乙
[6]
天井を仰ぎ見れば、生い茂る黒々とした葉群れの空隙に、瞬く星々の光。
それらは、天球上において何十倍と言う大きさを誇る満月の…波紋の様に、何層にも渡って広がる金色の光明に沈みながらも…決して、その存在を絶やす事は無い…。
「星空に思いを馳せているところ、野暮ったい事を言う様だけど…料理が冷めてしまう前にと、折角、急いで出てきたんだぜ。私は、足を止める気無いからな…。」
そう言うと魔理沙は、首を後ろに倒して空を見上げるアリスの隣を…歩調すら変える事も無く…足早に通り過ぎていた。
透き通った湖面の様な青い瞳に、数限りない煌めきを移していたアリスは…頭を起こして、ずんずんと前方へ突き進んでいく魔理沙へ、光の名残が焼き付いた暗い目を向ける。
「本当に…可愛くなっちゃって、まぁ…。」
アリスは可笑しそうに呟きを漏らすと、駆け足で魔理沙の後を追いかけていった。
風が止み、鳥の鳴き声すら途絶えた『魔女の森』は、静けさに包まれている。その中を横切って、魔理沙の家から人里へと歩んでいく二人…と、バスケットを二個、柄の部分にぶら下げた一本…。
その二人と一本の様子を窺うかの様に、折々、木々の背後から身を低くした獣たちの気配が覗く。
しかし、その息遣いに気が付いているはずの二人に、警戒する素振りも、『彼ら』の縄張りを荒らすことへの遠慮も見受けられない。…知っているのだ。この森には彼女たちに牙を剥こうなどという命知らず…もとい、不心得ものなどいないという事を…。
獣たちはただただ押し黙り、おっちょこちょいが彼女たちの柔らかそうな肢体に騙されない様に、香ばしい匂いを漂わせるバスケットの誘惑に負け騒ぎを起こさない様に…ただただ…一刻も早く二匹の『魔物』がこの場を通り過ぎてくれる事を、地に伏して祈るだけ…。
そんな森の野獣たちの涙ぐましい献身も手伝って、魔理沙たちは森を抜け、一足飛びにアナタの住む掘立小屋…いや、失礼…アナタのお住まいである、木造の邸宅が見える所まで辿り着く事が出来たらしい。
後はこの獣道から抜け出し、目の前に長く伸びる、人の足で踏み固められたなだらかな道に合流する。そして、ひたすら歩いて行けば良いという訳だ。
魔理沙は、丘陵地の先にアナタの家を見つけると、足を速めて木の葉の屋根の下から抜け出す。それから、両の握り拳を空へと付き上げると、月明かりを一身に浴びながら身体を伸ばした。
「んんっ…結構、移動時間を短縮できたんじゃないか。」
と、腕を下ろし、大きな欠伸をしながら森の方を振り返る、魔理沙。その悩みなど一切無いかに見える幸せそうな顔に、箒と一緒に成って森を抜け出てきたアリスは…、
「当たり前でしょ。本当なら、夜行性の多いこの森の生き物たちに気を使って、森を迂回してここまで来るのがエチケットのところを…魔理沙がどうしてもと言うから…森の生き物の迷惑を顧みずに、この中を突っ切ってきたんだもの。」
そうぼやきながら、アリスは肩に羽織ったケープから木の葉を払い落した。
魔理沙は悪戯っぽい笑顔を浮かべて、アリスと、それから、大事な料理を下げた箒が歩み寄って来るのを迎える。
「私も、『悪い事しているかな』とは思わないでもなかったけど…。まぁ、仕方なかったんだな。ほら、この通り、箒に乗って飛べる様な状態じゃないしさぁ。そうかと言って、お利口に『魔女の森』を避けて、遠回りで歩いて行くとなると…うん、そんなのは絶対に無理だぜ。折角の料理が冷めるだろ。」
と、答える魔理沙の笑顔を横切って、アリスは足を止めること無く、箒と共に人里に続く道へと合流した。
「そんなの、向こうに着いてから暖めなおせば良いじゃないの。」
アリスの、まさに模範回答。
魔理沙はその冴えたやり方に…『なるどほ』と感心した顔で、手まで打ち鳴らして、
「確かに、そうすれば万事丸く収まるよなぁ。ちょっと考えれば解かりそうなことなのに、私…『出来立てを届けてやらなきゃ』って頭が一杯で、そんなことこれっぽっちも思い浮かばなかったぜ。」
そう言うと、照れ笑いを浮かべた顔を夜風に冷ます様に、あどけなく首を左右に振り、振り…魔理沙も人里への道を歩み始めた。
アリスはようやく聞こえ始めた魔理沙の足音に、小さな吐息を漏らす。それから、箒に下がったバスケットに収まっている、厚手の布を掛けられた鍋の上に手を翳して…ポツリッと…呟く。
「お熱い事で…。」
そんなこんなで、歩きつつ、話しつつしている間に、アナタの家まで残り十数メートルの所まで接近した、二人と、一本。
暗闇の向こうにまで続く青草の絨毯。平原を通り過ぎる冷たい風が、群れなす草を横薙ぎにして通り過ぎていく。
風の一陣が通り抜け度に、めっきりと、冷え込みを深くする夜の空気。アナタもさぞや大歓迎で、温かい料理と、それに何よりも、ご馳走を運んできた魔理沙たちを迎えるだろう。
きっと、喜んでくれる。アナタは驚きと、思わぬ幸運に、少し困惑しながら…だけど、きっと…自分に笑顔を向けてくれる。そんな、熱いお湯の様な想像に浸りながら、魔理沙の期待に満ちた顔はふやけていった。
(私の存在は…妄想の外側って感じね。まぁ、私だって人の恋路を邪魔する積りも無いし…魔理沙の可愛いところを観察しながら、魔理沙の手料理を食べるのが当初の目的だから…自己主張することは本意では無いもの…良い傾向だわ。)
と、アリスは、喜ぶでも、悲しむでもなく、こしらえ物の様な…例えば、精巧なビスクドールのそれの如き…薔薇色の頬を、陶器の様にほんのりと柔らかく、硬直させている。
この、生物と、無生物の…更には、感情と、無感情の境を超越したかの様な、まさしく神品と称えるべき、アリスの芸術的な秀麗さ。
彼女もまた、アナタとは正反対の意味を負った、別格の人形師。そして…もしアナタが、この瞬きする程の間に詰め込まれた、彼女の豊潤な魅力に思いを馳せていたとしたら…胸に刻み込む様に思い返しているに違いない。
自分はなぜ彼女に惹かれたか…それは彼女の放つ、非人間的なまでに美しさに、そして、人形師でありながら彼女自身、内側は空洞に埋め尽くされた人形そのものの様な虚ろな心根をしている…。アナタはアリスの発する…そんな危うさに恋い焦がれたのでは無かったか。…まぁ、アナタが『愛の言葉』として伝えた気持ちは、彼女の心の空白には響かなかったのだが…。
吹き荒む寒風の最中。魔理沙はトンガリ帽子の収まり具合を気にしながら、アリスは巨人の息吹の様な、遠のいてはまた近づく、風の音に耳を傾けながら、そして…今この時を過ごすアナタも…三者三様の心象風景の間を、同じ温度の夜風が渡っていく。
アナタの家まではあと10メートル程。魔理沙の一意専心の心配りのお陰で、まだまだ、料理は充分な温かみを保っている。
いち早く、アナタの目の前で鍋の蓋を開けるところを想像したのか…箒の方をチラリッと振り返った魔理沙は、白い湯気の様な、暖かな笑顔を浮かべていた。
アリスはその表情を、やれやれと…が、ずっと向かい風のソロパートだったはずの夜空の吹奏曲に…微かな…音の無いアクセントが加わったのに気付いて、空を見上げる。
妄想に耽っていた魔理沙も、どうやら完全に惚けていた訳では無かったらしい。
箒の下げているバスケットを二度見したタイミングに、アリスが立ち止まって居るのに気付くと…その視線を辿り、瞳を星空へ…。
上向いた頬に触れる冷たい夜風。その風音を、サッ、サッと、切り裂いて羽ばたく、幾千万の星粒の背景に大きな翼を広げたシルエットが見える。…鳥だろうか、それもかなり大きい…。
織姫と、彦星がまごまごしている間に、大型の怪鳥は天の川を翼の一羽ばたきで横切り、流星群と並走して飛翔する。
「おっ、あれは…おーいっ、運び屋ぁ。こっちだ、こっちっ。」
と、怪鳥の正体に心当たりがあった様子の、魔理沙。山彦の要領で口元に両手を宛てると、大声で、恒星の間を翔けるその姿に呼び掛けた。
その放り投げ、ぶつける様な大音声は、上空の怪鳥に聞こえたのであろう。空を直進していた怪鳥が、急ブレーキを掛ける様に、空の上で二、三度旋回を繰り返す。
そうして、しばらく魔理沙たちの遥か頭上に居座ってから…まるで、音を立てない翼で宝石の様な星々を掻き集める様に…二人の居る方へと降下してくるではないか。
まさか、夜空の遊覧飛行を邪魔された事を怒って、二人に危害を加えようと言うのではあるまいな。…そうでなくても翼を広げた状態では、間違いなく、優に体長は2メートルを超えているのだ…こんなのに襲われたら、流石の魔法使いだって一溜まりも無いのでは…。
そんな傍で見ている側がやきもきする様な状況で、遂に、怪鳥が二人の頭の高さにまで近づいてきた。
これはもしかして…その大きな足で二人の頭を鷲掴みに、空高くへ連れ去ろうというのでは…とも思われたが、どうやらそれは無さそうだ。
よく見てみると、怪鳥は両足に大きな木桶を下げているし、それにこの怪鳥…どう見ても鷲ではなく、梟だ。
大きな梟は四角い木桶を地面に着けると、静かに羽根を畳む。そうすると、木桶の取っ手の部分が、羽根を休める為の止まり木の枝に早変わりする。…なるほど、なかなか考えられているな…。
さて、この梟…二人の首に負担を掛けない高さにまで降り立って…一体、何を仕出かそうというのであろう。
「毎度ご贔屓にして頂き、有り難う存じます。それで、お嬢様方のご用命は、お取り寄せで御座いますか。それとも、お届け物で…。」
