庚 (裏)
[23]
「寝て居れば良いのに…人の厚意を無にしやがって…。」
そんな小言を耳元で楽しみながら、薪木をストーブの火にくべる。小言の主が彼女の様な美貌の『魔法使い』とあれば、こんな事でさえ、愉快な娯楽となるらしい。
薪木を押し込み終えたアナタは、ストーブの投入口を閉めて、
「よっと。」
掛け声ともども一気に立ち上がった。…だが、睡眠不足からくる立ち眩みであろうか…脚が後ろによろめいて定まらない。
椅子の背もたれに手を突き、ようやく、足元が定まったアナタに…その椅子に腰掛けて居た魔理沙が、また、愚痴を零す。
「だから私は、寝て居ろって言ったんだぜ。」
そう言いながらも魔理沙は、アナタの腕を、自分の首の後ろに回させる。そうして、肩を貸す要領で、アナタを椅子へと座らせた。
自分の代わりとして、席から立つ羽目に成った、魔理沙。アナタはそんな彼女へ、礼を言うでもなく、謝るでもなく、どことなく恥ずかしそうに苦笑を浮かべて、
「寝ろと言われて眠れる位なら、俺だってな、喜んでそうするよ。…けど、何でだか、眠ろうとして目を瞑ると…手足の指先から、じわじわ…身体が凍り付いていくみたいに、冷たく成るんだ。一体、どうなっているんだろうな、俺の身体は…。」
開き切らない両手の指を、薪ストーブの熱気で温める。ややオーバーにも映るその仕草は、何とはなしに、甘えている様な風にすら感じられる。要するに、アナタはそれだけ、疲弊し切って居るという事なのだろう。
これまでの魔理沙ならば、弱ったアナタの為、労を厭わず支えに成ろうとした。
そして、傍から見ている第三者が…アリスが思わず待ったを掛ける程…親身に、アナタの苦しみを取り除こうと奮闘した。
実際、これっぱかしとは言え、アナタが甘える様な態度を取るのも…自分へ対する魔理沙の態度に、寛容さを感じて居たからなのであろう。
勿論、アナタの心が一途に切望すれば、彼女とて…甘い顔を見せるのも、まぁ、やぶさかではない。しかしながら、
(アリスが見て居ないから…って、そう言う、含みがあるんじゃあ。好い顔をばかりも出来ないぜ。)
と、魔理沙は澄まし顔で、かつ無愛想に、鼻を鳴らした。
「何だ、アナタの眠れなかった理由って、冷え症だったのかよ。それだけの図体をして、か細い声出すから、何事かと思っただろ。心配して、損したぜ。」
「冷え症…えっ、俺が…いやいや、それは違うんじゃないか。生まれてこの方、冷え症で悩んだ事なんて、一度もなかったぞ。」
「三日前までがどうだったかは知らないけど、『手足が冷たくって、眠れない』ときたら、冷え症以外の何物でもないだろ。大方、紅茶ばっかりに金を掛けて、碌に栄養のある物を食べなかったんだろ。だから、そうなるんだぜ。」
そうして魔理沙に、ピシャリッと断言された、アナタ。だが、どうも腑に落ちて居ないと言うか、気に入らなそうに、後ろ髪を掻いて、
「冷え症ねぇ…。俺はまた、てっきり…。」
「自分の『能力』の所為とでも、思ったのか。」
と、言い淀むアナタの言葉を、魔理沙が引き継いだ。
彼女には、自分の腹の底などお見通しの事。ならば、隠してもしょうがない。そうアナタも、観念した様だ。
「眠れなく成ったのは丁度、お前たちの世話で『能力』を強めた後からなんだ。俺がそう思っても、不思議はないだろ。」
そうボヤキながら、アナタの目は魔理沙の顔色を窺って居る。
魔理沙はその目線を受けて、苦笑いを浮かべた。
(なんだ。さっきの、ちょっと甘える様な素振り。あれは…身体の異常な冷え込みの原因を、私が知っているだろうと…そう当たりを付けて、探りを入れに来ていた訳か。なんか、私…期待して、馬鹿みたいだな…。)
琥珀色の瞳を閉じ、むしゃくしゃする腹の底から、溜息を吐き出す。
だが、呆れた様な苦笑いと、平然とした声音は保持して、魔理沙が言葉を返す。
「『丁度』と言うんだったら、むしろ、『丁度、雪が積ってから』なんじゃないのか。だいたい、アナタの話だと、『能力』が強まってからの一晩は、アトリエで眠りこけて居たんだよな。それで『能力の所為で眠れていない』は、当てはまらないんじゃないか。」
「それは…そう言われると確かに、あの日の夜は、いつ眠ったのかも解からない位だったよ。しかしな…どうにも胸騒ぎがして…とてもじゃないが、納得がいかないんだ。」
自分が呑み込まれている状況の過酷さ、本質には気付けていない。それでもアナタは、自分を取り巻いている『気持ち』の途方も無さを、肌で感じ取っているのであろう。
一歩踏み違えば、『幻覚の雪』に埋もれた現実を、アナタへ突き付ける事に成る。もうしそうなれば…。
(自分に『幻覚』を見せている者が、誰か…。アナタはそれを知る事に成る。そして、アナタは…きっと、『幻覚』を晴らす事よりも、自分の見て居る吹雪の中…耐える事を選択するんだろう。もしそう成ったなら、アナタは…凍えて、凍え抜いて、死ぬ…。)
瞼を持ち上げた魔理沙の目に入り込んで来るのは、相変わらず、探りを入れる様なアナタの視線。だがしかし、彼女の瞳には最早、アナタの探しまわれる様な『迷い』はない。
魔理沙は、アナタの不安を包み込む様に、柔らかい微笑を浮かべる。
「アナタの気持ちは、よく解かったぜ…。それじゃあ、こうしよう。」
『提案するから注目』と呼び掛ける様に、人差し指を立てて、
「とりあえず、アナタはベッドに戻る。」
と、彼女が前提を述べた時点で、アナタが口を挟む。
「ベッドの上に居た堪れなく成って、抜け出して来たんだけどな。俺…。」
それを受け、大きく頷いて応じる、魔理沙。
「慌てるなよ。ちゃんと、私の指示には続きがあるんだからな。…で、ベッドに戻ったアナタは、夜具に潜り込み、暖かくする。そして、目を閉じて居れば良いんだぜ。」
「それだけか…。」
「それだけだぜ。」
アナタは魔理沙の明朗な返事に…呆れた、加えて文句たらたらの、濁った溜息を漏らした。
乱暴に後ろ髪を掻く様子から、一目でアナタが不機嫌だと解かる。
そんないつもの手癖を発揮し出したアナタへ、実に塩梅の良い笑顔の魔理沙が、また、頷いて見せた。
「そんなあからさまに、ガッカリする事もないだろ。私は別に、アナタをからかった積りはないんだぜ。眠れないにしても、目を瞑って、ベッドに身体を横たえておくだけで、ある程度は休息の効果を得られるんだ。それに…そうして大人しくして居てくれるなら、私も…安心して我が家から、よく眠れる様に成る『薬』を、アナタの為に持って来てやれる訳だしな…。」
またもや、たっぷりと含みを盛り付けた、意味深な彼女のお言葉。
少々胡散臭そうに、アナタは渋い顔を作りつつ…一先ず、彼女の言い草から一葉を掻い摘んで、
「『よく眠れる様に成る薬』って…お前の言った通りの代物なら、ありがたい事だが…。実際は、『二度と目覚められないほど良く眠れる、毒薬』なんて、魔女の得意分野の『薬』じゃないだろうなぁ。」
「随分と、失礼な勘ぐりをするもんだな。だいたい、私ったら『魔女』とは大違いの、清く、正しい、『普通の魔法使い』なんだぜ。寝不足で弱っている人形師に毒を盛るなんて真似、するはずないだろ。」
そう言うと魔理沙は、やれやれと言わんばかりに、肩を竦め、両手を広げて見せた。…話の中に、毒とも、薬ともつかない外連味を盛っている癖して…良く言うよ…。
アナタは…生き死にの関わる問題だからな…じぃっと、穴の開くほど魔理沙の顔を見つめる。それから、吹き出す様な苦笑を一息。
「まぁ、魔理沙の出してくれるものなら、毒でも、薬でも、よく眠れるのは間違いないか。」
「おいおい、なんだよ、その納得の仕方は…。毒を飲ませる積りはないと言っているだろ。本当はな、薬草だよ。薬草の煮汁。それも、うんと苦い奴を飲ませてやる積りだったんだ。」
「苦いって…お前の淹れてくれた紅茶くらいにか。」
「あれの百倍は苦いぜ。」
「眠れないだろ、それじゃあ。お前、本当に嘘が下手だな。」
ハッとして、魔理沙が口元へ手を当てる。
アナタは…笑気を漏らす度、ベッドとの格闘で違えた首の筋に痛む…それでも、また、笑った。
「やっぱりな。」
魔理沙は二重にハッとして、口から手を離すと、
「引っ掛けだったのかよ。…こいつめ、小癪な手を…。」
如何にも面白く無さそうな表情で、腕組み。そうして斜に構えた彼女の様子に、アナタは首筋を手で押さえながらも、笑顔を絶やさない。
「勘違いするなって、俺みたいな呑み込みの悪い奴が、お前を引っ掛けられるはずもないだろ。偶然だ、偶然。偶然に俺の本音が、魔理沙の嘘を暴いただけだよ。」
アナタにそう言われても…偶然だろうと、意図的にだろうと…そんな風に得意気に笑われれば、同じ事。どちらにしろ、彼女が愉快なはずもない。
「へぇ、本音ねぇ。私からすると、アナタを心配して上げている気持ちを、冷やかされ通しだった気もするぜ。」
そうくさくさして応える魔理沙に、アナタは…真実を確かめるのなら、ここが好奇だと見たのであろう。そっと、首筋に宛がった手を、遠ざけた…。
