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熔ける微笑  作者: 梟小路
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[12]

 鼻腔をくすぐる芳醇な香気に、アナタの口がもごもごと動く。しかし(はなは)だ口惜しい事に、舌に残るのはありふれた唾液の味だけ。

 それでも、満更、収穫が無かった訳でもない様だな。

 アナタは、ともすればバラバラに成りそうな意識を繋ぎ合わせ、ギュッと、眉間に力を入れて闘い続けた。…何と『闘っている』のか…それは勿論、睡魔とである…。

 (如何にも味気無いこの感じ…まるで、腹を減らしたまま眠った時に見る夢…。夢の中で美味そうな食事に手を付けても…飲み食いしても感じるのは、何も感じないって事だけ…。味も、匂いも、食感も無ありはしない。それなのに、自分は無味無臭のそれを食べずにはいられないっていう…あの味気なさにそっくりだ。…って事は、俺、眠っているのかな。可笑しいな…確か、魔理沙(まりさ)の手料理をたらふく食ったはずなんだが…どうして、味気ないんだ…。腹は減って居ないはずだろ…。)

と、アナタは、空想とも、現実ともつかない、まさしく夢の世界に居るらしい。考えれば考える程、論点が平衡感覚を失って行っているのが良い証拠だ。

 夢の中でアナタは、『食べても味気ないのだから』という達観の元、木製のスプーンから延々とシチューを下へ垂らし続けていた。

 アナタの苦手な、ニンジンが混じった乳白色の液体。夢現(ゆめうつつ)の内で見とれながら…不意に、アナタは二つの事を思い出すのだった…。

 一つは、シチューを食べているアナタの(さじ)が、ニンジンを掻き分け、選り好みをしていないか監視する魔理沙の鋭い目付き。

 二つ目は…、

(最初に俺が口にしたのは…液状には違いないが…もっと、サラッとしたイメージがあった様な。あぁ、そうか、そこで…匂いに釣られてはみたものの食感で空振りしたんで、イメージがシチューの方へ流れて行ったのか…成る程…。ところで、夢の中の食い物って…匂いなんかすんのかな。…いや、これはもしかすると、もしかして…。)

 アナタは辛うじて繋ぎ止めていた意識を、揉みくちゃにし、握り潰すかの様に、眉間に更なる力を込めた。

 それから、そんな険しい表情のまま薄目を開いていくと…香ってくる。そして、聞こえてくるではないか…。

 (まぶた)に溜まった涙に(にじ)む、現実世界。足音と共に、耳慣れた魔理沙の声が寝起きの頭の中に響き渡る。

 「お代わりはいかがかな。」

 コツコツと、革靴の堅さを感じさせる音。家庭的な…と、そう例えたなら、魔理沙が複雑な顔をしそうな…そんな声。それに対して今度は正面から、上品さを折上げ、巻き上げた様な優雅な声音が、乾燥気味のアナタの耳たぶを撫でる。

 「頂くわ。それにしても、随分と良い茶葉を隠していた割に…ここにはミルクも無いのかしらね。」

「それに関しては、面白い話があるぜ。」

と、アリスに答える魔理沙の含み笑いを、『液体が注がれる』小気味良い音が追い掛ける。

 「そいつには、私の家に遊びに来る度に言う、お決まりの台詞があるんだ。『お菓子作りで余ったミルクがあるなら、処分してやるから俺にくれ』ってな。でも、ママのおっぱいが恋しいって歳でも無いだろうに、我が家を訪れる度、呪文みたく同じ言を繰り返すは、それが…ミルクの余りがコップ一杯分にも成らない様な時でも、嬉しそうに持って帰るだろ…。『傷ませるよりは良いだろう』って、土産に持たせてやっていた私も、そこは、流石に変だなぁ…と、思ってさ。」

「なるほど…。それで、この家を舞台に魔理沙の大捜索劇が始まったという訳ね。」

 テーブルの上から、カチャッと…この家にはあるはずの無い…陶製の食器が重なる、繊細な音が零れた。

 その音色と、アリスの苦笑混じりの吐息を耳にしながら…何やら、アナタの夢見がなお以って悪くなった様な…起きよう、起きなければと念じる気持ちに必死さが加わり始めた様な…。

 しかし、か細い(うめ)き漏らし始めたアナタを知る由も無く、魔理沙は楽しそうに声を張り上げ、アリスとのお喋りを続行する。

 「おいおい、物語のクライマックスを摘まみ食いするのは、感心しないぜ。だからそいつにも、来客用の茶菓子くらいは用意しておけと…。」

と、魔理沙の語り口が饒舌さを増す程に、アナタの寝苦しそうな呻きが大きく成っていく。ところが、この…また夢の中で食事を始めた様な、アナタの苦渋に歪む顔を見ていると…どうやら、美味くも無い空想の料理を噛み締めているのには、二人にこれ以上の話をされたくない…という以外の理由がありそうなのだ。

 アナタが呻き声を漏らしているのに、それに多分、アナタが何を嫌がって居るのかにも気付いている。そんなアリスの含み笑いが、弥が上にも疑惑を際立たせていく。

 それにしても魔理沙は、一体、どこに居るのだろうか。先程から一人、やや離れた場所より声を張り上げて居るのだが…と、彼女の声に触発された様に、また、アナタは苦虫を噛み潰した様な表情に…。

 どうやらこの辺りに、アナタの苦しみを知る重大なヒントが隠れているに違いない。ここは一つ、今の彼女の声に耳を傾けてみようではないか。

 魔理沙はこう言ったのだ。

 「…で、前から気に成っていたんだけどな。…この、紅茶の葉っぱと一緒に置いてあるジャガイモみたいなのって…何なんだ。」

 ジャガイモみたいなの…。どうもこれだけでは判然としない。もう少し、彼女たちの会話に耳をそばだてみるとしよう。

 椅子の足で床板を擦る振動が、アナタの靴底へと伝わる。どうやらアリスは、身体を魔理沙の居る方へと向けて、例の『ジャガイモみたいなもの』の正体を確認しているらしかった。

 しばらくたってからアリスが、さも腑に落ちた様な、解かってしまえば詰まらないと言いたげな声で、

「あぁ、それの事…。そうして手にすれば重みですぐに気付いたでしょうけど、当然、ジャガイモではないわ。それは、ドライレモンよ。」

 「『ドライレモン』…って、レモンか、これ…。」

「そっ、名前そのままの、レモンを皮ごと乾燥させた物。」

 陶製の食器が、再び、小さな音を奏でた。…それから一拍あとに、アリスの言葉は続く。

 「乾燥はしていても酸味はしっかりと残っているから、大抵、蜂蜜漬けにするか…細かく切って、紅茶に入れると言うのがポピュラーな味わい方でしょうね。紅茶馬鹿の彼の事だから…すり潰したドライレモンを、レモングラスが微かに残る位の適量、キーモンの茶葉に混ぜる…それ以外の使い道は、丸っきり頭に無いのだろうけど…。」

「はぁ、そうなのか。珈琲派の私からすれば、ちょっと、ピンとこない話だな。それで、どうする。ミルクの代わりにこれでも、刻んで混ぜてみるか。」

と、戸棚を占める様な物音の後に、靴音と、魔理沙の声が、テーブルの方へと近づいて来た。

 その魔理沙の気配が、丁度、アナタの傍らで止まると…やや思案気な、アリスの声が聞こえ始める。

 「そうねぇ…この辺りでは、ドライレモンなんてそう簡単には手に入らないでしょうし…ただでさえ、こうして彼の大事なアッサムを頂いている訳でしょう。流石に、少し気が引けるわ。」

 アリスの思い掛けない…もとい、淑女である彼女ならば、当然の答え。

 アナタもそれには、ホッと安堵したご様子。痙攣(けいれん)しっぱなしだった眉毛も、多少は穏やかに成った様に見えた。

 しかしながら…女性の思わせ振りな態度と言う奴は、押しなべて、次に続く痛快な一言の為の『間』であり、同時に『魔』でしかないものだ…。

 アナタには酷な話だが、アリスの過ごす優雅なティータイムに、遠慮などと言う際限のあろうはずもない。

 「まぁ、だけど…ここまで彼ご愛用の品々を楽しませて貰って置いて、余すところなく堪能する前に放り出すと言うのも…却って、失礼になるかも知れないわねぇ。」

 実に悩ましいと零す様な、アリスの声。外連味(けれんみ)は、今しがたの慎み深い意見を数倍した如しと言ったところか…。

 魔理沙は快活に笑って、アリスに応じると、

「そうこなくっちゃな。なに、別に気にしなくても…こいつだって、寝ている間にお茶したくらいじゃ目くじらを立てたりしないさ。…で、このドライレモンを…えっと、取り敢えず刻めばいいんだよな。それから、適当に、ポットの中にでも放り込めばいいのか。」

 「それは、止しておきましょう。それでもしも、彼の目覚めの一杯が、酸っぱいアッサムなんて事に成ったら…その時は流石に、彼も不満を口にする事になるでしょうから…少なからずね。」

 そんなアリスの言葉遊びが気に入ったのか、魔理沙はご機嫌な笑い声をアナタの耳へと届けた。

 お次は、アナタの座る真横で、椅子の脚を軽く蹴飛ばした様な気配がする。続いて、魔理沙はアナタの隣の席に腰掛けて、

「しっかし、『紅茶馬鹿』って呼び名は言い得て妙だぜ。私は、紅茶の葉っぱとか、一緒に煮立てるドライフルーツの事は全然だけどな。こいつの寝室の戸棚を開けた時には、そりゃあ、驚いたね。」

 サクサクッと、ドライレモンを切り分ける軽快な音。魔理沙はナイフで一欠片、二欠片、切り取ったらしい。

 「こんなもんでどうかな。」

「私はそっちの、小さい欠片一つで良いわ。そう、それ一つカップにちょうだい。…それで魔理沙は、どんな冴えたやり方を用いて、彼のベッドルームの扉を開かせたの。」

 アリスの問いに魔理沙は、クンクンと、何やら匂いを嗅ぐ様に鼻をヒクつかせてから、

「これと言って特別な事はしていないぜ。」

と、彼女は言ったのだが…寝息すら重苦しいアナタの煩悶(はんもん)を見るにつけて…生易しい手段ではなかった事が想像させられる。…と言うか、アナタの呻き声には、もう魔理沙だって気付いて居るだろうに…。

 「その日は、丸一日休みって事にしておいたんだ。んで、午前中の、まだ日も高くない、こいつが川釣りに出かける前を狙って襲撃してやったんだ。今夜みたいに、食い物一杯携えてな。…むっ、これはまた…酸っぱいぜ。」

と、話の途中、ドライレモンの欠片を口に放り込んだのであろう。魔理沙から渋い…いや、酸味のある呟きが聞こえた。

 アリスはそんな魔理沙の、紅茶で舌を洗って居るであろう口休めを引き取って、

「魔理沙は初めから、長期戦の構えで事に望んだ訳ね。だけどその布陣だと…実際、長丁場になったのじゃないの。」

 「いいや、そうでもないぜ。何しろ、食糧以外にも、豪華な付け届けを用意していたからな。それが決め手に成って、さしものこやつも、早々に、胸襟(きょうきん)を開かざるを得なかったって事さ。まっ、今夜の、『エレガントな金髪美女』って、手土産と比べてしまえば、ごくごく詰まらない物ではあるけどな。」

「だけど、それが何であれ、貴女の『引き立て役』には違いはないのでしょう。…はい、はい、そんな可愛い顔で睨まないで、解かっていますわよ。それで…結局のところ魔理沙は、何を彼への付け届けとしての選んだのかしら…。」

 魔理沙が、グイッと、喉を鳴らし紅茶を飲み干して、

「新鮮なミルクを一瓶ね。それをテーブルの真ん中にそれとなく差し出して…後は…何も言わないで、ニコニコ笑って居ると、あら不思議。こいつ、すごすごと寝室の方へ何かを取りに行くだろ。だから手伝ってやろうと、足音忍ばせて引っ付いて行ったんだ。…そうしたら、出るわ、出るわ。」

 「脅迫に、尾行か…年頃の娘がする事ではないわね。それで収穫は…。魔理沙の事だから既に、二つ、三つは、くすねているんでしょう。」

「それが、なかなかどうして、ガードが固くてさぁ。『こんな高価な物、このボロ屋に置いておくには勿体無い。』って、再三、心を込めて説得は試みているんだけど、どうにも手が出ないんだよな。」

 魔理沙の言い分を聞くにつけ、やっと全容が見えてきた。

 つまりアナタは、寝室の戸棚にある『高価な物』が、二人に持ち去られるのでは無いかと危惧している。それはもう、自ら眠りの安らかさを放棄する程に、深く、深く憂慮しているのであろう。…まぁ、アッサムの茶葉の幾らかと、ドライレモン一個に関して言えば…もう手遅れなのではあるが…。

 「それに、ティーカップとソーサーだけ貰っても、あまりに様に成らないのも事実だよな。貰うのならやっぱり、ティーポットも含めたお茶の道具一式で欲しいし…。だけど、そうなると手入れが厄介そうだって問題が持ち上がるだろ。例えば、このティーポットとか…こいつは意外に綺麗に使って居るみたいだけど、私だと折角の銀器を変色させてしまうんじゃないかって…そういう部分は多少、心もとなくもあるんだ。」