大きな梟の第一声は、鳴き声でも、囀りでも無く、流暢な人の言葉であった。…それも、やたら古風な、如何にも商人といった口調の…。
魔理沙はそんな商人風の梟のご用聞きに、何の他意も見当たらない柔和な表情で、二、三度首を左右に振って見せる。
「悪いけど、用件らしい用件もないだ。ただ、運び屋の姿が…て言うか、その目立つ岡持ちみたいなのをぶら下げているのが見えたもんだからさぁ。何となく声を掛けちゃったんだよな。配達の邪魔したなら謝るよ。」
と、魔理沙から申し訳なさそうな苦笑いを向けられて、梟の運び屋は…そのモコモコの羽毛の存在感で表情は読み取れないが…多分、恐縮した様に、ギョロッとしたカボチャ色の瞳で目礼すると、
「いえいえ、お呼び立てにお応えする事、それが手前どもにとっての本分。しかるに、お嬢様のお声が掛らずとも、こちらへ伺うご用向きも御座いました。ですから、どうぞ、お気遣などなさらずに…。」
そうして丁重に、魔理沙の謝意に穏やかな返礼の言葉を送って、梟の運び屋はもう一度頭を下げた。…実に梟らしい、機敏な動きで…。
魔理沙は運び屋の反応に安心して、艶やかな、ウェーブの掛った後ろ髪に右手を突っ込む。そうして、頭を掻き掻き、苦み走った笑顔の中に、照れ隠しのまろやかさを加えていった。
そんなブレンドコーヒーの様な、コクのあるやり取りに…横合いから…アリスが程良いキレを与える。
「『こちらに』って、もしかして人里へ用があるの。珍しいわね、貴方の店を利用する里の人間が居るなんて…。」
関心の有るのか、無いのか。アリスの人形の様な、感情と言う熱っぽさを含まない声。
運び屋は…きっと、幻想郷には変わり者が多いのだろう…別に驚くでも、動じるでもない。魔理沙の突拍子もない呼び掛けに対するのと同じに、良く回る首をクリンッと向けて…しかし…、
「へぇ、そのような次第でして…。」
「ふーん…で、幻想郷の宅配サービスを利用する里の人間って、どちら様なのかしら。ちょっと、興味があるわね。」
「はぁ、そう申されましても、お客様の私事に立ち入ってしまう事と成りますので…。」
と、配達先がどこかを尋ねるアリスの問いには、流石に言葉を濁した。…大切なことだものな、個人情報の保護は…。
「別に、森に住む私たちに隠しだてする事も無いでしょう。それに、用事の内容を尋ねて居るでも無いのよ。そう締め付ける必要は無いのじゃなくて。」
「こればっかりは…手前どもの店の、信用にも関わってくる事で御座いますので…どうぞ、ご勘弁を…。」
「本当に、魔獣の癖に律儀なんだから。」
アリスは、まぁ、確かに融通の利かないところもある梟の運び屋に、小さな吐息を漏らした。…それにしても、この梟は『魔獣』…つまりは、人知を超えた能力を持つ獣であったか…。
どうりで、人語を流暢に操るは…昔の郵便局員が使っていた様な帽子を、大人しく頭に乗っけているはしている訳だ…。
顔には出さない…と言うより出せないものの、運び屋はさも困惑したという具合に、帽子を乗せた頭を180°後ろに振り向けたりしていた。
そんな人語を解する魔獣としての側面よりも、あっち、こっち、そっちと、頭を落ち着きなく多方面に向ける梟らしさの方をこそ面白そうに見ていた魔理沙が…そろそろ、箒に下げた料理の事も気に成りだしたのか…間を取り成す様に口を挟む。
「まぁまぁ、アリスは本心から興味があって聞いている訳じゃないだろ。だったら、そう言葉を尖がらすなよな。」
「私は言葉を尖がらせてなんて…まっ、そうよね。言われてみれば、ちょっと向きになっていたかも知れない。困らせてしまったわね、ごめんなさい。」
と、アリスは魔理沙の取った態度に倣う様に、素直に謝った。
それに梟は再び、二度、三度と頷いて見せて、
「滅相も御座いません。手前の方こそ、お嬢様に御不快な思いをさせたのではと…どうぞ、お目溢し頂いて、これからも手前どもの店を可愛がってやって下さい。」
「えぇ、また、何かと頼りにさせてもらう事にするわ。それにしても、貴方ってとっても商売上手なのね。」
そのアリスの気立ての良い返事に、梟はやや照れくさそうに首を傾げて見せた。
よし、これで一見落着…かと思いきや…ここで魔理沙が、梟に何気なく問いかける…。
「ところで、お前が人里に用事って…あの家に住んでいる男に…。」
と、立てた親指で、肩越しにアナタの掘立…木造の邸宅を指し示して、
「…届けるんだろ。やっぱりこの前に、私と、あいつがお前たちの店に寄った時の…何を取り寄せたのかは知らないけど、あいつが注文用紙に書いていた品物が店に着いたから、それを今から届けに行くんだよな。…って、何だよ。二人して、変な顔でこっちを見て…気持ち悪いぜ。」
アリスは毒気を抜かれた顔で、運び屋も特徴的な目を点にして、魔理沙の空っとぼけた様な微笑みを無言で凝視していた。…魔理沙の発言あまりの奔放さに、言葉を失ってしまった…と言うよりは、敢えて口に出すまでも無いと言うおうか…。
何せ、言葉を弄するまでも無く、見たままの、見たものをそのまま受け取れば解かる様な明白な形で…アリスと、運び屋の『無表情』が理路整然と物語ってくれている真っ最中なのだから…。
曰く、『お前は一体、何が目的なのだ。』と…。
だがしかし、人は恋にのぼせ上がると、他人の顔色の変化というやつに鈍くなるらしい。
それで無くても、魔理沙の見るべき面は、人形細工の如き洗練された容貌と、客商売には不向きにも見える、毛むくじゃらのポーカーフェイスなのだ。
茹でた卵の様な熱りを宿す魔理沙の下瞼が、二人の熱情に乏しい顔付きから底意を見逃すのも無理はない。
そして魔理沙は、そんな…身を切り裂く様な寒風すら心地よく感じさせる、熱っぽい主観に浸りながら…胸焦がす火照りの命じるまま、我が意を燃広がらせて行く。
「んで、どうなんだよ、運び屋。やっぱり、あいつの所に配達があるんだろ。あ、もしかしてアリスの事を気にしているのか。それだったら心配はいらないんだ。アリスも、あいつとは顔馴染み…元は、師匠と弟子の間柄だったくらいだからな。安心して、私たちに打ち明けてくれて構わないんだぜ。」
こうも穏やかに、かつ、たおやかに促されると…彼女が森の獣共もひれ伏す魔法使いだと理解しているだけに…伸し掛る様な空恐ろしさがある。
運び屋も、始めの方は嘴を閉じたり、開いたり…また閉じたりしていたが、最後には観念して、
「はぁ、確かに…人里にお住まいの、人形繰り旦那へのお届け物に上がりました。お嬢様には、本当に良いお得意様を紹介して頂き、感謝のしようも御座いません。」
と、包み隠さず打ち明けた。…選択の余地がない以上は、仕方がないことだわな…。
その運び屋の回答に、魔理沙は大満足の笑顔で頷く。それから…、
「良いって事よ。お前んとこの店には、いつもオマケして貰っていたからな。また、あいつ引っ張って顔出してやるぜ。ところで、私たちも、これからあいつの家を訪ねるところだったんだよな。なぁ、丁度いいから、その届け物…私が代わりに持って行ってやるよ。」
と、そう言うと魔理沙は、『差し出せ』と言わんばかりに右手を前へ。
その嬉しそうな顔を前にして…運び屋は助けを求める様にアリスを見て…アリスはその視線から逃げる様にそっぽを向くと、『それが目的だったのか』と溜息を漏らした…。
「いえ、それは…お届けに上がった先で受領印を頂戴するまでが、手前の仕事ですんで…。」
多分、運び屋は、この後に『見逃してくれ』と続ける積りだったのだろう。だがしかし、その言葉の切れ端を引っ手繰って魔理沙が、
「受領印って、手書きのサインでも構わないだろ。なら、私が代わりに、あいつの名前をサインすれば良いだけの事じゃないか。それで、何も問題ないよな。」
そう言ってあっさりと退路を遮った。…もう、これはどうしようも無いんじゃないかな…。
運び屋もキョトキョトと首を動かし困り果てている内に、どこを見たとしても結局は届け物を渡すより道は無い事を、再確認できた様だ。
「それでは、手数をお掛けする事となりますが、お嬢様のお言葉に甘えさせて頂くとします。」
と、運び屋はあくまでも低姿勢で、魔理沙の要求を受け入れる事とした。
そんな良く出来た梟に似た魔獣の対応に、魔理沙はご機嫌な笑顔を返す。…触らぬ神になんとやらか…。
運び屋は木桶の、取っ手の部分から颯爽と飛び降りると、桶本体の上へ降り立つ。そして、鋭い爪の生えた足を駆使して、器用にはめ込み式の蓋をスライドさせ始めた。
「えぇっと、人形繰りの旦那宛ての荷物はっと…。」
木桶の中を覗こうとする不届きな魔理沙の視線を、それとなく羽根をバタつかせ、遮りつつ、
「あぁ、これだ。…よっと。」
運び屋は茶色い包装紙に覆われた小荷物を掴み出すと…翼で空気を一仰ぎ…ふわりと宙に飛びあがった。
そうして…星空へ向けて高らかに歌い上げるか様な…眩しそうに瞳を細め、両手を差し伸べた魔理沙の元へと、小荷物を下げ、ゆっくりと滑空していく。
魔理沙はしっかりと抱き締めると、小荷物を、小荷物を…あれっ、運び屋が軽々と持ち上げた時は小さな荷物に見えたのだが…魔理沙の様な小柄な女性が抱えると…それなりに、ご立派な荷物だったのだな。
抱き止めた荷物の重さに四苦八苦。足をよたよたとさせている、魔理沙。そんな彼女の様子に、運び屋も翼を忙しなく動かしながら、荷物に結ばれた紐を未だに離す事が出来ない。
「あのぉ…やっぱり、手前が旦那のお宅にお届けに上がった方が…。」
「大丈夫だって、ほら、こうやって持っていれば…。」
