第9話 花のぶたにん?文壇デビュー
出版業界のあらましについて纏めてみました、大概これで知ったつもりになれます。
(※効用には個人差があります)
日本の出版社数はおおよそ3600社と言われます(内9割が東京都内です)。
出版と書店を結ぶのが取次で、トーハン、日販の2社で7割以上を占めます。
そして、小売の窓口となる書店(外商除く)の数は減りに減って11000店舗を割ったようです。ただ、この中でも大・中規模以上は5000店弱と更に少なくなります。
作中、サンライトノベルのミニマムロットを12000部としていますが、これでは、地方中規模店には配本されません。
大手のライトノベルでも、発売日にボリューム陳列されているのは、ブロック中核都市の大規模書店だけで、地方書店には配本すらされないのが実態です(痛い痛い)。
本日は3600文字です。どうぞよろしくお願いいたします。
顔面の基礎工事が粛々と進む中、いつ知れず、疲れていた俺はウトウトとしてしまったようだった。
そのうち、ギリギリと川絵さんに瞼を強制開放させられるに及んで、ようやく、我に返る。
「か、川絵さん。なんで俺の瞼をこじ開けようと?」
「あ、起きてるんや。そしたら、ちゃんと上むいてや。やっぱり目、瞑られるとコンタクトが入れにくくてしゃあないわ」
あの、人が寝ている間に、コンタクトレンズなんて入れないで下さいよ。そもそも、寝ている時、人間の瞳は上を向いているため、瞼を剥いたところで白目しか出ない。
……てか、瞼をこじ開けておいて、あ、起きてるんや、は無いでしょう。
俺は、顔面工事の進捗状況が気になって仕方がないが、俺の上には川絵さんと美容師のミキさんが重なるように覆いかぶさっており、鏡を確認する隙がない。
上を向いて目を開けると、ぼやけた視界の中、川絵さんがニヤリと笑いながらカラーコンタクトレンズ(黒瞳拡大用)を放り込み、出た涙をティッシュペーパーで手早く拭き取るミキさんの見事な連携プレーが繰り広げられる。
「いやぁ、化けるもんやなあ」
「それでは、ウィッグも整えますね」
ミキさんが専用のスプレーでウィッグの髪を解いて、背中の肩甲骨まで隠す程度のロングヘアを前後に分けて整える。
ようやく開いた視界の前に、黒髪のロングヘアの結構な美少女がいるのは気のせいだろうか。
黒目が大きく、目元がパッチリしているところの盛り過ぎ感を割り引いても、なかなかの顔立ちの持ち主と思わせる。
ピンキッシュな口紅は透明感と光沢があって、肌と唇の境界が不鮮明ながら、プルンとした弾力のある口元を演出している。
俺は瞬きをすると、それに応じて鏡の中の美少女も瞬きをする。一重で三白眼の俺が目を眇めると、鏡の中美少女も不機嫌そうに二重の大きな目を細くする。
「げえええっ」
鏡の中アレって、俺なの。
なんだか、甘酸っぱい感情を抑えきれない。
俺、告っても良いですか。いや、告られるのか……どっちなんだよ。
ガバッと身を乗り出した俺に、後ろから冷たい視線が突き刺さる。
「川絵ちゃん、あのカレ、変な方向に走らないか心配なんですが」
「そんなん、知らんやん。もし、犯罪に手を染めても、ミキさんのせいちゃうし。……でもさすがメイクアップアーチストやなぁ。なんにも知らんかったら編集部の中でも抱きつくオッサンがおるんちゃうかな」
この川絵さんの危惧したことは、後に現実になるから恐ろしい。
それはさておき、二人のニヤニヤした視線が気になるが、俺は鏡の中の人が気になりつつ、元の椅子に腰を落とす。
「ぶたにん、アームガードとストッキングと靴下、渡しとくで……ミキさん、着替えお願いするわ」
そう言われて、奥の個室で下着姿に剥かれた俺は、胸にマイクロビーズで出来た偽巨乳をバンドできつく固定し、茶系の清楚な五分袖のエレガントなワンピースを被せられる。
最後に、ミキさんがギュっと巾の広いベルト紐で腰を締めて、フレアシルエットを演出する。
胸元のあたりが開いておらず上品な感じで、色気には欠けるが、そこは仕込んだ偽巨乳が実にいい仕事をしている。
美しい曲線美を描き出す偽乳の触り心地は、ゴワゴワしていてグイと押すとヌイグルミっぽいのが玉に瑕だ。
それにしても、大きい。いったい何カップなんだろう。
「触ってる、それ、アンダー七十センチのEカップよ」
恥ずかしくなった俺は、不自然に胸に当てられている腕を急いで降ろす。
そして、骨ばった腕にはレースのアームカバーを掛けて胡麻化し、婦人用の腕時計をミキさんから借りると、変身の大半が完了する。
ネックレスやイヤリングなどの小物をつけながら、ミキさんが俺に話しかける。
「ところで、見えないオシャレはどうする?」
ミキさんが、手に女性の穿くおパンツを引っ掛けていたので驚くが、幸い、スカートの裾が長いおかげで見えることはないだろうということで、勘弁してもらった。
(母さん、俺、トンデモナイ世界に足を突っ込んじゃったよ)
良心の呵責に苦しみながら、俺はストッキングが伝線しないように穿かせてもらい、靴下をフリフリのピンクのものに変えて、ローファーを履いて外に出る。
「うっわー、馬丘先生、美人やなあ。初めまして、編集の鵜野目川絵です。羨ましいプロポーションやなあ、うんうん……って触ったらゴワゴワやな」
川絵さんが面白半分に前髪を整えたり、胸を触ったりするので、妙にドキドキしながら、俺は言う。
「あ、あの、こんなことで、どうやって石垣島の茶烏龍さんを釣り出すんだよ?」
「さっき言うたやん、茶烏さん、エエ年して清楚タイプの巨乳が好きやから、ぶたにんがその詐欺みたいな格好して、創作の相談に乗って下さいってアピールしたら、茶烏さん、すぐに戻ってきはるわ」
ひえええ、こんな格好をアピールするなんて無理、無理。絶対無理!
