第11話 ぶたにん、決勝ホームラン!?
編集のお仕事は、大きく分けて「企画編集」と「制作編集」の二つになります。
企画編集は、企画書を作成し編集会議に提出することですが、単純ではありません。
①マーケットを分析し、読者対象と企画テーマの切り口を検討します。
②類書や近著、関連書を読破します。執筆者が決まっていればその著書も読破します。
③執筆者と協力して企画テーマを掘り下げ、プロットと書き出しを上げてもらいます。
④ラノベでは一巻のプロットと次巻以降の展開を付けることは必須となります。
⑤企画書にまとめ上げ、編集会議で了承を得て、営業会議等で決裁を経たのちに執筆者に発注を出します(以下の工程、制作編集は次回に)。
本日は4000字となってしまいました。どうぞ、よろしくお願いいたします。
俺は川絵さんが差し出すスマホを見てメグさんのメールを確認する。
[川絵さん、さっきはごめんなさい。あと、メールしてくれてアリガト。私も相談したいことがあります。明日は午前中なら家にいます。男性の意見も聞いてみたいので、ぶたにん君も良かったら一緒に連れて来て下さい。 =メグ=]
男性代表の俺の意見を聞きたい相談ってなんだろう。
俺は、激しく戸惑う。
そして、スマホをしまった川絵さんが言う。
「メグさんなあ。ホンマにプロットだけが理由なんやろか?」
どうして、そんな不吉なことを言うんだろう。
俺は川絵さんのほうに目線を移すと、川絵さんは言い訳でもするかのように言う。
「ちゃうねん、多分、茶烏さんにプロットを書いてもらったら解決なんやろうと思うし、男性の意見が聞きたいって言うのも、『昨日の旅』が男性向けのラノベやからやと思うねん。……でもな、この前、こんなことがあってん」
聞くところによると、先月二月に、六月刊行の『昨日の旅⑰』のチラシの打ち合わせの席上、こんなことがあったそうだ。
「五月の連休前からチラシとポスターを切り替えて、十七巻を押していくでって言うたら、メグさん、シュリーンとか言うて黙ってしもてな。なんでって私が聞いたら、メグさん肩落として、五月五日で二十八歳になんねん、て言いはるねんやん」
さて、どこに話のポイントがあるのか、俺にはサッパリ分からない。
二十七歳のメグさんが、次に二十八歳になるのは当たり前だ。
それとも、いきなり二十九歳になれないことに、不満でもあるのだろうか。
作家の世界は奥が深過ぎて、俺にはさっぱり理解できない。
そんな話に痺れを切らして、思わず口に出す。
「だから、何が言いたいの?」
川絵さんは、言いにくそうに口を尖らせながら、あさっての方向を向いて喋る。
「そんなん、女子が三十前に慌てる話題って一つしかないやん……ほら、『け』で始まって、『ん』で終わるヤツ」
俺はすぐに『決勝ホームラン』を思いついたが、さすがに違うだろう。
第一、女子には余り関係ない。
次に思いついたのは『ケリュケイオン』で、その次が『遣隋使小野妹子殺人事件』だが、最後は連撃文庫の桐生たまま先生の同人時代の作品で、俺のお気に入りだ。
け……ん、け……ん。アラサー女子もびっくりのって、何なんだろう。
そんな俺を、翻弄するかのように川絵さんは言う。
「なっ、理解るやろ? 焦るもんやねんって」
『け』ではじまって『ん』で終わる、女性に焦りをもたらすもの……そう言えば、俺の高一のときの黒歴史創作の中にそれをテーマにしたSF小説があった。
俺も生物の教科書で初めて見て、深く考えさせられたものだ。
「川絵さん、それって、結構深刻だよね」
「せやねん、恋愛小説まで書いてるメグさんが、全然らしくないねんけどなあ」
その言葉に、俺は確信を持って正解に近づく。
「に、に、妊娠って重要な問題だから悩むよな」
「えっ、あんた、いきなり妊娠なん? また、変なこと考えてるん違うやろうね」
なぜか、俺のほうを見る川絵さんの顔が、耳まで赤い。
妊娠ってそんなに恥ずかしいことなのか? 俺は意外感でいっぱいだ。
「え、『血液型不適合妊娠』じゃないんですか」
「……違う、『けっこん』や、あほぶた」
あ・ほ・ぶ・た……
果たして、そこまで厳に責められるような誤りなのだろうか。
俺は悲憤を抑えながら最後の力を振り絞って大事なことを訊いておく。
「……メグさん、結婚を考えてるとか?」
「あんたなあ、相手もおらんのにどうやって結婚すんねん。ちゃうちゃう。メグさんが小説書くのをやめて、本気で婚活を始めたいと思ってたら、私らのやってた茶烏さん釣り出し作戦も意味が無いなあって、そう思っただけや」
俺は傷心が激しく、恋愛も書きこなすライトノベル作家、鶫野廻さんの婚活事情を訊く元気は、もう残されていなかった。
山手線ホームへの階段を降りる前に、明日の十時に月島駅集合だけを確認して、俺は帰路につく。
家に帰るともう九時半を回っていた。
母は、玄関まで出迎えてくれて、初出勤お疲れさま、と言うと食事か風呂かなどと訊かれて、俺は戸惑う。
これまでは、リビングから怒鳴るような指示が来るだけだったのだが、何かあったのだろうか。
俺がリビングに行くと、今日の晩御飯にもう一品、赤飯が炊いて添えられている。
「あーくん、おめでとう」
ちょっと待て。俺は、今日、確かに太陽系出版社に出社した。
しかし、出社初日にして採用部署の第二編集部は存亡の危機で、俺は懲戒解雇寸前なのだ。めでたいことは何もない。
