第12話 鶫野廻の本気
今日は「制作編集」についての概略です。およそ、同時進行するものが多いですので、スケジュール通り、企画通りに進めるためには編集者の力量が問われます。
⑥執筆者・イラストレーターに発注を行い契約書を締結する。
⑦締切までに原稿を受領し、通し読みの上、疑問点を執筆者に訊く(原稿整理)。
⑧本文とイラスト以外の図版原稿(罫線・表組み・あとがきなど)を揃える。
⑨DTPデザインを通した上で、印刷所に入稿。印刷スケジュールをアップ。
⑩初校ゲラの校正、明らかな誤字脱字を校正の上、著者校正。
⑪再校をアップし、校正の上、三校で全ての修正を終える。必要なら念校も。
⑫引用について著作権の抵触等を検討し必要ならば処理する。
⑬広告宣伝媒体に乗せる。パンフ、チラシ等の検討。
⑭カバーイメージをデザイナーに発注、色校を見て、装幀案を会議で検討。
⑮帯作成(作家に依頼する場合は発注)。
⑯つきもの(売上カード、付録、読者カードなど)作成。
⑰奥付後の自社広告について検討。
⑱広告コピーを作成、書評対策(見本書送付)を行う。
以上、紙の書籍を発行するためには、かなりの労力が費やされます。
さて、本日は3700字となりました。どうぞよろしくお願いいたします。
目の前を星が回るというのは、一般に脳貧血の兆候らしいのだが、俺の場合は川絵さんの靴がその原因と見て間違いない。
一瞬、ノビていた俺は、ズキズキ痛みの走る頭を抱えて起き上がる。
「あ、痛た……」
どうにか痛みをこらえて起き上がる俺に、川絵さんは手厳しい。
「あんたが先に起き上がってどうすんの」
いや、俺が起き上がらなかったら、川絵さん、大変なことになるんじゃ……
俺は靴で頭を殴る蛮行に、抗議をしようと思ったが、今は動かなくなっているメグさんのほうが気になる。
メグさんはうーんと、唸っていたかと思うと、いきなり、その場で崩れ落ちる。
「メグさん? メグさん?」
川絵さんは、俺には目もくれずにメグさんのほうに手を伸ばす。
色を失ったメグさんの顔は、罪のない無垢な青少年の俺まで心配させる。
グッタリとしたメグさんを引き起こすべく上体に肩を入れて支えている川絵さんが言う。
「ちょっと、下のフロントに行って、コンシェルジュの人に状況を伝えて来てくれへん? メグさん、横にせんと、どうしようもないで。なんとか家の鍵を開けてもらわれへんか聞いてきて」
それを聞いて俺は、非常事態の中にありながらも、再び『人気ラノベ作家の突撃お宅訪問』が叶うかと思いつつ、エレベーターで下に降りる。
フロントには女性のコンシェルジュが一人だけだ。俺は、有無をいわさず用件を告げる。
「す、すみません。二四〇三号室の鍵を下さいっ……」
ちょっと単刀直入すぎたのか、コンシェルジュの女性は、明らかに不審者を改めるような目付きでこちらを見ている。
「あいにく、入居者様の鍵は、こちらでは預かっておりませんが、何かございましたか?」
俺がやむなく事情を話すと、コンシェルジュの女性はゲストラウンジまで一緒に来てくれた上、メグさんが倒れているのを確認すると、急いで同じフロアにある寝室のみのワンルームのゲストルームへとメグさんを運んでくれた。
ゲストルームに運ばれる途中で、メグさんはうなされながら、唐突に、そこにはいない編集長や、俺たちにまで謝りはじめる。
「……も、申し訳ありません、編集長。茶烏さんは、私が説得しますから」
「……川絵さん、ごめんなさい。チラシ原稿できていません」
「……ぶたにん君、すみません。コーヒー牛乳を買ってきて」
それにしても、なんで俺だけパシリなの?
なんだか、俺はメグさんが壊れたような気がして心配になる。
誰だよ、こんな非道いことをしたのはって、原因は俺なのか?
幸いコンシェルジュの女性は、メグさんの顔を見知っているようで、入居者用のゲストルームキーの貸出の手続きをしてくれる。
平日昼間のタワーマンションに出入りするのは、老人と、作家と、不審者だけらしい……って最後は、俺のことなの?