 二杯目の紅茶を自分のカップに注ぎ終えると、魔理沙はそれをソーサーごと持ち上げた様だ。しばし馥郁(ふくいく)とした香を楽しんでから、

「まっ、こうして…この家に来る度にカップは使わせてもらって居る訳だから…今のところは、それで十分だぜ。」

 ふぅっと、喋りたい事を喋り切った様な満足感で紅茶の湯気を吹き消すと、魔理沙はティーブレイクに入ったらしい。

 …では、この機に、魔理沙が何の気なく話した、アナタにとって『聞き捨てならない台詞』を振り返ってみたい。

 魔理沙はお喋りの最中に、こんな事を言って居たな。『例えば、この』、そして、『こうして』だ…。

 『その』でも、『ああして』でも無い。『この』ことが、アナタの大事にしている物たちを、彼女たちは現在進行形で使用いている。並びに、アナタの寝惚け眼との壮絶な戦いは、その事の起こりの段階から無駄だった様だ。

 まぁ、そう気を落とさず…人間だれしも夢覚めやらぬ時は、より多くのものを自分の管理化に置きたいと思うものだからな。…じゃあ、唾液の味をしたまま成らない夢を見るのはこれ位にして、鮮烈な現実のティータイムへと瞳をこじ開けようではないか…。

 そんなアナタの目覚めを予期した…と言う訳でもあるまいが…目覚まし時計のハンマーが交互にベルを叩く様に、二人は銀器のティーポットへの不穏な関心を蒸し返し始める。

 「だけど魔理沙、そのティーポットなら手入れの心配はいらないかも知れないわよ。」

「んっ、それってまさか…この、あいつのお気に入りのポット…変色もしない様な安物だって言いたいんじゃ…。」

 「その心配も無いと思うわ。触った感じ、熱伝導性が高い。刻印を見れば銀メッキでないのも確かそう。それに、ステンレスとは光沢がまったくの別物と…。これだけ条件がそろっていれば、まず、純銀製のティーカップと見て間違いないのじゃないかしら…。」

「えっ、本気で…。これ、純銀で出来ているのか。なんでそんな代物を、貧乏暮しが長かったはずのこいつが持っているんだよ。」

 「まぁ、元々は、川魚を釣る事と、紅茶を楽しむくらいしか趣味の無い子だったみたいだから…。きっと、『能力』に目覚める以前にでも、有り金叩いて買い集めたのでしょう。この洋銀のティーポットにしても、ちゃんと、ジャンピングを起こし易い丸型のものを選んでいる辺り…流石に、紅茶馬鹿の面目躍如ってところかしらね。」

「はぁっ…紅茶以外の文化的な生活を差し置いてか…たくっ、これだから、男の買い物って奴は…。んで、紅茶馬鹿御用達のポットには、変色の心配をせずに済むどんな仕掛けがあるんだ。」

 「あらっ、(とぼ)けているの。それとも、本当に気付かないかしら…。このティーポット、極微弱だけれど、精霊の気配を纏っているわよ。それも、それなりに神聖な部類の気配をね。思うに、どこかのお坊さんか、それとも司祭さまが、霊術を用いて変色防止のコーティングを施したか…あるいは、使われている洋銀事態が、異世界の神秘科学で生成された物か…。どちらにしても、そこら辺に転がっている代物じゃないわね。」

「あー、そう言う事なら、私が『力』の気配を感じとれなかったのも、可笑しな話じゃないぜ。何つっても私は、『魔法使い』だからな。『神聖』って手合いとは、生まれつき相性が悪い。それに元々、銀器自体も『魔力』の遮断効果が高いだろ。こうしてアリスに指摘されてみれば…確かに、違和感はある。私の『魔力』では見通しが利かない分、外側とポットの内部ではまったくの別世界が広がっている様に感じる。『千夜一夜物語』で『魔人』を封じ込めていたランプも、これと似た作りのものだったのかもな。」

 「なかなかに好奇心をそそられる見解だわ。それだけの材料がそろっていれば、彼の次の演目にも役立ちそうね。それとも…魔理沙は、もっと他の悪巧みの方で興味があるのかしら…。」

「さぁねぇ…まっ、今のところ、使う当てはないな。…けど、純銀ってのを聞いてしまったからには…。とりあえず、持って帰って、『家の子』にしてやりたい気持ちは強く成ったかな。後、ついでだし、ティーカップも何組か失敬していくか。」

 「それは大変良い考えね。ちなみに、ハドンホールのカップとソーサは、私が頂く事に成っているからその積りで…。」

と、ここで(やぶ)から棒に、お喋りに花を咲かせていた二人の間を、ぬっと、一本の腕が横断した。

 「お前ら…人が眠りこけていると思って…。人ん家の食器の分配を、勝手に決めようとしいてるんじゃねぇよ。…言っとくけどな。俺は、ポットも、カップも、ソーサーも、手放すつもりは微塵も無いからな。」

 出し抜けに、かつ起き抜けで、二人の会話に割って入ったアナタの声と、右腕。その手が、ふらふらと…(あたか)も目覚まし時計を探し求めるかの様に彷徨ってから…二人が絶え間なく響かせるアラームを止めるべく、洋銀製のティーポットの蓋を掴んだ。

 魔理沙は大人しくアナタにティーポットを明け渡すと、そそくさと椅子から立ち上がって、

「それじゃあ私、こいつの分のカップを用意するぜ。」

 そう何事も無かったかの様に言うと、小走りで寝室に向かった。…アナタの隣を通り過ぎる刹那…テーブルに付く二人に直視されない様…胸に手を宛て、安堵の吐息を漏らしながら…。

 彼女に並々ならぬ心配を掛けていた。それに気付き、ハッとしたアナタへ、

「ようやくのお目覚めね。」

 味わい深い皮肉の込められたアリスの声は、生姜入りのホットティーの様に、アナタの胸の奥に浸み渡った。…心持ち、気恥かしさという刺激は強めで…。

 「待たせた上に、起きて早々、せこいところをお見せして申し訳ない。」

「まぁ、これだけの品だもの、アナタが執着する気持ちも解かるわよ。それに…『満足に使いもしない物を、無駄に買い集めて』と、前々から思って居たのだけれど…今夜のティータイムの事を思えば、アナタには良い買い物をして貰ったわ。」

 野イチゴの模様が彩色された、ブルーフルーテッドのティーカップ。

 口は広く、そして浅く、(ぜい)を凝らした品には無い、シンプルさという魅力を有したその白磁を傾けて…アリスは喉と、言葉の空白を潤した。

 「それは、俺一番のお気に入りへの、賞賛と受取って良いのかな。…だとすれば、光栄だけど…。」

「確かに良いカップね、これは…。紅茶を飲むのに最適の形状で、楚々とした色彩も素敵な、まさに一品。でも、そんな優れた芸術性より、私には…アナタの目覚めるまでの間、これらが魔理沙の気晴らしに成ってくれていた事の方が…よほど、価値ある事に思えるの。気の利いた慰めの言葉一つ言えない…『生き人形』よりは、よほどね…。」

 普段のアリスが口にする冗談とも…彼女らしからぬ…生身の弱音とも取れる自嘲的な台詞。

 アナタは、ざわつく内心を寝起きのけだるさで誤魔化す様に、ガリガリと、後ろ髪を掻き回して、

「そう言う事なら俺としても…なおさら、光栄に思うよ。」

と、今一つ気取った台詞を吐く事が出来ずに、口籠った。…この家に帰ったばかりの頃は、久しぶりにアリスとの接見が叶ったと、あんなにもはしゃいで居たのに…どうした事か…。

 熱意に欠ける、アナタの反応。アリスは、カップのそこで人肌にまで落ち着いた温もりと、わずかに残った紅茶に、唇で触れる。

 「出来る事なら今は、同意より、慰めの言葉が欲しかったな…。」 

 苦笑いを浮かべるアリスの声は、珍しく甘ったれた様な、それでいて照れくさそうに、言葉が胸につかえていた。

 …男は鈍いからな。自分で自分の気持ちが解からない事だって、ざらにある。そんな時、自分の気持ちの変化に…あれほど燃え盛って居た炎が、鎮静化した事に気付かせてくれるのは…彼の情熱を惜しみ、なつかしむ、彼女の笑顔なのだろう…。

 アナタも彼女の…自分にとってたった一人の存在だったアリスの、小さな(うれ)いの情に…やっと、自らの心境の変化に思い至った。

 「そう言われても、アリスが『生き人形』なら、俺は『木偶(でく)の坊』だからな…慰めには成れても、理屈でアリスの気持ちを楽にはしてやれないよ。」

 これまでは、ただただ思いを燃やす事にばかり腐心してきた。それが今は、残り火が消えないか戸惑う様に、燃料の薪木を投げ入れるのすら躊躇(ためら)っている…。アナタの声は、そうした心の余熱で、芯から温まって居た。

 アリスは、アナタのほとぼりに当てられた様に、火照った吐息を漏らすと、 

 「もしかしてアナタ、私の事を口説(くど)いている積りだったの…また性懲りも無く…。でも、アナタの軽口は、再三再四、聞いて来たけれど…こんな間近で…密着した体温が伝わる様な口説き文句は、初めてよね。どう言った心境の変化があったのかしら…。」

 自分たちの微熱を冷やかす様なアリスの声を耳に、アナタは両手を後頭部で組み、背筋のストレッチ。そうして、身体と、心を(ほぐ)しながら、アナタは爽やかで、活き活きとした笑顔を浮かべる。

 「さぁね。心境の変化なんて言われても…何か、ピンと来ないんだ。まぁ、それでも…あの時も、あの時にも…どうして、今みたいな台詞でアリスの事を口説けなかったのかって…そう言う心残りはあるかな。どうやら、少しは脈がありそうだし…。」

 そんなアナタの笑顔に抗い切れなかった様に、アリスも口元へ笑みを宿して、

「どうかしらね。」

 …と、そこへ、アナタの分のティーカップを持った魔理沙が、テーブルへと近付いて来る。その顔は、なんとも怪訝そうで、そして何と言うか…『手の掛る連中だ』と呆れているかの様であった。…自分の事は棚に上げて…。

 「お前ら、止めろよな。そんな…意地張って見せるみたいに、笑い顔を突き合わせるのは…。また何か、つまらない事で口喧嘩でもしているんだろ。」

と、鋭い様な、鈍い様な、魔理沙のご指摘。アナタとアリスは、堪え切れずに含み笑いを唱和して…またまた、彼女の不興を買う事に成った様だ。

 不愉快さを頬の赤みに(にじ)ませ、ティーカップとソーサを乱暴に…成り切れず、テーブルのアナタの前へ。それから、魔法仕掛けのティーポットを強引に…と言うには、やや指をあたふたとさせながら掴み上げる。

 魔理沙のその態度が、随分とお気に召した様で…。アナタは、まるで笑い声で言葉の音節を区切る様に、さも可笑しそうに話す。

 「別に、口喧嘩なんかして居ないよ。ただちょっと、見解の相違について語り合うのに、熱が入り過ぎたってだけだよ。」

「あっ、そっ。どっちにしても、茶飲み話には向かない会話だった訳だ。まぁ、それなりに仲良くしてくれているなら、私は結構だけどな。」

と、魔理沙は、アナタのティーカップへ、濃い赤褐色の液体を注いだ。…アナタの胸板に、グイッと、肘をねじり込みながら…。

 アナタはやんわりと、ティータイムを楽しむ紳士らしくスマートに、圧し掛かる魔理沙を押し抜ける。そうして、(かし)いだカップの中で、頑なに水平を保っている紅茶の液面を口元に寄せ…アナタは盛大に、加えて大袈裟に、大息を吐いた。

 「どっ、どうしんだよ。まさか、『勝手に紅茶を淹れた』とか、『無断で良いティーカップを使われた』とか、みみっちい事を言う気じゃないだろうな。」

 アナタの唐突な溜息に驚いて…と言うよりは、不安を覚えてか…自分の席に着いたばかりの魔理沙が、唇を尖がらせた。

 隣から投げ掛けられたその声に、アナタは思わせ振りに眉を動かして、

「いくら俺でも、そこまでケチくさい事は言わないよ。」

 「じゃあ、私の紅茶の淹れ方が悪かったのか。ポットは予め、温めて置いたし…紅茶の葉っぱだって、わざわざ、お前が一番良く飲むやつは避けて選んだぜ。」

 そう魔理沙から食らい付くが如くに尋ねられ、アナタは思わず正直な感想を…、

「そうじゃなくて、単純に色合いが…いっ。」

 「いっ…。『いっ』って、なんだ。」

 その質問に答えてやりたくとも、アリスに蹴られた左足の(すね)と、彼女の視線が痛すぎて言葉に成らない。

 だもんでアナタは、瞳を大きくしたり、細めたり、左を見たり、右を見てみたりと、まなじりを決してアリスとのアイコンタクトに努める。

 (てめぇ、何の積り…かは、解かっている。『自分の目の前で、魔理沙やきもきさせる様な事を言うな』と、言いたいんだろ。はい、はい。矛先は、君に向ければ良いんですよね。問題無いッスよ。まんざら、嘘を吐くって訳でもないんだからな。)