「冷え症の所為で寝付けないって…それを全部、嘘だとは思って居ないよ。『手足が冷たく成って、眠れない』と言ったのは、俺だからな。だが、結果として冷え症で眠れていないにしろ、手足の冷えを招いているものは…その本当のところは…やっぱり、俺の『能力』なんだろ。何がどう成って、どこからどこまでが『能力』の影響なのか…自分の事を少しも理解してない俺でも、正直者の、魔理沙の顔色を読むくらいは難しくないからな。」
アナタは小さく笑気を吐き出して、不安そうな、申し訳なさそうな彼女の顔から、目線を逸らした。
「そう言う訳で、これ以上の気遣いは無用だ。知ったからと言って、俺にはどうしようも無い事なんだろうが…それでも、本当のところを聞かせて欲しんだ。そうじゃなければ…死んでも、死に切れないだろ。」
耳の奥で響き続けている吹雪の音に、そして、煮詰め過ぎた紅茶の様に、苦くて、優しい、魔理沙の瞳に…アナタは、自らに迫る死の影を悟っていた。
魔理沙も観念したのか、深い溜息を漏らす。それから、アナタの足元にしゃがみ込んで、着物の膝に手を置いた。
「アナタには、詳しく説明して居なかったっけ…私たちが幻想郷で得た『能力』を使うのには、『魔力』が必要だって事…。いや、難しい話じゃないんだ。運動をするのにも体力が要るよな。それと同じで、『能力』を行使するのに『魔力』を要るってだけの話さ。」
と、今の姿勢が負担だったのか、魔理沙はスカートをはいた脚で、床板の上に胡坐をかいた。…言うまでも無く、アナタの膝の上に、手を宛がったまま…。
「見て解かる通り、脚の細い私が今みたいな体勢で居られるのは、少しの間だけだ。でも、アナタなら多分、私の何倍も腰を落とした格好で居られるよな。平たく言うと、『能力』と『魔力』の関係も、これと変わらない。つまりは…。」
ぽんっと、交代を促す様に、彼女の手が太腿を叩いた。
薪ストーブの熱気で温まった指を口元へ。そうしてアナタが、考え深そうに、魔理沙の言葉を継いでいく。
「人の運動能力には、個人差があるって事だよな。…だとすると、お前の例え話に出て来た『筋力』は、再三にわたって『俺にはないぞ』と言われた、『能力』を使う才能って事に成るのか…。それで、脚の細い魔理沙は床に腰を下ろせば良いとして、俺はどうしたら良いんだ。よもや、『ベッドに横に成れ』とは、言う積りないよな。」
「おっ、上手い話の運び方をするもんだ。感心するぜ。さて、答えが出たところで、ベッドに戻ろうか。」
バンッ、力強く、魔理沙が太腿を叩く。音からも解かる様に、さっきとは比べ物に成らない力で…。
アナタはさも痛そうに脚を摩りながら、『本当に眠らせる積りあるんだろうな』と、ボヤく様な目付きで彼女を見下ろす。
「言いたい事は解かっている積りだ。『魔力』が『体力』と同じ類のものなら、とにかく、休めば回復するんだろうよ。しかしなぁ…それなら俺だって、この三昼夜、何度となく試したさ。だが、結局、眠れなかった。 今度もそうなるだろうと解かり切っていて、それで…ベッドに潜り込んだ俺は、何を考えて瞼を閉じて居れば良いんだよ。」
「『私の帰りを待って』…って訳には、いかないかな…。」
三度、魔理沙の手の力が、アナタの脚へと伝わる。今度は極めて静かに、グッと、身体の重みを押し付けられる様な、圧迫感が続く。
魔理沙はそのまま、アナタの脚に手を突き、立ち上がった。
「アナタはこの三日の間、『魔力』が足りて居ない状態にあった。確かに、それがアナタの眠れていない理由に関係があって、そう言う意味では…自分の『能力』が自分自信の首を絞めて居る…そのアナタの感覚は正しいぜ。…悪いけど、今、アナタに教えてやれるのは、ここまでだ。」
眉間の皺を解きほぐそうと、無理矢理に微笑み…それでもまた、すぐに眉根が寄ってしまう。そんな魔理沙の葛藤を見上げながら、アナタは声も無く、息を漏らした。
「どうか、誤解しないで欲しい。悪意を持って、この先の事情を隠しているのじゃないんだ。私は良かれと思って…今は、アナタにとっても、余計な事を伝えるべきじゃないと思ったからこそ…あえて、全てを教えずにいる。その事は、どうか…アナタの為にとは言わない…どうか、私を助けると思って、承知して欲しいんだ。そして…一晩だけで良い。私に時間をくれ。今夜の内に必ず、アナタがよく眠れる様にしてやるから…だから今夜一晩だけは、何も聞かずに、私がこの家に帰って来るのを待って居て欲しい。お願いだ。」
そう精一杯の気持ちを込めて、魔理沙はお辞儀をする。トンガリ帽子の先がアナタの頭に当たって、彼女の金髪から跳ね上がるのも…。その帽子がアナタの膝に落ちるのも、構わず…魔理沙は深々と頭を垂れた。
アナタは丁寧に、飛び込んで来た帽子のツバを、両手で持つ。そうして、彼女の頭へと返すでもなく、しばらく帽子を見つめてから…ポツリッと、呟く。
「期待はずれだな。魔理沙は…もう少し優しい奴だと思っていたんだが…。」
どこか余所余所しげなアナタの声が、彼女の肩に掛かる髪を滑らせた。
一瞬、ビクリッとだけ震え、それから、ゆっくりと頭を上げた魔理沙の顔は…緊張の面持ちで…。無論、それだけではない。
拒絶とも受け取れる態度を示した、アナタ。その固い表情を見つめる彼女の瞳に、ギラギラと、怒りの念が光を放つ。『どうして私の気持ちが解からない』と、害意にも似た感情が、奥歯を噛み締める音へと変わる。
しかしながら、自分の思いに見え隠れする『手前勝手な気持ち』を知っているだけ…それをぶつけてしまえる程、自分とアナタは親密ではないと知っているだけ…魔理沙はスカートを掴んで、暴力的な『気持ち』を押し殺した。
魔理沙には、よく解かって居るのだ。今はどの様な感情を持ったとしても…どの様な苛烈の思いをアナタへ向けたとしても…自分の『気持ち』が『幻覚』と成り、アナタに伝わる事はない。この雪が止む、その時までは…。
ネコ科動物が獲物を捕らえんとして、爪を研ぐ。むずむずする爪の先を、厚手のスカートの布へ喰い込ませた魔理沙の様子は…まさに、それだ。
今にも顔面を引っ掻かれる。そんな脅威に晒されているとは、露ほども思って居ない、アナタ。
『期待はずれ』などと宣った割には、満足そうな顔で言葉を次ぐ。
「お前が『よく眠れる薬』なんて言うから、俺は…。『能力』を強めた結果、俺にはもう、自力で真っ当に生活するだけの余裕が無くて…。だから魔理沙は、俺の為に成る『薬』を…安らかにあの世に逝ける『毒』を一服盛ってくれるものと思って居たんだがな。」
それは、突拍子もない考え。それは、魔理沙の思ってもみなかった事。
彼女にすれば、先程のアナタの『二度と目覚められないほど良く眠れる、毒薬』という言葉は、冗談言でしかなかった。
しかしながら、アナタにとってその発言は、冗談では済まされない、冗談で済ます積りでない言葉だったのだ。
「な、なんでそんな…。」
魔理沙には聞こえないはずの吹雪の音。それが今、静かに、彼女の頭の中を通り過ぎていく。
ノイズの様な、酩酊したかの様な混乱に、魔理沙は思わずアナタへと掴み掛かり、その肩を揺す振っていた。
「…なぁ、なんでだよ。なんでそんな風に…私がアナタに毒を飲ませるなんて、そんな事を思うんだ。自分の『能力』の所為で、私に迷惑を掛けたとでも思ったのか。それ位の事で、私がアナタを見限って、毒を飲ませるって…。酷いぜ…。どうして…どうして…。私がアナタを殺すだなんて思うんだ。私が…殺すはずないだろ…アナタは…。」
悔しさと、悲しさと、涙の滲んだ、魔理沙の嘆き。両手の指は、引き千切らんばかりの力で、着物を握り締め。引き寄せ…。
そして魔理沙は、泣き腫らした目を隠す様に、アナタの胸に顔を埋めた。
すぐ近くで感じる、彼女の気配。アリスの髪よりなお、艶やかな金髪。アリスのよりも、健康的、女性的な、甘い匂い。そして…アナタの膝の上の、横倒しに成ったトンガリ帽子…。
無意識の内に彼女の頭を抱き寄せようとしていた、自分の両腕に気付いて…無意識にアリスと彼女を比較して居た、自分の本心に気付いて…。アナタは、魔理沙の手を振り払う様に、自分の両手を彼女の肩へと伸ばした。
「そうだよな…。魔理沙は親切で、それに、とびきり厳しい奴だからな。この先、天気に左右される様な日常が俺に待って居たとして…それでも、俺が生きられる方を…俺がどんなに苦しむとしても、楽に死なせる方を選ぶはず、ないよな。」
そう言うとアナタは、彼女の身体を離した。
着物を揉みくちゃにした指を胸元に寄せ、魔理沙は少し躊躇がちに瞳を彷徨わせる。だがしかし、赤く成った瞼も、自分の強い『気持ち』も…隠す事はないんだと…そう小さく頷いて、
「まだ全然、アナタを扱き使ってやれてないんだぜ。…なのに、私の方から、アナタを手放す訳ないだろ。それと…私に、こんなみっともない顔をさせた責任…取って貰わなきゃならない。だから、それまで…もし、『責任なんて取る積りない』なんて言う気なら…それこそ、ずっと、ずっと…絶対に死なせないから…どんな事をしてでも、アナタに生きて居てもらうからな。」
