第3話 本格ラノベ調ミステリー作家、寺嶋ミロの為人
2014年の改正著作権法で複製権(出版権)に「公衆送信権」が含まれることが明示されました。
旧法では、出版権と公衆送信権は別の著作権対応が必要なため、電子版では白抜頁となっていた部分が新法では無くなります。
電子書籍普及のカギとなる紙媒体と電子媒体の同時出版(サイマル配信)体制は法ベースをクリアし、次のXMLデータ化実務段階へ進行中です(紙の版を作成後、データ化するのでどうしても時間差が生じてしまいます)。
さて、本日はキリの良い所まで3700字となりました。よろしくお願い致します。
朝の出社途上で、川絵さんの『寺嶋ミロ』こと鮫貝論氏の為人についての話が続く。
「それに、ラノベ風に変更したタイトルと主人公の名前も非道いと思えへん? しるこ好きの汁耕作なんてアホな名前に変えて、しかも、タイトル出しやで。まあ、サンラ編集の蟹江さんと相談して変えたらしいねんけど、ちょっと変やろ?」
サンラ編集に蟹江あり。
売らないことに関しては、徒や疎かには出来ない奇才編集と言えよう。
そして、その口車に乗る哀れな鮫貝氏についてはノーコメントだ。
俺は、『ぶたにん2.0』ならではの気遣いを発揮して、二人をディスる方向から、話題をラノベ全体のタイトルに移そうとする。
俺って、もう、マジ『ぶたにん2.0』に進化したんじゃ無いかと思えてきた。
「でも、ラノベのタイトルって変わったの多いよね、『ダン・マチ』とか」
ちなみに、『ダン・マチ』とは、タイトル詐欺でも紹介した『地底でお兄ちゃんと出会って、間違ったことしたい!』と言う『弟』が主人公の残念なラノベだ。
しかし、川絵さんは強引に話を鮫貝氏に戻す。
「いや、計算し尽くしてるってわけでも、ないんやろうけど……」
川絵さんは歩みを止めて、俺のほうを向いて言う。
「予告してた通り、原稿は九月末にキッチリ校了してきたわ。そして、残りの制作を蟹江さんに全部引き継いで、うまい具合に受験でフェードアウトや。ちゃっかりしてるやろ。私、その後、蟹江さんから仕事丸投げされてんで。タイミング良すぎやわ。多分、あの子、蟹江さんとグルなんちゃうかなあ」
俺は、感心するよりも前に、蟹江さんとウマの合う鮫貝氏に軽いショックを受ける。
きっとカニ味噌のような、ドロっぽい男に違いない。
ちなみに、『学園生徒会探偵助手 汁耕作』は、予定通り十一月に刊行されたが、初刷一万二千部のうち、初動千四百部、現在までの実売部数五千八百部余りで、続刊の企画延期だけは決定しているようだ。
ここで、ホッとしている小心者の俺がいることは、決して外に気取られてはいけない。
まあ俺が『汁耕作』を読んだ感想も、次が絶対読みたいと思わせるものではなかった。
なんせ、好感度の一番、高かったヒロインが途中で、流れてきたゼンザイの粒に当たって非業の死を遂げるのだから、ラノベといえども非道い話だ。
「その……鮫貝さん、大学受験は無事終わったの?」
俺は、ごく軽い気持ちで訊いただけだった。
それに答える川絵さんの言葉もいつも通りだ。
「二月終わりに編集部に電話があってな、現役で東大理一やて……ビックリやろ」
「はあ……」
想定していた答とは、まったく斜め上のヤツが返ってきた。
こんなのに、すんなり対応できるヤツはいないだろう。
え、理系の東大生でラノベ作家なの? なんなの、鮫貝論氏。
俺の築こうとしている作家性を、早くも凌駕しそうな鮫貝氏に俺は焦りのようなものを感じざるを得ない。
