第2話 ミリオンラノベ作家を目指す、ぶたにん2.0の世界
昨日の「出版業界は衰退しました」では敢えて電子書籍市場(2014年度1266億円)を抜いて扱いました。
電子書籍市場は法整備が2014年の著作権法改正によって整ったため、コミック市場から先に動き始めています(法改正前に取得された著作権の整理が終わるまで雑誌その他の動きは制限されます)。
しかし、電子書籍市場拡大によって「取次」、「書店」のメインプレイヤーが取り残され窮地に立たされているのも見逃せません。
「書店」は元々、不動産業のような面もあり業態変更が可能なのに対し、「取次」はメインの取次システムそのものが使えなくなるため影響は深刻です。
かつては考えられなかった取次大手O阪屋(業界3位)、K田(業界4位)などの破綻は、紙の出版業の破滅的縮小を如実に表しています。
さて、本日はやや超過気味3500字となっております。よろしくお願い致します。
ラノベというものは、作家性も含めて売るのが常識と言う営業部の美々透主幹の言葉が、俺の頭のなかで脳内再生される。
「……最近はラノベも作家を前面に出して売っていく時代なんです。ネット動画やツイッターで作家の露出を上げるのは、もう他社では当たり前なんです」
小説という商品は、他のコンテンツと違って一目では分からないため、じつは敷居の高い商品となっている。
遺憾ながら、『これは面白い小説かも知れない』と思わせるまでに、読み手に払わせるコストが極めて高い。
ちなみに、出版社側も広告費をつぎ込んではいるのだが、購入に至らせるまでにかかるコストが高いことの証左にすぎない。
だからこそ、ラノベの初巻ではキャッチーなイラストや、理解りやすいテンプレキャラ、お約束展開などの小技を駆使しながら、小説の中身を見せずに小説を売るという、奇妙奇天烈、摩訶不思議なことを真剣にやっているのだ。
おかげでラノベ初巻では、そうしたスジを外すと、まったく相手にされないという、異常な様相を呈している。
そんな中、テンプレ以外で惹きつけようとすれば、自ずと作家に魅力がないと読者には届かない。
一番わかり易いのは過去作があれば良いのだが、残念なことに今の俺には、それがない。
だからこそ、他の売りになる作家性というものが、どうしても重要になってくる。
仮にあるとすれば、ケモミミ・ディストピアと言う前代未聞のストーリーを生み出した稀世の天才でありながら、ごく普通の高校生という親近感あふれる俺との『ギャップ萌え』というところだろう。
冷静に分析しながらも、こみ上げる照れと云うのは如何ともし難いのは不思議である。
親近感あふれる俺というのは、もちろん、今の俺ではない。
今の俺の愛想良さを、極限まで高めた進化形『ぶたにん2.0』とも呼ぶべきものだ。
しかし、問題は俺が『2.0』に進化できるかどうかだよな。
ちなみに、俺の社交性って多少ヤバイことは自覚しているが、メグさん程度にはヤバイのだろうか。
まあ、俺の口からは、擬音が漏れない分、まだ要介護度は低いはずだ……と思いたい。
いやいや、現状はともあれ、目指すところはギャップ萌えを引き起こさせる程度には、親近感あふれる『ぶたにん2.0』だ。
頑張れ、ミリオン作家候補生、俺。
厨二スピリットの突進力と破壊力は留まるところを知らない。
そして、思い込みというものは、予想を超えて、為人を一変させてしまうものなのだ。
俺ハ、今日カラ読者カラ愛サレル『ブタニン2.0』ニ、生マレ変ワルノダ。
さて、生まれ変わるにあたって多少問題があるといえば、川絵さんから企画書というものを仰せつかったものの、まったく具体進んでいないことぐらいだろうか。
とりあえず、書名欄を埋めて、企画概要にあらすじをコピペして、企画書を埋めているが、違和感が半端ない。
新人賞のエントリーシートじゃん、これ。
よくよく考えてみると、完成しているものに今更、企画と言うのも、本末転倒が過ぎるというものだろう。
結論、企画書なんて要らない。
目の前にある俺の作品を読めと言いたいところだが、そもそも受賞予定作品だっただけあって、既に編集部では読まれている。
もう、いったい、どうしろと言うのだろうね。
考えあぐねた俺がパジャマ姿のままで、下のリビングに降りると、父親が出勤前に玄関で靴を履いていた。
「新樹、会社では上手くやっているのか?」
進化しつつある俺は、笑顔を絞り出し、必殺技『別に』を温存しながら、爽やかさを演出するための新必殺技『ぶたにん2.0』を使用する。
「も、もちろんだよ……」