魔理沙はそう言い置くと、今度は、自らの脚でアナタの手を離れた。
そんな彼女を、追うでもなく、遠ざけるでもなく…。アナタは背もたれに手を突き、立ち上がる。
すると、脛の辺りを煽るストーブの熱気にさえ、疲弊したアナタの身体はふら付いてしまう様だ。
透かさず、自分と床の間に割り込んで、足を踏ん張った、魔理沙。手を離しても、手から離れても…また寄り添う彼女の気配に…アナタは生彩を欠くものの、安堵感の漂う苦笑を漏らした。
「普段ならこんな…『身を呈して』親切にされると、面喰っていた気がする…。それを、こうして、案外と素直に受け入れられているんだからな…。人間、偶には、弱ってみるもんだ。」
そう言うとアナタは、背筋を伸ばし、よろけても決して離さなかったトンガリ帽子を、魔理沙の頭の上に乗せた。
「なぁ…。薬なんて取りに行かないで良い。そんなものより、お前がここに居てくれれば…。それで、どれだけ安心できるか…。なぁ、魔理沙…。ただここに居てくれるだけで良いんだ。だから、どこにも行かず、俺の傍に…。」
と、その先を言い掛けたアナタの手から、魔理沙の帽子が擦り抜けていく。
俯く彼女の姿を見て、ようやく、アナタは自分の厚かましさに気付かされた。…気付いたとなれば…手遅れの言葉を、止められなかった自分の気持ちを…笑うしかない。
「…なんて言ったら、魔理沙は怒るに決まっているよな。『自分と、自分の親友に、二股かける気なのか』って…。すまん。やっぱり、人間、弱ると駄目だ。自分の気持ちにすら、誠実で居られなくなる。」
乾いた笑いを吐き出したアナタは、白けた空気と、後ろ髪を掻き回す。
魔理沙は、どんな物思いの中に居たのだろう。
帽子のツバの後ろ。黙って俯むいて居た顔を上げると、皮肉っぽい、しかし、険のない笑顔。
「アナタが私に靡いたとしても、それで、二股に成る心配はないぜ。だってアナタ、アリスに告白して、振られたんだろ。交際相手が居ての、今の…その、『傍に居てくれ』…と言うのは、確かに、不味いよな。だけど、シングルのアナタが私と居ても、何にも問題はない。そうだろ。」
先程の泣き腫らした顔が嘘のような、屈託のない、穏やかな魔理沙の微笑み。
アナタとしても、彼女に沈んで居られるよりは、笑って居てもらった方が助かる。それは文句なく、ありがたい事なのだが…それとはまた別個で、あまり明朗快活に『振られた』などと言われると…、
「振られたのは事実だけどな…。いや、だからこそ、次に再びチャレンジすら前の、心構えと言う奴を大事にしたいと…だいたい、その為に、俺はあの彫刻をだねぇ。」
「…彫刻が…どうしたって…。」
恥じ入り、天井の梁を目でなぞっていた、アナタ。その顔へ、まったくの死角から、冷やかな言葉が浴びせかけられた。
慌てて、舌の根を奥歯で噛みながら、アナタが見下ろした先。そこにあるのは、何一つ変わらぬ、朗らかな魔理沙の微笑みだけ。
「熔けていないのか。こういう時は決まって、顔が熔けているはず…いいや、熔けていないなら、それで良いんだよな。」
アナタはそんな事を、ブツブツと、かつ呆然と呟くのだった。
魔理沙は、あどけなく、そして、可笑しそうに首を傾げると、
「『顔が熔ける』って、でかい蝋燭で作っている胸像の話か。それは問題ないと思うぜ。何しろ、この雪で、向こうは天然の冷蔵庫みたいに成っているからな。熔ける心配は、絶対ないよ。」
彼女は、素知らぬ顔でそう答えて、窓の外へ目をやった。
そうして、何気なく話す魔理沙に…アナタは彼女の冷やかな声を、『勘違いだったんだ』と、一応、納得する事が出来た様だ。
しかしそれは、自分の見て居る雪が『幻覚』だと知らないから…彼女が、あぁもスラスラと応じながらも、自分と話を合わせて居るに過ぎないとは知らないから…アナタがそんなだから、納得する事ができたのだ。
アナタがもし、壁越しに聞こえる風の音を、荒れ狂う吹雪を『幻覚』だと知っていたなら…勘違いなどで、済ませたはずはないだろうに…。
「また、ぼんやりしているぜ。さぁ、ベッドが嫌なら、もう、無理に寝て居ろとは言わないから…。せめて、その椅子に座って居ろよ。」
「えっ、あぁ…。」
と、アナタは背もたれの上に手を置き、椅子を引き寄せて…しかし、
「いや、やっぱりまだ、止めておこう。折角、こうして立ち上がったんだから、このままで…じゃないと、また、立ち上がる羽目に成るかも知れないしな。」
魔理沙は小さく鼻で笑うと、バケツの隣に転がっている箒へ手をかざす。
ふわりと浮き上がった箒は、誰かさんを彷彿とさせる危なっかしい動きで、グラグラ。魔理沙の胸の高さまで浮かんで、やっと目が覚めたかの様に、ピタリと、空中に静止した。
その箒の柄の先の方を、押して、寝かせ。床面との水平を微調整しつつ、魔理沙が問い掛ける。
「何か用事があるのなら、私と、こいつで、片付けてやるぜ。こう言う時だし、遠慮なく言えよ。」
「そう言う訳じゃなくてな…。」
これ以上の心配をさせまいとアナタは、さりげなく、箒の世話を焼く魔理沙に気付かれない様に、テーブルの縁で身体のバランスを取る。そうして人心地ついたところで、言葉を続ける。
「この吹雪の中を構わずに…言うまでも無く、独り心細い思いをして居る俺の事をだけど…。そして…どうしても、魔理沙が薬を取りに帰ると言うなら…そんな向こうみずな行動は、俺が身体を張って止めなきゃならないだろ。だから、とてもじゃないが、座って居られない。」
テーブルの端に落ち着いた気安さか、アナタの軽口は、リズムも、内容も、実に調子が良い。そうは言っても、人一倍気配り上手な魔理沙に聞かせるのには、少々、軽妙すぎたらしい。
楽しげなアナタの声に誘われた、気立ての良い微笑み、そして、琥珀色の瞳。喜びに、輝くばかりだった彼女の魅力が…未だ不安定さを隠し切れない、アナタの様子を映して…どんよりとしていく。
魔理沙は、影の差した微笑みを浮かべながら、アナタへと首を振って見せた。
「アナタが扉の前に立ち塞がっても、私に縋り付いて来たとしても…私は行くぜ。これが終わったら…雪が降り終わったら、また、すぐにでも、アナタと人形劇を開きたいからな。だから、私は…追い縋るアナタを蹴り飛ばして、薬を取りに行く。」
そう答えた彼女の顔は、未だ、澄み渡っては居ない。そして、この先も…多分、元気に成ったアナタを見るまでは、澄み渡る事はないのだろう…。
だがそれでも、『アナタを蹴り飛ばして』と言った魔理沙の声には、万難を排して目的を遂げようとする、気概があった。
その強い思いが、曇りがちな彼女の微笑みに、旅立ちの爽やかさを与えてくれる事だろう。
杏色の夕焼けを魔理沙の瞳に見ながら、アナタは身体をテーブルから離すと、溜息を一つ。
「お前の事だし、こうと決めたら、他の物は目に映らないか…。行くのは、吹雪が止んでからにしろ。…と、勧めても、今すぐに出ると言って、聞かないんだよな。」
「うん…。少し、待たせる事に成ると思う。だけど、薬が出来たら、一直線で戻ってくるからな。ここで待って居てくれ。」
二人の仲睦まじい会話に耳を傾けて居ると、何とも仄暖かい気持ちに…彼らが直面している問題も、全て上手くいく様な気にさせられる。
女はこんな時を経て、誰に対しても、そして無原則に、穏やかな気持ちを分け与える事が出来る様に成っていくのだろう。…だがそれは、裏を返せば…。
自らの充足感を失い兼ねない、小さな綻びでも見付けた時から…女は、無限に冷淡に成れるのだ。…アナタの世界を覆わんとするこの吹雪より、なお、冷酷に…。
奇しくも、アリスの予言した通り、引き金はアナタの指に触れている。
そうとは知る由もないアナタの、途方に暮れた様な、心掛かりのありそうな表情。
今しがたまで二人、恋人の如く約束を交わし合って居たのだ。魔理沙は当たり前に、少しも疑う事無く、
(私の事がそんなに心配なのか…。まぁ、アナタの目には、窓の外で吹雪いていると映っているんだから、心配しても無理ないよな。…心配。心配か…。あぁ、暑い、暑い。何か、また、暑く成ってきたなぁ。早めに、『体温調節』しなけりゃな。さもないと…。)
と、ニコニコしながら、ヒラヒラと、襟元を手で扇ぐ。
魔理沙のその仕草、下瞼と頬に赤味を残したままの笑顔。そちらの方こそ、アナタが不自然さを覚えても仕方がなかろう。
「この寒いのに、何を茹だったみたいに成っているんだ。まさか、お前まで、『能力』の収拾が付かなくなったんじゃあるまいな。」
そう言ってアナタは、最初こそ、彼女の恵比須顔から、侮りや、冷やかしの気配を探っていたのだが…愛らしくも、無邪気な、魔理沙の笑顔を見る内…はたと気付いて、
「おい、冗談じゃなくて、本気で大丈夫か。俺がこんなだから、お前に無理をさせたんじゃないのか。やっぱり、この家を出るのは、風が弱まるのを待ってからにしろよ。」