いや待て、鮫貝氏の身勝手ぶりを聞くにつけ、営業部を含め社内協力なんてしないだろう。
俺はそう思い込むことで、『ぶたにん2.0』の再起動に成功した。
そして、俺たちは少し歩いて、太陽系出版社の社屋に吸い込まれる。
二枚の扉の向こうは、いつもと変わらない玄関ホールで受付には鮎ちゃん(氏名不詳)がいる。
「おっ、おはようございます」
控えめな声で受付の鮎ちゃんに、俺がニッコリ笑顔で会釈を決めると、ちょっと困ったような笑顔が返ってくる。
俺の愛想が足りないのか、受付の鮎ちゃんのアドリブが力不足なのか。
後者を信じる俺は、鮎ちゃんの今後の進化を期待してやまない。
そうしていると階段の踊り場で、また、上司川絵さんから背中をボコボコ叩かれながら、半笑いのパワハラを受ける。
「もう、久しぶりに油断してたら、すぐにネタに走るねんから……」
「いや、ネタじゃなくて、気遣いですよ、気遣い」
「気遣いって……あはははっ、ぶ、ぶたにん、今日、ちょっと面白すぎるわ」
川絵さんのリアクションを、俺は万感の思いで受け止める。
人気作家の道は辛く厳しいとは思っていたが、早速、『ぶたにん2.0』が上司川絵さんを魅了してしまったようだ。
東大生ラノベ作家の登場に挫けそうになったが、俺の心から迷いは消えた。
『ぶたにん2.0』絶好調だ。
「お、おはようございます」
俺は『二編』の扉をくぐると、三白眼をものともせずニッコリと笑顔を作るが、逆に見知らぬ男の顔に思わずビビる。
「お早うございます」
丁寧に挨拶を返してきたのは鷺森さんで、その手前にいるのが知らないけれど、なんとなく優しそうなお兄さんっぽい人だ。
俺たちのほうに、微笑みながら手を振っている。
男は、鷺森さんと何やら和気あいあい楽しく会話を終了させたと思ったら、戻ってきて今度は川絵さんに挨拶をして話しかける。
「川絵さん、お久しぶりです。鮫貝論、半年ぶりに受験休みから戻ってきました」
語気は柔らかく、声爽やかで、髪は長くも短くもなくサラサラ。
やや茶色に染めている。
身長は俺より高く百七十センチを優に超えている。
絵に描いたようなヤサ男だ。
誰だよ、カニ味噌のような男って言ったのは。
そして、今度はぶたにんセンサーが、鮫貝氏に対して警戒音を鳴らしている。
ぶたにんセンサーに関しては、今知られている情報としては嫉妬心に反応するらしい。
『爽やか東大生ラノベ作家』鮫貝氏に『ぶたにん2.0』の先を越されやしないか、狭量さ溢れる俺は過剰に反応せざるを得ない。
俺が努めて愛想良く気遣いをしても、これだけ圧倒的な差を覆すのは無理なんじゃないだろうか。俺は少し弱気になる。
「鮫貝君、ちょっと明るくなったんちゃう。春から大学生やもんなあ、それも東大理一ってメチャ賢いやん」
「いや、からかわないで下さい。川絵さん……あ、ピアス、春っぽいですね。ピンクだ。可愛いですね」
東大生鮫貝氏の言葉に、少し嬉しそうに川絵さんが反応する。
「有り難う。これなあ、桜やねん。ほら、よう見てみぃ」
俺には見せない川絵さんの少し女子っぽい反応に、ぶたにんセンサーが警報を鳴らしっ放しにしている。
東大生は遠慮会釈なく、吸い付くように近づいてピアスを手にとって見る。
そして、ハッと驚いたような顔を演出しながら、低めの声で頷きながら言う。
「へえ、すごく凝ってますね。本当に桜の花びらです」
川絵さんも満更ではなさそうで、自慢気にピアスを触っている。
俺はというと警報を通り越して、ぶたにんセンサーが閾値を超えてしまったのか、呼吸も、瞬きもせずに状況をただただ見守っているだけだ。