と、魔理沙は目の前を塞いでいた荷物を顎の辺りにまで下ろして、運び屋にニンマリと愛想笑いを見せた。
彼女の力無い笑顔…と言うより、表情筋に意識を向ける余裕が無いところを見れば…荷物を抱える両腕に相当な負担が掛っているのが解かる。それだと言うのに、腕へ余計に重みが圧し掛かる持ち方に変えてまで、荷物と、自分の健在振りをアピールして見せるとは…ここまで意地っ張りな娘だったのかな、魔理沙は…あるいは…、
(月並みだけど…愛の力って言うものなのかしらねぇ…。腕力の方はともかくとしても、自分の肉体を駆使して行動する事に怠け癖が付いていた魔理沙に、こうして重石を後生大事に抱えさせるなんてヘラクレスでも無理なお話…。『汎用性が高い』と言ったのは私だったけれど、思った以上に侮れないものだったみたいね。…彼の『能力』…。)
「ちょっ、ちょっと、ぼーっとしてないで、アリスも少しは手伝ってくれよな。」
と、そんな魔理沙からのご注文に、浮かんだ箒の柄を指先で撫でながら、実際、ぼんやりとしてアリスは、
「手伝えと言われても…私、ナイフとフォークより重い物、持ったこと無いわよ。」
「誰もこっちで力を貸してくれとは言ってないだろ。この荷物は私一人で持っていられるから…けど、て、手を離すのは無理みたいなんだ。そう言う事なんで、受け取りのサインの代筆の代筆、よろしく頼むぜ。」
「あぁ…はいはい、解かりましたよ。それで、どれにサインすれば良いのかしら。」
と、アリスは根負けした様に請け負うと、荷物に結わえられた紐を掴んで離さない運び屋に、流し眼を送った。…『幾ら頑張っていたところで、その娘があきらめる事はないわね。』…そう告げる様に…彼女とて、いい加減、この寒空の下で立ち往生というのにも辟易していたのだろうな…。
アリスの青い瞳に促された運び屋は、已むなく、紐を掴む足の力を緩める。
「はい、それでは…。」
と、最後に、爪に引っ掛かっていた一縷を離して、飛び去るその際に、
「壊れ物が収められて居りますので、どうぞ、落とされない様に、お気を付けて下さいよ。」
「そ、そういう大切な事は…もっと、早めに…。」
だが、そこは商売人だ。泣き言らしきものを漏らす魔理沙を残して、さっさとアリスが待つ木桶とへと飛び移っている。…一度手離した物には執着しない。商人はそうでなくてはな…。
木桶の枠に片足で止まり、するりと蓋の隙間に足を突っ込む。そして魚でも捉える様な…いやいや、灰褐色の羽毛からすると、かなり大型だが、彼はモリフクロウに近い様な…だから、ネズミか、ウサギでもとっ捕まえる様な気安さで、運び屋は木桶から紙束を掴みだした。
その見た目からすると、大福帳。それが顧客名簿の役を果たしている様だな。
運び屋は木桶の蓋の上に大福帳を置くと、これまた何とも慣れた手さばき…もとい、足さばきで、四つ目に糸で綴じられた側に指を挟み込ませて、ペラペラと項を捲っていく。
その働き手の顔付に成った梟の真ん丸の瞳に向かって、魔理沙が声を飛ばす。
「…にしても、随分と重い荷物だな。これ、中身はいったい何が入っているんだ。」
運び屋が分担してくれていた重みが加算された事で、魔理沙はもう荷物を持って一所に落ち着いているのも無理らしく…ふらふらと、事務作業に取り組んでいるアリスたちの周りを、歩きまわっていた。
そんな彼女の問いに、運び屋は大福帳に書かれた字面に目を落としながら、
「何でも、彫刻に使う蝋の塊だそうですが…それでは、ここにお名前をお願いいたします。」
と、答えもそこそこで、アリスに受領のサインを頼んだ。どうせ、荷物と一緒に廻り歩いている魔理沙が、次ぎの質問をしに近くに戻るのにはまだまだ掛りそうだからなぁ。
「ペンの手持ちが無いの、貴方のを借りても良いかしら。」
「へぇ、でしたら、手前の風切羽をお使い下さい。インクの方は既に含ませて御座いますんで…。」
そう言って運び屋は、アリスに差し出すか様に片翼を広げた。
アリスは、翼の内側にある、白い羽に手を伸ばして…が、不意に思い止まった様に細い指を曲げる。
「でも、風切羽を抜いてしまって大丈夫なの。貴方が飛んで帰られなくなるんじゃない。」
「いいえ、ご心配には及びません。手前もこれで魔獣の端くれ、羽の一枚や、二枚、ものの数秒も御座いますれば生え換わるもの…ですから遠慮なく毟り取って、どうぞ、お役立て下さい。」
と、もう一方の翼で、モコモコとした羽毛に包まれた胸を叩いた。
運び屋の冗談めいた言葉に、そして、おどけた仕草に…アリスはぎこちなく笑みを浮かべて見せる。それこそ人形の様な、作り笑いと一目で解かる。…しかし、それ故、相手の気持ちを汲み取とろうとするアリスの思い遣りが、ありありと滲んで…向けられた者の胸に迫る様な、そんな作り笑い。
魔理沙への押し付けがましいところの無い、気配り。獣道を抜け、人道をここに至るまで歩をそろえて訪れた、何のかんの言って付き合いの良いところ。そして、運び屋の魔獣にすら垣間見せた、いたわり気持ち。
超然とした、人並みの愛嬌すら窺いづらくなる程の、その美貌に紛れてしまいがちだが…アナタが見染めただけの事はあるな…アリスは優しい女性だ。それだけに…誰かさんにとっては強敵と成りうるのだろうが…。
その誰かさんが堪え切れずに、荷物を抱き締めたままで道端に座り込んでしまった頃。アリスは、クイッと、果実をもぎ取る様な繊細さ、かつ大胆な指使いで、運び屋の風切羽の一本を抜き取った。
羽の表面では灰褐色がじわりじわりと溶け出し、混ざり合いながら黒色が…インクが生成されていく。
それが羽の軸に集まり、内部を通って軸の根元を黒く染める。当然、予めから軸の根元は、万年筆の先の如く研ぎ澄まされて居り…立ち所に、風切羽が見事なフェザーペンに早変わりと言う訳だ。
荷物の包装紙に頬を擦り付けて大息を吐く、魔理沙。その吐息のリズムに乗って草原を滑る風を、アリスは新品のフェザーペンを軽く振って追い払う。…どうやら、上々の具合の様だ。
「悪くない摘まみ心地に、インクは充填済み。流石に魔獣の羽だけあって、大した一品だわ。…サインは彼の名前で良かったのよね。」
「はい、旦那のお名前を頂戴できれば…そうそう、もしよろしければ、その羽はお嬢様に差し上げましょう。」
アリスは大福帳の所定の欄に、サラリッと、筆記体でアナタの名前を綴って、
「あらっ、本当。嬉しいわ、すごく。だけど…こんな高価そうな物を代筆した縁だけで頂くなんて、なんだか申し訳ないわ。…あぁ、高価と言えば…。その荷物、かなりの大きさで、目方も随分とありそうだけれど、品物の代金や、貴方の手間賃なんかは、私たちで立て替えて置かなくても平気なの。」
運び屋は手前に…いや、羽前に差し出した足で、アリスから大福帳を受け取る。
「お名前、確かに頂戴いたしました。…旦那からは運送費用込みのお勘定を、前金で頂いております。ですからその点は、お嬢様方にお荷物としてお持ち帰り頂く必要ご座いません。それと…。」
と、大福帳を片付け、木桶の上から飛び上がった運び屋が…そっとアリスの耳元に嘴を寄せて、
「実は、人形繰りの旦那から、前金と一緒に過分の『お心遣い』も弾んで頂いておるんですよ。ですんで、本来なら手前が直接にお宅までお届けに上がりたかったのですが…霧雨のお譲様には叶いません。」
そう言い置いて木桶の取っ手に戻った、運び屋。アリスは、梟の羽毛の質感と、ゴニョゴニョとした囁き声に、くすぐったそうに目を細めて笑っていた。…森の獣たちの胃壁の事も心配していたし…今、珍しく普通の女性の様な態度を見せた事からも…動物を嫌ってはいない様だな、彼女…。
アリスは手で口元を隠しながら、いつになく、クスクスと可笑しそうにまつ毛を伏せる。そんな彼女と自分の方を胡散臭そうに眺める魔理沙の視線に、運び屋は威儀を正す様に咳払いを一つ。
「オッホンッ、えーっ、ですから、お嬢様方がご懸念あそばされる何者も御座いません。万事、人形繰りの旦那のお手配りのお陰さまで…。それから、手前の羽は雨後の竹の子の様なもの。放って置けば生え揃うだけあって、価値も二束三文といった代物で御座います。インクも持って、一月が精々。どうか、ご遠慮なさらずお使いになって下さい。…ちなみに、付け根を上にして振って頂ければ、インクは軸の中に戻りますので、その様にお使い頂ければ、お召し物を損なう心配も無いかと存じます。ペンとして入り用の際には、また、付け根を下にして振って頂ければ、すぐにでもご使用になれますので、どうぞ…。」
運び屋の懇切丁寧な説明に、アリスは優しい愛想笑いで頷くと、手首を返してフェザーペンを振り始めた。…と、そんな二人の小気味良いやり取りに…置いてけぼりにでもされていると思ったのか、魔理沙が、
「私に隠れて内緒話か。なぁ、私だって運び屋の仕事を手伝ってやるんだからさぁ、仲間外れにしないで教えてくれよ。」
運び屋から無理矢理に仕事を奪い取って置いてよく言う…アリスも羽を振る手を止めて、溜息を漏らす。
「この娘は…何を子供みたいな事を言っているの…。何も隠し立てなんてしていないわよ。ただ、その荷物の代金は、彼が支払済みだったって事を確認しただけ。…誰も、貴女が彼の事を憎からず思っているなんて、告げ口をしていないわ。」
アリスの皮肉がふんだんに込められた返答に…運び屋はバツが悪そうに、よく回る首でキョロキョロ…魔理沙は箱の角が頬に食い入るほど、ギュッと、アナタ宛ての荷物を抱き寄せて…、
