第1話 ぶたにんの華麗なる企画書プレゼン
お久しぶりになります。今回で3パート目になります。
さて、2015年も出版業界は紙ベースでは順調に衰退しているようです(コンテンツベースとしての成長と印刷ベースでの減少が輻輳しています)。紙ベースの出版業界の売上高1兆6000億円は、大企業一社の売上に過ぎません(連結売上高84位=大塚HD社以上に相当(未上場含まず))。
この売上高の20%の3200億円で全国書店が、10%の1600億円で全作家、写真家が養われているとすると理解り易いかも知れません(なお、日本のGDPは約500兆円です)。
会社に見立てると、日本の全作家(漫画家)、写真家を1600億円で養うことになります。仮に約10万人として、年収160万円……分母は推計となりますが、一例として漫画のセミプロクラスのコミケ申込サークル数が約5万!、小説家になろうサイト登録者約60万超などから層の厚さは推して知るべしですね。仮に専業プロとして年収平均800万円で2万人とした場合、平均就労年数40年で割ると僅々500人の年間雇用しか生み出しません。
経済規模から見ると、紙ベースの出版業界の将来は衰退老舗企業(しかも、相当ブラック企業……)のそれと同程度のものと言えそうです。
初回の今日は3300文字となりました。どうぞよろしくお願いします。
俺が編集作家、正式には『企画編集 兼 執筆担当』というものになって、二週間が経った。
ケモミミ・ディストピアの企画書を仕上げた俺は、名実ともに作品を企画し作り出すチートな編集作家として、編集会議デビューを果たす時が来たのだ。
川絵さんは言うに及ばず、『二編』征次編集長の折り紙つきの企画書だ。
犬が咥えていても通りそうだが、一応、俺がサンラ編集会議で説明する運びとなった。
編集会議の行われる会議室は二十人近く入れる広めの北館会議室が使われる。
午前中は、直接、日は差さないものの明るく、それなりに快適だ。
十時半に始まる編集会議で、部内連絡事項の次に行われるのが、企画書検討だ。
太陽系出版社では編集会議で通った企画書が営業会議に回され、役員会にかけられるが、実質的なハードルは最初の編集会議になる。編集会議に会議の終了予定時間はない。
大体の作品は編集が意見を述べ合って、三〇分から一時間ほどで最後は採決ではなく、編集長が場の空気を読んで決める。
早速、進行役である副編集長の鷹崎さんが鋭い声を飛ばす。
「続いて企画概要の説明だが、今日最初の企画は、ぶたにん担当、十月刊『ケモミミ!(仮)①』から始める」
俺は、末席で立ち上がり、企画書をベースに企画概要の説明に入る。初っ端の企画書ということもあって、サンラ編集部の面々は静かに聞いてくれている。
資料をひと通り確認した後、俺はケモミミ属性こそが売れるファンタジーだということについて説明に入る。
「……このように、ライトノベルでファンタジー作品がかくも多くの支持を獲得している中で、最近、それらの中でもすみ分けが顕著になってきています。売れるファンタジー、売れないファンタジーの優勝劣敗が明確になってきているのは最近の営業資料からも見て取れます。そして、その分析として属性解析資料をつけています」
鷹崎副編が俺の話に割り込んでくる。
「売れる属性?」
「はい、ファンタジーの中でも、どの要素を楽しむのかによる属性と呼ぶべきものがあり、その属性は流動的です。魔法だったり、異世界チートだったり、自衛隊だったり、そして、いま、最大属性を誇るのがケモナーです」
会議室がざわつく。ケモナーというのも、古くて新しい言葉だから無理も無い。
鷹崎副編もさすがに気色ばんで言う。
「ケモナー……なのか?」
「はい、一〇年代のラノベを語るにはケモナーを外すのは邪道です。特に、ケモナーは愛玩動物の猫などのネコミミグッズなどを通じて拡大を続けており、その破壊力は際立っていることがお理解りになるかと思います」
「ほう、これは営業部資料か」
「……はい、読者アンケートの購買動機についてキーワード親和性から、五十以上の属性に分岐させましたが、一〇〇〇万ラノベ読者層のうち、実に五人に一人がコアなケモナーと推測されます」
「想定読者は二〇〇万と……」
嘲笑とも、納得ともつかない言葉が、どこからともなく漏れるが俺は屈しない。
「しかも、ケモナーの共通項はヒロインがケモミミを有することで支持が高まることが分かっています。しかし、ここ二年間のサンラを含むライトノベルレーベルから、ケモミミヒロインに焦点を当てて刊行されたラノベはレーベル二百五十五点中二十一点と一割に満たないのです。そのうち、肝心の文中にケモミミ表現が出てこない仮性ケモミミ作品を除くとホンモノは三点に過ぎません」
俺は資料を一枚めくりながら訴求する。
「ちなみに、この三点の返品率は五パーセント以下と際立って低くなっています。無論、重版されています。他のレーベルを見ますと全て合わせて百二十二点ですが、実際にホンモノのケモミミ本は十二点でした。現状、ケモナーは飢えた豚です。過当競争のファンタジー分野にあって、ケモミミはブルーオーシャンと言っても過言ではありません」