こうまでアナタには言われてしまえば、それは魔理沙にとって…まさに、思う壺。
笑い顔に少しの自惚れを溶け込ませ、クッと、奥歯を噛み締める。
(ほらな、心配されるだろ。だから、さっさと、体温をどうにかしろって言ったんだぜ。…あぁ、ムズムズする。私、アナタと居ると、本当の『魔女』に成っちまいそうだ。…なんてな。)
胸のこそばゆさを、そうやって、存分に堪能する、魔理沙。しかし、浮ついては居ても、アナタの事はちゃんと見て居た様だ。
魔理沙は、アナタの目が訝しげに釣り上がったのを見るや、微かにあった侮りを顔から消した。
「その心遣いは、無用だよ。まっ、気に掛けてもらって、悪い気はしないけどな。でも、霧雨魔理沙は、才能も、経験もある『魔法使い』なんだぜ。半人前の自分とは、ものが違うって事、忘れて居やしないか。どれだけ『能力』を使っても、コントロールを失う様なヘマはしないさ。付け加えて、風や、雪も…どんな強い風もこの箒で飛べば関係ない。一飛びで、帽子に雪が積もる間もなく、私の家に着くよ。」
アナタを安心させようと、魔理沙は目一杯の朗らかさ、清々しさで、返事をした。
ところがまだ、何やら考えている面持ちで後ろ髪を掻く、アナタ。
機嫌のすこぶる好い魔理沙は、嫌な顔一つせずに、もう一言、付け加えようと…だが、そんな彼女の満ち足りた表情を遮って…アナタは、引き金にしっかりと指を掛け…言葉を放った。
「なるほど、それにプラスして、体温も調節できるんだよな、確か…。そう言う事だったら…なぁ、魔理沙。」
「んっ、どうした。」
「お前に余裕があればの話だが…薬を取りに行くついでで、一つ、頼まれてもらえないか。」
「頼み。さては、別の料理が食べたいって言う気だろ。そういう頼み事なら、聞く気はないからな。だいたい、パンプキンパイだって、まだ何切れか残っているんだぜ。そう言う話は、少なくとも、そっち平らげてもらってからでないと…。」
「そうじゃなく…いや、満更、繋がりの無い訳でもないんだが…。単刀直入に言うと、そのパンプキンパイの余りを持って、ちょっとだけ、寄り道して欲しい所があるんだ。」
アナタの話を聞いた魔理沙は、まるでその希望に頷く様に、ストンッと…俯く。
暗雲立ちこめる幻の空。そのアナタの見る世界に…勘違いではない…夕闇が、厚みのある影を伸ばし始める。しかし、願い聞き入れてもらおうと熱を上げているアナタには、その黒々とした影が…光も、暗闇でさえも飲み込み、成り変わろうとする影が…見えては居なかった。
傾いたトンガリ帽子の後ろから、調子の変わらぬ魔理沙の声がする。
「…寄り道。どこへ…。」
「あぁ、いつも俺達が、子供たちに向けて公演を行っている野っ原なんだ。…と言っても、この雪で、どこがどこだか解からないかも知れない。それに、時間も、時間だしな…。だから、誰も居なければ、それは、それで良いんだ。ただ、もしかしたらと思ってさ。」
どこか照れた様な顔付きで、嬉しそうな声を漏らす。アナタは後ろ髪から指を離して、
「人間の子供は、多分…間違いなく、誰も来てやしないだろう。…けど、この吹雪の中でも、平気な顔して待って居そうな奴の顔。魔理沙にも心当たりあるだろ。もしかしたら、あいつら…二人して、ポツンッと、雪の上に座っているんじゃないか…そう思うとな…。あいつらが人間じゃないのは知っているし、片や氷の妖精で、吹雪も、寒さも、むしろ快適ってくらいだろう。それでも…魔理沙、あいつらの姿を探してくれとは言わない。道すがら、ちょっと覗いてみてくれるだけで良いんだ。頼まれてくれないか。」
アナタの口振りを聞いて居ると、つくづく思わされる。必死の訴えとは、ある意味で脅迫なのだと…。
チルノとルーミアを案じる、アナタ。帽子のツバ越しに見る魔理沙の目にも、その態度から、真に迫る『気持ち』が感じられた。
それこそ、自分が頼みを拒んだ場合、アナタ自身で幻の吹雪の中へ踏み出しかねない。そう考えて、疑う気も起きない様な、呆れるばかりの迫真性が感じられた。
これでは、嫌でも、煩わしくても…彼女の『気持ち』がどうあれ、行くしかない…。
傾いだ帽子のトンガリが、更に深く倒れ込む。
それが合図だったかの様に、魔理沙はすんなりと顔を上げた。…その表情は、アナタの『気持ち』を飲み込んだ…晴れやかで、小気味の良い、笑顔…。
「なんか、可笑しいぜ。アナタが、私と同じ事を考えていたとはなぁ。…うん。実は私も、チルノには…チルノと、ルーミアには合いたいと思っていたんだ。」
魔理沙は、目尻も、頬も、口元も柔らかくして、にこやかに微笑んだ。
それを見てアナタは…何もそこまで気負う事も無かろうに…ホッと、息を吐いて、
「…じゃあ、魔理沙にもその気持ちが有るのなら、俺の頼みは…。」
「利害の一致って奴だな。」
と、白い歯を見せ答える彼女に、アナタは頷き、笑い返した。…『利害の一致』などと言う言葉を、あえて使った…魔理沙の胸中を、知らずに…。
「だけど…好いよなぁ、あいつらは…。人形劇の客だってだけで、こうして、色々と気を遣ってもらえて…。私なんか、客どころかパートナーで、その上、休みを利用してまで、弱っているそのパートナーの世話を焼いて居るんだぜ。それなのに…思えば、『これ』と言える物をプレゼントしてもらった覚えがないのは、どうしてなんだろうなぁ。」
「むっ。」
彼女がわざとらしく口にしたお小言、あるいは…いいや、明らかな、おねだり。
アナタは渋い顔で、腕組みをすると…まぁ、言いたい事はあるだろうよ。
例えば、『客は大切にするのが、当たり前だ。』とか、『パートナーなら、お前と、自分は対等な関係のはず。だったら、そのパートナーにプレゼントを催促するのは、如何なものか。』など、アナタの顔を見ているだけでも、それ位の文言は聞こえてきそうだ。
しかしながら、そして、だからと言って、アナタが魔理沙に感謝して居ないかと言えば、そうではない。それに彼女が、『パートナー』という言葉の枠を超えて、自分の世話を焼いてくれて居ることも確か…。
組んだ腕で、ギュッと胸板を締め上げる。アナタはそうやって、出掛かった言葉を飲み込むと、
「…それで魔理沙は、何が欲しい。言ってみろよ。…応えられるか、考えてみるからさ。」
何とも頼もしい…様な、そうでもない様な、アナタの言葉付き。
魔理沙は…あの運び屋ほど嘴の切れ、もとい、歯切れは良くないものの…待ちかねたアナタからのご用聞きに、うん、うんと、充分だと首を縦に振った。
それから、相好を崩し、琥珀色の瞳を…一瞬だけ、アトリエの方へと向けて…。だが、すぐに思い直した様だな。魔理沙は、瞳と、言葉を、アナタへと突き付ける。
「アナタがそう言ってくれているのを、私が遠慮してしまったら、それは失礼ってもんだよな。それじゃあ、まず…。」
「まずっ…と言う事は、一つじゃないのかよ。」
「えぇっと、まずはだなぁ。」
思索への介入を画策する、不埒で、情けない声は黙殺。当然だな。
「まずは、そのカンテラを…借りるとするか。薬を作るのに時間を食うと、帰りは夜道って事もありえるからな。…それでなくても、外は吹雪きだし…。」
「なんだ、そんな事かよ。」
と、軽い肩透かしを食った様に、アナタはテーブルの方へと身体を傾け、
「ほらっ、持って行け。昼過ぎに油を入れたばかりだから、十分、雪の夜長でも持つだろうよ。」
そう言ってカンテラを取り上げたアナタへ、スゥッと、滑る様に箒が近寄って来た。
金属製の取っ手を箒の柄に通し、これで、『まず』は、カンテラの引き渡しは済んだ。
アナタは景気良く箒の尻を…いや、穂先を叩いて、先を促す。
「これで、『まず』は一つ。お次は、何だ。」
テーブルの深皿を、上に掛けられた白い布ごとバスケットに移す。それから、自分の隣に流れ着いた箒を掴まえると、カンテラを柄の奥へ押しやり、柄先にバスケットをぶら下げる。
そうして、万全に支度を整え、魔理沙はアナタの方へと振り返った。
「そんな、仕事をやっつけるみたいに、気を張るなよ。次で最後…今夜のところは、それさえもらえたら、満足するからさ。」
「まったく…。不眠気味の相手に向かって、あんまり、含みを持たせた事を言うなよな。この上、夢見まで悪く成った日には、目を閉じる気にすら失くしそうだ。」
冗談とも、悪態とも付かないアナタの文句に、魔理沙は、コロコロと可笑しそうに微笑んで、
「それだけ私に毒づいたんだ。物怖じして眠れないなんて、言わせないぜ。」
バスケットの重みが加わった箒は、未だ、疲れが抜けきって居なかった…グッと、籐編みの取っ手を柄の先で撓らせ、3センチほど高度を下げた。
わずかそれだけ。それだけの、挙動に現れた、小さな不満足。
だがしかし、『それだけ』の、わずかな『歪み』にこそ…真実より雄弁で、切迫した…二人の置かれている現実が現れている。…限界だったのだろう…アナタだけではなく、彼女にとっても…。