母親からおめでとうと言われても、俺は状況と心境の半端ない違和感に戸惑う。
「どうだ、新樹、会社に優しい先輩とかは、いそうか?」
父親から尋ねられて、俺の偽乳を弄るトンデモな編集を思い出す。まあ、偽乳を下げてる俺も俺なのだが。
その上、関西弁で痛烈に罵る上司の存在に至っては、言及するのも憚られる。
結局、俺の答は冴えないこの言葉に集約される。
「別に……」
家中の浮ついた空気を一掃し、話題をそこに向けさせない、そんな力のある言葉だ。
それでも、両親というのは有りがたいもので、こんな俺に健気にも話しかけてくる。
「あーくんは、今日はどんな仕事をしたの?」
「編集長や人気作家の人と話をして、放送作家の人や、構成作家の人と会って……」
「へえ、すごいじゃない。でもね、あーくん、変なこと教えられても、駄目なことはちゃんと断るのよ」
やはり女装は断るべきだったかな。
俺は、チラッとスマホの女装写真を見ながら思い返す。
しかし、化けたぶたにんも、なかなかに可愛いくて感動ものだった……いや、そうじゃない。
次は断ろう、と俺は思い直す。
「あーくん、何スマホ見てニヤけてるの? ちょっと見せなさい」
そ、それは、無理です。なんで、俺、家でも責められるんだろう。
俺は、その後、必死のディフェンスに転じて、なにかの日本代表チームのように、辛くもスコアレスドローで、ディナータイムの魔の時間帯を切り抜ける。
翌朝、午前十時前に月島の駅に着くと改札口でちょうど川絵さんと合流する。
俺は、昨日の教訓を今日に活かす。
即ち、川絵さんと目を合わせず、なるべく抑揚をつけずに小声でこう言うのだ。
「おはようございます」
「……ぶたにん、おはよう。なんや、えらい元気ないなあ。出社早々、リストラにでも、遭うたみたいやな」
冗談のキツイ、上司川絵さんに俺は驚かされる。
でも、よく考えれば、川絵さんは出入りしている得意先を一つ失うだけ。
受けるダメージは、関係者の中では一番軽そうだ。
それに引き換え、俺は解雇なのか……朝から鬱陶しい気分にまとわりつかれる。
うなだれながら地上に向かう階段を上がると、今度は、どんより曇った精彩を欠く風景の中を、メグさんのマンションを目指して歩いて行く。
その途中で、川絵さんがニヤリとして俺に言う。
「それより見てみ、茶烏さんからメール来たで」
俺は、川絵さんのスマホを覗きこむ。とても簡素なメールで、件名だけだ。
[【至急】二編に入った新人の子のプロフ送って: 〜茶烏龍〜]
「何が至急やねんと思いながら、馬丘センセのプロフィールの性別を消して、最後に『純朴なので手出しは禁止。あと、大きすぎて肩凝るらしいねん……羨ましいわ』って書いて送ったら、今度は写真送ったジーメールの方に返信があってん」
ジーメールの偽造アドレスkumokawaii2000@に来ているメールはこんな文面だった。
[雲さん、初めまして茶烏です。友人の何人かからと、鵜野目さんから前途有望な君の評判は聞いています。私の多忙なスケジュールが、運命的に三月八日だけ、沖縄羽田のフライト後で空いています。午後四時には神保町に着きますが、二編に顔を出すとただでさえ忙しい私の手帳が更に予定で埋まってしまいます。今だと、ちょうどラノベ一冊分のプロットを請け負えるぐらいの余裕ならできそうですので、神保町駅の壽ビル喫茶店タカノで、二人で打ち合わせをしましょう。 〜茶烏龍〜]
俺は、二つの文面を見比べて、茶烏龍さんの二重人格障害まで疑いかけた。
「茶烏さんって、人によってガラッと態度が変わるとか?」
「言うたやろ、清楚で巨乳がタイプやって。あと肉食系っていうか、モロ肉食人種やから要注意や。もちろん、メールには打合せ、喜んでお願いしますって返信しといたけどな」
「えっ、まさか、俺、またアレをやるの?」
川絵さんは俺のほうを向いて、しみじみと訊く。
「それはないけど……あんたホントは、やりたいん?」
俺は、薄い目をクワッと見開いて、ぶるんぶるんと首を左右に振る。
それは、御免被ります。昨日のことは記憶にございません。
「今日は化けんでもええで、敵が壽ビルまで来てくれるんやったら、征次編集長を連れて行った方が説得できそうや」
俺は、その言葉にホッとする。
メグさんのタワーマンションにつくと、俺たちは二〇階のゲストラウンジに通される。
メグさんの衣装は昨日とニットシャツの色がピンクに変わっただけで、まったくブレがない。
何と言うか、メグさんって、俺並みに、私服を持っていないんじゃないだろうか。
あと、目の下にできている影のようなものは、昨日のアイシャドウだろうか。
メグさんは、小脇に書類の束を抱えている。
開口一番、川絵さんが平謝りに謝る。
「メグさん、すいません。どうしても編集長が様子見てこいってうるさくって」
「ピピーン、仕方ないよね。『昨日の旅』を書けないなんて言い出した私が悪いんだから……で、編集長はなんて言っているの?」
「え、うーん、いや、何て言うか……」
上司川絵さんが手こずっているようなので、部下の俺としては手助けをせずにいられない。
俺は、椅子から身を乗り出して言う。
「へ、編集長は、書けないなら『昨日の旅』の最終話の企画と、退職届をもらって来いって言ってました」
「ぐっ……」
メグさんは、まるで生ける屍のようになって、暫らく動かなくなった。
俺は、上司川絵のパンプスで強かに頭を打たれ、暫らく動けなくなった。