
そして、その後すぐに猪又さんが俺たちの方に来て、詫びる。
「二人とも、すまないね。僕の都合で、時間前に呼び出したりして」
いきなり、そう切り出されても俺は困るのだが、事情通の上司川絵さんが応対してくれる。
「いいえ、会議の予定なんて前倒し、後押しは当たり前ですやん」
猪又さんは、編集部の隣りにある打ち合わせブースの席を、俺たちに勧めて座るなり、気忙しそうに言う。
「で、今日は企画書の相談だよね。武谷君のケモミミ・ディストピアの」
こうして、俺は、猪又さんと互いに久闊を叙すること無く、企画書の打合せに入っていくことになった。