揺れる動くカンテラ光が静まり、アナタの目線が振り子の真似を止めた頃。魔理沙は、疲労も、『魔力』の消耗も見せない微笑で、申し出る。
「アナタの大切にしている銀製のティーポット。あれを、私にくれよ。」
それはまた随分と、率直な要求であった。
まるで『一緒にお茶をしないか』と誘われる様な気安さに、アナタも…ニヤッと、愛想笑いを浮かべて…しばし、ぼんやり。
しかし、黙っていれば、彼女にティーポットを掻っ攫われるのは、確実。
紅茶が口に含まれるのを今や遅しと待つ、粘ついた舌を動かし…アナタは兎にも角にも、懸命に、彼女へと尋ね返す。
「『くれ』…。『貸してくれ』の間違いじゃなくてか…。」
差し当たって、魔理沙の言い間違い、勘違いではないかを、念押しする。正しい判断だろう。場合によっては、その辺りに落とし所が見出せたりするものだ。
魔理沙は、少しも変わらぬ微笑を浮かべつつ…首を横に振った…。
「『貸してくれ』じゃなく、『譲ってくれ』と、私は言ったんだ。」
これで、言い間違い、聞き間違いの類ではない事は明らか。残念ながらな。
アナタは、人差し指の爪で後ろ髪を掻いて、難色を示す。それを見た魔理沙は続けて、
「やっぱり、駄目かな。どうしても、あのティーカップが必要なんだ。」
彼女の言葉を聞いた途端、ふと、アナタの表情が変わる。何か心当たりがあったのか、あるいは、魔理沙の言葉に…『気持ち』に…感じるものがあったのかも知れない。
ベッドとの再開を嫌がって、足の向かなかった寝室。アナタはその扉を見つめて、一息。
それからの行動は、迅速であった。
踵を返し、さっさと寝室へと入って行く。それから程なくして、銀色に輝くティーポットを携えたアナタが、魔理沙の元へと歩み寄る。
「こっちから『欲しい』とせがんで置いて、何だけど…良いのか、本当に…。その…アリスからも…話は聞いている。アナタはこれを、ずっと、大切にして居たんだよな。」
持ち手を掴み、グイッと、ティーポットを差し出す、アナタ。魔理沙は、ティーポットなど一瞥もせず、ただ一心に、アナタを見ていた。
アナタは、目を閉じ、深々と、しみじみと頷く。そして…ニッと、口元を柔らかくして、
「魔理沙にはこれが、『必要』なんだろ。…なら、理由はそれで十分だ。」
可憐な容貌が、パッと、輝きを増し、冷え切ったアナタの身体を、暖かく包み込む。
その魅力的な微笑みで頷き返すと、魔理沙は両手を差し出し、アナタの手からティーポットを受取ろうと…が、
「俺がこれを大事にしていたのは…まぁ、値が張ったからな。その分、雑に扱う気が起きなかったってだけで…。お前は、お前なりにこれを大事に扱ってくれれば良い。その点は、俺の手元に置いておくより、安心だろ。」
何気なくアナタの呟いた言葉に、彼女の手が止まった。
それを見たアナタは、流石に、ちょっと呆れた様子で、
「おいっ、そこで手が止まるって事は、お前…このティーポットを大事に扱う気…ないのかよ。」
そう言って、目を丸くした。
魔理沙の両手は、ティーポットに触れる寸前。鏡の如く磨き上げられた曲面には、彼女の白く細い指が絡まる様に、映り込んでいる。
自分の手元にまで伸びたその虚像を見据えて、アナタは…それでも、ティーポットを引っ込めようとはしなかった。…しかし、大きな溜息はついた。
「茶を飲むのに使う積りなら、この反応はないよな、多分。…で、お前はこれを、何に使おうと言うんだ。…まさか、缶蹴りじゃあるいまいな。」
どこをどうして、そう言う疑問を抱いたのやら…。
彼女の中の『決意』から、大きく的を外した、アナタの軽口。その言われ様に、魔理沙も思わず吹き出してしまう。
「…んな事に使う訳ないだろ。アナタにとっての私って、どれだけ粗暴な女に見えているんだ。勘弁しろよな、まったく。」
と、鼻を鳴らし、不愉快さを…さも愉しそうに表す。それから魔理沙は、今後こそ、銀のティーポットを受取った。
アナタの指が持ち手から離れ、ティーポットは彼女のものと成る。
だが、それにしても…大切そうに胸元で押し抱き、バスケットの方へと持ち運ぶ様を見る限り…このティーポットが、悲惨な運命を辿る様には思えない。まして、彼女がそれを乱暴に扱う…とても、そうは見えなかった。
無論、アナタも同じ様に感じては居る。しかしアナタは…こんな時の魔理沙に、弱いのだよなぁ。
普段は、良く言えば快活、悪く言えば男勝りな魔理沙。その彼女が、こんな時に垣間見せる姿は…丁寧で、慎ましやかで…失礼ながら、人が違ったのかと思う程の『女性』。
元来、彼女は、丁寧さ、繊細さは持ち合わせている。だがそれは、『快活な娘』というイメージに様式化され、一緒に過ごしていても、『女性的な一面』とは受取りづらいのだろう。
それが、こんなふとした瞬間。アナタよりも、誰よりも、彼女自身が自分のイメージに囚われて居ない瞬間にだけ…たおやかで居て、少女の様でもある。世界で一番、女性ならではの魅力に溢れた…霧雨魔理沙と言う娘が、顔を覗かせるのだ。
それから…言うまでも無く、彼女がそう成って見える原因は、アナタにもある。
アナタがはっきりと、彼女を異性として意識し始めた事が一つ。そしてもう一つは、彼女もまた、アナタを…まっ、これこそ、言うまでも無い事だな…。
宙に浮いた箒を小揺るぎもさせず、魔理沙は慎重に、ティーポットをバスケットの中へ仕舞う。
大切な品を受取るという大仕事を終え、彼女はようやく、身も、心も、翻し、アナタへと微笑む。…そうかと思いきや、笑顔に残る微かな照れ笑い、はにかんだ気配は…まだ少しだけ、魔理沙の胸中で『女性』を翻し切れて居ない…まだ少しだけ、アナタへ伝え足りない『気持ち』がある様だ。
魔理沙は、堂々と、いつもの自分らしく胸を張ってアナタの方へ振り返る。
それがすぐに、肩をすぼめ、何やらもじもじと、胸の前で掌を擦り合わせ、
「あの…このまま、何の理由も告げないでティーポットを持ち去るのも、気が引けるし…その時に成ってから、改めて、アナタに弁解するのも面倒そうだし…先に、断っておく事にするぜ。」
魔理沙は前置きを終えると、掌を擦り合わせるのを止める。
小さく息を吸い、アナタに語り聞かせる心を決めて、パチンッと、自らを奮い立たせる様に手を打ち鳴らした。
「正直に言うけど、多分…ううん、確実に…あのティーポット、二度とはお茶に使えないと思う。それに、もしかしたら…絶対、ただの水差しとしても、使い物にはならない。それでこのポットを、アナタが大切にしているのを承知で、『借りる』のじゃなく、『譲ってもらう』事にしたんだ。」
そこまで喋って、魔理沙は琥珀色の瞳で、アナタの顔付きを窺う。アナタは一言も横槍を入れる事もなく、静かに、自分の話し終えるのを待っていた。
元よりこの申し添えは、アナタに請われた訳ではなく、魔理沙が自発的に言い始めたもの。当然、これで話を切り上げるのも、彼女の自由。
そして…それだからこそ、魔理沙は…。臆病風に吹かれながら、もう一歩、もう一歩と、白雪の降り募るアナタの心の内へと、踏み入って行く。
「経緯はそう言った感じで、何に使うのかは…やっぱり、まだ言えない。でも、今日中には…この雪が止む頃には方を付けるから…その時に、きっと、説明するからな。でも…。」
あくまで躊躇いがちに、あくまで全てを打ち消してしまいたそうな、魔理沙。それ『でも』、どんなに心が揺らごうとも、変わらない、変える積りない『気持ち』が、彼女にはある。
「でも…でもな。」
覚悟と決意を示す様に、強く、清々しく、憂いを否定する声。魔理沙は大きく瞳を開き、真っ直ぐにアナタを見つめた。
「私は、私がやろうとしている事を後ろ暗い事だとは思ってはいないぜ。むしろ、誇らしい事だって思えるんだ。…その結果、アナタのティーポットと、それに…犠牲は出るけど、それでも私は…私は、全てが自分の為の行動だって胸を張れるから…何が起ころうと、怖くない。例え…。」
魔理沙は口籠りながらも、微笑みを崩す事無く…熔かす事無く…アナタを見つめ続けた。
その琥珀色の瞳に、途切れた言葉に、アナタは揺さぶられる様な胸騒ぎを覚えて、
「『例え』、何だよ。お前は度胸あるから、確かに、何が起ころうと怖くはないかも知れないが…こっちは、やっぱり、不安になるぞ。」
気遣わしそうな愛想笑いを浮かべるアナタに、魔理沙はしっとりとした瞬きを返して、
「アナタは怖がらなくても良いよ。ちゃんと、私が責任もって、アナタに累が及ばない様に…。」
「違うだろ。」
と、厳しいアナタの声が、彼女の呟きをせき止めた。
だが、せき止め、押し返して置いて…どうも、自分が説教を出来る立場に居るかどうか…それをこそ不安に思い始めた様だな。
アナタは決まりの悪そうに後ろ髪を掻いて、しかし、魔理沙へ向けて語り掛ける。
「そうじゃないだろ…。いや、そうじゃないのは…違うのはむしろ、俺が言った事で…けど、違うだろ、魔理沙。俺の言いたいのは、だからな…。」