「私はそんなに…そりゃあ、あいつのことを嫌っている何てことは無いぜ。…と言うか、そもそも、私は告げ口なんて心配してもいねぇよ。」
と、顔を赤らめもせず、ムスっとして、不満たらたらに答え返した、魔理沙。…その拗ねた様な口調が…アナタへの思いが、容易ならざるものである事を物語っている…。
アリスは魔理沙のふくれっ面から顔を背けると、小さな吐息を一つ。それから、ツンと澄ました容貌を傾げていると…左耳の上の辺り…フリル付きのカチューシャと、自らの金髪との間に、運び屋から譲り受けたフェザーペンをそっと挟みこんだ。…これは、何とも…その…綺麗だな…。
それは、運び屋とて同意見だった様だな。
自己主張の気の強い丸い瞳を逃がそうと、振り子の様に左右に動かしていた首の動きが徐々に小さく…。運び屋の目線はアリスの完成された美貌と、静やかな仕草に収束されていく。
天女が妥協無く紡ぎ上げた、金色のシルクの様な毛髪を…世界中に咲く全ての赤い花の花弁を、一つ鍋で煮詰めて抽出した染料。それを幾重にも塗り重ねた様なカチューシャを…そして最後に、希少な魔獣の風切羽。その油絵の如き複雑な色合いを、惜しげも無く溶け合わせた羽飾り…アリスはそれらを、左手の指先で順番に撫で上げていった。
堅さは抜けないもの、心持ち白磁の様な滑らかを揺らした笑顔で、
「少し、派手かしら。私の頭に飾るには、貴方の羽は立派すぎるかも知れないわね。」
と、アリスはやんわりと、運び屋に尋ね掛けた。
運び屋はアリスの疑念を払おうと生真面目に、何度も頷き、何度も首を縦に振る。
「とんでもございません。手前のみすぼらしい羽を意匠としてお使い頂けるとは、身に余る光栄。…それにしても…よくお似合いで御座いますよ。」
そう簡潔に、かつしみじみと褒め称えて、運び屋は返事の前と同じく首を縦に振った。
そう言えば、路傍にアナタ宛ての荷物と『抱き合わせ』で放置されていた魔理沙嬢は…、
「…って、そっちから茶化しておいて、無視ですか…。」
と、まさしく途方に暮れたかの様に、そして…先程までの、子供っぽい言動からはかけ離れた様な…大人の女性を感じさせる妖艶な苦笑いで、微笑みを浮かべる。…アリスの表面的な魅力にうろたえている運び屋と比べて…何と、深みのある魅力を湛えていることか…。
『女は魔物』などという使い古された表現もあるが、確かにこれでは、どちらが『魔獣』なのか解からなくなってくると言うものだ。…えっ、『著者には、梟に対する恨みでもあるのか』って…滅相もない。恨みどころか、この梟には親近感すら感じている次第で御座いますとも…話を魔理沙たちへ戻すとしよう…。
カチューシャに挟んだ髪飾りの角度を微調整しながら、アリスが運び屋に喋り掛ける。
「だけど、仕事を奪っておいて、付け加えにこんな多機能な品まで頂いてちゃって…チップをあげなければとは思っていたのだけれども、ここまで色々と受け取ってしまった後だと、雀の涙みたいなお駄賃を渡すのもかえって失礼にあたるかしら…やっぱりこのお礼は、私と、魔理沙…それに彼とで、また貴方たちのお店に伺った時にでも、張り切って買い物をすることでお返しさせてもらう事にするわね。」
その申し出に、運び屋はせかせかと首を左右に動かす。
「そんな、手前の様な者にチップだなんて…そんな大それた、そんな恐れ多い…。手前はただただ業務をこなして居るだけの木偶の坊。こうしてお仕事をさせて頂いているだけでも、お客様方の温情には手を合わせてお祈りしたい思いです。」
と、そう言って、翼を擦り合わせ祈って見せた運び屋の姿は…まるで、揉み手をしている様であった。…つくづく商売人だわ、この魔獣さんは…。
「それを、お嬢様方からその様に過分な…チップなどと、手前には過ぎた慰労もいいところ。ですから、手前などをねぎらって下さろうと言う、お嬢様のそのお心だけ、有り難く頂戴いたします。…とは言え…。」
と、綺麗に謝辞を纏めたかと思えば…何やら言葉に含みを持たせた、運び屋。
そうして、手に掴んだ、もとい、嘴に銜えた客の服の裾を引き寄せる様に、ゆっくりと、大きく首を縦に振ると、
「手前どもの店に足を運んでやろう、買い物をしてやろうという、お嬢様方のお志まで手前が勝手にお預かりする訳にも行きません。どうぞ、お気の向いた際、また、お入り用の品のお有りの際には、どうぞ、手前どもの店でお買い求め頂けますよう。手前どもも、お嬢様方のお志にそぐう商品を取り揃え、お越しいただける日を心待ちにしております。」
そう言って運び屋は、こっくり、こっくりと頭を下げながら、広げた大風呂敷を畳む様に言葉の端を結んだ。
アリスもそんな、人間には無い、野生動物…かどうかは議論の余地があろうが…とにかく、鳥獣の類が見せるジェスチャー特有のあどけなさを真似る様に、ゆるりと頷き返す。当然、羽飾りを風に奪われぬように、カチューシャに細い指を押し宛てながら…。
「解かったわ。残念ながら今のところは、取り立てて必要な物もないのだけれど…貴方のお店が私に向けて門戸を開いてくれているを肝に銘じて、雑貨を切らせた時には、そちらに駆け込ませてもらう事にするわね。…それにしても、貴方…本当に、商売お上手よねぇ…。」
そう仰るアリスの方こそ、如才なく、運び屋を煽てに掛る…これは、気を引き締めないと大損こく事に成りかねないぞ…気をつけろよ、運び屋…。
運び屋はアリスの賛辞に対して恐縮しきり。こそばゆそうに翼をもぞもぞと動かすと、
「いやぁ、お嬢様には敵いませんなぁ。」
と、翼を、バサリッと大きく広げたかと思えば、サッと襟を正すかの様に収めて見せる。
「ところで…お話を翻す様で恐れ多いのですが、どうでしょうか…今後とも、手前どもの店が、お嬢様の平素のご用命にお応えできます様に、ご用立て差し上げられます様に…どうぞ、お嬢様のお望みの品を、お教え願えないものでしょうか。いえ、これはあくまで参考にお聞きするだけの事。お取引では無く、高名な人形師でいらっしゃる、お嬢様の鋭敏な感性を手前どもの取り扱う商品に反映させる為のご助力を願いたいと…そう、リサーチをさせて頂ければと言う、その一心で御座いまして…。」
運び屋は饒舌にアリスに呼び掛けながら、そろりと足を木桶の中へ下ろす。そして話の合間に、何気ない風を装いつつ、顧客名簿とはまた別の大福帳をその手腕で…否、足脚で取り上げた。
「そう言った次第に御座いますので、どうぞ、ご要望の品を何なりとご教授いただきたいのです。お教え願えたならば必ずや、お嬢様が手前どもの店にお越し頂けるその日までに、ご用命の品を…その一級品をば、商売人の誇りに懸けまして取り揃えいたします所存。ささっ、遠慮などなさらずに、ご要望を仰って下さい。若いご婦人のお求めの品を、それに…勿論、お代の方も…お勉強させて頂きます。」
と、白紙の項を広げた大福帳を木桶の蓋の上に乗せ、右足で自分の風切羽を抜き取った、見事なまでの臨戦態勢を作る運び屋。
一見低姿勢を貫いている様で、その実は、注文を受ける様な状況へすっ飛んで行こうとしているではないか…油断も隙も無いな、この梟は…。
「さぁ、さぁ…どうぞ、何でも申しつけて下さい。」
最早、完全に焚き付けに掛っている運び屋に、アリスは…、
「そうねぇ、若い娘が喜びそうな商品と尋ねられても…私も森での起居を続けて、もう随分と経つものだから…近頃の娘が喜びそうな手回り品には疎いのよねぇ。」
と、思い惑う様に、かつ、物憂げに、インクの詰まった羽飾りを揺す振らないよう気を着けて、首を傾げて見せた。…のだが、駄目だな、これは…。
この運び屋さん、羽毛でずんぐりとした身体を微動だにせず、頑ななまでに『拝聴モード』をキープしている。これでは流石に、遠回しにアンケートを拒否するという当たり障りのない手法は、通用し無さそうだ。
まぁ、運び屋の、一切の角の無い瞳と、視線が節穴と言う事が第一因なのは間違いない。しかしながら、敢えて言わせてもらうなら、アリスが一個の女性として『完成し過ぎている』点にも問題が無い訳では無いだろう。
何にせ、物憂げに首を傾げる所作一つとっても、丹念に磨かれた宝石の如く洗練されている。その上、眩さのあまり表情が読み取り辛くすらある、この器量だからなぁ…世慣れた紳士でもなければ、彼女の魂胆を汲み取るのは至難の業であろう。
…まっ、それでも…朴念仁の著者であっても、やんわりと拒絶されているのは気取ったろうがなぁ…って、私は何を、梟と張り合おうとしているのだか…お見苦しいところをお見せした。話を戻そう…。
運び屋の熱意の矛先、もとい、フェザーペンの筆先を、他所へ逸らす事に失敗した、アリス。
さりとて、野生動物に対する思いやりの気持ちが災いしたのか…アナタからの愛の告白を一蹴してのけた様には…運び屋の向上心を無碍することが出来ずに居る。
そんな困り果てたアリスの隣に、大荷物を抱えて救世主は、千鳥足で歩み寄った。
「チップは、その場限りの縁で済ませようっていう小銭にじゃなくて、店での買い物をすることで生まれる、手渡しのやり取りで支払おうとは…アリスにしては、なかなか粋な計らいだぜ。私もこの、絶好の女振りの見せ場に相乗りさせて貰おうかな。当然、一口じゃなくて、大口の客として…構わないだろ、運び屋。」
運び屋とアリスの間に、見たまんま、まさに豪快を絵に描いた様な魔理沙が…かなり危なげな足取りで割り込んでいく…。
ここのところは『恋する乙女モード』が高じて、若干、株を下げ気味だった彼女ではあった。しかしながら生来は、その勝気な口調に相応しい、姉御肌の女性な様だ。