と、未だこめかみの辺りに残る寒気を抑え込んで、アナタはニンマリと魔理沙に笑い掛ける。

 「なっ…なんだよ、その笑顔は…私に文句があるんなら、はっきりと言えよ。」

 …まぁ、多少は性急に表情を作った為に、引きつった笑い顔に成ってしまった用だが…それはさて置き、アナタは抑揚のある声で、魔理沙へと語り掛け始めた…。

「あぁ、だからな。こんな色合いの良い…それにこんなに匂いも芳しい…はぁっ、やっぱり、アッサムの、それも今年摘みのセカンドフラッシュかよ…。敢えて封切られてない新茶を使わなくても、俺の寝室の戸棚を開けたならすぐ目の前に、手の付いた去年のオータムナルが有っただろ。…そうだった。俺が一番良く飲んでいたオータムは、特別扱いで手を出さないでくれたんだよな。いや、そんな事は構わないんだ。どうせ今年の内に飲み始める予定だったし…。それに封を切る時は、魔理沙が料理を持ってきたくれたタイミングを見計らって、食後の一杯に供そうと勝手に思っていたんだからな。まっ、少し段取りとはズレたけど、主目的はしっかしりと果たせた。だから、それは良いんだ。…けどなぁ。」

 そこでアナタは、ニッと、何とも不敵な笑みを浮かべて、

 「食事をご馳走に成った魔理沙が飲む分には、一向に構わないんだが…。俺秘蔵のアッサムを、こんな『ダージリンが紅茶の王様』だと吹聴して(はばか)らない、あからさまな味音痴に飲まれているのかと思えば…溜息も出るってもんだろ。」

 そのアナタの皮肉を聞くが早いか、アリスが程好く低い声で、潤ったばかりの喉を鳴らす。

 「眠気覚ましが主目的で紅茶を飲む様な(やから)にだけは、言われたくないわね。」

「解かってないなぁ。俺は紅茶をただ漠然と(たしな)むに止まらず、その効能をも利用する事で、より広義の魅力を一匙(ひとさじ)の茶葉へ与えているのだよ。そもそも、元を正せば抹茶にしろ、和の文化において酔い覚ましの特効薬として用いられ、それ故に一服と言う単位で…。」

と、アナタがうんちくを披露しようとするのを、横合いから、不貞腐れた様な魔理沙の声が、

「あーっ、もう、よーく、納得しました。さっきからずっと二人して、そんな風にじゃれ合って居たんだろ。それはちゃんと把握した。把握してやったんだし…こっからは二人とも、静かに茶を(すす)っていてくれるよな。」

 そう言って魔理沙が、笑顔で首を傾げ…恫喝する。

 アリスは、そんな威圧にも涼しげに微笑みつつ、

「私の可愛い魔理沙が心から望むのなら…私に争う理由はないわね。」

と、うっとりとした口調で呟いた。…ソーサーに上げられたドライレモンの欠片をスプーンで弄ぶ…その仕草の悩ましさと言い…余裕の対応といったところだな…。

 お次に…見る者を畏怖させる…魔理沙の可憐な笑顔を向けられたアナタは、どうであろう。

 果敢にも魔理沙へ対して笑い返して、笑って…存分に媚びへつらった後に、無言で紅茶を口に含んだ。

 (流石に珈琲党が淹れただけあって…苦いなぁ。さぞかし、じっくりと抽出したんだろうけど…アリスが気付かないはずないんだから、4、5分のところで止めてやれば良いもの…。)

 胸中でぼやきながら、苦み走しった紅茶の一啜りを舌先で転がす、アナタ。心なしか潜めた眉から、不服気な視線をアリスに送るのだが…返って来たのは、

『魔理沙が一生懸命に紅茶を淹れてくれて居る…。この娘のそんな健気(けなげ)な姿を見て、私に口出しなんて出来るはずがないでしょう。』

と、どことなく偉そうに答える様な、アリスの澄まし顔。

 『言うまでも無い』とそっけなく突き放す彼女の態度を受け、アナタは珈琲党の魔法使いの方へ目線を泳がせた。

 (まぁ、自信満々で居るところに口を挟むなんて…ちょっと難しいかもな…。)

 アナタの目線に見え隠れする、複雑な気色(けしき)

 それをどの様に受取ったのやら…。魔理沙は、ニッコリと、『もう怒ってないよ』とアナタに笑い掛ける。

 「お味の方はどうかね。」

 魔理沙の物柔らかな声。アナタは口の中に含んでいた紅茶を、グッと飲み込む。

 「悪くない。目の覚める様な味って具合かな。」

 どうやらアナタは、底意をオブラートに包みつつも、抵抗の意志と、悪戯心を捨て切れなかったらしい。

 そんな意地の悪さが後を引く答えに、魔理沙は天使の様な笑顔を…ヒッヒッヒッと、小悪魔の笑い顔に変えて、

「結構、結構。男はやっぱり、素直でないとな。(たま)には『苦い思い』をするのも、良い薬だろ。」

と、彼女自身、自分の淹れた紅茶の欠点には気付いて居たのだ。

 アリスと言い、魔理沙と言い…アナタより、一枚も、二枚も上手であると言わざるを得ないな。特に…目覚めた自分が何を語るのか…それを心静かに、アナタが自発的に話し始めるのを待って貰って居る…その事をアナタ自身、自覚しているだけに…。

 アナタは再び、ティーカップを口に運ぶ。

 パンチの効いた紅茶の風味と、彼女たちの醸し出す安らいだ雰囲気。それらを堪能しながら、ゆったりと飲み込んだ紅茶の味は…やはり、苦かった…。

[13]

 魔理沙の淹れてくれた紅茶は、じっくりと時間を掛け、幾度にも分けて飲み干されていく。

 三人の舌は、その根まで苦味に慣れ切って…なのに、口の中に残るほろ苦さは、いつまでたっても居座ったまま…。

 そんな気だるい空気の中。最後の一口を飲み込まんとするアナタを…アリスは、瞳を閉じ、組んだ足の上に手を置いて…魔理沙は、頬杖ついて、ティーカップの縁を指でなぞりながら…言葉も無く待ち続けていた。

 生温(なまぬる)い苦味が痺れと成り始めた頃、ティーカップを置いたアナタが、口を開く。

 「お待たせ…と言っても、実際ところは、俺がどれくらいお前たちを待たせたのか、見当もつかないんだけどな…。紅茶の苦味から言っても、2、30分じゃ利かなかったんだろ。」

 魔理沙は、つんっと、爪でティーカップの縁を弾いてから、

「そうでもないさ。経っていても、せいぜい、一時間半くらいだと思うぜ。」

と、背筋を伸ばし、欠伸で声を震わせながら、そう答えた。

 何気なさを全身で表現する魔理沙に、アナタは苦笑を漏らし…それでも、抑え難い余韻が口をつく。

 「一時間半か…随分と意識を失って居たんだな、俺は…。」

 その呟きの端を引き、繋げる様に、アリスが瞳を見開いて、

「それでアナタは…自分の『能力』にまつわる事柄を…取り分けアナタにとっての障害に成りつつある、『幻覚』について…受け入れ事が出来たのかしら…。」

 そう尋ねられてアナタは、隙あらばぶり返そうとする眠気を削り落とす様に、指の腹で目元を擦る。

 「俺から答えるその前に、二人に聞きたいんだが…お前たちの目から見て、どうなんだ。俺、何か変わった様に見えてんのかな。」

と、尋ね返したアナタの語気は、どうにもあやふやで、『劇的に変化している』ことを望んでいる様にも、『何一つの変化のない』ことを願っている様にも感じられた。

 そんな風に、未だ心の準備すらアナタには出来ていない事を悟った、魔理沙、そしてアリスは…一度だけ瞳を向かい合わせ、目配せ。それでどうやら、正直に、見たそのままを述べる事で意見も合わさった様だ…。

 アリスは、少し居心地の悪そうなアナタを、妥協する事も無く、じっくりと観察。そうして出した結論は、

「私が見た限り、表面上は変化した様には見えないわ。」

 アナタは瞼をやや下にずらし、陰りのある顔で頷いた。

 続いてアナタは、項垂(うなだ)れたまま、首を魔理沙に向ける。

 「魔理沙は、どうだ…。お前の目には、俺が変わった様に見えてないのか。」

 自分の順番がきた魔理沙は緊張を追い払う様に、二、三度、(まばた)き。しかしながら、やはりアナタよりも『能力』との付き合いが長いだけあり、彼女も見るべき要所をちゃんと心得ているらしい。

 魔理沙はその面持ちに多少の固さを残しながらも、迷うことなくアナタへと顔を近づけ、瞳を覗き込んだ。

 …にしても、熱い紅茶で身体の芯から温まった彼女の…魔理沙の首筋が鼻先にあると…。

 「私の匂いがお気に召したのなら、遠慮しないでも良いんだぜ。」

 見透かされた。そう思ったアナタは…とりあえず、『慌てる』、『騒ぐ』という選択肢を排除してから…威儀を整える様に眉を潜ませ、魔理沙の顔から距離を取る。…で、気付いたと言う訳だ。

 気脈が通じるとはこの事か。魔理沙の顔を正視してみれば、何のことも無い。彼女もまた頬を真っ赤に染め、そうして快活に笑って居るのであった。…結局は、お前の方も照れ隠しかよ…。

 これにはアナタも、少なからず呆れたように呻きを漏らす。

 「それで…お互いに小っ恥ずかしい思いをした結果。何か変わった所を見付けられましたか、先生。」

 そんなアナタの文句へ、白い歯を見せて笑い返してから…魔理沙は薄い微笑だけを残し、余念を振り払う様に首を左右に動かした。

 「私も、アリスと同意見だ。変化らしい変化は見付けられないよ。」

「そうか…。まっ、お前たち二人が口を揃えてそう言うのなら、俺自身に実感が無いことだって、不思議じゃないな。しかしそうなると…これは要するに、『不発に終わった』という事になるのか…。」

と、アナタは、ここまでの『状況』と、『情況』から、その様に推測した。…いいや。言い終わりの嘆息に、心の緩みの様な気配が色濃かった事を思えば…アナタは、『不発に終わってくれた』と結論づけようとした…そう言い表すのが正しかろう…。

 いつもの癖と言うやつで、無意識に後ろ髪を掻いていた右手を放す。そして、ふと隣に目をやると、自分と同じタイミングで、同じ様に後ろ髪から右手を放す魔理沙の姿があった。

 どうやらこっちはまだ、ぼんやりとして、意見の整理に時間が掛って居る様子。その所為で、あるいは、そのお陰さまで彼女は、アナタとの愉快なシンクロを見落としたのだな。

 そうと解かれば、取り敢えず、アナタのやる事は一つ。…こんな可笑しな話を、自分だけの胸にしまって置くなど犯罪行為に等しい…故に、魔理沙の顔が真っ赤に成るのが明白でも…キレた魔理沙の、スパークする拳で殴られる可能性があっても…教えてやれねばなるまい。それが、この件の可笑しさを満喫する為であれば…。

 人の悪さが満面に浮かび上がった笑顔を魔理沙へ向けて、アナタは早速、『黒山羊さんたら、白山羊さんの癖が感染(うつ)った。』と教えてやるべく、手招きする様に腕を上げる。

 だがしかし…この場には、魔理沙にとって心強い味方が居る…それをアナタは、忘れていた。そう、アナタの恥知らずな(はかりごと)を、過保護なアリスが見逃すはずもないのだ。

 アナタが性質(たち)の悪そうな半笑いで、メェーッと…もとい、魔理沙の注意を引こうと口を開いた…。それを一言の隙も与えぬ様に遮って、

「『能力』の覚醒が不発に終わったと、そう判断するには結論を急ぎ過ぎではないかしら…。それに、アナタの『能力』の現状が不発弾の様なものだとして、しばらく破裂する事はないのか、それとも爆発寸前の状態にあるのか…楽観するより、その見極めをするのが先決でなくって…。」

 普段通り、理路整然としていて、丁寧。そして、普段とは100倍したほど辛辣(しんらつ)なアリスの言葉使い。

 途端にアナタは、彼女の意図を察して、

「あっ、あぁ、そうだ。その通りだよな。すまない、俺が軽率だった。…勘弁して下さい。」

と、瞬時に手を引っこめ、ついでに血の気も引いた。

 アリスと、その迫力に圧倒され小さく成って居る、アナタ。そのあまりにも対照的な構図を見比べて、魔理沙ですら愛想笑いを浮かべ、ちょっと取り成そうかと口を開く。

 「あのさぁ…。アリスの言う事も、そりゃあもっともだぜ。下手を打てば命を落としかねない『力』が発動しているのか、いないのか。軽はずみに判断を下すべき事じゃない。そうだけどさぁ…そんなに怖い顔して言わなくてもいいだろ。こいつだって別に、答えを決めて掛ろうとはしてなかったじゃないか。」