「ゲストルームは明日の朝十時まで利用できますので、利用が終わりましたら、施錠して、鍵は、こちらの封筒に入れてフロント前のボックスに投函しておいて下さい」
川絵さんが鍵の受領書にサインをすると、大きな音を立てないよう気遣いながら出て行った。
二〇階の北東角に位置するゲストルームは、なかなかに上品な室内で、広さもダブルサイズのベッドと書斎デスクとテレビ台を置いて、まだ十分に余裕のある広さだ。
そうした中、ベッドですうすうと寝息を立てているメグさんは、子供のようでなんだか可愛く見えてしまう。
うん、あと十歳若くて、もう少し身体に凹凸があれば、結婚相手として考えなくもないのだが……などと禁断の妄想に思いを馳せる。
俺が真剣に、邪な考えをしていると、川絵さんが書斎机の椅子に腰掛けて言う。
「あんたがしょうもないこと言うから、メグさん、ショックで寝込んでしもうてるやんか。なんで、いきなり追い詰めるようなこと言うん?」
「お、俺は、川絵さんが言いにくそうにしているから、助けようと思って……」
「いきなりメグさんにあんなこと言うてもうたら、こうなることぐらい分かるやろっ」
いや、結局、言うことを言えば、こうなっていたんじゃないだろうか。
俺は、不満を抱えながら川絵さんに言う。
「それじゃあ、どうすりゃ良かったんだよ?」
そう言うと、川絵さんは深い溜息をついて言う。
「そんなん、いまさら考えたってしゃあないやん……とりあえず、昼も近いし、駅前のコンビニで昼ごはん調達してきて」
確かに、もう、時計は十一時半になろうとしている。
「川絵さんは……蕎麦で?」
「いや、コンビニの蕎麦は不味いから、ふつうの弁当でいいわ」
「ふ、ふつうって……沢庵?」
「なんで、ふつうが沢庵なんよ。適当に、何でも良いから買ってきて。メグさんの分も忘れずに、三つやで」
俺は、三食分の『適当な』昼食の調達を命じられると、札を渡されて駅の方に向かう。
しかし、イマドキのコンビニは昼時になると三十種類以上の選択肢を用意して、客を待ち構えているのだ。
無計画に『適当に』などと指示されると、途方に暮れることになる。
俺は、ひたすら『適当な』選択肢を探していると、目の前に『おにぎり弁当』という、適当な選択肢が与えられる。
おにぎりが二つに高菜漬けと沢庵が入っていて、川絵さんの生き様をそのまま切り取ったかのようだ。
俺は、川絵さんに『おにぎり弁当』、メグさんと俺に『上幕の内弁当』を買う。当然、烏龍茶を三本買うのは忘れない。
戻ってきてゲストルームの扉を開くと、川絵さんがメグさんが持ってきた書類の束を整理をしている。
「ああ、ぶたにん、お疲れ。レシートとお釣りは返してや」
どうやら、チップ制度は鵜野目家には普及していないようだ。
釣り銭とレシートを出すと、川絵さんは俺をベッドサイドの書斎机まで招いて言う。
「ちょっと、見てみ。これ、何やと思う?」
脇に置かれた書類の束を見てみると『昨日の旅』のプロットのようだ。しかも、異様に書き込みが細かい。
内容を見ると『昨日の旅 十四巻〜略奪の時間〜』のプロットだ。確か、十字軍の遠征がテーマになっている。
他にも、十五巻〜退却十字騎士の時間〜、十六巻〜断頭台の時間〜と未発売巻のプロットがあって、容赦なく俺の興味を掻き立てる。
「……これは茶烏龍さんのプロットじゃ?」
「違うねんなあ、それはメグさんの字やねん。ほら、これ」
次に渡された紙には、ミミズ象形文字の中に『出会い』とか『成長』とかが矢印とともに書かれている。
「そして、このミミズみたいな字が、多分、茶烏龍さんの字やで」
恐るべし、茶烏龍氏。書きたくない相手へのプロットになると、ここまで汚い字になるのか。
おそらく、俺へのプロットなどはミミズ以下、ミジンコみたいな文字で提供されるに違いない。
その時には、川絵さんに解読をお願いしよう。
おれが思っていると、川絵さんは問わず語りに言葉を紡ぐ。
「見てみ。プロットを展開して、しっかり肉付けして丁寧に書いてるのが、これ見ても分かるやん。しかも、こっちには新巻のテーマが細かく書き出してあんねんで、これで、メグさんが『昨日の旅』を書きたくない訳じゃないって分かるやろ?」
差し出された便箋には、『三月八日新巻打ち合わせ用テーマ』と書いてあり、おそらくはナポレオンの歩んだ歴史と、どの部分が『昨日の旅』の舞台に合うかを事細かに書き出してある。
昨晩はこれを書き出すのに徹夜でもしたのだろうか。
目の下にだけアイシャドウなんて、妙なお洒落をするはずのないメグさんにはありえない。おそらく目の下にあったのは、寝不足によるクマだろう。
そんなに書きたいなら、どうして俺に書けなんて、思わせぶりなこと言うんだよぅ。
いや、そうじゃないのか……俺はここで圧倒的閃きを得る。
「川絵さん、これを持ってきたのはメグさんが最後の力を振り絞って、俺へ引き継ぎをするためでは……」
俺の前頭葉上部で、パーンと乾いた音がする。さっきのパンプスに続いて、次は室内用スリッパが俺の頭を襲ったようだ。
「何を言うとんねん。男性の参考意見要員が」
上司川絵のきついリアクションに耐えながら、茶烏龍氏のプロットもミミズ文字ながらによく出来ているのを確認する。
キャラの登場、事件の発生、フラグ立ちと回収、そして物語のピークへの持って行き方、最後のオチまで、キレイに書かれている。
俺は感嘆しながら、川絵さんに言う。
「茶烏龍さん、どうして新しいプロットを書かないんですか? ひょっとして実は、二人、仲悪いんじゃ……」
「そんなこと、本人に訊かな理解れへんわ」
俺と川絵さんが議論していると、俺のすぐ後ろで、寝ていたはずのメグさんがユラリと上体だけ起こす。
そして、いきなり俺の手を取り、抱き寄せる。
川絵さんは何が起きたのか信じられないような目付きで事態の推移を見守っている。
俺は両手を竦めたまま、なすがままに、メグさんの胸の辺りに顔を埋める。
「……ちゃうぅさん。大好き」
メグさんは幸せそうに、そう言うと、俺をリリースして、ふたたび床につくと今度は寝息を立てて深い眠りに入っていった。