第2話 ぶたにん、編集長に会う
神保町の駅からほど近く、驚くほどこじんまりとした社屋に太陽系出版社はあった。
最近でこそライトノベルで、そこそこのレーベルとして知られるようになっているが、もとは百科事典とジュブナイルが主力だったらしい。
ビルは古く見えるが、入り口は清潔で受付には女性がいる。
俺は緊張しながらドアを押して入る。とりあえず、受付の女性に自分の名前を告げて、四霧鵺編集長の名前と用件を言おう。頑張れ、俺。
しかし、いざとなると緊張して上手く言えないものだ。
「あ、あの……すいません……四霧鵺征次サンから、その、言われて来ました。あ、俺、われは武谷です」
噛みまくりの、キョドりまくり。不審者丸出しじゃないか、俺。
ワレって何時代なの? わたしが言えないって緊張しすぎでしょう。
でも、受付のお姉さまは優しい女神様のように微笑んで処理してくれる。
「はい、お伺いしてますよ。第二編集部編集長の四霧鵺征次ですね。間もなく参りますので、あちらにおかけになってお待ちください」
コクンコクンと頷いて、俺は話が通じただけでもホッとして、入口横の長椅子に掛ける。
待たされる間にロビーを眺めていると、さすが小なりとはいえ出版社、かなりの人の出入りがある。
その中に「猪又」と言う珍しいネームカードをぶら下げた人がいたので、連れの人もいたようだが、俺はお礼だけでもと声を掛けた。
「あの……今日電話くれた、猪又さんっすよね。有り難うございます。し……新人の武谷です」
「……タケタニ、タケタニ、あぁ、あのケモミミディストピアの先生かな……ええと、どうして君がここに来ているの?」
「いえ、あの後、四霧鵺編集長から電話があったんす。今日、来れないかって」
「え? ウチの四霧鵺が……いったい、どうして君を……」
猪又さんと俺が話しこもうとしているのを見ていた連れの、高そうなブランド品のコートを着た、身だしなみの良い作家と思しき人がキレ気味に声を荒げる。
「猪さんっ、時間いいんですか? 帰っちゃいますよ、ボク」
「あぁ、隼鷹先生、スイマセン。今すぐ」
隼鷹ヒヨウ氏と言えば、確か三年前の太陽ラノベ新人賞の入選作家で、今、二作目の『舟これ!』シリーズのラノベ作品を出している先輩作家だ。
なんだか、隼鷹氏の話し方と態度が鼻についたが、割って入ったのは俺の方なので、遠慮して猪又さんを解放する。
「あの、もう受付で言いましたんで、いいっすよ」
「そ、そうなの。それじゃあ、また授賞式の日に会おう」
猪又さんは、何か、煮え切らないような感じで、連れの隼鷹氏とオフィスの階段を上がっていく。
そして、一頻り時間が経った頃、一人の三十代後半から四十代と思しき黄色のタートルネックのセーターにチノパンというラフな格好の中肉中背の男性が、若い女性を連れて受付に現れた。
男性の髪型は男にしては長髪で、まるでヘルメットを被っているかのようにセットされている。
一方の女性の方はスポーティなお洒落な格好で、化粧っ気が無いせいか俺と年が近いように見える。
「遅くなってすまない、馬丘先生。いや、受賞式までは武谷さんでいいのかな。二編の四霧鵺です。会議室をとってますので、こちらにお越しください」
俺は、勧められるままに一階の受付奥に通され、テーブルに六つ椅子の置かれた小さな会議室に入る。そこで向き直った編集長は、柔らかい物腰で名刺を俺に差し出した。
「どうも、第二編集部、編集長の四霧鵺征次です」
名刺を渡され、始めて出版社の人らしいというのを実感する。この人は『コミック学習局』の『第二編集部』っていうところの編集長らしい。名刺のスペースにはキャラ絵と『サンライトノベルは毎月二十五日発売』というロゴが踊っている。
「こちらは、編集の鵜野目川絵君だ」