そんな魔理沙の気風の良い態度に、運び屋は…それは、有り難そうに…が、どういう訳か探る様な慎重さで答える。
「は、はぁ、それはもう…手前どもといたしましても、より多くご意見を頂戴できたならば、それに勝る励みは御座いません。ですが…。」
と、ここで、おそらく運び屋は、『まずはアリス嬢のご意見から』と言う様な二の句を次ごうとしていようだが…魔理沙みたいな華奢な女性の細腕には、明らかな相応しくない大荷物を持たせている…その手の意識は、実際には荷物を持っていないと言うのに、結構なプレッシャーだったりする。
それに、彼女を道端に待たせて居るという自覚もある。…果てさて、どうやって魔理沙嬢に、面談の席を譲って頂くか…まぁ、そんな事を思案している時点で出遅れているのは明白だがな…。
天然物の柔らかそうな羽毛に覆われている為に傍目には解かりづらいが、身体を硬直させつつ頭を回転させていた、運び屋。だがしかし…否、当然にというか…彼の考えが纏まるまで待ってやる筋合も、その気もさらさらない魔理沙は…、
「それじゃあ、言うからな。んっ、インクの準備は出来ているのか。」
そう、逃げ場を見出すべく運び屋が、頭と一緒に、土台である首まで回してしまう前に…魔理沙は間髪入れずに、開始の合図を送った。…先んずれば人を制す…相手が魔獣でも、また、然りという事だ…。
一度こうなってしまえば、運び屋は鳥にしておくのが惜しい様な生粋の商人。客の側に注文があると言われれば、かしこまって申し受けるのが彼の職責なのだ。
まるで手旗信号でも送っている様に、運び屋は大慌てで左右の翼を上げ下げしながらも、
「へ、へぃ。こちらは何時でも、承る準備は整えて御座います。どうぞ、お嬢様の良い頃合で、お申し付け下さい。」
相変わらずの行き届いた馬鹿丁寧さで返事をしながら、運び屋はフェザーペンを持った右足を、バタバタと振り上げ、振り下ろしていた。
魔理沙は屈んで、荷物の重みを木桶の縁に預ける。だが、『さてこそ霧雨魔理沙だ』と、喝采を送りたくなる様な強情さで、決して腕を回すのに適している訳ではない角ばった荷物を、抱きかかえ続けている。
運び屋と同じ目線の高さで、頬を押し付け、縁の上の荷物を支える姿…。そんな魔理沙が、運び屋の快諾に、頬を擦りつけながら頷き返す。
「それじゃあ、早口になるかも知れないし、聞き逃したと思ったら遠慮しないで止めてくれて構わないからな。えーっと…まずは、薄力粉を10キロ。それから、砂糖と、塩を5キロずつ貰おうか。後、リンゴを…鮮度や、見栄えなんかの良し悪しはお前に一任するから、1ダースほど頼む。そうそう、それに…。」
と、次々に魔理沙が注文する、食料品の数々。きっと、アナタとの公演で売りに出す積りの、お菓子の材料も含まれているに違いない。…ところで、元々は、『人形師の鋭敏な感性を商品に反映』するのが目的では無かったか…。
まぁ、運び屋のこの様子を…人間の手先では再現不可能であろう神業の如きペンさばきで、大福帳の項を乱れの無い文字で埋め尽くしているところを…あまつさえ、魔理沙の一言、一言に対して、
「はい…はい、お任せ下さい。手前の商売人としての誇りに懸けまして、最高の品を吟味して参ります。…はい、承知しました。」
その様に、逐一、請け合いの声を返しているのだ。当初の目的を差し挟む余地など有りはしないか。
そうして、さらっとした白紙の表面を、濃厚で、緊密な墨文字が、充分に驀進し終えた…そのタイミングを狙いすまして、魔理沙が話の端緒を、キュッと、上手に結んで閉じる。
「まっ、今のところ、家で切らしているのはそんなもんだろう。…にしても、悪かったな。私一人の注文で、1ページ丸ごと占領してしまって…。」
「いえいえ、お嬢様からの大口のご依頼を綴られて、『本懐だ。』と、この大福帳も喜んでおりますとも。それに私も、これほどご贔屓にして頂けましたなら…これは、忙しくなりそうですよ。」
と、野生の血が騒ぐのだろうか…商売繁盛で興奮気味の運び屋の様子に、すかさず、魔理沙が呟く様な声量で、
「確かに、私とした事がずいぶんと大仕事を背負い込ませてしまったな。喜んでくれているみたいで何よりだけどなぁ。ただ…ここまでリクエストが立て込むと、アリスの方までは手が回らないんじゃないか。どうだ、アリス。」
そう、運び屋にでは無く、アリスの方へと問い掛けるのが何とも心憎い。
アリスは暗い夜に映える金細工の様なまつ毛を、眠たげに伏せる。
「それも、そうかしらねぇ…。」
そう曖昧に答えながらも…可笑しそうに引き結んだ唇に、おどけた様に見張った瞳に…どうやらこの難局を打開してくれる気でいる魔理沙への、信頼の色が…清々しい青色が、透けて見えていた。
そんな彼女の信任の気持ちに、魔理沙は和らいだ口の端を、不敵に引っ張り上げて、
「だよな。それだったらアンケートへの答えは、一先ず、アリスが次に運び屋の店に顔を出すまでの、宿題って事にして置くのが良いんじゃないかな。そうすれば、時間を掛けた分はアリスの意見だって、こんな寒空の下でリサーチした結果よりも揮ったものになるだろうし…。」
と、そこで魔理沙が…荷物の側面…たわんだ包装紙の影から、チラリッと、運び屋へ向けて琥珀色の瞳を覗かせた。
「お前だって、私の注文した品物を用意する片手間で、アリスの意見を商品棚に取り入れる事に成るよりは良いだろ。」
…この魔理沙の言い草はかなり、上手い…あるいは、ずるい。これでは、もし運び屋が『いいえ』と答えてしまえば、片手間で二つの仕事をこなそうとしている宣言したも同じになってしまう。
そして何より、魔理沙は現在進行形で大口のお客様なのだ。つまり、彼女が『諦めろ』と言ったところで、それは『手ぶらで帰れ』という意味には成りえない。…否、むしろ、アリスの意見を携えて変えるよりも、『魔理沙の注文』と、『アリスの来店』の、二つの確約を取っての凱旋の方が…それはもう、大仕事をこなしたと言って、憚る必要も無かろうというものだ…。
少女の様な子供っぽい一面だけでは無く、商売人のプライドが傷つかない形で采配を振るう、見事なお手並みをも重ね持つ。流石は魔女…もとい、名うての魔法使い様だ。
運び屋も彼女の助言には、感に堪えない、目から鱗といった様子で、何度も頭を下げていた。
そうして、魔理沙の有り難いお言葉が終わると…インクが垂れ落ちない様に…運び屋は足の指を使いフェザーペンを、くるりっと、半回転させる。
「なるほど、最もなお話です。もしお嬢様がお出で下さらなかったなら手前は、そんな、お客様のご下命に精神誠意お応えするという、商売のいろはにも思い至らずに…取り返しのつき様も無いヘマをやらかすところでした…。」
と、魔理沙のハッタリに、神妙な声、殊勝な言葉で応えた、運び屋。…沈痛な面持ち…と、多分、羽毛の内部はそう成っているであろう顔を…実に可動域の広い首ごと回して、アリスの真っ正面に向けると、
「お嬢様…手前勝手にも程があろうと、重々承知はしておりますが…手前としましても、労を惜しまずご意見下さろうと言う、お嬢様の勿体無い御熱意には全力を傾けてお応えしたいと考えております。」
「えっ、私はそんな、熱意だなんて程には…。」
そう言って…いつの間にか運び屋の脳内で、乗りきも乗り気、大乗り気に薫陶を垂れようとしていた事にされていた…アリスが、虚を突かれて、思わず口出ししようとする。それを、真ん中から魔理沙が、
「シッ。」
と、鋭く声を発して制した。…確かに、ここは彼女の言う通り、黙っておくべきだろう…。
そんな二人の阿吽の呼吸を知ってから知らずか、運び屋は朗々と言葉を続ける。
「手前に学びの場を与えて下さろうというお気持ちに、この場でお応えできない…それは手前にとっても口惜しいこと…しかし、お嬢様のお志が、手前にとっては雪山の白兎の如く得難いものだと心得れば、心得るほどに…一刻も早くお言葉を頂戴したいと心中で念じておる、その反面…襟を正し、憂いの無い心でご意見を拝聴したいとも、強く願っております。お嬢さまには甚だ手数をお掛けする事と存じながらも、どうぞ、手前の心ばせを汲んでやって頂き、折を改めまして、手前どもがお嬢様のご趣味に触れる機会を頂戴できます様、何卒、よろしくお願いいたします。」
また、何とも長ったらしく、能書きの多い『お願い』だった事か…まぁ、相手の気持ちを萎えさせぬ様に最大限、気を遣ったなら…ここまでの台詞が要求されというだけの事だったのかも知れない。しかしながら、大概、時と、場合を考えて、要点を踏まえ簡潔に申し述べるべきではあろうがな…。
さてさて、とりあえずは、アリスに対する済まなさから恐縮しきりの運び屋に変わって、彼のスピーチの内容を要約しておくとする。
要するには、『また今度、話を聞かせて』という事。そして…それはどうにか、アリスにも通じては居たらしい。
それでもアリスには、運び屋の演説が終了しているのかが半信半疑だった様子で…二、三度、瞬きをしてから、荷物にへばり付かせた魔理沙の顔へと瞳を向けた。
…どこまでも広がる青い海を映す、双眼鏡のレンズ…。もしもアナタが、そんなアリスの瞳を投げかけられる立場だとすれば…流れる夜風は潮風に、さざめく草原はさざ波の海原に、満月の寂光すら降り注ぐ太陽の輝きの様に感じたに違いない。…おっと、アリスの魅力についてアナタに語る事は、釈迦に説法だったかな…。