「それなら、なぜ、他社からケモミミ作品の類書が出ないんだ」
「そうだ、ケモミミニーズは営業会議でも出ていないぞ」
ざわつく編集会議を俺の声が制する。
「ケモミミの類書、仮性ケモミミ作品が出ていましたが、こうした類書は、本格的にケモミミに向き合おうとせず、多くのケモミミストをイラスト詐欺の惨禍に晒してきました。類書の中に偽書が多いのもケモミミ作品の特徴なのです」
「偽書?」
「そうです。とりあえず、ケモミミの女の子をイラストに出しておけば良いんじゃないか、といった安易なケモミミ要素の取り込みです。しかし、ケモミミには成り立ちと格式、動かす仕草から鑑賞法まで、細かい設定があるのです。それを極限状況とも言えるディストピア環境で紡ぎ上げたのが『ケモミミ!』です」
ここで、これまで黙っていた編集者から不規則発言が相次ぐ。
サンラ文庫ではワイガヤと言って、会議でのこうした不規則発言は奨励されていたりする。
「今さら、四文字タイトルか」
「おぃおぃ、安易だし、陳腐じゃないか?」
しかし、俺は、予想した二百五十通りの反駁パターンを参考にして、有効な反論の言を差していく。
「いえ、拘るつもりはありませんが、元祖であることのアピールになるかと思います。また、真似されやすいことについても、敢えて狙っています。本作が世に出たあと、他社の追随が予測されますので陳腐かもしれませんが、タイトルは奇をてらうことなくストレートに訴求するのがシンプル・イズ・ベストだと思います」
これまで、一切会議に口を挟まなかった政一編集長が尋ねる。
「鷹崎。MD、レーベル、トータルで見て十月はどうなんだ?」
「幸いうちのレーベルでの被りも無さそうですし、十月刊の他社ラインナップを見ても、ビッグタイトルは連撃文庫の『荒川クリスティの事件簿⑫』ぐらいですね。見方にもよりますが、チャンスではあります」
予想なのか、デマなのか。
確度は分からないが、いろんな情報を加味して議事は進行していく。
「よし、特に反対意見が無ければ、十月刊で『ケモミミ!(仮)①』の企画を進めることにするが、言い足りないヤツはいるか?」
見渡したところ、もう反対意見を述べるような状況ではないようだ。
「編集長、『二編』作品ですので制作担当ギメをしないといけませんが……」
鷹崎副編の声に応えて、政一編集長がリストを見ながら言う。
「おい、蟹江、担当まだ余裕あるだろう」
「……」
俺が思わず絶句してしまうのも無理はない。売れるものも売れなくなるのが制作編集のおそろしいところだ。
編集の不手際によって、危うくテロ親父のバイブルに仕上がったケモミミ本を、俺は頭の片隅で覚えている。
「えぇっ、蟹江さんだけは待ってくださいよ……どうして? ……なんで? ……どうして?」
「起きなさい、あーくん? 起きなさい」
「なんで? ……なんで? ……どうして?」
「会社に遅れちゃうでしょう、起きなさい」
三月二十二日、連休明けの平日朝の八時過ぎ、俺の母親は、冷静にそう指摘する。
川絵さんと待ち合わせをしている日は決まって悪い夢を見てしまうのは、なぜだろうか。
以前、寺嶋ミロ先生の話が出た時に、川絵さんから出された指示はこうだ。
「寺嶋先生が出てくる予定が連休明けの二十二日やから、その日までにぶたにんも一通り企画書、仕上げといてや。分からんことがあったら、遠慮なく聞いてくれていいから」
話によると、渡された企画書には、いろいろ書く欄はあるが、つまるところ重要なのは、『書名』と『企画概要』らしい。
他にも、本編冒頭部分を十頁以上、シノプシスを千字以内で、続刊の展開について、というものも作らなければならない。
しかし、俺の場合、作品は既に書き上げて目の前にある。
正に珠玉の原稿であり、もう削る余地も加える部分もないまでに仕上げてある。
俺の場合、重要なのは、いかに編集会議を通すかではなく、いかにベストセラーにするかなのだ。
俺の脳内では、五月の編集会議でデビュー決定、十月に処女作『ケモミミ!(仮)①』を不朽のミリオンセラーにするところまで、余すところなく計算済みだ。
ちなみに、ラノベのミリオンは複数巻で達成するもので、単巻ミリオンなど夢のまた夢であることは以前、調査済みだが、ボケた頭からは飛んでいる。
俺には、自分に不都合な情報は捨象するという基本動作だけは身についているのだ。
大丈夫なのか、俺。
Special Thanks to 桐生たまま様 『荒川クリスティの事件簿』
"http://ncode.syosetu.com/s6486c/"(2016年4月現在シリーズ4作)
『荒川クリスティーの事件簿 ―羊たちのもふもふ―』
『荒川クリスティーの事件簿2 ―あくまで手毬唄―』
『三毛ひよこの備忘録 ー彼方からの手紙ー』
『執事佐久間の事件簿 ―誰かがうちにやってくる―』