「えぇと、嘱託の鵜野目川絵です。川絵でいいわよ、センセ!」
「そういえば川絵は17才だから武谷さんと同い年ってことか、まあ、そんな話はさておいて椅子にかけてください」
鵜野目川絵さんから差し出された名刺には同じ所属で「嘱託編集」と書いてある。俺は、その名刺をどうして良いのかわからないまま両手に握って、勧められるまま奥の席につく。
話の口火を切ったのは、ヘルメットの編集長だ。
「最終選考で『ケモミミ、テロ父、エルロワ基地にて』を読ませてもらったよ。独特のハードSFの世界だねぇ、あれは。そこにダーク・ファンタジーを、これでもかというぐらいに突っ込んであって選考会でも評判だったよ……」
え? 俺、いま、編集長から褒められているの。これってどうなの。本当に凄いってことだよね。もう、このままデビューしろってことだよね、分かってはいたけどさ。
「あ、有り難うございます」
「白い夜、光の軍隊、漆黒の花、伏線もうまくまとまってるし、ラストもダークファンタジーらしい、シニカルな引き方だ。ストーリーも途中で緩むところ無くテンポもいい」
なんなんだろう。ここまで偉い人に褒められると、俺はどうして大賞では無かったのか、聞きたくなってしまう誘惑に駆られる。
「で、でも、俺のは、大賞じゃないんですよね」
「ああ、大賞はねぇ……あれは下らん作品だったよ。剣と魔法の王道ファンタジーの群像劇だ。いろんな要素が入っていて売りやすかろうと、私も一票入れたがね……あれは大変だよ」
「大変って、ど、どういうことですか?」
「大賞ともなるとうちの看板だからね。盗作や窃用なんかのチェックをかけるんだけど……あれ、二十はキャラがいたんじゃないかな?」
「二十人も?」
「ああ、話も短編連作型でつないであるからエピソードの独立性が強い。そうすると、部分的に似てるとか、このキャラはパクリだとか、いろいろ出るんだ。少なくとも大賞作品は編集部全員で読んでチェックするから丸々盗作は無いにしても、一部盗用が出ると編集部は何をしていたんだと言われるからねぇ」
「そういうことですか……」
「でも、うちの抱えている作家さんでそう言う壮大なストーリーを組める人が少ないから、強化したかったところに、うってつけの作品がハマったって感じだね」
「編集長が下らんと言っても大賞なんですか?」
「おいおい、私は、二編の編集長だからね」
少し笑いを堪えるようにしている四霧鵺編集長の『二編』の言葉の意味が分からなかったが、業界用語か何かと思って話の続きを聞く。
「ちなみに、編集長は新人賞の審査には入らないんだ。担当編集と特別審査員の先生が実質の審査をやって、その議長役みたいなのを務めるだけだよ。だから、編集長が下らんと言っても、編集が欲しいと言えば無碍には出来ない。あと、大賞を最終四次まで上がってくる作品は大体、どれも面白いんだ。欠点はあるけれど……」
「欠点なんてあるんですか?」
「無いと思うかい?」
「俺の作品には、多分、無いと思うから……」
「公表日まで他言無用でお願いしたいんだが、大賞に次ぐ入選は機械オタクの書いたスチームパンク、佳作が異世界学園ファンタジー、選外佳作が君のケモミミディストピア。この順位付けは欠点の少ない順といって差し支えない。君には不満でも、私は審査結果に満足しているし、ウチの編集部内でも異論はない」
俺は、選外という言葉に軽いショックを覚えつつ言葉を続ける。
とにかく、ギリギリまで推敲した、あの夏の三ヶ月を無駄にしたくない。いや、中学に入ってからこれまで五年間書いてきた小説を否定されたくない。
「どうして俺が、選外佳作なんですか? 悪いところがあったら書き直しますから言って下さい」
しかし、そんな問題ではなかったんだと、俺は後で納得させられることになる。