川絵さんは、そうした俺に無茶振りをしてくれる。
「まあ、鮫貝くんの頭ン中も東大合格、桜満開でおめでたいんやろうけど、こっちにも、おめでたい子がおんねん。はい、そしたら自分で自己紹介しぃや」
急に舞台の上手から引き出された俺は滑稽にも、言葉が出ない。
「あ、あっ、お、え……?」
どうしようもない俺に対して、鮫貝氏はさらりと先に自己紹介を済ませてしまう。
「……おはようございます。去年、『二編』からデビューしました鮫貝論です。この春から大学生になります。よろしくお願いします」
自己紹介、ソウカ、コノヨウニ、スレバ良イノカ……
斜め上からヤサ男の声が響いて、ようやく俺も我に返る。
「お、おはようございます。今年『二編』からデビューしましたタケグェッ……ェッ」
上司川絵の容赦無いツッコみチョップが、ミゾオチを掠めて、喉仏にキマる。
俺はきっと、締められる直前の雄鶏はこんな声で鳴くに違いないと、骨の髄に沁みて思う。
「あんたは、まだデビューしてへんやろ」
勢いの良すぎるツッコミに再起不能になりそうになりながら、俺は扱いの違いにショックを受ける。
「鮫貝くん、この子は、今年の新人賞蹴って『二編』に来たぶたにん、武士の『武』に山谷の『谷』、そして『ん』でぶたにん。こっちは、去年、本格ラノベ調ミステリー『学園生徒会探偵助手 汁耕作』でデビューした寺嶋ミロ先生こと、鮫貝君やで」
武、谷、ん……俺、いつの間に、苗字が一文字増えたの?
しかし、喉笛が潰れて、俺の目が白黒しているので抗議も儘ならない。そこをサラサラヘアが合いの手を入れる。
「新人賞を蹴ったって、噂は聞いています。ぶたにん君。よろしくお願いします」
そう言われながらも、俺は目から大粒の汁を出しながら片膝をついたまま、声が出ない。
なんとも情けない状況だ。川絵さんに手を引かれて、ようやく俺は立ち上がる。
「もう、ぶたにんも、大げさやねんから。はよ、二人とも執筆ブース行って企画書やるで」
「グェッ……」
俺が、むせていると後ろで上司川絵さんが、鮫貝氏に俺の紹介をしているようだ。
「ぶたにんはな、今、高二でこんど、高三やねん」
「あ、去年の僕と一緒ですね」
「ほんまやなあ、ちょうど自分も今くらいに入ってきたんや」
「いやあ、懐かしいですよね」
話が二人の間を一往復する前に、俺の話が消えているのには驚かされる。俺の存在感ってヤバイくらい希薄じゃね?
「ほら、去年の僕は四次落ちでしたから、二月には『二編』にいましたよ。ラノベ化に向けて『一つ人よりラノベ好き、二つ付箋でラノベ読み、三つ皆より寝不足自慢、ラノベ大好き汁耕作』って耕作の登場台詞を考えていたじゃないですか」
「ああ、『一つ人より本を読み、二つ付箋と格闘し、三つ皆で寝不足自慢』って、サンラの編集あるある数え歌のパクリやん」
川絵さんが鮫男に、ノリツッコミとか言う戦術兵器で卒なく話を合わせるのを聞きながら、俺は心を半分折られながら、執筆ブースへと進む。
鮫貝の話は執筆ブースに入ってもおさまらない。
「川絵さん、手厳しいですよ。新人のデビュー作なのに。でも、ヒロインの探偵タマちゃんは人気だったんです。つまんないことで殺したおかげで、数少ないファンレターの半分が脅迫状でしたけどね」
全然、羨ましいじゃないか、鮫野郎。
ファンレターって、なんだよ、その素敵アナログメール。
ひょっとして、女子からなの? 自慢したいの?
駄目だ、俺。鮫貝氏への妬みと嫉みから、『ぶたにん2.0』を見失ってしまいそうだ。