と、今度は、アリスから、アナタの方へと顔を振り向けて魔理沙が続ける。

 「だいたい、アナタもアナタだぜ。そんな『勘弁して下さい』なんて、力一杯で謝られたら…戒める積りで言った忠告が、まるで頭ごなしに怒ったみたいに聞こえてきて…アリスの方だって引っ込みがつかなく成るに決まっているだろ。なっ。こういう場合は、『悪かった。気を付ける。』で良いんだよ。」

 人情を考慮に入れた素晴らしい魔理沙の『お取り成し』。…とは言え、アナタからすれば…魔理沙の主張が正しければ正しい程、素晴らしければ素晴らしい程に…ガキっぽい悪戯心を起こした自分の、思慮の足りなさが重く圧し掛ってくるのだ…。

 「まったく、その通りだな。諸々、申し訳なかったよ、魔理沙。アリスも…俺の為を考えてくれているこいつに対して、悪ふざけが過ぎたよ。悪かった。」

 アナタの謝罪の言葉に、アリスは瞳を閉じた無表情で頷くと。

 「もう良いわよ。私が怒ったのは、それだけでアナタにはちゃんと伝わると思ったからで…ううん、それだけじゃなくて、半分くらいは焼きもちも含まれていたわね。だから、解かって貰えたのなら、それで良いの。」

 そう言って顔を上げたアリスの瞳は、閉じられたまま…。だが、その口元は優しく、そして、どこか気恥かしそうに微笑んでいた。

 そんなアリスと、安心した様に息を吐くなり、上機嫌で笑う、アナタ。魔理沙は再び、新しく成った構図を見比べな…、

「へっ、何で私に謝るんだ。それに悪ふざけって、何に…。こいつがふざけられる様な事、あったのか…。えっ、それでどうして、焼きもちが…。」

と、混乱の渦中で、瞳をパチクリさせていた。…居るよな。こういう、『他人の人間関係、色恋沙汰には滅法強い。なのに、肝心の、自分と相手との間に関しては…そっちへの心配りはお留守。』って、残念な御仁。特に女性陣に…。えっ、男性陣はって…ご心配なく。野郎は、両方に気を配れるか、さもなきゃ両方とも壊滅状態かの、どちらかしかありませんからね…。

 アリスは難問にぶち当たっている魔理沙へ、ほんのちょっぴり心苦しそうな、苦笑い向ける。だが、すぐに思い直した様に…未練を振り払う様に…決然と、アナタへ視線を移した。

 「それじゃあ、そろそろ、アナタが自分の『能力』の何を知り、何を受け入れたのか…教えてちょうだい。そこからもきっと、解かる事があるはずよ。」

 アナタは、アリスの言葉と、知らぬ間にこちらを向いていた魔理沙の眼差(まなざ)し促され、首を縦に振る。

 「俺の『能力』は…まさに、アリスが名付けたそのもの…『心象を表象にする程度の能力』だった。その事をはっきりと自覚させられたよ。」

 話に間を置くと、舌に残る苦味を(わずら)わしそうに唇へ擦りつけて、アナタは言葉を続ける。

 「俺がルーミアに喰われなかったのは、『草笛の音色』いう具体的なものを介してあいつに、『喰い殺されたくない』っていう俺の気持ちが伝わったから…。つまり、喰い殺されたくない俺の気持ちが心象で、それがルーミアの心の中で、『俺を喰い殺さない行動をする』という表象に成った訳だ。具体的な何かを仲介しないといけないのは、多分、心象を直接伝える力が俺には無いからだろう。だから、物で相手の五感に訴えて、こっちの『心象』を認識させるって手段を取るように成った。」

「物を介して訴えるか…。そう言われると、合点がいく。」

 横から口を出したのは、魔理沙であった。

 本人はさり気なく腑に落ちた事を伝えた積りが…アナタとアリスが、二人して意識を向けてくるものだから…しょうがない。

 「あっ、特別、大した何かって訳じゃないんだぜ。単に、アナタがルーミア達にやっている、べっこう飴の事を思い出したんだ。」

 魔理沙はそう言って、両方の(てのひら)を顔の前で左右に振り、『違う、違う。』とジェスチャーをした。

 それから、その両手で晴れがましさに火照った頬を包んで、

「ルーミアの喰い気は、本能と言うより、あいつの存在意義みたいなもんなんだ。それを、人形劇に集まる里のガキ共っていう格好の餌食を前に、良くもまぁ、べっこう飴の一本で紛らわせられるものだと思って居たんだが…。お前の『能力』を思えば、それほど無謀な曲芸って訳でもなかったんだな。」

 アナタは、自分の業の深さに今更ながら思い至った様に、屈託の無い魔理沙の照れ笑いから目を逸らす。

 「そうだな…言われてみれば、あのべっこう飴も俺の『能力』を受けていたんだろうな…。問屋から卸すと赤字になる。魔理沙に売り物のお菓子作りを頼む様になっても、約束だからと、あいつらの為のべっこう飴だけは俺が作った。そうやって、色々と理由を付けてまで、ルーミアたちにべっこう飴を食べさせていたのは…俺自身、無意識の内に、あいつらという危険を除こうとしていたんだ…。」

 それがアナタの癖である、後ろ髪を掻き回す仕草。深い心痛の中、右手は自然と後頭部へと宛がわれ…しかし、五本の指は、首の付け根を締め上げたまま動かない。

 指に掛る力が増し、首の皮に爪が立てられ始める。あともうほんの少しで爪が喰い込むというところで…当のアナタが痛みを感じるその前に、魔理沙の手がアナタの右腕を引っ張った。

 …彼女の手によって、未然に、アナタは具体的な辛さを感じずに済んだ。それは即ち、アナタの思いが魔理沙に伝わったと言う事…。そう思えば、そう思う程、アナタはどうしようもなく、自分に嫌気が差す。

 「俺の話を聞いていたなら解かるだろ。俺の『能力』は要するに、自分の考えを相手に押し付ける力なんだ。魔理沙が俺をかばおうとしてくれている気持ちだって…俺が無意識に『能力』を使って、強制したもの…それこそ、誰の為にも成らない様な、馬鹿馬鹿しい自作自演なのかも知れないんだぞ…。」

 そんなアナタの声は、泣き言と言うより、自らのへの嫌悪感に溢れていた。

 魔理沙は琥珀色の瞳をたわませ、変に割り切った様な、乾いたアナタの薄笑いを見つめる。…今ならば良く解かるのだ。眠っている間にアナタは、自分のこれまで価値観にけりを付けたのだと…起きぬけのあのテンションの高さは、自らに対する素っ気ない気持ちの反動…空元気だったのだと…。

 身につまされる思いが、小さな息に変わり漏れ出た。

 そして魔理沙は…何を思ったのか…右手の指先でアナタの後ろ髪を描き回し始めた。…それも、爪を立てて…。

 「ちょっ、魔理沙、お前…痛いって…。」

「だから、どうした。」

 「『どうした』って、お前…何を考えて…。」

と、そら笑いで、魔理沙の暴挙を止めようと口を開いたアナタであったが…澄んだ琥珀色の周囲を血走らせた…彼女の鬼気迫る瞳に、笑い声も、懇願の言葉すら継ぐことが出来なくなっていた。

 その間にも、酷く平然とした顔で、魔理沙がアナタの後ろ髪の辺りを掻き回し続ける。苦痛に歪むアナタの表情に目もくれず、掻き回し…そして遂に、つっと、首筋を伝い落ちる生暖かい感触が…。

 血の一滴が、ポタリッと、アナタの着物の膝に赤い染みを作る。…それは痛いはずだ。何せ魔理沙は、皮膚が裂けるほどの力で、アナタの首の後ろを引っ掻き回して居たのだからな。

 その事に気付いたアナタは…不快感、恐怖感、当惑、怒り…それら、あらゆる歓迎できない感情を追い払おうと、その源である魔理沙を力任せに突き飛ばした。

 椅子ごと横倒しに成っていく、魔理沙。蜂蜜色の夕陽の如く波立つ髪、遠のいて行く彼女の顔貌。その瞬間のアナタは、今の今まで自分が彼女にされていた仕打ちを、そして、自分が彼女にした仕打ちを忘れてしまったかの様に、素直に彼女に手を差し伸べていた。

 しかしながら、結局は、アナタの救いの手は間に合わず…見事な意匠を施されたアナタの力作…魔理沙の腰かけていた椅子は、床に叩きつけられる…。

 「お、おいっ。大丈夫かよ、魔理沙。」

 アナタはすぐに、彼女を助け起こそうと床に膝を突いて…しかし、ズキリッと、刺す様な首の付け根の疼きに、その手は反射的に後ろ髪を押さえた。

 (てのひら)には、血糊(ちのり)のべったりとこびり付く感触が…無い。それどころか、傷口を探って擦る様に後ろ髪を撫でているのに、痛みすらも無い。

 ハッとして、着物の膝の部分を見つめ、アナタはようやく気付く。

 (『幻覚』か今の…それじゃあ今のは、魔理沙の…。)

 頭をもたげ、魔理沙の姿を床の上に探る。彼女の悪戯っぽい笑顔、仰向けに寝そべった身体は、アナタの目の前にあった。ただし…アナタが思った床の高さからは、30センチメートルばかり上空に浮かんだ状態でだが…。

 「アナタにはどうも、爪で首の後ろを抉られているみたいに感じられたみたいだな。」

 ふわりと、魔理沙の身体が一段と高く浮かび上がる。それから、無重力空間の遊泳を楽しみつつ上体を起こすと、ゆったり、大きなバルーンの上を滑り落ちる様に、床の上に着地した。

 『魔法』の成せる技を目の当たりに…アナタは小さく鼻息を漏らして、後ろ髪を撫でていた右手を顔の前へ移すと、

「やっぱり魔理沙にも、俺の見る『幻覚』の正体が解かって居たんだな…。」

 魔理沙は倒れた椅子を起こし、再びアナタの隣に腰掛ける。

 「少し話が飛躍しているぜ。まぁ、丁度、話が本筋から脱線して居たところでもあるし…ここは一度、アナタの見る『幻覚』の正体についても、答えを出して置くのが良い…と、私は思うんだけど…アリスはどう思う。」

と、魔理沙の呼び掛けにアナタは、自分が彼女の存在を完全に失念していた事に気付いた。

 テーブルに手をつき、慌てて立ち上がる。それから、自分の手元を含め、テーブル全体に張り巡らされた翡翠(ひすい)色の糸の向こうへ視線を…視線を移動させるまでも無く、アナタの口からは苦笑が零れた。

 「この目で見るのは初めてだな…アリスの『操り糸』。人形作りを教わっていた頃は、こいつでよく、指先を使う細かな作業の…文字通り『指導』を受けたんだったよな。…後、『お仕置きだ』と称して俺の耳を…まっ、それは良いとして…。まずは、我が家の貴重品を主の魔手から守って貰った、礼を言わないとな。」

 そう言って、ドッカリッと椅子に座った、アナタ。その様子を、特にその振動の行方を見れば…なるほど、アナタの言った意味が一目瞭然に解かる。

 魔理沙は床に激突する前に、『魔法』で空中に浮かび上がり、難を逃れていた。しかし、アナタの(しつら)えた頑丈そうな椅子は、確実に、床板に叩き付けられている。

 それに続いての、考えなしにアナタがテーブルに手をついた事。そして今の、椅子に座った際の小さくはない縦揺れ…。思い返せば、これだけの振動が立て続けに襲ったと言うのに、テーブルの上では物音も無く、ティーセットは小揺るぎもして居なかったのだ。

 要するにそれは、アリスの『操り糸』がテーブルごとティーセットを絡め取り、悲劇に見舞われるのを防いでいたと言う事に成る。ちなみに…『難を逃れていた』と書いたが、それはあくまでも魔理沙の身を案じての言葉で…著者も、アナタも、『高価なティーカップが災難を逃れた』などと言う積りで書いた訳ではないのだ。その事は、蛇足と知りつつも追記しておく…一応な…。

 「それにしても…礼を言ったその舌の根も乾かない内に、こんな事を言うのはどうかとは思うんだが…テーブルと、ポットやカップを糸で覆うより、椅子ごと魔理沙の身体を支えた方が良かったんじゃないか。アリスには、魔理沙が咄嗟に宙に浮く事くらい、楽勝で解かったって言うなら話は別だけどな。」

と、痛みはなくとも、まだまだ違和感は拭えていないらしい。むず痒そうに後ろ髪を撫でつつ、アナタはさも可笑しそうに喋った。

 アリスはそんなアナタの冷やかしに…やや戸惑った様に、考えを纏める様に…数秒だけ沈黙。それから、テーブル全体へ張り巡らせた『操り糸』を豪快に巻き取って、

「何言っているのよ。二人の愁嘆場だと思えば、わざわざ気を利かせて、遠巻きにして上げていたのに…。人形作りだけじゃなく、機知の働かせ方も教えるべきだったかしらねぇ。」