それでは我々もアリスに習って、話を、引き続き頬っぺたを荷物の包装紙に張り付けている、魔理沙へと移そう。
魔理沙はアリスの目配せに気が付くと、砂糖をふんだんに使ったパンの様に柔らかそうな頬を…また、世のご婦人方のご不興を買わぬかと、見ているこちらが心配に成る様なぞんざいさで…荷物に擦りつけながら、『今がチャンスだ』と顎で運び屋の方を示した。
そう魔理沙に促されたアリスは…小さく息を吐き、大袈裟な瞬きを一度だけ魔理沙へ返してから…白砂の様な嫌みの無い、さらりとした微笑みを運び屋に向ける。
「私にも大事なことを丁寧に扱いたいと思う気持ち、解かるわ。好きな食べ物ほど、すぐに食べてしまおうか、それとも、最後に残しておくべきかと迷うものよね。それに…。」
と、アリスは『双眼鏡のレンズ』の様な青い瞳を、箒の柄に下がるバスケット、荷物に潰されそうに成っている魔理沙、そして…貴方の住む家と、チラリッ、チラリッと、遠望してから、
「興味のあるものや、成り行きには、とことんまで付き合ってみたくもなる。これってもう、どうしようもない高等生物の性よね。」
運び屋の馬鹿丁寧な言い回しよりも、ずっと簡潔で、ずっと情緒的なアリスの言葉。それ故に…いいや、やはりと言うか…運び屋はまた例の如く、俊敏に動く首を何度も傾げて、頭にこびり付いた疑問を払い落としていた。
それを気の毒に思ったのか、あるいは、魔理沙ほどの美女が潰れたカエルの様に成るのを忌避したのか…何はともあれ、アリスが言葉を続ける。
「だから今回は、お互いの為にも、この場での意見の発表会は見合わせる事にしましょう。また後日、貴方の店を訪れた時の為に、私も色々と、どんな物が欲しいのかって思案しておくことにするわね。」
そのアリスの承諾と…若干の心苦しさから出た、口約束。
そんな苦し紛れのアリスの答えにも、運び屋は自らの性根を叩き直す様に、傾いでいた首を瞬時に伸ばして、
「恐れ入ります。」
と、こればかりは前倒しに、深々と頭を下げた。
「は、話は纏まったらしいな、二人とも…。」
自らの方へと伸し掛ってくる荷物を、木桶の方へと押し返しながら…木桶の縁の上の、冷や冷やもののバランスと格闘していた魔理沙が声を掛けた。…どうやら彼女は、無謀にも、荷物を持ち上げようとしているらしいな…。
その様子にようやくと気付いてくれた、運び屋。大急ぎで、青草に埋もれた地平線から、アラザンを塗したコーヒーゼリーの様な星空へと飛びあがる。
そして、荷物に結わえられていた紐もろ共に、立ち上がろうとしていた魔理沙を引っ張り上げた。…これで何とか、二つの意味で魔理沙が腰砕けに成らずに済んだ様だな…まったく…。
それにしても、運び屋も『魔獣』なだけの事はある。先程も荷物を足に下げたまま、翼を静かに羽ばたかせてホバリングをしていたが…今度は更に、体力を使い切って荷物に抱き付いている45キログラムの…いやいや、失礼した。
四捨五入して50キログラムに成るか、40キログラムに成るかは大きな違いだからな、ここは訂正させて頂こう…今度は更に、魔理沙一人分の40数キログラムの重しが加算されていると言うのに、悠々と、空中に止まり続けている。
「これは、大変失礼をいたしました。…さぞやお疲れでしょう。やはり、この荷物は手前が…。」
「だ、大丈夫だって…問題無し…だからこの荷物は、私が意地でも持って行くぜ。」
と、魔理沙は、台詞だけ強がっては居るものの…ゼーゼーと、息は上がっているは…立ち姿勢を保つことすら、運び屋の飛翔筋のお世話に成っているはで…本当に、大丈夫なのだろうか。
余裕を見せるかの様に笑う顔にも…疲労から来たのであろう、下瞼のくまを強調する結果に成っている様だが…。そんな心配などどこ吹く草原の風と、魔理沙が気を張った声で運び屋に尋ねる。
「そ、それより、アリスとのお勉強が後日に持ち越しに成ったことだし…その間は、充分に、私の注文に関して『勉強』してくれるんだよな。」
運び屋は荷物を高く引っ張り上げ過ぎて、魔理沙を振り落とさぬように気を付けながら、
「えぇえぇ、勿論ですとも。それでなくてもお嬢様には、長らく手前どもの店をご贔屓にして頂いております。ですから、今回のお買い上げの品物に付きましては、全品半値でお譲りさせて頂くということで…。」
「おっ、本当か。それは随分と得したなぁ。…よし、任せろ。値引きして貰った分は、ちゃんとアリスと、お前の言うところの『人形繰りの旦那』を店に引っ張って行く事で回収させてやるからな。期待しててくれ。…あぁ、それから…配達は、さっき注文した内の…そうだな、とりあえずはリンゴと、薄力粉だけで良いぜ。それ以外は、荷車引いて、荷物持ちと一緒にお前の店に受け取りに行くことにするからさ。」
と、くたびれ気味の膝に力を込め、体勢を整えた魔理沙が応じた。…ところで、彼女は『荷車を引いて』と仰っていたが…著者が推察するに…それを引いて、『魔女の森』の悪路を魔理沙の後ろに付き従わされるのは…アナタでしょうなぁ。それも、公演の予定を消化し終えた、宵の口の森を…ご愁傷さま…。
「はぁ、配達のお話は承りましたが…よろしいので…。荷車で運ぶにしても、お嬢様のご注文の品をほとんどとなれば、目方は相当なものに成るかと存じます。よろしければ、品物の内もう幾つかは、手前どもがお宅までお届けに上がった方が…手前と、あと四、五羽も居れば、一飛びで片の付く仕事で御座いますよ。」
その運び屋の申し出を、魔理沙は可愛らしく唸りながら念慮。トンガリ帽子の位置がずれるのも構わず、こつんと、おでこを荷物にぶつけてまた思案。…で、その結果は、
「うーんっ、確かに、お前たちの手を…て言うか、羽か、足か、とにかく、お前たちの力を借りれば早いのは間違いないだろうけど…それでも…気を遣って、そっちから骨を折ると言い出してくれたお前には悪いんだが、その提案は遠慮しておく。そもそも荷車を引くのは、私や、アリスみたいな細腕とは違う、歴とした『男手』だし…。」
と、年頃の娘として充分な魅力を備えたその容貌に、腕白そうな笑みを浮かべた、魔理沙。
こういう悪戯娘の表情が残っている様子を見ると…アリスの言う通りに…彼女が本当に、アナタに対してストロベリーの様な甘酸っぱい乙女心を、恋心を抱いているのか…解からなくなってくる。
まぁ、荷車引きの『男手』なら、アナタである事は確定的なのだがなぁ…。
身体の芯まで凍えさせる、夜の寒さ。薄膜の様な温もりがあっけなく剥がれ落ち、むき出しの肌に冷温の風が障る。
アリスは吐く息で左手を温めながら、右手をもう一度、鍋の収められたバスケットの上に翳した。
もう料理は冷めてしまったのではないか。そう思っていたのだが…うん、まだまだ、充分に暖かいようだな。やっぱり、それが恋心かは定かでないにしろ、魔理沙の真心が込められているだけの事はある。
そんな魔理沙のアナタへの思いが、アリスには熱すぎたのかも知れない。未だ満足には温もりが伝わって無い右手を…スッと、引っ込めた。
アリスのわずかな逡巡の間にも、魔理沙の言葉は続いている。
「それでなくても今夜は、健やかに眠りこけて居て良いはずの森の連中に、不慮のストレスを与えてしまったんだよな。そこに追い打ちを掛けるみたいに、仕事の恐ろしく早いお前たちが集団で飛来したら…まっ、流石にこれ以上の威力行為は、気の毒かなぁと…。アリスにも、それに付いてはさっき怒られたばかりだしな。」
と、魔理沙に、運び屋が、ついと、二人して自分に向けて来た視線に、アリスは曖昧な笑みを浮かべながらも、『心得ていますよ』とばかりに頷いて見せた。…まったく上手いところで、アリスを引き合いに出すものだ…。
「だいたい、客の方からお前の店に足を運んでやるって言ってるんだぜ。その商品を売り付ける絶好のチャンスを、何も、自分から手放す事もないんじゃないか。」
「そう言われてみれば…これは、したり。手前とした事がうっかりしておりました。危うく、手前の考え足らずの為に、大切な商機を逃しかねないところ…今夜はつくづく、お嬢様のお言葉に支えて頂いた晩と成りました…。配達の件、お嬢様の仰せの通りに取り計らわせて頂きます。残りの品については、まずもって、手前どもの店にお越し頂いてからという事で…よしなに…。」
「あぁ、私もそれがベストだと思うな。私の荷物持ちは、職人肌だけど、意外と小言が多いから…多分、その時に成れば…『魔理沙がもう歩けないとかぼやいた時の為に、荷車に一人分くらいのスペースは空けておこう。』なんて言葉で私を誘惑してこないとも限らないし…それくらい臨機応変な方が良いとだろうな。」
運び屋はどこか気取って見せる様に、帽子を被った頭を傾げて魔理沙に同意を示した。
それから、彼女の見識に全幅の信頼を寄せている事を行動で表すかの様に、やや魔理沙の下っ腹に押し付ける様に荷物を預ける。そこからの…運び屋の後始末の付け方は、実に速やか、かつ、潔いものであった…。
「それでは、手前はこれでお暇させて頂きます。お嬢様くれぐれも…くれぐれも、人形繰りの旦那へのお届け物、よろしくお願いいたします。」
と、運び屋は魔理沙の返事も聞かぬ内に、パッと、荷物に結ばれた紐から足を放した。
そして、ずしりとくる重みにその場で固まる魔理沙を残し、素早く木桶の縁へと着陸。さっさと、スライド式の蓋を閉めて、木桶の取っ手へと取って返す。
「お嬢様、手前どもの店へお越し頂ける日を、心よりお待ち申し上げております。」
