第6話 彼女に何が起こったか?
出版社の契約書を見るといろいろと不思議な言葉が出てきます。
「出版優先権」も著作権法に定めのない権利ですが広汎に使われています。
契約書を交わしているのが珍しいとも言われる中、契約書の内容も「?」だったりします。ご興味のある方は書協契約書雛形がこちらから見られます(出版権設定)。
http://www.jbpa.or.jp/publication/contract.html
本日は3600文字弱です。どうぞよろしくお願いします。
メグさんが『二編』を出ていった後も、騒ぎは続いていた。
「何があった? 川絵っ、木盧が書かないって、ぶたにんが書くってどういうことなんだ?」
間違いない、営業会議から戻ってきた四霧鵺征次編集長の声だ。
「すいません、すいません、すいません」
間違いない、上司川絵こと、鵜野目川絵さんの声だ。
「木盧の扱いは、お前が一番分かっているだろう。とにかく、変なことにならないように、きちんと後始末してこいっ」
征次編集長の編集長らしい、キレの良い言動だ。
木盧加川先生の今後の扱いは川絵さんに一任して、俺に後を委ねようということに違いない。
俺は、これからケモミミの企画書を書かなくちゃ、なんだが、悪夢にまで見た初巻の出来の悪さのおかげで、一万二千部刷って一部も捌けないリスクを身にしみて知った。
片や既刊十八巻、続刊予定三巻の人気作である『昨日の旅』の企画書なら、重版見込みも堅いし、初刷二万部からのスタートが約束されている。
既刊は平均十五万部以上売れていることからすると、賞与が大変なことになるに違いない。
一部三〇円の完全出来高制の言葉からすると、俺の新刊が十五万部なら四百五十万円の賞与を、太陽系出版社は払えるのだろうか。
払えないとマズイな……心配の余りナニワ出版道の債権回収シーンが頭をよぎる。
ともあれ、俺の意思はもう固まっている。
『昨日の旅』はサンラの看板作品、サンラが初めてヒット作を生み出す方程式に当てはめて世に送り出した作品だ。
そのかけがえのない作品の存続が俺の双肩にかかっているとしたら、承けなければ男が廃る!
執筆ブースの扉が勢い良く開け放たれる。
「ぶたにんっ」
川絵さんの声に呼応して、俺は応える。
「わ、分かった、断腸の思いで、ケモミミは延期するよ」
「はぁ? ちょっと待ち。ケモミミはおいといて、メグさんとなにがあったん?」
え、メグさんは勝手に出ていっただけだ……俺は、全く身に覚えがないのだが。
包み隠さず、俺はさっきのメグさんとの尋問、いや、会話の内容を話す。
「そ、その、メグさんが『昨日の旅』が自分で気に入らないから、書いてくれないかって言われて……」
「なんで、イキナリそんな話になるんよ。最初っから話してみてや。私、忙しいのにこれから、メグさんのとこ行かなあかんねんで」
「いや、だから、『昨日の旅』の作品の話をしてたら……」
「せやから、スランプの時は、作品の話はしたらアカンってゆうてたやろ」
そういえば、そのフラグは聞いたような気がするが……
「でも、スランプなんて書いてればどうにかなるって励ましてあげたんで……」
「なんで、駆け出しでも何でもない、ペーペーのぶたにんから励まされなアカンのよ。メグさん、プライド高いねんから……筆折るって言うのも分かるわ」
川絵さんは、信じられないといった顔つきで俺を責める。
確かにプライド高いフラグも聞いていたような気もする。
「いや、大学を中退してまで書きたいと思ったものなら、メグさんの好きなように書くべきだとも言っておいたんだけど」
「ぶたにん、中退って……あんた、言いたい放題やないの。なんで、英文学の話からそんな方向に行くんよ」
呆れたように言う川絵さんに、俺は、確かに、中退フラグも聞いていたような気がしてきた。
そして、更に、俺は無意識にダメを押してしまう。
「いや、英文学の話なんて、俺、英語、苦手だし、まったくしてないから」
「なによ、ランチの時に、やったらアカンて言うたことと、やれ言うたこと、全然、逆やんか」
「そ、それは……」
俺も、そんなフラグもあったかと頭の片隅で覚えてはいた。
しかし、メグさんの怒気を含んだ話を聞いているうちに、綺麗サッパリ忘れていた。
「あんな、メグさんが書けへんってことになったら、大問題やで。まあ、あんたはクビで、私はここ、出入禁止。そして征次編集長も看板作家の管理不行届で責任問題になるかも知れへん」
「そんな、メグさんの言葉通り、俺が書けば……」
「アホなこと言わんどきや、作風変わるやんか、詐欺やんかそんなん」
それを認めるかどうかは、懸命な読者諸兄にお任せすべきだと思うのだが、どうやら、そうは問屋が卸さないようだ。そして、それまで、川絵さんの後ろで聞いていた征次編集長が口を開く。
「生憎、うちでは制作の中心は編集作家だからね。編集作家にはそれぞれ筆名を持たせている。ライトノベルの読者層は作家追いする傾向もあるんだ。だから、木盧加川の筆名は鶫野の専属名で、彼女がやめれば、『二編』で木盧の筆名は、使わないことは申し合わせている」
「そ、それじゃ……」
「鶫野が筆を折ると言ってきたら、『昨日の旅』を終わらせてから退職させる。ぶたにん君もだが、鶫野本人であろうとも、木盧加川の著作『昨日の旅』に類した話を出版することは許さない。著作権は出版社に属しているからね」
え、著作権って編集作家のものじゃないの?
