第8話 鷺森紗英の隠れた才能
ラノベのビッグタイトルが本日は押し並べて出てまいります。
当方、『狼と香辛料』は17巻まで全巻コンプ済です。そのほか、『ソードアート・オンライン』、『あそびにいくヨ!』、『ノーゲーム・ノーライフ』、『我が家のお稲荷さま。』、『問題児たちが異世界から来るそうですよ?』いずれも、コンプ又は愛読中です!
作中、ラノベの売上(実売)の話が出てきますが、ざっくり、ラノベ文庫市場は男性向け年間200億円、女性向け年間40億円ぐらい。
西尾◯新先生の物語シリーズなどは文庫ではなく、ブックラノベとして、別カウントされていますので、これらを含めるとラノベ市場は全体で300億円市場となります。
(当然、ハーレクイーンは別カウントです)
さて、本日は3600字となりました。どうぞ宜しくお願い致します。
喫茶タカノに居たのは、時間にすると、小一時間ほどだっただろうか。
上司川絵さんに奢らされて、俺は喫茶タカノを出る。
「ありがとう、ぶたにん。めっちゃ、男前やなあ、惚れてしまいそうやなあ。サイフ忘れて困ってる女子を助けるのは、ええ心掛けやで」
とっておきのキメ顔で礼を言う鵜野目川絵・十七歳は、きっと計画的だったに違いない。
ただ、小一時間で、俺は、まったくの偶然の産物であろう川絵さんの計画性を疑うまで、ぶたにん性、いや、人間性を回復できていた。
俺たちが、二編に戻ると、執筆ブースで待ちかねたかのように、鮫男がにじり寄ってくる。
「ぶたにん君、さっきから、ノーパソの調子が可怪しくてさ。立ち上がらないんだよ。企画書も、原稿も、最新版はノーパソにしか入れてないから、困るんだよね。せっかく、筆も乗っていたのになあ」
鮫男は俺を責めるように、繰り返し言い立てる。
「ほら、ぶたにん君、電源はつながっているし、この電源ボタンを入れれば……ほら、動かないだろう。おっかしいよなあ、コーヒーをこぼす前までは動いていたのに……」
それを傍で見ていた川絵さんが言う。
「そんなん、パソコンの隣に甘ったるいコーヒー、置いてる自分にも責任はあんで」
「おやおや、川絵さんも一緒に見ていたじゃないですか。他にも鷺森さんだって、僕の声を聞いているんだから証言してくれるはずです。ノーパソの件に関してはぶたにん君に非があるのは明らかですよ。彼のとばっちりのおかげで、僕は、原稿が遅れて、ひょっとすると企画書が消えるピンチなんですから」
そのあとも、鮫男は自分可哀想を連呼して、俺の少ない精神力を削っていく。
そうしていると、思い出したように川絵さんが編集室から鷺森さんを連れてくる。
「鷺森さん、どうしてものお願い。この手のトラブルにめちゃくちゃ強いですやん」
「それは昔の話でしょ、もう……」
鮫男は、状況に不満があるようで、自分可哀想の連呼をやめて、川絵さんに抗議を始める。
「ちょっと、鷺森さんは証言者で充分ですから、俺のノーパソに触らないでくれるっ」
「ええから、貸しいや。鷺森さん、凄腕ドクターやねんから。はい、コレ」
川絵さんは、鮫男に屈すること無く、問題のノーパソを鷺森さんの手に渡す。
「これは……」
鷺森さんは、ぐるりと意外と手慣れた感じでノーパソを回して裏のラベルを眺める。
「ふん、どうせ……」
やおら、鷺森さんはノーパソを机に置いて、鮫男に確認する。
「米国IBNのシンクパッドX52、二〇〇二年のXPノーパソですね。年代モノですが、今はマザボをアップグレードして使っているんですか?」
「え、分かるの? いや……メモリを640Mまで拡張して、そう、Winセブンを使えるようにしているんですよ」
なんだか、鮫男から余裕が消えたような感じがして、鷺森さんが頼母しい。
「セブン環境にするには最大メモリとグラフィック能力が不足していますが……」
「テ、テキストエディタとブラウザしか使わないからね。へへっへ……」
明らかにあわてる鮫男に対して、鷺森さんは予め書かれた台詞を読むかのように、冷静に言う。
「いえ、Winセブンは、マシンパワーが不足していると、カーネル41落ちって云う症状が出て、すぐにブルー画面固定になるんですよ。ひょっとして……」
カーネル41落ち? ブルー画面? 俺にはまったく理解できない。
知られた専門用語なのか、鮫男の顔は青くなり、肌は鮫肌のように色を失くしている。
「いや、鷺森さん、有難うございました。もういいよ。このパソコンが仮に立ち上がらなくても、作品は『作家になろう』のサイトに一時保存してあるし、企画書は川絵さんにメールしておいた分が残っているからさ」
鷺森さんからノーパソをひったくるようにして、鮫男が出て行く。
「そ、それじゃあ、お先に失礼っ」
鮫男が去ったあと、川絵さんが鷺森さんに訊いている。
「鷺森さん、ひょっとしてって、何やったんですか?」
「いや、アップレやIBNはコアなユーザーさんが多いので、高価いんですがマザーボード改造とかされて使っているのかなと思って」
「まあ、東大理一やからな」
川絵さんが、よく分からない理由付けをするが、なんとなく場がまとまったような気がする。