しどろもどろに成りながら、大いに顔を赤らめながら、そして、後ろ髪を掻きまわしながら…。アナタは、トンガリ帽子の中へスッポリッと収まってしまいそうな、小さな彼女の姿に…小首をかしげた、頼りない表情に…懸命に言葉を伝え続ける。
「俺が不安なのは、自分の事だけじゃなく…お前を…。」
その先を言おうとしたアナタの口が、魔理沙の手に塞がれた。
魔理沙は、帽子で照れた顔を隠す様に俯いて、もう一方の手で箒を扉の方へとやる。そして…。
「嬉しい…。だけどその『気持ち』は…言葉は…もう少しだけ、待ってくれ…。私まだ、アリスに…アナタの中のアリスに、勝てる自信が無いから…だから…。」
顔を上げ、アナタへと微笑んで、
「失くさない様に…もう少しだけ、アナタの胸に仕舞って置いて。…それじゃあ、私、行ってくるぜ。くれぐれも、『能力』は使うなよ。アリスの顔を彫るなんて…もっての外だからな。」
腕を真っ直ぐに伸ばし、自分の手が届かなくなるギリギリまで、アナタの口を塞いでいた、魔理沙。
手が離れた瞬間、脇目も振らず、一目散に扉の外へと走り去って居った。
扉の向こうにアナタの見る風景は、変わらず吹雪に没している。だが、アナタには…どうしても、勘違いだとは思えない…。
不意に目を眩ませた、夕陽の赤を…口元に残る、水仕事でざらついた掌の感触を…どうしても、勘違いだとは思えなかった。
[24]
それはいつか、アナタも見た風景。
地平線に触れあう夕焼けが、空を、草原を、そして、涼やかな風を、茜色に染め上げていく。
こんな、まるで一幅の絵の様な世界の下。ラムネ色の髪と、白い頬に、朱色を差した少女が一人…。
傾く日の光を浴びて、薄氷で出来た羽は儚く、その輪郭を見失いそうになる。それにもう一つ。
強い西日を受け、眩さの中に掻き消えてしまいそうな氷の板が、一枚。
少女は今、その氷の板を手に座り込んで居る。
氷の板は大振りの手帳ほどの大きさで、見れば、内部に何かが埋め込まれている様だ。しかし、それが何かは…残念ながら、夕陽に目が霞み定かではない…。
ただ言えるのは、その板を飽きる事なく見つめている姿に、悩ましげな溜息に、それが彼女にとって大切もので、それでいて、悩みの種なのであろう事。
吹き付ける一陣の風に、少女の耳が…胸が詰まる。
ふと、草を踏み締める誰かの足音を耳にした気がして、辺りを見回す。だが、探し求めている人の姿を見付ける事は出来ず、少女はまた溜息を一つ。
青を基調とした服を捲り上げて、お腹に氷の板を仕舞おうとした…その時、
「何か、面白そうな物を持っているな。それ、私にも見せてくれよ。」
頭上から聞こえた声に、少女は大慌てで、おたつきながら、服の下に氷の板を隠した。
俯き、頬っぺたから鼻の頭に掛けてが、溶けてしまいそうに赤い。そんな少女の隣へ、冷やかす様な笑い声を漏らしつつ、箒に乗って舞い降りたのは…黒いトンガリ帽子を被った人影…。
逆光より抜け出し、日陰を焼き払ったそこに行ったのは、勿論、霧雨魔理沙だ。
「別に、隠す事はないだろ。何だか知らないけど、取り上げようなんて気はないって…それどころか…。」
と、魔理沙は少女の隣に腰を下ろして、箒の柄に下がったバスケットから白い布に包まれた物を持ち出す。
「腹は空いてないか。まっ、空いているに決まっているよな。そうだろうと思って…ほら、これ、お前への差し入れだぜ。」
白い布を剥ぎ取れば、そこには、深皿の中にパンプキンパイが四切れ。
魔理沙が自分の為に差し入れ…どうやら少女には、それが不思議でしょうがないらしい。パイと、彼女の顔を、しきりに見比べている。
その明け透けなまでの素直さに、魔理沙は白い歯を覗かせて、
「私と…それに、『あいつ』からの差し入れだぜ。」
彼女がそう続けたのを聞いて、ようやく、少女は満面の笑みを浮かべ、深皿を受け取った。
手掴みでパイを頬張る嬉しそうな少女を横目に、魔理沙は帽子をバスケットの中へ。そして、入れ替わりに取り出したティーポットを、地面に置く。
銀製のポットに差し込む赤く、白い光芒。そのギラギラとした輝きを、琥珀色の瞳に焼き付けて…魔理沙が、呻く様に呟く。
「チルノ、お前一人だけで…。ルーミアは一緒じゃないんだな。まぁ、あの食いしん坊がいつまでも、一所に留まって居られるはずもないか…。けど、とにかく…好都合だ…。」
[25]
黄昏時の日差しは、赤く、眩く、琥珀色の瞳から平衡感覚を奪う。
まつ毛を伏せ、パイを頬張るチルノを横目にしている内、魔理沙は気付いた。
まるで誰かさんの手の様に後ろ髪を撫でて、彼女の決意を揺るがしていた優しい感触。…その『手触り』を作り出していた夕方の風が…遂に、止んだ。
(これで、最後の障害もなくなった。後はいよいよ…私が実行するだけ…。)
ハニーゴールドの髪を、サッサッと撫で付ける。目を向けた箒の周囲には、カンテラの明るさがはっきり解かる程、色濃い夕闇が蹲って居た。
魔理沙はスカートに付いた枯れ草を払い落して…チルノへと語り掛ける。
「なぁ、チルノ…。私の話、聞いてくれるか。」
黙りこくって居た魔理沙からの、唐突な質問。
チルノは、あんぐりと大口を開けたまま、パンプキンパイを口へと運ぶ手を止めた。
幼い容姿をした氷の妖精の不器用さ、真っ正直さに、魔理沙は苦笑を漏らして、
「食べながらで良いんだぜ。」
と、許しを得たチルノは、ニッコリと目を細め、大口にパイを押し込む。
嬉しそうに、美味しそうに、コクンッ、コクンッと首を縦に振る姿を見れば…多分もう、話の肝心な部分は…『話をしても良いか』と魔理沙に尋ねられた事も、忘れてしまっているのだろう。
そんなチルノの天真爛漫さを、もう一度、可笑しそうに、羨ましそうに、苦味のある笑みで笑う。それから…魔理沙は、浅黒い青空に広がる夕焼け色の入道雲を見上げた。
「今日は悪かったな。あいつの作ったべっこう飴、持って来てやれなくて…。」
口からはみ出ていたパイの切れっ端。それを押し込もうとしていたチルノ手が、ピクリッと、震えて止まる。
そうだったのだな。きっと、魔理沙の思った通り、チルノも…彼女もまた、意識しているのだな…。
魔理沙はその憂いを含んだ横顔を、ほんの一瞬、蜂蜜色の夕映えを映した様な、冷やかな瞳で見つめて、
「…と、そうは謝ってみたものの。まっ、お前だって、あいつが手渡ししてやれない位なら、あんな苦いべっこう飴は要らないんだろ。本当は…。」
そう茶化す様な、探る様な声で、ニヤニヤと笑う、魔理沙。
チルノはそん彼女の態度に…幼さばかり目立つ娘かと思いきや…自分の『気持ち』が見透かされている事を、意識したらしい。
アナタ手製のべっこう飴を食べて居る訳でもないのに、ほろ苦い顔をして、目線をあっちこっちに向ける。
そしてチルノは、歯で銜えていたパイの切れ端を口の中へ。それから、薄桃色に紅潮した顔を隠す様に、肩を竦め…それから…それから…恥ずかしそうに、後ろ髪を掻いた…。
魔理沙にはもう、自分が笑っているのか、そうでないのかも解からない。ただ、作り笑いで吊り上げた口の端と、強張った頬が、ジンジンと痛む。
「本当、正直な奴だな、お前って…。」
そう照れている彼女へと向けた言葉が、魔理沙の吐き出せる精一杯の毒気だったのかも知れない。
優しい娘なのだ、魔理沙は…。その優しい娘が、嫌味や、冗談の一つも口に出来ない程、追い詰められている。その事がアナタの置かれている状況の深刻さを、そして、彼女の思いの深さを、克明に物語っている。
夕陽の光芒が地平線の向こうに吸い込まれ、消えて行った。
眩しさと、気負いに顔を背けていた魔理沙も…再び、チルノの容貌に浮かんだ『恋する少女』の面持ちを見つめる。
「お前は、私よりも随分前にあいつと知り合って…それから、ずっと…ずっと、あいつの事を思って来たんだろうな。あいつの世界が、どこまでも、いつまでも…降り止む事のない雪に覆われてしまう位に、ずっと、ずっと…。お前を見習って正直に言わせてもらうけど…私、あいつのイメージを占領して居るものが雪だと知って、お前の『気持ち』だと知って…ショックだったんだぜ。あいつの凍えた姿を見るのも、眠れないで追い詰められている姿を見るのも、確かに、自分の身体を切り苛まれているみたいに辛かったけれど…。」
魔理沙はそこで、しんみりと、味の濃い溜息を漏らして、
「だって私は、お前よりずっと、ずっと、あいつの傍に居たんだぜ。それなのに…私の『気持ち』は、あいつの心を捕らえる事が出来なかった。お前の強い『気持ち』に囚われているあいつを見るのは、自分の思いの弱さを見せつけられている様で…お前の『気持ち』は、チルノの『気持ち』に敵わない…その程度のものだって言われている様でさ。あいつの苦しむ姿は見たくないはずなのに…本当は、自分の『気持ち』があいつを苦しめていない事が…私には、それが何より辛かったんだ。可笑しいよな。まったく、滅茶苦茶だよな。私の言っている事も…私の『気持ち』も…。」