そう頭を下げるのもそこそこに、アリスが小さく頷き返したのを見るや、運び屋は大きく翼を左右に広げる。
大きな翼で軽々と、一羽ばたき、二羽ばたき。獰猛さを秘めた足で木桶を鷲掴みにした運び屋は、舞い降りた時と同様に音も無く、ふわりと空へ。
恰も、見送る二人の目の前で天地が逆転したかの様な…一条の流れ星と成り、星々の海原へと落っこちて行くかの様なスピードで上昇すると…運び屋は星雲の真横を天駆け、まだ暗い東の空へと消えていた。
その様は…使い古された表現ではあるが…まさに、そう…、
「『立つ鳥跡を濁さず』…かしらね。それにしても…。」
と、ぼんやり夜空を見上げていたアリスは、荷物に潰されかけているエプロンドレスの方へマリンブルーの瞳を向けて、
「正直、助かったわ、魔理沙。貴女に知らぬ顔をされて、あの魔獣さんの請われるままにリクエストをしていたら…私、どうなっていた事か…。」
そう言って、少し口をすぼめた顔で、アリスは小さく身震いして見せた。
魔理沙は可笑しそうに笑い声を漏らし…おっととっ、その勢い余って荷物ごと身体が前のめりに…しかし、魔理沙には荷物を引っ張り返す力が残っては居ない様だ。
そう言う訳で魔理沙は、止むに止まれず、『荷物』に運ばれる様にアナタの家へと歩きだした。
アリスも…眠った様に宙で静止したままの箒の柄を、指の背で軽くノックして…うとうとしながら進みだした箒を伴い、魔理沙の後に続く。
前を歩む、逞しいとは…おっかなくて…とてもじゃないが言えそうに無い背中。その背中越し、それに、荷物の包装紙に反響して、魔理沙の愉快そうな声が聞こえてくる。
「まっ、あいつらは商売っ気の塊だからな。その癖、儲けに関しては度外視で、商売を行うこと自体が目的みたいな状態に成っている。…だもんだから、良い品物を安く卸してくれはする。結構なオマケもしてくれる…けどな、一度顧客として見込まれたら…誰かさんみたいに、さばさばした性格をしているやつには荷が重いかもだな。…よっとっ…。」
と、腕からずり落ちそうになった『重荷』を、膝蹴りで押し上げた、魔理沙。
アリスは、そんな魔理沙の姿を、如何にもお寒そうな表情で見つめながら、ポツリと呟く。
「偉そうに…自分こそ、進んで重荷を負っている癖をして…でも…確かに、まともな恋の一つも知らない『人形』よりはマシか…。」
「んっ、何だって、よく聞こえなかったんだけれど…。」
そう言うと魔理沙は…余裕など無いはずが…持ち前の健気さを遺憾なく発揮して足を止めると、わざわざアリスの方に振り変えた。
アリスはそんな彼女の素振りに驚いた様に、大きな瞳をパチクリさせる。そして、心なしか赤らんだ頬を隠す様な、俯き加減で、
「もう、ちゃんと聞いていなかったの。だから、私があの魔獣の店を訪れるのは、もう少し、ほとぼりが冷めてからの方が良いのかしらねって…聞いたのよ。」
そう夜風に消しさてしまわぬ様に、大きく張り上げた、アリスの声。
照れ隠しの積りか…アリスはスタスタと魔理沙の傍へ近づくと、追い越し様に彼女の、後ろに傾いたトンガリ帽子を直してやる。それで魔理沙にも、アリスの気持ちは伝わったらしい。
荷物の上から覗くアリスの後ろ姿に、魔理沙は、うんうんと、納得した様に、返事をする様に小さく頷く。
「そうだな。私もそうするのが良いと思うぜ。」
と、肩にまで、ズシリッと、万遍なく掛る重みを堪えながら…魔理沙もアナタの家へと歩を進め始める…。
「あぁっ、本当に重いなぁ、これ…。『彫刻に使う蝋の塊』だっけ。いやいや、どうして蝋が彫刻に使えんだよ。何を作る積りなんだ、あいつは…。」
「何って、蝋彫刻を作るんでしょう。もしかしたら、完成した彫刻を原型にして、ブロンズの像を鋳造する積りということも考えられるけれど…とりあえずは、その箱に入っている蝋の塊から、彫像を削り出すのは間違いないでしょう。そうねぇ…その箱の大きさからすると…彼、胸像でも作る気なのじゃないかしら。きっと、創作意欲を書き立てられる様なモデルと出会ったんでしょうねぇ…それも、ごく最近に…。」
「私も、『幻想郷』を連れ回したりしたからな…。モデルとして目ぼしいやつの一人や、二人…見つけていても…可笑しくは無いだろうぜ。」
「そうなの。だけど、まぁ…まだ、彼が胸像を作ると決まった訳で無いものね。」
そんなお喋りを交わしながら歩けば…荷物の重い、重い、道程も…浮き立つ様な心に紛れて、いつの間にやらもう、アナタの家は目の前に…。
掘立小屋だの、木造の邸宅だのとからかい半分で記していたが、近づいてみればそう馬鹿にしたものでも無さそうだ。
ガラス窓もしっかりとはめ込まれているし…家の中は火の消えた様に成っているが…。
アリスは、月夜に垂れこめるアナタの家の影の、その境目に駆け寄る。そして、革靴でステップを踏む様に魔理沙を振り返ると、グイッと、両手の人差し指で口の端を広げて見せた。
「魔理沙、モデルにしろって彼にアピールするなら、笑った方がいいわよ。貴女、可愛いんだから、私や、私の作る人形たちみたいに澄ました顔してないで、笑顔、笑顔で、彼の頭の中を一杯にしてしまいなさい。そうしたら、その箱の中身だて、貴女の笑顔そっくりになるわよ。」
と、アリスが今度は、人差し指の補助なしで、ぎこちなくではあるが笑って見せた。
その微笑みに、魔理沙はおずおずと、荷物の包装紙を指で摩りながら、
「そうかな…。」
気後れしている魔理沙の心情が透けて見える様な、呟き。足取りも、アナタの家までもう五、六歩の所で、愚痴で零すかの様にトボトボと…。
アリスは、笑顔を作ってと促す様に、あと少しで目的地だと励ます様に、力強く答える。
「そうよ。」
その声を真横に聞きつつ…ようやく、魔理沙もアナタの家の前へ辿り着いた。…しかし、まだドアを叩く勇気は湧きあがっていないらしい…。
アリスはたどたどしかった笑みを、やんわりと、ごく自然に綻ばせる。
「自身を持ちなさいな。普段通りの貴女で居れば良いの。しょぼくれた顔の似合わない、笑顔の素敵な魔理沙でね。」
そう言うとアリスは、自分のカチューシャに挟んでいた髪飾りを取る。そして魔理沙の、黒いトンガリ帽子の根元に結ばれた、白いリボンの帯の部分へと差し込んだ。…風切羽の角度を微調整するその様子は…まるで、娘の髪を結う母親の姿の様な…。
それには沈んでいた魔理沙も、こそばゆそうな声を漏らし、目を細めて笑みを浮かべる。
「確かに、のんきな私に難しい顔は似合わないよな。よしっ、もうここは開き直って、あいつのお眼鏡に適う様に精一杯、媚びた笑いでも浮かべてやるか。んで、モデル料代わりに、向こう一年は私の為に人形劇を続けてもらう…うん、それだったら私も、遺憾なく、持ち前の魅力を発揮できそうだぜ。」
「そうそう、その意気、その意気。彼の作る魔理沙の胸像なら、例の『心象を表象にする程度の能力』で、その出来も保証された様なものだし…ブロンズ像にするんだったら、私にも一つ頂戴よ。」
「譲るのは良いけど、私の肖像権料は安くはないぜ。…って、アリスは、私の顔した金属の胸像なんて、何に使う気なんだ。」
「それは、だから…貴女が私に構ってくれなくなった場合の、心の慰めにね。」
アリスが、アナタの家のドアをノックする。その時、魔理沙は…やっぱり、どんな表情をすれば良いのか、決めかねている様だった…。
もう一度、アリスがドアをノックする。
果てさて…この空漠と広がる空の下、大荷物を抱えて訪れた二人を…アナタはどんな顔で迎える事やら…。
[7]
木目のくっきりと浮かぶ、木肌そのもののドア。
アリスはそのドアに、もう何度目かになるノックをする。…だが、アナタの家の中からは、これと言った反応は帰って来ない…と言う事は、もしかして…、
「お留守みたいね、どうも…。」
そう言ってアリスは、魔理沙の方を…プルプルと震える荷物に隠れた顔を、『話が違う。』と言いたげな、多分に白けきった表情で見返した。
「あれぇ、可笑しいな…。今日は、日暮れ近くまで散々連れ回したから…てっきり、こんな時間まで家を開ける様な体力は残って無いと思っていたんだが…。あいつめ一体、どこへ行きやがったんだ。本当に、は、早く帰ってきて貰わないと…流石にもう、私の両腕が、限界に…。」
と、確かに、魔理沙の根性と、腕力も、この辺が限度ではあろうな。
アリスは一先ず、『荷物を下に置きなさい。』と言う言葉を呑み込んで置いて、今自分たちが来た道を眺めた。…が、人道にも、その周囲の草原にも、アナタだと思しき人影は見当たらない…。
吹き抜ける夜風を追う様に、溜息を一つ。アリスはそれでも、自分の顔に強いて『優しい呆れ顔』を作ると、魔理沙に語り掛ける。
「こうなると…この寒空に突っ立って、いつ帰るとも知れない彼を待つよりは…出直した方が良さそうね。」
その意見に魔理沙は、ぐらぐらと、荷物をあっちに揺ら揺ら、こっちに揺ら揺らさせながら、
「で、出直すってことはだよ。それすなわち、この私が精魂込めて作ったパンや、シチューを持ち帰らなきゃならないって事か。…おっと、危ない。それに、この荷物はどうするんだよ。折角、重たい…お、重たい思いしてまで持って来てやったって言うのに…あぁ、もう、オモイ、オモイって連呼していたら、ますます重たく成ってきただろ。」
と、どう見ても、いっぱいいっぱいのご様子だ。
アリスもこれには流石に、『呆れ顔』のメイクから『優しさ』を拭い落して、
「下調べを怠ったご自分が、粗忽者だったと諦めるのね。」
「うーっ、そんなぁ…あっ、ヤバい。今度は本格的にヤバいかも。」