 食卓からテーブルクロスのみを引き抜く芸当の如く、無論のことアリスの糸は、食器を揺らす様な、無粋な余情を残す事は無い。

 アナタはアリスの鮮やかな手捌きに、感嘆の笑気を漏らした。

 「今のレクチャーのお陰で、物は言い様だって事は十分に伝わったよ。なっ、魔理沙。…魔理沙…お前、どうしたんだ…。」

 何かを真剣に考え込んでいる。そんな重苦しい魔理沙の表情に、アナタの声にも不安の影が差す。…まさかとは思うが…倒れる彼女の身を案じながらも、ティーカップの無事と天秤に掛けたと…やはり勘付かれた…もとい、勘違いされたのであろうか…。

 自分が難しい顔をしていた所為で、アナタが心細そうにしているのに気付いた、魔理沙。パッと、表情を明るくして、穏やかにアナタの目線に応え始める。

 「んっ、何でも無い、何でも無い。本当に、大丈夫だって…。私には、これっぽっちの問題も無いぜ。そんな事よりも今は、アナタの『問題』についての話をしていたはずだろ。ほらっ、まずはその話を終わらせて仕舞わないとな。『能力』を自覚し、制御する。それには言葉にするのも、結構、大切なんだぜ。」

 魔理沙は朗らかに、ハキハキと話す。だが彼女の口振りは、アナタの不安を掻き立てるのには十分な程度の、早口でもあった。

 アナタは目だけを動かし、魔理沙の笑顔と、アリスの無表情を、二、三度見比べて、

「…そうだな。『解かっている事だ』…そんな甘い考えで、いつまで経ってもはっきりさせて来なかった。それが、俺の『能力』を中途半端なままにしていた、最大の原因だろうからな。…まぁ、お前たちに言わせれば、そうやって俺の本能は、俺自身を守ってきたって事に成るんだろうが…。」

 自嘲的に、冷笑的に、アナタは『現状では満足できないんだ』と付け加える様に、吐息を漏らした。

 「『幻覚』の正体は、誰かの…誰かが俺に向けてくる気持ち…。俺には、俺の気持ちを直接相手に伝える『力』は無かったが…その逆は、相手の気持ちを、物を介さずに感じとる『力』は有ったんだろう。そして、俺が感じとった相手のイメージは、常に、俺の認識の幅に収まるものじゃ無かった。だから俺には、『幻覚』の様な奇妙な何かとしか感じられなかったんだな。…俺にはこの力を制御するだけの『才能』がない…か…。魔理沙の忠告は、まったく、非の打ちどころもないほど、正しかったよ。…情けない話さ…。」

と、アナタは両手を広げ、『お手上げだ』と示してから…不意に、疑問の声を漏らして、

「あぁ、そう言えば…今しがた、魔理沙に首の後ろ側を、ぐちゃぐちゃに引き裂かれる『幻覚』をみたけど…考えてみれば…変だな。今までの『幻覚』ではこんな…相手の腹積もりが歪みなく届いてくることなんて、一度も無かったのにな。…って、それを言うなら…。」

 もそもそと、着物の奥襟で首の付け根を一擦り。アナタは、アリスとアイコンタクトを取って居る魔理沙へ、渋い顔を向ける。

 「お前は結局、どう言う積りで俺の首の後ろを引っ掻いて…いいや、血が出るほど引っ掻き回そうなんて思ったんだ。」

 その当然の質問に、魔理沙は…空中遊泳後の前髪の乱れを、細い指で整えて…不敵な笑みを浮かべる。

 「アナタは、自分の後ろ髪を力一杯、爪を立てて引っ掻こうとしていただろ。…そんなの見れば解かるぜ。…まぁ、多少は、アナタの『能力』で伝わった部分もあるんだろうけど…つまり、『これから自分を(いじ)めます』っていうポーズが、具体的な象徴で…えーっと、それを介して、アナタの『心象』が私の心の中で『アナタの手を止める行動』という『表象』に成った…みたいな事なんだろうな。んで、解かったからには、イメージに訴えてやる方が、実際に身体に傷を付けるよりも良いと思ったんだ。」

「それじゃあ、何か…魔理沙は意図的に、俺に『幻覚』を見せたって事か…。そんな、どうやって…。」

 「『どうやって』って…。」

 ほんの一瞬だけ、魔理沙の(おもて)に見え隠れする逡巡(しゅんじゅん)の色。しかしそれは、『アナタの知らぬ間』にテーブルの上に戻って居る、カンテラの灯りに白く消えた。

 魔理沙は腕を組み、フフンッと、自慢気に鼻を鳴らしてから、

「私は一端の『魔法使い』だぜ。アナタの『能力』を利用して、イメージを送り込むことなんて楽勝だって…。まっ、そんな感じで、お前がやろうとした事の手間を省いてやったのさ。」

 彼女のその説明を聞いたアナタは、

「なるほど…確かに魔理沙なら、俺の『能力』くらいどうとでも操作できても可笑しくないよな…。」

 一時はそれで納得したかに思えたが、流石に…と言うか、必然の結果として、眉間に皺が寄る。

 「いやいや、やっぱり可笑しいだろ。あの時、俺は後ろ髪を掻こうとはしていたよ。それに、爪を立てて、強めに引っ掻き回す事にも成ったかもな。…けど、幾らなんでも、お前の見せた『幻覚』のはやり過ぎだろ。垂れた血が、着物に付く錯覚まで見えたぞ。俺がどんなイメージを魔理沙に押し付けたのかは知らないが、少なくとも、『一切の手加減なしで引っ掻く』なんてイメージには成らないはずだけどな。」

 むしゃくしゃししている。そんな心理状態から発せられる『論理』と言う奴は、ともすれば滑稽に映るものだ。相手にも、それに(まく)し立てている当の本人にも…。

 不満と、それを至極丁寧に伝えようと腐心するアナタの顔は…言い様の無い羞恥に赤らんでいた。

 魔理沙は、そんなどうしようもない窮地にはまり込んだアナタを救う様に、クスリッと、艶っぽく微笑む。

 「そう言われてもなぁ。アナタの『能力』は、相手に自分の『心象』伝えて、相手の反応や、行動に影響を及ぼすと…そう言った『表象』を生み出す『力』ではあるけど…受取り方は人それぞれ、個人の自由。こればっかりは、アナタの『能力』じゃあ、どうにも成んないんだぜ。」

「なっ…それ、本当か。」

 「やっぱり、気付いて居なかったのか…。まぁ、『べっこう飴』を引き合いに出した、私の話し方も悪かったんだろうけどな。」

 胸襟を開く様に、魔理沙は組んでいた腕を解く。それから、何となく満足そうに頷くと、スカート越しに膝を撫で始めた。

 「アナタの『能力』、影響力があるのは間違いないし、その分、『押しつけがましい』って側面があるのも否めないだろう。でも、イコールそれが、『相手を自分の思い通りにする』って事や、『自分の望む行動を相手に強制する』って事とは違うんだぜ。…いや、まぁ、こんな事、気を遣って遠回しに伝える様な話でも無いから…はっきり言うけど…。」

と、頭を働かせつつも無意識に手を動かす女性的な仕草から、今度はその手を後ろ髪に移し、アナタから感染された癖へと行ったり来たり。

 そんな風に、頭脳も、指先も、みんな駆使して、魔理沙がきっぱりと言葉を継ぐ。

 「アナタでは、この『能力』を最大限に活かしたとしても、『他人に何かを強制する事』は出来ないだろうぜ。出来るのは精々…不純物の混じらない、『伝えたい意図』そのものを相手の心に提示する事くらい…要するにアナタの『能力』は、『命令書』じゃなくて、『ラブレター』って事だな。」

「『ラブレター』…。なんだろうな。気の所為か、どっと疲れが…。」

 眠気を散らす様に、指で眉間を摘まむ。そうして、額に残る寝起きの冷涼感、それと…何やら乙女チックな方向へ走り出した…自分の『能力』への違和感に必死で抗おうとしている、アナタ。

 無理もない…。

 アナタにとって、アナタが獲得した『能力』とは、自分を、そして自分を取り巻く環境を『アップグレード』してくれるもの。そう、それは先進的で、かつ体系化された、言うなれば『デジタル』な機能であった。

 それを掴まえて、魔理沙ときたら…言うに事を欠いて、『ラブレター』なのだからな。

 そんなレトロな風情の漂う、もろ『アナログ』の伝達手段に例えられた日には…あまりのギャップに、目眩(めまい)も起こすだろうよ…。

 魔理沙は不服そうなアナタの反応を見ると、ご満悦の鼻息を漏らした・

 「何も凹む事はないだろ。あくまで、物の例えだよ。それに…こんなところで転んで居られたら、こっちも弱るぜ。本番は、ここからなんだからさ。」

と、そう言う割には、毛ほどの躊躇も、お目溢(めこぼ)しも無しで、

「『ラブレター』の一番の強みは、『履歴書』じゃないって事。写真や、経歴や、身長、体重、どんな変な癖を持っているかも、文面に乗せる必要は無くて、自分の伝えたい気持ちだけ…意図だけで勝負が出来る事だろ。その点は、アナタの『能力』も同じなんだ。」

 理詰めで、自分の『能力』が『ラブレター』と同等なのだと教えられた、アナタ。まだしっくりとはきていない顔で、小さく呻きを漏らしながら…だがその表情は、どことなく納得がいった様な、どことなく収まりが付いた様な、苦笑いにも見えなくはない。

 こんなアナタと顔を突き合わせる事は、もう馴れっことなっているであろうに…。魔理沙は唇を微か震わせ、おまけに頬まで赤らめて、まじまじと対面するアナタの顔を見つめている。

 そんな彼女の火照(ほて)った『微』熱視線を首筋で感じながら、アナタは…後ろ髪を掻き、掻き…口を開く。

 「俺の『能力』なら、その…『ラブレター』を相手に『押し付け』られる。ついでの一押しで、文面を読ませる事までは出来るが…その文面を読んで、どう判断するかは相手次第…。魔理沙の言いたいのはそう言う事だよな。」

「流石に、自分の内面と対話してきただけあって、理解が早いぜ。…ずばり、そう言う話さ。」

と、魔理沙も照れ隠しに後ろ髪を掻き、掻き。アリスの吹き出した小さな笑気を、気合いで黙殺して…言葉を続ける。

 「『心象を表象にする程度の能力』が、どれだけのポテンシャルを秘めているのかは解からない。…けど、その『能力』の器がアナタでは…例え、万全な『能力』に覚醒して処理速度を向上させようと…暴走気味に『能力』を無意識の領域で働かせようと…アナタの言葉に成らない伝言を感じとって、『行動』という『表象』に移すかは相手の気持ち任せ。それに、アナタの『心象』がどんな方向性の『意図』なのかを、察するのは難しくはないけど…アナタの様な『能力』を持たない者にとって、それが重い気持ちなのか、それとも軽い気持ちで送られたものなのか…それは、自分の感情に当てはめて判断するしかない。その辺りが、アナタの『能力』から『対象への強制力』を失わせている原因だろうぜ。そして…。」

「そして、それが俺と言う器に盛りつけられる、『心象を表象にする程度の能力』の限界。…って、事だよな。」

 事も無げに言葉を受け取ったアナタは、自らの口で、自らの『能力』の広がりに終止符を打った。

 魔理沙は凛とした表情で、気の抜けた様に首を傾げるアナタへ、

「自分の『力』の限界を知って…ショックだったか…。」

と、声色の穏やかさに引き換え、物言いは何ともずけずけとしていた。…だが、今のアナタにはそれが、何とも味のある(くつろ)ぎを与えてくれる…。

 アナタは右に傾いでいた首を、反対に倒す。そしてまた、左から、右へ。そうして、椅子に座ったままの居眠りでこった首を(ほぐ)すと、気持ちの良い鼻息を漏らす。

 「まぁ、少しは…詰まんねぇな…と、思うよ…。だけど、ホッとしたっていうのも、素直な気持ちかな。ずっと知って置きたかった事が、これでようやく、一段落付いたんだ。しかも…人形劇を見せ、べっこう飴を食わせて…俺が今日まで続けてきた事が、自己満足だとして…少なくとも、それは『幻覚』でも、俺の錯覚でも無かったことが解かったからな。…明日からもこの『能力』を抱えて生きていくのには…それだけで、充分だ。」

 そう言って嬉しそうに後ろ髪を撫でるアナタを、魔理沙の琥珀色の瞳は…淑女の様に揃えた脚の上で、重ねられた両手は…彼の『意図』以上の何かを心得ているかの様に、愛情深く見つめていた。

 「それはそうと魔理沙…お前の話からすると、首の後ろを掻こうとした俺の気持ちが『皮膚を(えぐ)る位の力で掻き回す』って、そこまで過激に伝わった事に成るよな。それとも、俺の『能力』に強制力が無い事を実感させる為に、少しは極端な方向へ誇張した…なんて事もあるのか。」

「うんにゃぁ。短期間とは言え四六時中一緒に過ごして、アナタの『能力』の影響とか、その振り幅には見当が付く様に成っていたからさ。『能力から伝わった意図と、目の前の思い詰めた顔。それを総合して私が感じた印象は、大分、アナタの心象からかけ離れているだろうな。』って、すぐに解かったぜ。だから、余計な脚色はなしで、アナタに『表象』を打ち返した積り。…んっ、なんだ。もしかして、私との伝言ゲームに、何か文句でもあるのかよ。」