自嘲的な笑いでは吐き出し切れない、どんよりとした胸中の澱。それを何とか掻き出そう、この場に捨て去ってしまおうと、魔理沙はまた溜息を吐き出した。
その咳払いの様に息苦しい、やるせない吐息に、チルノは目を丸くして、驚き、不思議がって居る。
無理もない。彼女は『氷の妖精』で、本来なら、人間の色恋沙汰になどは踏み込み様もない存在。
同じ雪と氷の化身でありながら、我が身を溶かす程の情念を求め生きる『雪女』とは、一線を画している。それは、男を誘惑するのには不向きな、彼女の幼い容姿にも見て取れる事。
それ故に、鮮やかなまでの『女性』を目の前に突き付けられたとして、チルノにはピンと来ない。それもまた、自然の『理』だと言える。
だがしかし、あくまでもそれは、『チルノの、自然界に置ける本来の役割』の話。
『幻覚』と現実の境目を失っている、アナタの与り知らぬ事とは言え…実際は違う。
アナタの見る吹雪がそうである様に、チルノの心もまた、アナタを包み込もうとしている。イメージの世界から体温を奪い去ってしまう程、氷の様に冷たい肌を近づけ…。壁を揺らし吹き抜ける寒風の様に、激しく、骨身に染み渡る言葉で…。
それ程の冷厳たる恋心を胸に秘めながら、一方では、スカートを押っ広げて胡坐を掻き、間の抜けた顔で深皿を抱えている。
彼女の心の底に眠る思いの鮮烈さと、直面している姿から受ける印象。そこにある落差の、あんまりな隔たりに…魔理沙が笑ってしまうのも、仕方のない事だろう。
思わず吹き出してしまった笑気に、左手で口を押さえ、右手では『大丈夫だ』と軽く手を上げる。
「悪い、悪い。いきなり変な話をしてみたり、笑ったり…。お前には、何が何だか、さっぱりだったよな。けど、これは…誓って、お前を馬鹿にしたから笑ったんじゃないぜ。私としては珍しく、神妙な気持ち成って…思ったんだ。これが、純粋な『女心』なんだろうなって…お前のそれに比べたら、私の方は不純物が混じり放題だった…てさ。悔しいけど、こればっかりは否定のしようもない。それが、人成らざる清廉さから生まれた妖精の…お前の『女心』とあれば…。しかし、こんな真っ新な乙女心を籠絡するとか、あいつも、あいつの『能力』も、相当な罪作りだよな。私も、気を許しても、脇は緩めない様に…。」
と、またもや、チルノから外れて行く魔理沙の目線。それを引き戻したのは、カチャリッと、小さく耳を掠めた金属音。
何気なく、魔理沙が地面に置いた銀製のティーポット。チルノはそれを手に取り、好奇心に満ちた瞳で見つめて居た。
魔理沙は穏やかな微笑を浮かべて、その様子を見守っている。だが…頃合いだろうと…そう見定めたかの様に、琥珀色の瞳が陰って行く。
ポットの蓋を開けて中を覗き込むチルノに、やや潜めた声で、魔理沙が語り聞かせる。
「面白いか。それ…あいつの持ち物だったんだぜ。」
目元を押し付ける様にしてポットを覗いていた顔が、勢い良く魔理沙の方を見上げた。
そんなチルノの食い付き具合に、魔理沙は少しも驚いていない。むしろ、笑みを深め、ゆっくりと頷いて、
「今は、あいつにねだって、私の物だけれどな。」
口調から悪意は感じ取れない、それでも、やはり今度も、チルノがどんな反応を示すのか解かって居るのだろう。
ジリジリと、こちらに向けて居た肩を背ける、拗ねた顔の氷の妖精。ティーポットを身体で隠し、まるで『これは自分のものだ』とアピールして居るかの様な体勢をしている。
しかしながら魔理沙とて、このティーポットを手に入れるまでには、並々ならぬ苦労を強いられたのだ。…何せ、アナタへの告白すらまだのところ…懸命に…それも女の方から…『必要なのだ』と、勇気を振り絞って口説き落としたのだからな…。
チルノの『気持ち』を知りながら、ティーポットの元々の持ち主がアナタだと明かした。
それも自慢げに話して聞かせた事は、軽率の謗りを免れないであろう。だが、そうだとは言え、『はい、そうですか』と譲ってやる義理もない。
まだ微笑み崩して居ない魔理沙だが、優しげな唇からは、さぞ、けんもほろろな答えが…、
「んっ、なんだ。欲しいのか、それ…。そんなに欲しければ、チルノ…お前にやろうか。」
彼女の答えは意外なものであった。
チルノも狐に抓まれた様な顔をして…だが、瞳は嬉しそうに輝いている…。
魔理沙はそんなチルノ心底からの喜びへ、朗らかに微笑返す。
「ただし、タダでって訳にはいかないぜ。見ての通りそれは、銀製の高価な代物だし…それに、『神聖な力』で腐食防止のコーティングまで施してある。…けどな、それは私にとって、もっと、もーっと、大きな価値のあるものなんだ。どうしてこんなにも、私がそれを大切にしているのか…その理由、知りたいか。」
悩ましげな表情で首を傾げていた、チルノ。それが、魔理沙の話を聞く内…と言うより、ほぼ話の頭から…キョトンッとした顔をしていた。
多分、『銀製の高価な代物』や、『腐食防止のコーティングを施してある』などと言う事は、チルノにとっては何の価値もない。いいや、そもそも彼女には、それが『アナタの持ち物』であった時点で、価値を保証される必要すらなかったのかも知れない。
だから、魔理沙に頷いたチルノの表情が、何とも不思議そうだったのは…きっと、そんな『理由』からだったのであろう…。
魔理沙は無垢な少女の面持ちへ、何故か満足そうに、期待を滲ませた笑顔で頷き返す。
青草の上に手を突き、ヌッと、その笑顔をチルノへ近づけて、
「そうか、知りたいか。なら、特別の計らいで、お前にだけ教えてやるぜ。」
息の掛かる様な距離で…悪戯っぽく、そして、誇らしげに…魔理沙がチルノへと伝える。
「私は、あいつの事が好きなんだ。…お前と同じでな。」
そんなにも、彼女の言い放った言葉が意外だったのか。チルノは穴が開きそうな程、ジッと、真っ直ぐに、魔理沙の顔を見つめて居た。…言い終えて離れていく彼女の顔を…もっとよく見よう、もっとよく見ようと…少しずつ、瞳を見開いて行きながら…。
睨みつつ、あるいは、ぼんやりと眺めつつ、感情をどう処理して良いのか解からない。自分の『気持ち』の行方さえ見失ってしまいそうで、心細い。
チルノのそんな様子に、微笑み…だが、どこか無感動な瞳で…魔理沙は淡々と、話を続ける。
「私はな、あいつの事を好きだって『気持ち』を、このティーポットの中へ詰め込もうと思っている。つまり、お前が持って居るそれは、『私の恋心』そのものって事だな。…だろ。」
そう問い掛けられて、改めてティーポットを見下ろした、チルノ。彼女の眼差しは、何とも意味深長であり、畏敬の念すら含んでいる。
だが、そうした目で見た時…自分の手は、ポットを粗雑に扱い過ぎて居る…と、チルノには思えたのだろう。そっと蓋を閉じ、持ち方を両手で捧げ持つ様な形に変更した。
これでチルノも、『これがタダで手に入る』物ではないと知ったはずだ。しかし、手にする態度が丁寧に成った分、返すまいとする意志も強固に成ったものと取れなくもないな。
勿論、魔理沙のする事。意識して、『このティーポットが貴重な物だ』と教えたに違いない。…そうすると、彼女は…その貴重なティーポットで、何を企んでいるのだろうか…。
「それは私の、『あいつへの気持ち』。だから、どうしてもそれが欲しいのなら…同じだけの価値のあるものと…お前が『あいつへの気持ち』を詰め込んだものとなら、交換してやっても良いぜ。あるんだろ。お前にも…お前にとっての、恋心の器が…。」
魔理沙にその気はなくとも、その平板な声音は、チルノの冷たい心臓の鼓動を狂わせていく。そして射竦める様な琥珀色の瞳は、地平線に沈み行く太陽の如く、不安へと引き摺り込むのだ。
その時…チルノのすがり付く様に視線が、自分の服の胸元から、臍の辺りまでをなぞる…魔理沙の目はそんな、ラムネ色の瞳の行方を見逃さなかった。
「あぁ、そうか…。さっき、お前が隠した『あれ』が…そうなんだな…。いいぜ。お前の持っている物が何かは解からないけど…それがお前にとって、あいつへの思いを込めた品なら…そのティーポットと交換してやる。」
魔理沙の言葉の最中にも、ティーポットを持った両手をあたふたさせる、チルノ。手にしたティーポットを確保すべきか、それとも、服の内側に秘めた思いを守るべきか、彼女は迷っているらしい。
やじろべえの如く揺れ動きながら、しかし、どちらへも身を投げ出す事が出来ない。どちらかへ取りすがる事で、もう一方を失うのが恐ろしい…。
そんなチルノの心の内を見透かした魔理沙は、ぐらりっと、心根の揺らぐ一言を続ける。
「良いのか。そのティーポットがこっちの手元にあるって事はだぜ…。いずれ私の気持ちは…あいつを好きだってこの気持ちは…あいつへと送られてしまう。チルノ、お前、本当にそれで良いのか。」
最早、魔理沙の意図を量り知る事は、不可能そうだ。傍で見ている方が、そんな諦めにも似た緊張感で支配されてしまう程…彼女はチルノを、そして他でもない、彼女自身の退路を崩していく。