「新人賞を取るぐらいだから、新樹に才能の欠片はあるんだろうが、会社は組織で仕事をするところだから、社会人として周囲には愛想良く、気遣いの一つもしないといけないぞ」
朝から微妙にお説教臭いのと、さっきの一言で俺の『ぶたにん2.0』の愛想良さが伝わっていないのが微妙に残念だ。
父親の話を遮ったのは、俺の洗濯物を回収して二階から降りてきた母親だ。
「大丈夫よ、父さん。こう見えても、あーくんは外では意外と、ちゃんとやっているんだから……ねぇ」
意外ではない、ぶたにんモードに入らなければ、俺は上司川絵さんの部下としてちゃんとやっているのだ。
「も、もちろんだよ」
俺が努めてニッコリと微笑むと、両親がドン引きしているように見えるのは気のせいだろうか。
いや、おそらく寝起きの俺の顔に何か付いていたのだろう。
俺は早々に洗面所に顔を洗いに行く。
父親が出た一時間ほど後に、俺は神保町の駅の改札を目指す。
勿論、待ち合わせをしているのは、上司川絵さんだ。
「おはよう、ぶたにん」
改札口で川絵さんがなぜか、いつものキメ顔でそう言う。
間髪入れず、俺も新必殺技『ぶたにん2.0』から繰り出すキメ顔で返す。
「おっ、おはようございます、川絵さんっ」
ぎこちなくニコリとした俺の顔に、爽やかな一陣の風。
映画のワンシーンのようだ……
と言うのは、なんちゃって嘘ぴょんで、単に川絵さんと俺の二人の間に、駅のホームから独特の匂いのする列車風が、吹いてきているだけである。
川絵さんが、何か怯えたように駅のミラーを覗き込んで身だしなみを確認し始めた。
いや、決して川絵さんの外見や趣味を嗤ったなんてことは、ありませんよ。
「ぶたにん、ほな、行こか。今日は鮫貝君……寺嶋ミロ先生の紹介からやな」
ふうっと軽いため息のようなものをついて、川絵さんは仄暗い階段を上がって太陽系出版社への道を往く。
そのため息のようなものは、俺の新必殺技『ぶたにん2.0』のキレ味の悪さを嘆いたもの?
結果から言うと、そのため息の多くは寺嶋ミロ、その人に向けられていたようだ。いいぞ、自信を持て、俺。
街路の所々に陽だまりのある道すがら、川絵さんは社につく道すがら、済ませておきたい話があるようだ。
「寺嶋ミロ先生って、今日来る子やけど、本名は鮫貝論、去年のサンライトノベル新人賞の四次選考まで行っててん」
「第七回の選考ホームページ、見たけど、そのときって、筆名は使っていなかったんだね」
「寺嶋ミロって、征次編集長が付けた『二編』用の筆名やからな」
「ラノベ新人賞やのに、本格ミステリー『蠱惑の学園生徒会探偵の助手』で第四次選考会まできた時は、ひょっとして大賞かもって言われてたんやけどなあ。結局、カテエラって言われて、四次で沈んでしもうてん」
カテエラとは、カテゴリー・エラーのことで、ライトノベルとしては売れそうにない分野の作品と判断されることを言う。
そもそもライトノベルは、その定義が難しいので、カテゴリー・エラーかどうかギリギリの判断は、レーベルの編集長の胸三寸とも言える。
「実力派の大賞候補だったから、『二編』に採用されたとか?」
「いや、さすがに本格ミステリーはアカンって、そやけど、ラノベ風に書きなおして編集会議に企画書を通すことが出来たらっていう条件で採用になったんや」
「ラノベ風に?」
「そや、謎解きはキャッチーで軽めに、キャラはリアルやなくてテンプレっぽく、まあそんな感じで、五月の編集会議で企画を通すことを条件に書きなおしたんが本格ラノベ調ミステリー『学園生徒会探偵助手 汁耕作』やってん」
「五月の編集会議って、一発で通ったんですか?」
「うん……なんとなく、あざといって言うかな。十一月刊行を狙った五月の会議でちょうど良かったって、そんなこと言うてたらしいことは聞いてるわ」
「え、十一月刊行って狙い目なんですか?」
「そんなんあるかいな。売れやすい月とかあったら、逆に競争が激しくなるわ……ちゃうねん、本人が受験控えてるから十月はなるべく出社したくないとか……ラノベの読者レベルに合わせるのはしんどいとか……自分勝手とは言わへんけど、ちょっと、あの子、ひと言多いねんなあ」
しかし、受験生としては、鮫貝氏の言い分も分からないでもない。
だが、『ぶたにん2.0』を会得した俺の前では、所詮、周囲を気遣うことを知らない、重度のコミュ障を患った哀れな鮫男に違いない。
だから俺は、机を並べて企画書を書くことになったところで、寺嶋某を歯牙にもかけないつもりだった。
しかし、この鮫男、鮫貝論がとんでもない食わせ物であることに、俺は愕然とする羽目に陥る。