俺が心の中で絶叫していると、川絵さんは言う。
「茶烏さんの知り合いって、そんな、おれへんから、アピるのは二人ほどでええねん」
さらに川絵さんは、俺の仕草に注文をつけてくる。
「それより、ぶたにん、もっと脚を内股にしいや。ガニ股はアカンで。ちょっと、気をつけて歩いてみい」
俺は、たった二人の茶烏さんの伝手に会うために、みっちりと『乙女のたしなみ講座』を受けさせられ、足の動きと顎の引き、手の仕草を仕込まれる。
なんだか、女子の動きって大変だ。
俺は改めて、よくぞ男に生まれけりと思い直す。
時間は午後七時、文壇交流会のオフィシャルのイベントが終わって、ビンゴゲームなどの余興に移る頃らしい。
「ええか、顎を引いて俯きがちにしとき。声は絶対、出したらアカンで。頷いたり、首を振ったりして、時々、笑うてたらどうにかなるわ。あと、足は絶対に内股やで。スカートの裾を意識して、手は指先まで気合入れて、クロスの動きを意識すんねんで」
俺は川絵さんに最後の注意を受け、手を引かれて会場に忍び込む。
ちなみに、この服は去年の文壇交流会で編集部の蟹江さんが、悪ノリして使ったものらしい。
あまりにもキモ格好悪く、ウケすぎたため、途中で編集長の『女装』解除命令が出たようだ。
川絵さんが、その後始末を請け負って、ミキさんの店に預けていたものが、今、俺が着ているものの正体だったりする。
ミキさんも早々に処分してくれればいいじゃないか、と俺は独りごちる……ひょっとして、あの女性用のおパンツは蟹江さんが着用していたのか?
俺は想像しようとしてやめ、ただただ、穿かない選択をした己の賢明さだけを褒めることにする。
「ぶたにん、一人目発見や。征次編集長もおれへんし、さっさと行くで」
手を引く川絵さんの歩くスピードが早くなる。
俺は小刻みに歩を重ねているので、コケそうになりながらもテッテケ状態で追従し、顎引きと俯きを怠らずに、その人の前までたどり着く。
パーティ会場の真ん中を横切るのは心臓が限界を超えて、痙攣しそうなほどだ。
言っておこう、化粧しての女装というのは『超』を百個重ねる程度には恥ずかしい。
「こんにちは、花蝶さん。鵜野目です。お久しぶりです」
「ああ、川絵ちゃん、さっきから姿が見えないって、言っていたところだよ」
「いやあ、下っ端の雑用は引っ切り無しですから。でも花蝶さんの脚本の水曜日のドラマも評判ええですよ。私、毎回見てますし」
「おお、嬉しいねえ。次は来週かな、七話目が僕の脚本回だから数字が上がると良いんだけどね」
相好を崩して話に応じているのは、身長が川絵さんと同じくらいの典型的な中年のハゲ親父だ。
「必ず見ますよ。絶対に見ます! 花蝶さんの回は盛り上がりますよね」
「そうそう、盛り上げて落とすのは、お芝居の基本だからね」
「ですよね~。あ、そう言えばお友達の茶烏さんはどうされたんですか?」
「あいつは、今日まで石垣か、宮古か、ロケハンで飛び回ってるってさ、どうかしたの?」
「いや、最近見ないので、今日までですか……そうや、花蝶さん、紹介しときます。うちの『二編』の新しい編集作家の馬丘雲です。最終選考からの拾い上げなんで、まだデビューは決まってないんですけど、いろいろお世話になると思いまして」
俺は引き攣った笑顔を花蝶さんに向けながら、頭を下げる。
「へぇ、エライ若いなあ。馬丘さんね、放送作家の花蝶です。主にドラマの脚本を書いています。仲間の茶烏が、編集部でお世話になってるようで」
「あの、この子、まだ、高校生なんで、名刺はないんですけど、牛馬の馬に丘陵の丘、空に浮かぶ雲で馬丘雲っていいます」
俺は、顎を引いて心持ち頭を下げて会釈をすると、花蝶さんが目を合わせてニヤリと笑って名刺を突き出すので、女装がバレたのかとドキドキする。
もう帰りたい、もう帰りたい、と俺は心の底から叫ぶ。
「ほう、花の女子高生か」
いいえ、鼻糞の男子高校生です。
今は、会場の隅っこで丸くなるのが希望です。
酔っ払った花蝶とか言うオッサンに、どのように俺は映っているのだろうか。
俺はスースーする内股の辺りの違和感をストッキング越しに感じながら、女装がバレたらどうしようかと、ビビリにビビリまくっていた。