 「そう言う訳じゃなくてな。…と言うか、魔理沙が『ラブレター』を突っ返してきた事には、文句なんてないよ。その御利益で、お前とはフィーリングが噛み合わないって事が実感できたんだしな。それこそ、痛烈に、危なく骨身に染みて解かり掛けて…って、何をむくれてんだ、お前。折角の、俺、渾身の洒落っ気を…ここは笑う所だろうが…。」

「別に…むくれてなんて…ただ耳障りな駄洒落を聞かされて、呆れているだけだぜ。んで、私とそりが合わないのが、アナタにはそんなに嬉しかったと…それをわざわざ、私に言いたかったのか…。面倒くさい…そう言う気持ちこそ、『能力』を使って伝えろよな。私に手間を取らせない様に…。」

 「そこまで徹底的に否定しなくても…やけに突っ掛かるな、珍しく。まっ、良いが…。俺が言いたかったのは、その事じゃ無くて…ルーミアの事だから。」

 ここでアナタが、話を逸らす様にルーミアを引き合いに出す。その瞬間、魔理沙の琥珀色の瞳に残って居た愛着が、奥底でグラグラと煮えたぎって、反感へと変貌した。

 「あっ、なんで今、ルーミアが話題に出てくるんだよ。」

 腰を浮かせ、食い付かんばかりにアナタを睨みつける、魔理沙。今にも、立ち上がり、椅子を蹴散(けち)らかさん体勢とは裏腹に…目が、座って居る。

 こういう恐ろしい事態に成るのを避けうるべく、アリスは繰り返しアナタへ、魔理沙の『気持ち』をそれとなく伝えてきたと言うのに…。

 あぁ、でも、『魔理沙の思いを見付けて上げてくれて、ありがとう』と言ったかと思えば、『あの娘を子供扱いしないで上げて』だったり、極め付けは『私があの娘に殺されるとしても、一緒に成って喜んであげてくれるわよね』だからなぁ。

 流石にと言うか…ストレートな言い回し過ぎた為に、却って、要点が通じ辛いという事も…。あるいは、アリスの用いた『表現』の深刻さに、持ち前の『能力』を使って無意識に気付かない振りをしているのかだが…。

 まぁ、どちらにしろ、時間さえあれば充分に解決されうる問題だ。勘ぐりはこの位にして…話を、今のアナタにとっての重大事である、『魔理沙にどう言い訳するのか』に戻すとしよう。

 アナタは、まったく完全に、(つゆ)いささかも、魔理沙の虫の居所が悪い理由に目星が付いていないらしい。しかしながら、発端は解からねども誠意だけは示そうと、後ろ髪を掻いていた右手を下ろして、

「やぁ、だからさぁ。魔理沙が言っていただろ。『ルーミアの喰い気は、本能と言うより、あいつの存在意義みたいなもの。それを、人形劇に集まる里のガキ共っていう格好の餌食を前に、よくも、べっこう飴の一本で紛らわせられる』と、それから、『俺の能力の事を思えば、それも納得がいく』って続けた。それで…俺はその話を聞いて、『能力』を使いルーミアに『客を食べてくれるな』と強制して居たと勘違いした訳だけど…。」

 『丁寧な言い回しを選ぶと、彼女のお怒りに拍車が掛る。』…それを『能力』で、あるいは、本能的に感じとったアナタは、ざっくばらんに話を進めて…が、それなのに…、

「あぁっ、だから、『紛らわしい言い方だったかも』って、私、謝ったよな。まだ何か文句あるのかよ。それとも、『ルーミアを操って居たかも知れない』と、罪悪感を覚えさせられた事がそんなに気に入らないのか。」

 「何を、ムキに成って居るんだ、お前…。俺の方には、魔理沙に対して含む所なんてないよ。これっぽっちも…。」

「へぇ…これっぽっちもか…そりゃ良いや。じゃあ、純粋にルーミアの事だけを問題にしているってことだ。なるほどねぇ…。」

 「ルーミアの何がそんなに『気に入らない』かな…まぁ、とにかく、聞くだけは聞いておくが…。」

 アナタは魔理沙の両肩を掴み、彼女の形の良いヒップを椅子の上に押し返してから…溜息を一つ。

 「俺が無意識に、『客を食べてくれるな』と強制した訳じゃないなら…あいつが俺との約束を守って、客たちに手を付けなかったのはどう言う訳なんだ。そこのところが、どうにも引っ掛かるんだよなぁ。」

と、そう尋ねられた魔理沙は…アナタの質問の内容が想定外のものだったらしく…鋭い睨み目を、真ん丸く見開いて、

「えっ、それは…べっこう飴に込められた、アナタの『意図』が伝わったからだろ。初めて私とあった日に、アナタ言ってよな。『べっこう飴はみかじめ料』だって…だからその気持ちが、ルーミアの食い気を押さえたじゃないのか。」

 言葉付きからすると、魔理沙の憤慨は他所に言ってくれた様だな。…だと言うのにアナタは、魔理沙が落ち着いて考えてくれた貴重な意見を…、

「いやぁ、そんな感じはしないんだよなぁ。そもそも、べっこう飴自体は、ルーミアの為に作って居た訳じゃなくて…あれでも一応、売り物として用意してものだし…それに『大事な客の頭数を減らさないでくれ』と、そんな事を念じながらべっこう飴を作っていた覚えも無いんだ。それどころか…あんなもの、砂糖水を入れたアルミ皿をストーブの火で熱するだけの代物だろ。だから大抵、何かの片手間に作って…んで、焦がす所までが一連の流れみたいなもんだったからな。まっ、威張れる様な事じゃないが、こっちにその自覚があるだけに、魔理沙の言い分には賛同しかねる。」

 魔理沙は片方の眉根だけを眉間(みけん)に寄せると、如何にも面白くなさ気な声を漏らす。

 「本当だぜ。こんなんで一々、偉そうにするなよな。…うーんっ、それじゃあ…アナタはあいつに食われ掛けた事があるんだろ。その恐怖心や、ルーミアの『人食い妖怪』としての面を拒絶するような気持が、無意識にべっこう飴に混入されていた…ってのはどうだ。」

「どうだって…混入とはまた、人聞きの悪そうな言葉を選びやがる…。だが、そう言われれば…無意識でと言われれば、俺のどんな良からぬ気持ちがべっこう飴に含まれていたとしても、完全には否定できないわな。さんざんっぱら、意味の呑み込めない『幻覚』に悩まされた経験者としては…。けど、多分、それも無いだろ。その証拠に俺は、あいつが大口開けにじり寄って来た時も、『人食い妖怪』だって知った後でも、あいつを可愛い奴だと思った事はあっても、怖いとか、恐ろしいとか思った事は一度も無かったからな。だから、あくまでも多分なんだが…やっぱり、あいつを拒絶しようという気持ちの表われってのは、ありえないよ。」

 さっ、さっと、掃いて捨てる様に顔の前で右手を振る。そうして屈託なく笑うアナタの馬鹿面に…魔理沙のもう一方の眉根も、ミシミシと、眉間を締め上げだした。

 「ふーん…だったら、お前のそんな気持ちがべっこう飴に籠って居たんだろうぜ。…この変態野郎。」

「はぁ、なんだよ、変態野郎ってのは…。だいたい、『そんな気持ち』って…どんな気持ちの事だ。」

と、気取りも、冷やかしの感情も交えない、本当に魔理沙の言いたい事が解かって居ない様子の、アナタ。魔理沙も今更ながら、若干の気後れを背負(しょ)い込み、背中を丸めて…しかしながら、性懲りもなく、拗ねた様に口を尖がらせる。

 「それは…だから…アナタが、ル、ルーミアの事を…かっ、かか…可愛く…。」

 言い淀みつつも、魔理沙の取り調べはその追求の手を緩める事はない。…と言うよりも、とっくの昔にブレーキをほっぽり出した為に、止まることが出来なくなっている…そうとも見えなくもないが…。

 アナタは…まるで、恨めしげな瞳をこちらへ向けた彼女に、胸を掻き(むし)られている…そんな、『幻覚』でも、『錯覚』でもない、はっきりとした『圧迫感』の中で、

「な、何だよ、急に(ども)りだして…。」

 そんな冷や汗ものの呟きを零すと、口元を引き()らせ、愛想笑いを浮かべた。

 …どうやら、危機的状況という訳でもないらしいが…。アナタの経験上、今の様な雰囲気の魔理沙が、暴発寸前であるのは間違いない。

 肩に掛るふわりとした癖っ毛が示すのは、揺れ動く心模様。

 思いも、息も、血の流れも、全部吸い上げた様な、張り詰めた蒼白の表情で魔理沙が(ささや)く。

 「か、可愛くて思っているって事はだぜ。それって、つまり…ルーミアの事を憎からずって言うか…。お前は、そうすると…あいつを…。」

 何やら傍から聞いている方が怖く…もとい、恥ずかしく成る様な結論を魔理沙が出そうとした…その前に…。アリスが腹を抱えて、笑い始める。

 「ごめんなさい。本当にごめんなさいね、魔理沙。だけど…ククッ…もう、我慢の限界だわ。アハハッ、あぁ、可笑しいたらない…。」

 そのアリスの姿を見ている魔理沙が、更に血の気を失っていったのは言うまでのない。しかしながらアナタまでも、どこか不安そうに、どこか肌寒そうに身を小さくしたのは…今度こそ、何らかの『幻覚』に触発されたのであろうか…。

 いいや、そうではないのだろう。アナタの不安な表情の中に、薄らと差した寂しさの色が述べている。

 『自分の記憶の中のどこを探しても、こんなに可笑しそうに笑うアリスは居ない。そしておそらくは、自分がこんな風に笑うアリスを見るのは、これが最初で、最後なのだろう。』と…。

 真っ白に霞み、そのまま膨らんで消えてしまう。人の身を生きる二人の心根へと、笑い声を喉で潰し、アリスが語り掛ける。

 「魔理沙、貴女は思い違いをしているのよ。その人はね、本心から、ルーミアの事をただの子供としか見て居ないのだわ。例えるなら、森でクマに出くわせば…私たちはともかくとして…普通の人は恐ろしいと感じる。自分が食べられてしまうかも知れないと懸念を抱くでしょう。だけど、それは相手が、大人のクマだったらの話。出くわしたのが子グマだったとしたら、近くに親グマが居ないかと心配はしても、目の前の小グマに食べられるとは考えもしない。そして、この人とっては、ルーミアはまさに子グマ。『人食い妖怪』は恐ろしくても、その恐怖がルーミアと直接は結びつかないのね、きっと…。」

と、名指しで魔理沙に送られた、アリスの分析。しかし、すぐさまそれに食い付いたのは、彼女では無く、

「へぇ、そう客観的な目線から言われてみると…逐一、頷ける。…気がするな。そう言った道理で俺には、ルーミアがただの食い意地の張ったガキにしか見えなかった訳だ。…で、ルーミアをただのガキだって思う事と、魔理沙の思い違いってのは…何が、どういう関係の話…。」

と、アナタが、入り組んだ思考を掻き分ける様に、後ろ髪を撫でながら尋ねた。

 アリスはそんなアナタに見向きもせず、『お静かに』と、言葉の続きを差し伸べた(てのひら)で制止する。

 「待って、魔理沙に少しだけ、時間を上げてちょうだい。」

「時間を…もう、何が何だかさっぱりだ…。」

 愚痴を吐きながら、何気なくアナタが横を向くと…耳まで真っ赤にして、俯き、固まって居る魔理沙の横顔が有った。

 それを見てアナタは、思わず、止め掛けたいた舌を強引に滑らせると、

「…さっぱりだけど、まぁ…。俺なんか、二人を待たせた上に、眠りこけていたんだしな。待つのも悪くはないか。うん、悪くない。」

 そう何とも言い訳がましく、アナタは魔理沙の様子を見て見ぬ振りで、アリスの方を向くのだった。…この場合…最低限の思い遣りを発揮したなと、アナタを褒めてやるべきか…はたまた、根性無しだと叱るべきか…難しいところである。

 アリスは、火の付きそうな魔理沙のおでこを窺って…ただ黙って待つだけでは、益々、彼女を追い詰めてしまう…そう判断したらしい。

 不思議そうなアナタの横目を多少なりと受け持つべく、アリスが喋り始めた。

 「待っているのがお暇なのだったら、魔理沙の代わりに、私が話し相手をして上げましょうか。」

 そうして、()目鷹(たか)の目で彼女を盗み見るアナタに、チクリッと、釘を刺す。それからアリス自身も、羞恥に顔を染める魔理沙から目を放すと、

「丁度、ルーミアの心理に…あの人食い小娘が、アナタの作るべっこう飴から何を感じ、そして何故、アナタの人形劇のお客さんを食べなかった…あの子の、そこのところの意中には心当たりがあるの。」

 「ほぉ…流石は、アリス。伊達で、俺達の会話に聞き耳を立てて居ないな。…ところで、ずーっと、笑いを(こら)えるのに必死だった様に見えたが…もう、喋って大丈夫なのかよ。」