「それじゃあ、あまり離席してると怒られますから」
そう言って、こともなげに鷺森さんは執筆ブースをあとにする。
聞くところによると、凄腕技師の鷺森さんは、その昔、秋葉原のパソコンクリニックでバイトをしていて、並みいるマニアからドクターと崇められていたらしい。
なんだか、出版社の人たちって能ある鷹が多すぎないか。
「さ、鮫貝さんは何がしたかったんだろう?」
「ぶたにんにインネンでも付けたかったんちゃう。最初からブルー画面しか出えへんようなパソコン持ってくるなんて、手のこんだことして……でも、ぶたにんへのインネンなんて、何の役にも立てへんと思うねんけどなあ」
この場合のインネンとは、ありもしない被害を訴えて、代償を求める行為を言うそうだ。
しかし、ノーパソの件を鮫貝氏が不問にしてくれたおかげで、インネンは不成立、ノーカウントになった。
俺は、今晩からドクター鷺森に足を向けて寝られない。
川絵さんも帰り支度なのか、俺に明日の伝達事項を伝える。
「ぶたにん、明日は三階のサンラ編集部のほうに集合やで。ちなみに、猪又さん、九時から別の打ち合わせがあるみたいやから、聞きたいことは、ちゃんとまとめときや」
と言うことは、猪又さんとの打合せ時間は一時間もない。
俺は、突然、設定された制限時間に慌てて、川絵さんに質問してしまう。
「俺、いったい、何を訊いたらいいんだろう?」
「そ、そんなん決まってるやん、企画書やねんから、何を、誰に、どうやって売るかやろ」
「ケモミミストにケモミミを売るんだけど」
「そんな、テロリストに武器売るんだけど、みたいに言われても理解れへんわ」
「いや、テロリストのお父さんは出てきて三頁で死ぬんで……」
「そんなん、知らんわ! 私、ケモミミ・ディストピア、読んでへんねんから」
それでも、話の糸口をつかもうとしているのか、上司川絵さんは、俺に訊く。
「いったい、そのケモミミストって何人おんの?」
「一説によると二百万人は下らないと」
「どこから湧いたんよ。二百万人のケモミミスト向けにケモミミ文庫が作れるわ」
川絵さんは呆れたように言うが、俺の信念は巌のごとく泰然としている。
「これから、俺がサンラ文庫をケモミミ文庫にする所存です」
「やめといてや、私、仕事なくなるやん」
なんだか、いま、真顔で非道いことを言われたような気がする。
「あんな、ぶたにん、サンラ文庫の去年の売上って知ってる?」
いきなり、そんなこと言われても、まったく分からない。俺は首を左右に振る。
一冊六〇〇円のラノベを果たして何冊売ったのか、仮に一千万部で六〇億円か。ちりも積もれば山となるのだ。
「暦年ベースで九億円やて。出版年鑑に出す実売ベースの数字やわ。例えば、『汁耕作』は実売六〇〇〇部に定価六〇〇円やから三六〇万円って感じで積み上げた数字やな。部数だけなら実売一五〇万部ってことになるんやけど……ケモミミ本が二〇〇万部売れてくれたら、編集長、そら喜ぶで」
確かに、そう言われれば、そうだ。去年、サンラ文庫は百二十九点を文庫化しているが、十万部超えのヒットと言えば、『とある科学の超新星爆発』と『昨日の旅』シリーズくらいなものだ。
売れない本って、いったい、どこに積み上がっているのか知らないが、返品率八割超えのものもあるらしい。新興レーベルでMDを誤ると大変なことになる。
「それじゃあ、どうしたら実売部数の予測がつくんだ?」
「ぶたにんのノーパソからも使えると思うけど、サンラの営業データベース『Surell LN』。編集部のLANから入れるわ……パスワードは最初に鷺森さんから、もらってるはずやで」
早速、俺のノーパソで『Surell LN』にアクセスする。スレルってひょっとして、『刷れる』のダジャレだろうか。
「これで、何が?」
「例えば、編集部と営業部でキーワードタグを入れてるから、サンラ文庫と主要ラノベ十五文庫の類書の検索ができんねん」
川絵さんは『ケモミミ』と入力して検索ボタンを押す。
『検索結果……875件』
さらに川絵さんは、『公称部数』をキーに選んで並べ替えると、上位にズラリとケモミミ本が並ぶ。
結論から言うと、俺は見て驚いた。
もう、既に『けもみみ!』が既刊書の中に入っている。平仮名とはいえ、慧眼に驚かされる。
ジャンルはSFで、猫耳メイドをクローンで増やしてハーレムを作るというものだ。
他にも、アニメ化された『狼と更新料』、『遊びにお越し』、『我が家のオヤシロさま。』などがケモミミ・ジャンルにひしめいている。
さらに、ケモミミの香りがしそうな第二順位以下のキーワードも含めると『ソードアート・オフライン』、『ノーゲーム・ノーワイフ』、『問題児が異世界から転生するそうですよ』など、ビッグタイトルがヒットする。
なんだよ、このケモミミ・バブル。
さすがに、『ソードアート・オフライン』まで、ケモミミ本と言われると、差別化が難しい。
厳然たるデータは、俺を疑心暗鬼に陥れる。
いったい、売れるのか? 俺のケモミミ本。