もしもアナタへの『気持ち』を押し通そうするなら、『恋心の器』を交換し、お互いの立ち位置を取り変えること。そうしなければチルノは、自分と正面衝突する羽目に成る。
それが嫌なら、ティーポットの代わりとなる品を、自分へと差し出すしかない。…それが、魔理沙の考えている全て…。
そうして、チルノがアナタへと向ける『気持ち』の行き場を失くす。彼女の意図は読み取れなくとも、そこに真意の端緒があるのは間違いなかろう。
チルノは、迷い、迷って、溢れさんばかりのその『気持ち』を注ぎ込むかの様に、ティーポットを胸へと押し抱いた。
こうなれば後は、魔理沙の思惑の通り。チルノが大事そうにお腹へ隠したその気持ちを、自分へと差し出させるだけだ。
魔理沙の微笑みは、諭す様に、許す様に、優しい。それでいて、有無を言わさぬ様な圧迫感と、自分がチルノの『気持ち』を見抜いていると言う、確信に満ちていた。
待ち切れず真っ直ぐに伸ばされた手が、チルノを促す。『全部、自分のものにしたいなら…全部、私に明け渡せ。』と、催促している。
差し出された両手を前に、チルノのその表情は、まるで恐ろしいものを見ているかの様だった。
ラムネ色の瞳は見開かれ、頭が、身体が、背後へと微かに下がる。…その瞬間、地平線に没し掛けていた夕陽が…氷砂糖の様に蒼白くけぶる、彼女の後ろ髪を掠めた…。
愕然とした表情で自分を見つめる魔理沙を尻目に、チルノはこそばゆそうに、少しはしゃいだ様子で首を傾げる。
その透き通った笑顔は、先程まで、不安に押し潰されそうに成っていた事など覚えて居ない。それは多分、
(私たちの出会ったあの日…そう言えばアナタ、こいつの頭を撫でて居たっけな。…たく、余計なことを…。だいたい、小娘だと思って甘い顔ばっかりしているから…こうして…その気もない相手から、思いを…命を奪われかねない程、深刻な思いを寄せられる事に成るんだぜ。)
と、魔理沙が胸中でぼやいた様に、髪を撫でるアナタの手の感触を思い出したのであろう。少女然とした姿とは裏腹に、チルノの微笑みには、ほんのりとした妖艶さが秘められていた。
それは恰も…そう、まるで…アナタと過ごして居る時の、魔理沙の微笑みの様な…。彼女が目付きをきつくするのも無理はない。
そんな苛烈な視線を受けたチルノは、ギョッとして、大きな瞳を正面へと戻す。しかし、彼女だってもう、目の前の女性の思いを…魔理沙が自分と同じ思いの持ち主なのだと知っている。
だからチルノは、頭を垂れ、自分の身に付けている真っ青な服を見下ろして…今度こそ迷わず…銀のティーポットを突き返すのだった。
「えっ…どうして…。」
チルノが項垂れたその時まで、彼女は自分の『恋心の器』を差し出すものと信じ切って居た、魔理沙。
突き付けられた光景を、困惑と、疑いがない交ぜになった瞳で見つめながら、
「どうして…なぁ、どうして…。だって、これを私が持っていたら、私があいつに思いを伝えるって事で…お前は、それでも良いのか。」
その問い掛けに、項垂れたまま、コクリッ、コクリッと、チルノは二度頷いた。
彼女の答えを直視して、魔理沙の琥珀色の瞳が散大していく。指が、手首が、肘が、止めどなく戦慄き…差し出して居られない。何しろチルノは言ったのだ。無言で、言葉なく、それでも確かに言ったのだ。
(私なんて、あいつの前に居ても居なくても同じ…。例え、私があいつに思いを伝えようと…自分の思いに変わりはない…。チルノ、お前はそっちを選ぶんだな。あいつへ自分の思いを伝える事より、自分の中にある、あいつへの思いを守る事を…そっちを選ぶんだな。)
魔理沙は瞳を閉じると、うす笑い浮かべ溜息を吐き出す。
屈辱だった。
アナタの傍に居る自分の存在が、そして、アナタへの思いが、軽んじられたからではない。
「こんな内向きな『気持ち』に覆い隠されて、アナタへ届かなくなる…。何か、改めて、『お前の気持ちはその程度のものだ』って言われたみたいで、凹むよな。」
と、そう言いながらも魔理沙は、別段、拒むでもなく、チルノからティーポットを受取った。
それにしても、不思議な事もあるものだな。氷の妖精が、凍りついた様に固まっている。両手を突き出した格好で、目の前の女性の寂しそうな声に固まっているのだ。
俯き気味の瞳の奥に宿る色は、遠い黄昏色、微かな嫉妬心の色。
そんな薄暗い感情に濁ったラムネ色の瞳を見据えながら、魔理沙は小さく笑う。
「思いのやり場を失って、初めて気付かされる『気持ち』もある。…だけどもう、誰にも…私にも、お前自身にも、このティーポットへ『恋心』だけを閉じ込める事は出来ないだろうな。」
ポットを再び地面に置き、静かに蓋を外す。
そのポットに種も仕掛けもないのは、中を覗き込んだチルノが確認済み。確認済みのはずなのだが…濁りの混じった彼女の瞳には、何故か、ポットの中をどこまでも、暗闇が広がっているかの様に映った。
ようやく、腕を下ろしたチルノ目の端。魔理沙は、そっと、ポットの蓋をエプロンのポケットに落とす。
「出来るだけ穏便に済ませたかったんだが、それももう無理そうだ。…なら、回りくどい事は止めにしないとな。だって…。」
魔理沙は、箒の柄の奥からカンテラを外すと、優しく、艶のある微笑をチルノへ向ける。
「だって、あいつが、私の帰りを待っている。」
キッと、ガラスの擦れる嫌な音を立て、カンテラの風防が上げられた。
カンテラに灯された炎は、一瞬だけ小さく揺らめき、すぐに冷たい沈黙へと集約する。そして、それは…炎の向こうの、チルノも同じ…。
耳に吸い込まれた魔理沙の言葉が、今、彼女の内側で激しさをまし、荒れ狂っている。ラムネ色の瞳の奥で、カンテラの灯火とだぶって燃え上がる敵意が、そんな苛烈な感情を照らし出す。
「その目…その目は見逃せない…。」
と、敵意を剥き出しにしたチルノを睨み返し、魔理沙はカンテラの炎に、息を吹きかけた。
彼女の『魔力』を帯びた一息で、カンテラの炎は夕闇を焼き尽くすかの如く燃え上がる。
そして、飛び散った火の子に仰け反ったチルノへ向かい、大の大人ほどもある炎の塊が…否、大の大人そのものの、人型をした炎が覆い被さろうとしているではないか…。これはおそらく、アナタの家の薪ストーブに居るのと同じ、火の精霊。
無論、同じと言っても、炎と、そこに込められた『魔力』の大きさには、雲泥の差がある。そのあまりの火勢に、チルノは何ら抵抗する事もなく、一目散に逃げ出した。
もし、このままこの場を走り去って居れば…彼女は助かったのかも知れない。少なくとも、幻想郷に逃げ込みさえすれば、魔理沙でもおいそれとは手が出せなかったであろう。
しかしながらチルノは、脚を止め、振り返ってしまった…。駆けだした瞬間、服の間から滑り落ちていく、氷の板を…自分の『恋心の器』を見て…彼女は、立ち止まってしまったのだ…。
チルノが踵を返し、草むらへと腕を伸ばした刹那。大きな火の精霊が彼女の背後に回り込み、退路を断つ。
それも、その火影は一塊ではない。
魔理沙の手元で膨れ上がった、カンテラの炎。そこから飛び出た人影に引っ張り出される様に、炎の精霊が次々と、手を繋いだ姿で踊り出して来るではないか。
そう、まさにこれは、踊りなのだ。
精霊たちは手に手を取ってチルノを取り囲み、ぐるぐると、輪に成って踊り始める。それはまるで、蹲り、両手で頭を抱えている子供に…カゴメ、カゴメと…囁き掛けている様にも見える。
周りを囲む火の精霊に見下ろされ、チルノは羽で飛び立つ事も叶わない。魔理沙はその様子を見届けてから、精霊たちが抜けだし、火勢の弱まったカンテラの風防を閉じる。
手を繋ぎ廻る精霊たちは、音もなく草原を踏み鳴らし…だが、不思議と、青草に火が燃え移っては居ない。
それは、周囲の生き物たちを気遣う、魔理沙の優しさ…いいや、違う…。
瞬きもせずカンテラを箒に戻した、その微笑み。その微笑をみれば、はっきりと、そうではない事が解かる。今の彼女には眼中にないのだ。
草木の事、生き物の事、そして、それらを容易く蔑にできる力が自分にある事も…彼女には見えては居ない。
今の魔理沙に見えて居るのは、たった二つだけ。
アナタを思い、そして思い描いた未来。それから…自分の足元に転がる…アナタを思うチルノの『気持ち』。
火の精霊の輪に歩み寄り、魔理沙が地面から拾い上げた物。それはチルノが、大切に、大切に懐に忍ばせていた氷の板。
そして、その氷の板の中には…幾つもの爪楊枝と一緒に、アナタへの『気持ち』が…綺麗に並べられ、埋め込まれていた。
空の雲は灰を被った様に暗く、不透明で、西日の名残りの紅色も、雲間に紛れる。これから二人の頭上に垂れこめるのは、紺色の夜空、あるいは…。
未来を暗示するかの様に、くすんだ琥珀色の瞳。魔理沙はその瞳で氷の板を見つめながら、消え入りそうな苦笑を漏らした。
「これじゃあな…。私の『気持ち』が、負けるわけだぜ。」
火の精霊たちの舞い踊る光の中。くすみ、黒ずんでも輝き続ける琥珀色を残して…微笑は逆光の陰りへと熔けていく…。