 冗談めかしつつ、チクリッと刺し返す、アナタ。それがアリスには意外だったらしく、刺し返されて始めて気付いた様に、口の端を伸ばし、泣き笑う様にしっとりと目を細めた。

 「そうね。でも…私だって、親友が自分の気持ちにつんのめっている時くらい、力に成って上げたいじゃない。」

「そうッスか…こっちは冗談の積りだったんだけどなぁ。まっ、アリスがそう言うのなら、俺も野暮はしないさ。…どの道、魔理沙がオーバーヒートしている理由を、解かってもいないし…。それで、ルーミアはどんな魂胆から、俺の人形劇の客に手を出さないでくれていたんだ。」

 『野暮はしない』との宣言通り、アナタはただちに関心を魔理沙から逸らした様だ。…そうもあっさり袖を離すところを見せられると、今度は…少々、『つれなさすぎるのじゃないか』という思いが首をもたげてくるから不思議だ…いいや、面白いのだろうな…。

 それだからこそアリスも、

「薄情者ねぇ…。」

 その小さな(ささや)きを、白い歯を見せた笑顔で甘噛みしたのだろう。

 アリスは胸のわだかまりを楽しむ様に、のったりと下顎を動かして、アナタに話し掛ける。

 「ルーミアが、アナタのお客に手を出さなかった理由だったわね。簡単な事だわ。アナタ、あの子へのべっこう飴を、習慣として作って居たのでしょう。『約束だから、今回も持って行かなくちゃ』といった具合で…その気持ちが『能力』によってべっこう飴に籠った事。それが、あの子には不釣り合いな忍耐の、原動力になったのね。」

「んっ、それは結局…何がどういう風に働いた訳だ…。」

 「だから、『約束だから、今回も…』というアナタの気持ちが、あの人食い小娘に『約束を守ってさえいれば、必ず、人形劇の度にべっこう飴を貰う事が出来る。』という理解として伝わったのよ。多分ね…。」

「はぁーっ、そう言う事か。俺はてっきり、あいつを目先の食い気で頭が一杯の奴だと思って居たから…それで、目の前の子ども達に齧り付かせない為にも…って積りで、べっこう飴は渡していたんだがなぁ。まさか、未来のべっこう飴に期待する様な、辛抱強いところもあったとは…。いや、単に、ガキらしい現金さが、一度に二つの以上の食い物を頭の中に同居させなかった。それだけの話とも取れそうだけどさ…。何にせよ俺は、ルーミアの事を侮って居たみたいだ。」

 「そうね。妖怪の端くれであるあの子に、『未来に得られるべっこう飴』を期待させた。それも、人を食べると言う妖怪の本能を、あの子にとっての全存在とも言えるものを抑え込める程に、明確なイメージとして期待を抱かせる事が出来た。その事には無論、アナタの『能力』の汎用性の高さ、余計な感情を省いた純粋な『意図』を伝える事の強みが、影響の大部分を占めているのは間違いない。でも、そうしてアナタの『能力』が最大限の効果を上げられたのは、あの子にアナタの気持ちを額面通り信じられるだけの人間味が…人の心がしっかりと備わって居たからに他ならないのだわ。…そう言い換えるのであれば、確かに、侮って居たのかも知れないわね…あの子の事を…。アナタだけじゃく、私もだけれど…。」

「人間味か…。」

 中指の腹で、ギュッと、目尻を擦る。アナタは、中指と親指を()り合わせ、指に付いた涙を拭いつつ溜息を吐く。

 「俺があいつに渡して来た物は、そんなに良い物だったのかな。実はそんなじゃなく、人を食べるっていうあいつの『人間味』を、殺していただけなんじゃないのか。だからどうしたって訳じゃないし…俺自身も、それに俺の客たちも、食わせてやる積りは毛頭ないんだが…。」

と、アナタは珍しく、後ろ髪でなく、前髪を掻き回して、

「何か、今更ながらに、妖怪と付き合う事の難しさを痛感させられたよ。」

 アリスは、弱り目のアナタから、弱り目の魔理沙へと目を移す。

 「人間の側からすれば、『敬して遠ざく』。それが、妖怪との正しい接し方…。深入りしようとさえしなければ、何も難しい事はないわよ。」

 そう言ってアリスは、アナタへと冗談混じりのウィンクを放った。

 その魅惑の一矢を受けたアナタは…不味い物でも口に突っ込まれた様な、夢の中で口にしていた物を思い出したかの様な…有り難くは無さそうな表情を作る。

 「こんな事は言うまでも無いと、あえて言葉にはしなかったんだが…言って置かなかったばかりに、アリスに誤解されるのも嫌だからな。あと、ことある毎にネチネチと嫌味を言われるのも恐ろしい…から、一応、言うけどな…。」

 そうして、勿体つけられるだけ勿体つけたアナタは、前髪から手を下ろすと、

「ああは言ったけど…アリスに対して当て付け様なんて気は、一欠片も無いんだからな。」

 そう弁解し終えたアナタを待っていたのは…アナタが予想した通り、労いでも、感謝でもない…アリスの皮肉ぽい、上機嫌なポーカーフェイスであった。…アナタにとって今ほど、彼女と付き合う事の難しさを痛感した瞬間は、無かったであろう…。

 実際、扱いに困る表情をしておられる、アリス・マーガトロイド嬢。口元に手を宛て、艶っぽい含み笑いなどお漏らしあさばされた日には…本当、もう、どう処置したものか。

 アナタのそんな気乗りしない顔へ、パッと指を口元から離したアリスが、物申す。

 「あら、そうなの。私はまた、アナタの告白を袖にした事を、随分と根に持たれているのだわ…なんて、思っていたのだけれど…。」

「アハハッ、きついよなぁ…。しかし、まぁ、アリスのお陰でルーミアの腹具合にも見当が付いた。俺が、俺自身に隠していた『能力』の底も割れた。どうやら、それでも…『能力』の本質に目覚めたはずの未だに、俺の方には確たる変化も現れてはいない様だし…『幻覚』を見続けている事にも、変わりはないけど…。中途半端な気分からは抜け出せた。自分の人形劇が、洗脳紛いの独り芝居ではなく、ちゃんと、見てくれる客の心に訴え掛けられる…そんな『力』を持っている事も解かったんだ。これだけ解かって居れば、充分だ。充分、俺はやっていける。…んで、俺の方は良いんだけどな。」

と、アナタは前屈みに成ると、俯く魔理沙の表情を覗き込んで…が、まだお姫様の御気分は麗しくないらしい。すぐに、そっぽ向かれてしまった。

 「パートナーがこの調子だとなぁ。柄にもなく、何をそんなに恥ずかしがっているんだか…。」

 ややぞんざいな態度でテーブルに肘を突く。そして、大切なティーセットたちの立てる非難の声を混ぜっ返す様に、アナタは右腕で頬杖つきながら、左の掌を天井へと向けた。

 そこに悪意などはなかった…。アリスにも、魔理沙にも、そんな事はよく心得ている事であろう。…それでも…物音がした瞬間、魔理沙の肩は小さく震えたし…アリスの青い瞳には、アナタへの微かな怒気が宿る…。

 だがそこまで、感情から先が続かない。アリスは小さく溜息を吐き出して、胸中で呟く。

 (魔理沙…私たち…彼があの手この手で教えてくれる『意図』の存在に、甘え過ぎていたのかも知れないわね。そして彼も、どんな思いも伝わるものだと高を括ってしまっている。ううん、私が口出しすべき範囲を逸脱しているのは解かっているの。…でも、せめて、心の中で祈らせてちょうだい。奥手な貴女の為に…心無い私の為に…それから…。)

 アナタの靴のつま先を、ギュッと、アリスの革靴が踏みしめた。

 藪から棒な…否、机下(きか)からの痛みに、アナタは声も無く肘をテーブルから退ける。その取り乱した様子を…その隣で、自分の羞恥心さえ忘れ、慌ててアナタの顔を見た魔理沙の様子を…一幕の内に眺めながら…アリスは祈り続ける。

 「ニブチンな彼の為に…ねっ…。」

 彼女の最後の祈りがそうして口を吐いたのは、まぁ、それはきっと、心無い彼女の、女心だったのであろう。

 ところで、アリスの足踏みや、謎めいた台詞に関して…悪戯なのか、はたまた、憤りの表れなのか量りかねている、アナタと、魔理沙は…。

 二人して顔を見合わせ、次いで、二人して身振り手振りで質問の権利を譲り合い。最終的に、アナタが代表者としてアリスにお伺いを立てる事に決まった様だ。

 彼女が怒って居た場合を考え、いくらか遠慮がちに語り掛ける。

 「あの…俺の事を言って居るのかな…。いや、別に、怒っている訳じゃないんだけど…ほら、ニブチンってのが気に成って…だから、つまり…俺が何か、アリスに不愉快な思いをさせたのじゃないかと思ったもんで…。足も踏まれたからさ…。」

と、やたら下手に出てものを訪ねるアナタと、空笑いでそれを見守る魔理沙。

 アリスは…アナタの質問には答えずに…椅子の背もたれに腕を掛けると、後ろの人形たちに何やら指示を飛ばす。

 それから、上体をアナタ達の方へ戻すや否や、彼女は、

「私の心持はどうでも良いのだけれど、これの中身は大丈夫なのかしらね。ストーブを燃やしっぱなしの部屋に、もうかれこれ2時間は置きっぱなしのはずでしょう。」

 アリスはそう、普段通りの涼しい顔で、悪びれる事も無く問い返した。…彼女のお喋りの合間を縫って、『七人の小人』たちがアナタの足元へ運んできた物…それは魔理沙が、水火を辞せず、一か八かの覚悟で、この家に持ち込んだ物…彫像用の蝋の塊が入って居る、例の小包であった…。

 言われてみれば、裸で蝋の塊が置いてある訳では無いにしても、少し汗ばむ程の室温。必ずしも保存に望ましい環境とは呼べないだろう。

 アナタは椅子から立ち上がり、『七人の小人』から小包を受取ると…紙紐を引き千切り、包装紙をビリビリとやって…テーブルの上にて、躊躇いなく店開きを始めた。…おいおい、押し付けた痕を頬っぺたに作ってまで、魔理沙が運んできた小包を…そんな、ぞんざいに扱うと…。

 いいや、包装紙を裂いて、残った切れっ端を小包の下から引っぺがす、アナタの流儀を見る魔理沙は実に痛快な表情をしている。かつまた、アリスのお小言も聞かれない様なので…問題無し。

 クシャクシャに丸めた包装紙を小人の一人に投げ渡す。そんなアナタも、そこから先は比較的丁寧に、剥き身となった小包の蓋に手を掛けた。

 蝋の塊の容れ物は、ベニヤ板を長方形に張り合わせた粗雑な…もとい、実用性重視の造りと成っている。アナタはその天辺から…意識してそう組んだのか、それとも、偶然に収まったのか…はめ込み式の蓋を、箱の隙間に爪を突っ込んで、ようやく取り外す事に成功した。

 さて、お待ちかねの御開帳の時間である。当然、一番初めに品物を拝むのは購入者の特権…など、尊重されようはずもなく、魔理沙が横から箱の中へ手を突っ込む。

 初めに掴み出されたのは、緩衝材(かんしょうざい)代わりに詰め物にされたと(おぼ)しき、皺の寄った英字新聞。それを一掴み、もう一掴みと、魔理沙が取り出し、小人たちに投げつけて…意地に成った彼女が遂に立ち上がり、両手で新聞紙を鷲掴みに取り上げた頃合いに…やっと、真っ白い塊が顔を見せた。

 アナタは、魔理沙が両手の新聞紙を処理している隙に、その塊を箱から引き抜く。そして、不公平が無い様に、テーブルのど真ん中に据え付ける。

 蝋の塊は胴の太い円柱形。片手とは言え、指からすっぽ抜けない様、男手のアナタが慎重に移動させたところを見れば…細腕の魔理沙を追い詰めるのには…十分な重さがある事は(うかが)えた。

 これで少なくとも、

「品質も申し分無さそうだし、これだけ重量があるのなら…内側を()り貫いて、内部が空洞な物を寄越す…みたいな、あくどい商売に引っ掛かったという事はなさそうね。」

 あの『運び屋』が聞いて居たなら、羽毛を(むし)りながら怒り狂いそうな風評だが…アリスの言う通り、その心配はあくまでも風評で済みそうだな。

 アリスは両手で抱えた蝋の塊を、危なっかしい動きで魔理沙へと手渡す。

 魔理沙は何気なくそれを受取ろうと…ところが、円柱形の塊のあまりの重みに、それはレールを走る車輪の如く彼女の両腕の上を転がって…あわやというところを、気合いで抱きとめた彼女のファインプレーによって、何とか死守された。…危なっかしいったらない…。