確かに給料に加えて、重版補償分を賞与としてもらうんだから、印税は入らない予感は、少しはしていた。
そうすると、著作権は出版社に譲渡してることになるのか。
言葉を溜めた征次編集長は、今後のことについて俺に言う。
「……ただ、看板作家の鶫野君が筆を折るなんて話になったら責任問題だ。原因が川絵とぶたにんにあるというなら、社としては二人を処分しろということになるだろうね。無論、私だって無傷じゃいられない。それだけの問題だということをよく理解した上で、君たちで鶫野君をサンラに連れ戻してきてくれ」
ちょっと、なんだか、大問題の責任が途中の経緯をすっ飛ばして、俺に追っ被されているような気がするんですけど……俺は堪らず不平を漏らす。
「でも、そもそもメグさんはスランプだったじゃないですか。それに、『昨日の旅』十月刊行分のプロットを茶烏さんって人が作ってくれないってのが、そもそもの原因なんですから……」
征次編集長は、俺を見据えるようにして言う。
「武谷君、組織で一度事故が起きると原因追求は避けられない。経緯も、君の言い分も理解るが、結果責任ということで、最後の一押しをした人間に目が行き易いことも弁えて行動してくれ」
え、俺、そんな難しいこと理解できないし、弁えるなんて無理だし……しかし、ここには、俺の味方はいないようだ。
その時、立ち尽くす俺に、上司川絵さんの手が伸びる。
「とにかく、メグさんとこ行くから、ぶたにんも付いてきて」
俺は、上着と入社書類の入った太陽系出版社の封筒を鞄に入れて会社を出る。
なんとなく、入社書類を提出するまもなく、退職願を書くことになるんじゃないだろうか。俺。
おそらく、その時の俺の顔は、春まだ浅い東京の晴れた空並には青かったに違いない。
川絵さんも俺を助けてくれるとは、頼りがいのある上司のようだ。
俺は、少しそう思う。
川絵さんの話によると、メグさんは田舎が四国の方らしく、東京でいま、住んでいるのが月島のタワーマンションらしい。
しかも、二十四階。なんだか、流行ラノベ作家の匂いがする、と俺は一人テンションを上げていた。
平日の昼の日中ということもあって、さすがのタワーマンションのフロントもガランとしている。
自慢のコンシェルジュも、どうやら暇そうにしている。
川絵さんが部屋番号を押して、メグさんを呼び出す。
俺が、タワーマンションの中を覗き込んでいるのが気に入らない上司川絵さんが、俺の手を引いて行動を制する。
川絵さんの二回目の呼び鈴に、インターホンが反応する。
(カチャ……)
反応があったのを確認して川絵さんが、インターホンにまくし立てる。
「あの、メグさん。二編の川絵です。何があったか知りませんけど、騒動の元凶を連れて来ましたから、メグさんの気が済むようにして下さい」
え、元凶って……ひょっとして、俺のことなの。メグさんの気の済むようにしてって、そんなリンチみたいな話聞いていませんよ。
「……川絵さん、来てくれて有難う。悪いけど、今日のところは帰って。私、化粧落としちゃったし、人前に出る気分じゃないんだ。あと、今日の新人賞贈呈式も、文壇交流会も征次編集長に誘ってもらってて悪いんだけど、行けないからって言っておいて」
「メグさん、一つだけお願い。『昨日の旅』、まだ、続き書いてもらえますか?」
「……プロットないし、書けないから、それじゃ」
一方的にそう告げると、メグさんのインターホンは切れてしまい、周囲の堅牢な構造物の一部と化して、もう、これ以上は反応しそうになかった。
帰る道すがら、心配になった俺は、川絵さんに聞く。
「茶烏さんを捕まえることは出来ないのか? 茶烏さんがプロットさえ書いてくれれば、済む話じゃないか」
そう言うと、川絵さんが珍しく覇気のない、著しく精彩を欠いた声で応える。
「ぶたにん、無茶言わんどいてや。茶烏さんってな、現住所が『二編』やねんで」
「えっ、それは都合がいいんじゃ……」
「ちゃうねん、ちゃうねん。放浪癖のある人でな、この前、見たんが一ヶ月前やわ……連絡手段はメールしか無いし、気が向いた時しか返信は寄越せへんし。要するにチャランポランやねん。お祭り好きやから、桜前線と一緒に北上してくるんちゃう」
そんな、見たこともない前線と行動を共にする奇特な人を、よくプロットサポートとして採用しているものだ。
まあ、『昨日の旅』クラスのプロットを仕上げるのだから、奇人変人なのは仕方がないか。
俺は気もそぞろに、昼下がりの湾岸沿いの道を川絵さんの後ろについて歩いて行くと、薄暗い都営地下鉄の長い階段に吸い込まれていった。