 大息を吐きながら、蝋の塊をアナタにパスした、魔理沙。アリスは穏やかな無表情で、苦笑いを零すアナタへ声を掛ける。

 「また、随分と良質な蝋を買い求めたものねぇ。出費の方も、それなりに成ったのでしょうに…。」

「俺の懐具合からすれば、確かに、安くはなかったよ。しかし、大枚を(はた)いたって程でもなかったと思うんだがなぁ…。あの梟、『でかい両目に懸けて、最高の品を目利きする』とは言っていたが…これを見る限り、上等の品なのは間違いないにしても…これを買い付けるのに俺の渡した金を使い切って、多分、あいつの店には一円の利益も入っていないんじゃないのか…。」

 そんな二人の会話の脇。自分が照れていた事を思い出した魔理沙へ、アリスは微笑ましそうな流し目を送りつつ、

「アナタの隣に居る女性(ひと)に言わせるなら、『彼らは商売っ気の塊で、その癖、儲けに関しては度外視(どがいし)。商売を行うこと自体が目的みたいな状態に成っている。』そうよ。後、それに付け加えて『オマケしてくれるものの、一度顧客として見込まれてしまえば…色々と、荷が重く成る。』とも…だったわよね、魔理沙。」

 呼び掛けられた魔理沙は、どこかよそよそしげな態度で…人知れず呼吸を整えてから…応える。

 「あ、あぁ。そうだったけな。」

 まぁ、顔面が発火しなかっただけ上出来だな。

 「それで、アナタの受取った物の重みはどうなのかしら…。」

「そうだな…。このしっかりとした持ち重りは、アリスの言う通り空洞ではない証拠だろうけど…。」

と、アナタは、二人の前で蝋の塊を軽く揺すって見せて、

「こうも重いと…義理とか、人情とか…簡単には捨て置けそうにない付録が、転がり落ちてくる気がする。…まぁ、何なりと理由を作って、近いうちにあいつの店を訪ねる事に成りそうだよ。」

 そんなアナタに、これは好都合と、口元で掌をピタリと合わせたアリスが、笑みを浮かべる。

 「それだったら丁度いいわ。近々、似た様な理由で魔理沙も、彼のお店を訪れる事に成りそうなのよね。この子、荷物持ちを務めてくれる『男手』に当てがあるとは言っていたけれど…いっその事、アナタも一緒に、魔理沙たちに紛れ込むというのはどうかしら…。」

「おっ、おい。アリス、お前…何を…。」

 浮き浮きとしたアリスの喋り声を、魔理沙は思わず、軽く手を上げ止めに掛る。

 わなわなと震える指先、そばかすの様にほんのりと残った頬の赤味。そのお顔を拝見するに…『私が女王様気取りで、こいつに命令したかったのに…』と、話を切り出した事を怒っていると言うよりは…ひたすらに、訳も解からずアタフタして居ると言った風情か…まっ、それなりに、誤解の為所(しどころ』に事欠かない言い回しではあるか…。

 兎にも角にもアナタは、誰かさんの思惑通り、ジロリと、魔理沙の方へ目線を向ける。

 「ほぉ、荷物持ちの…それも『男手』の当てねぇ。それは一体、どちら様の事やら…皆目、見当が付かないな。」

 そう言うと、申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべる魔理沙へ、不敵に笑い返えした。…とりあえず、彼女にとって『最悪の勘違い』は、避けられたらしい…。

 首から上の火照りを残し、肝を冷やす。魔理沙の複雑な心境を知ってか知らずか…いや、冷やかした張本人が、知らぬはずもないのだが…アリスはのびのびと、ストレスの感じられない声で、

 「ねぇ、そうしなさいよ。そうすればきっと、魔理沙の買い物を出しに、余計な出費が抑えられるわよ。この子、手荷物ではとても済まない様な、すごい量を注文していたのだし…。ねっ。」

と、アリスの声色には、聞き慣れないニュアンスが…微かに甘える様な感触が…混じっていた。

 アナタは自然と、そちらへと首を向け、アリスの『気持ち』へと瞳を開く。

 彼女は…アリスの口元はどこか誇らしげで…合わせられた掌は、スッと、指と指とが交差し、握り合わさった。

 アリスの『意図』ははっきりして居る。だからアナタには、その光景が『幻覚』で無い事がすぐに解かった。…そう、彼女は祈っているのだ。アナタに…心から願おうと…。

 その温度の無い熱望に頷く様に、アナタは彼女から顔を逸らし、魔理沙の方を向く。

 「『すごい量を注文』って、何を買ったんだ。あっ、『魔法使い様、御用達』の怪しいアイテムとかなら…むしろ、教えて欲しくはないけど…。パーティーを開くなんて話なら俺も、伴食(ばんしょく)に与らない訳には行かないからな。」

 得意げに話し掛けるアナタの言葉は、どこか押しつけがましく、それでいて反発心を(あお)る事はない。

 魔理沙は、自分とアナタとの距離を再認識して、首を縦に…振りそうに成るのを、顎に宛てた右手で押し止め…ハニーゴールドの髪を肩口でパタ付かせながら、二、三度、首を横に振って見せた。

 「期待に添えないのは、私としても残念でしかたがないぜ。でも、アナタには済まないが、そう言う予定はないんだよな。少なくとも、しばらくは…にしても、考えてみれば心外な話だよな。」

「何がだ。」

と、胸のわだかまりと格闘する魔理沙へ、アナタがリングサイドから平然とした声を返した。…まるで、『何を独り相撲を取っているんだ』と、悟りきった顔でほざく様に…。

 「それは…そうも思いたくなるだろ。こうして何くれとなく、ビジネスパートナーだと思えば、食事の世話だって毎日の様にしてやっていると言うのにだぜ。そんな私が、アナタを除け者にしてパーティーを開くだなんて…まさか、そんな風に思われていたなんて…ショックだよな。」

 そうして、慙愧(ざんき)に堪えないといった声色を漏らした、魔理沙。口調はともかくとして、胸を張り、鼻息を吐いたのは余計であった。

 それに対して、アナタは…対抗しようとか、冷やかそうとか、下手に出ようとか…そういう思召(おぼしめ)しの一切ない、見事なまでの『率直な感想』を返す。

 「そのパーティーが、魔理沙の女友達とだけの内輪の催しなら…男の俺は除け者にするだろ。普通…。」

「まぁ、そう言われれば…。いやいや、でも、もしも女だけのパーティーを開くんだとしても、一言、お前に報告くらいはするぜ。私は。」

 気分の良さすら覚えていた、アナタの反発力の無さ。それが一転して、不愉快に感じられ始めたらしく…魔理沙はじれったそうに、何故だか抵抗を続ける。

 そんな彼女に引き換えアナタは…勝ち負けとか、魔理沙の『意図』とか…そう言った混み合った次元にいたる前段階で、やっぱり、率直に答えるのだった。

 「特別、事前に報告してもらう必要はないと思うけどな。公演のスケジュールと重なるとかなら、『休みにする』とは早めに教えて欲しいよ。それはそうだけど、魔理沙が何をするから休むのかなんて、一々、詮索する積りも無いって…。パーティーが終わった後にでも余り物を持って来て貰えれば、それで今みたいに、茶飲み話にでも聞かせて貰って…それ以上の事まで、魔理沙に面倒を掛ける必要もないだろ。…あれ、そう言えば、何の話をしていたんだっけな…。」

 アナタは、額をテーブルの上に乗せ、真っ赤な顔から排熱し始めた魔理沙を見下ろして、

「まっ、次の茶飲み話の時まで、お預けとして置くかな。」

 汗ばんだ指に吸い付く、蝋の塊。それをまた元の箱の中へ、ガサガサと音を立てて英字新聞に埋めていく、アナタ。

 蝋の塊が箱の中で動かない様、しっかりと仕舞い込む。そして、片手でベニヤの蓋を閉じながら、自分の腰も椅子の上へ下ろしていく。

 ちょっとした悪戦苦闘の後、蓋を閉じ終えたアナタに、アリスがまた同じことを尋ねる。

 「それ、このままここ置いておくのは、不味いのじゃない。ただでさえストーブの火で温まっている所へ、そこに突っ伏している人間行火(にんげんあんか)まで発熱し出したみたいだでしょう。」

 アリスは、ニブチンのアナタと、ニブチンの魔理沙の為に、少し考えて見せる様に間を設けてから、言葉の続きへと取り掛かる。

 「確か、隣の戸建てをアトリエとして使っているのだったわよね。火の気のあるこっちよりは、そっちに移した方が良いのじゃないかしら…。大方、それまでには魔理沙も、昇った血の気を引かせられるでしょう。」

 アナタはそのアリスの忠告に対して、『ニブチン』なところを遺憾無く発揮。腰を上げ、背筋を伸ばすと、

「いやぁ、アトリエなんて…。絵具やら、大工道具をここで使うと、掃除が大変だろ。だから、荷物より空いているスペースの方が多かった物置を、図画工作に利用したってだけで…アトリエなんて大層な場所ではないだよな。まぁ、言われてみると、案外、悪い気はしないもんだけどさ…。」

 そう照れ入って、後ろ髪を掻き回した。…論旨を把握しない。相手が暗に申し述べている事を、推察できない。…なるほど、男性にしばしば見られる、典型的な『ニブチン』だ…。

 さて好い気分に浸っているアナタへ、どの様に説明すべきだろうか。

 その難問にアリスが、思案の余地なく、ストレートに『認識が間違っている。アトリエを褒めた積りじゃない』。

 そう無情な宣告を発しようとした寸前に、一連のやり取りを隅々まで了解した魔理沙が、早口で二人の間に割って入る。

 「あの物置小屋か。確かにあそこ、壁にも、床にも、点々と絵具の跡があって、それに、シンナーの臭いも、もうずっとこびり付いたままで…如何にも、アトリエって感じではあるよな。」

 変に誰かを擁護する気配の無い、なかなか見事な魔理沙のフォロー。アナタの察しの悪さに…無表情はいつも通りなのだが…面倒くさそうにしていたアリスも、さぞご満悦の事だろう。

 そうして、場の空気の柔軟性を保ちつつ、魔理沙もアナタに働き掛けるのであった。

 「私もアリスと一緒で、そのでっかい蝋燭は向こうに移した方が良いと思うぜ。何しろ、『安くはなかったんだろ』。」

「そうだな。霧雨魔理沙(きりさめまりさ)って熱源もあることだし…万全を期すとしておくか。」

と、貴方は、彼女の心尽くしを皮肉っぽい冗談で返した。

 自分を追い出そうとしている事に気付いての、気を遣わせない配慮込みの軽口ではあろうが…アナタの危なっかしさには、とことんまでハラハラさせられる…。

 魔理沙は…腹の底まで屈託が無いとは言い切れないが…大して気にした様子も無く、満面の笑みを浮かべて、

「そうそう、それからついでに、煙臭いアトリエの裏から私とアリスの分の、燻製を持って来てくれよ。魚の切り身のやつを何枚かと…あと、鹿の肉のスモークも忘れずにな。ほら、さっさと行け。」

 「急かさなくても行くって…。燻製だな。了解した。…けど、忘れているみたいだが…俺の冬の楽しみだった鹿の肉は、燻製も、(いぶ)して無いのも全部、誰かが食い荒らして一切れも残っていません。はっきりと言うが、1グラムも残ってないんだからな。てっきり、何かの料理にして持って来てくれるものと期待していたのになぁ…俺だって一口くらいは…たくっ、行きゃあ良いんだろ。行きゃあ。…馬じゃあるまいし、蹴られなくても歩くっての。」

 蹴り足を巧みに利用した魔理沙の手綱捌きに、アナタは小包を抱え、トコトコと扉の方へ。

 その哀愁漂う背中があまりに憐れに見えたのか、少々、不機嫌だったはず魔理沙も…つい、我慢できず、

「燻製は、箱の中に入っている新聞紙で(くる)んでくれれば良いからな。頼むな。」

 彼女の声には、追い立てた事への引け目も濁っていった。

 ニブチンのアナタは…こんな時ばかり、気が付く男に成るのだからなぁ…優しく笑い返し、労う様に頷くと、何も言わず家を後にした。

 魔理沙は扉が閉まるまでアナタを見送くってから…どうしだろうか…威儀を(つくろ)う様な咳払いを一つ。

 真面目腐った口調で…ニヤニヤと笑うアリスへ…離し掛ける。

 「それで…お前の望み通りに、あいつには座を外してもらったが…。言えよ。こんな回りくどいやり方をするからには、何か、私に言いたい事があるんだろ。それも、あいつに聞かせられない何かが…。」

 言葉が重ねられるに連れ、声に混じる魔理沙の感情は、高じていった。

 アリスは薄皮が剥がれ落ちる様に、笑顔から、無表情に戻ると、

「羨ましいわ。…彼の気持ちに寄り添い、彼の不満を我が事の様に感じられる…。」

 そう小さく呟き、溜息を漏らしてから、アリスが(しず)やかに椅子から立ち上がった。

 「お話しの前に、人形たちを元の場所に返して上げたいの。魔理沙、手伝ってちょうだい。」

 テーブルを離れ、人形たちを伴い、歩く。

 その彼女の後ろ姿は、まるで…自分の気持ちを、自分の居た痕跡を引き連れ消えていく…忘れられた童話の背表紙の様に、淡く、(かす)れていた…。

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