魔理沙が、その場にとどまる事も出来ずに、荷物を抱えたまま歩きまわり始めた。
だが…やっぱりまだ、この場に未練があるらしく、アナタの家の前をうろうろしている。これでは最早、傍目にも不審者の域を越えて、強盗かと訝しがられても可笑しくはないな…。
おそらくアリスもその、人目をこそ心配したのだろう。気をもんだ様に、魔理沙に近づきつつ、面倒臭そうに代案を口にする。
「まったく、貴女って娘は…しょうがないわねぇ。どうしてもこのまま引き返すのが不服だっていうんだったら、そうねぇ…こうしたらどうかしら。お料理は、良い具合にそこにフェザーペンもある事だし…。」
と、居場所の定まらない魔理沙の、トンガリ帽子に添えられた風切羽を指差して、
「それで一筆、何か、紙にでも書き置きをして…。玄関先にでも、このバスケットと一緒に残しておけば良いのじゃない。それと荷物は…魔理沙が必死の努力でここまで持ってきたのだから…私も、『料理と一緒くたに置いて行け』なんて、無粋な事は言わないわよ。そっちは貴女の好きになさいな。」
アリスはそう諭す様に話し終えると、動き回る魔理沙の肩を捕まえた。…だが、これがいけなかったのだ…。
魔理沙は現状、紛れも無く動き回っている。しかしながら、より正確に言えば『動いている』と言うより、『止まれない』なのだ。
要するに、アリスが良かれと信じてやっているこの行為…魔理沙の足を引き止めると言う事は…回って歩くはずの玩具のゴム動力に、段々と、ねじれを積み重ねていく準備運動に等しのだ。
そして、蓄積された反発力は、ものの数秒で容易に激発する…。
「いずれにしろ、その荷物…一端は下ろすしか無いんじゃないの。貴女だってまさか、彼への書き置きまで、私に代筆させようとは思わないんでしょう。」
と、アリスはそう茶化す様に言うと…こう、軽く、ポンッと…魔理沙の細い肩を叩いた。
次の瞬間、『魔女の森』の方を向いたまま動きを止められていた魔理沙の身体が、ビクリッと、電気ショックでも受けたかの様に震える。
彼女のその、およそ大袈裟な身震いに…アリスも度肝を抜かれた様に、慌てて魔理沙の肩へと差し伸べた手を引っ込め、
「な、何よ、急に…。はぁ、びっくりした。驚かさないでよね、もぅ…。」
そう口をパクパクと動かして文句を言うと、引っ込めた手を胸元に宛がい大息を吐いた。…白磁の様な肌から血の気が引いているところを見ると…よほど肝を冷やしたのだという事が解かる。
それにも関らず、この様な言い回しを続けねばならないのが残念ではあるが…気の毒な事に、アリスがその可愛らしい顔を、猫だましを食らった様に強張らせるのは、ここからなのだ…。
何を思ったか魔理沙が、唐突に、くるりとアリスの方を…延いては、アナタの家の方を振り向く。
アリスには、そんな魔理沙の様子が尋常で無い事は、すぐに解かった。…何しろ、その顔面は蒼白。荷物の重みに耐えかねていた上半身も、ピタリと、鳴りを潜めているのだから…誰が見たって普通じゃないし、それに…猛烈に嫌の予感がする…。
そろそろと、後ずさりしながら魔理沙との距離を空ける、アリス。それでも魔理沙の額にかざす様に、一度は引っ込めた手を、申し訳程度にだが彼女の方へと伸ばす。
「ま、魔理沙、貴女…その、何がって事もないんだけれど…大丈夫なの。」
アリスの怖々とした問いに、魔理沙がくぐもった様な、不明瞭な声で、
「わ、私…もう…。」
「えっ、何。どうしたって言うのよ。」
「私、もう、駄目…みたいだ。」
「駄目。駄目って何が。」
「…重いんだ。すんごく、重いんだ。」
「へっ…。」
と、アリスが調子っぱずれの高音を漏らした…その直後、ガバッと、真っ赤にした顔を上げた魔理沙が…吠えた…。
「だぁっ、もう。これ以上は一秒だって我慢できない。どこの誰の所に言っているのか知らないけど、私に断りも無く家を留守にしている、お前が悪いんだからな。」
と…荷物の重量感という、切迫したドスの利いた声で…余力の無さが透けて見える様な、支離滅裂な事をまくし立てた、魔理沙。
その魔理沙が荷物を抱えたままに、猛然と、アナタの家のドア目掛けて走り出した。…って、おいおい、よもやとは思うが…。
そうして、やっとの事で正面衝突を回避した、面喰った顔のアリスを置き去りに…魔理沙は…ドアと、荷物とが激突するかと思われた、その刹那…スカートが捲れ上がるのも構わず放りだした右脚で、アナタの家のドアを蹴破ってしまった。…本当にやらかしてくれましたよ、このお嬢さんときたら…。
アリスも想像を絶する魔理沙の『実行力』を目の当たりにして、瞳が点になった顔で呟く。
「あんたたちって…もう、そんなところまで進んでいたの…。」
…多分、言っている本人自身が、自分でも何を言っているのだか訳が解かっていないのであろうから…細かい疑問は勘弁してやって下さい…。
おっと、どうやら、ドアを蹴り開けてもまだ、猛進する魔理沙の勢いは落ちてはいなかった様だな。
家の中へと倒れ込むドアの、哀れな有様すら待っては居られないと…蹴破ったその足で、傾いたドアを踏み潰した。
そのお陰で…ドアを引き千切られた蝶番は、入り口の壁に取り残され、錆びれた半身を寂しそうに揺らしている。
魔理沙の足で、更に踏み拉かれたドアも…板張りの床に叩きつけられた衝撃で、ドアノブの周囲に亀裂が入ってしまった。…あっぱれな暴れっぷり、破壊っぷりだが…正直、やり過ぎだな…。
ドアを踏み越え、アナタの家の中へと踊り込んだ、魔理沙。それでも勢いを緩めることなく…部屋の中央の、凹んだ空鍋が乗せっぱなしの薪ストーブを華麗にかわすと…その奥の、四人つくのがやっとと言った風情のテーブル上へ、押し付ける様に抱えた荷物を預ける。
その衝撃で、ミシリッと、テーブル自体か、あるいは、テーブルの四足の圧し掛かる床が呻いたが…ドアの惨状を思えば、まぁ、些細な事か…。
魔理沙は、だらんと、力無く垂れ下がった腕でやっとこさテーブル脇の椅子を引き出す。それから、ヨロヨロと椅子に腰かけると、大きな溜息を一つ。それっきり、項垂れて動かなくなってしまった。…そんなに成るまで良く頑張ったと、褒めるべきか…否か…。
ドアの外れた入口から、真っ直ぐに入り込む月明かりが内部を照らす。
その光明を頼りに、魔理沙のどたばた劇を窺っていたアリスは…被害の拡大する前に彼女の発条が切れてくれた事に…まず、安堵の一息。それでようやく、家人の居ない家に上がる覚悟が固まったようだ。
如何にも高価そうな革靴の足音も忍ばせ、ドアを踏みつけぬ様に家の中に入る。
椅子に座って状態で潰れている魔理沙を尻眼に、アリスは薄明かりの中に浮かぶ内装を見渡して、
「相変わらず、ちぐはぐしているわね…。」
そんなアリスの感想を受け、アナタの部屋の内を眺めてみれば…うーむっ、これは実際…不調和というか、全体として纏まりを欠いているのには違いない様だな。
家具の類には、先ほども見掛けた薪ストーブの上の鍋の様な、半壊の体を示している物が少なくは無い。しかし、そんな背表紙の朽ちかけた革装本や、スプリングの飛び出たソファの様な家具が在るのに反して、ちらほらと…ちょっと目を引く様な出来栄えの調度類も見受けられるのだ。
例えば、無造作に壁に掛けられた絵画。
額縁は無く、それに…大方、湿度や、温度などお構いなしに、件の薪ストーブを使用しているのだろう…剥き出しのキャンバスの保存状態は、決して良好とは言い難い。それでも、油彩画にしろ、水彩画にしろ…他にもある、パステル画、果ては水墨画まで、その全てが玄人はだし…いいや、超一級の技量によって描かれた事を、まざまざと月下に物語っていた。
そうかと思えば、魔理沙の突っ伏したテーブルの正面…隙間の方が書物より多い本棚の上に、何体のもの操り人形…もとい、老齢な物語の主人公たちが、今の魔理沙の状態と鏡映しの様に、くたりと、肩を落として腰かけている。
そうそう、魔理沙の座っている椅子も、凝った意匠を施してあると言う意味では、周りから浮いて見えるところも…。
こう、ざっと見ただけでも、まさしく玉石混交。この部屋の主が…つまりは、アナタが…多芸多才の、それも類稀なる『能力』の持ち主である事を、それと…割合、大雑把な性格の持ち主であろう事が透けて見える様だな。
アリスはアナタの部屋を見回し…横目で、魔理沙の気力の費えた様を確認する。それから、足音を思わせ振りな上調子に、一枚の絵画へと歩み寄った。
おもむろに、キャンバスの側面を這わせる指。キスする様に顔を近づけて、匂いを吸い込む。…微かに、揮発し損ねた精油の香り…それに、キャンパスに分厚く塗り重ねられた質感…この絵は油彩画らしい…。
そこに描かれているのはどうやら、風景。アリスはそれを『遠望』しようと、四歩、五歩と後ろに…コツンッと、お尻が魔理沙の居座るテーブルの端に当たるまで下がる。
…悪くない。この位置からなら、魔理沙の『反応』が手に取る様に解かるだろう…。
アリスは、きっとそんな様な事を思いほくそ笑むと、さりげなく呟く。
「へぇ、彼って未だに、絵を増やし続けていたのね。律儀に…。」
声よりも、心持ち抑揚の方が先行している様にも聞こえる…そんなアリスの、『何気なさを装った』一言。その絡まった釣り糸の先を…魔理沙は…しっかりと、指に摘まんでいる様だ。
「あいつが絵描きの真似事を始めたのって、アリスと出会った頃なのか…。」
と、魔理沙は大きく瞼を開くと、俯き加減のままアリスの半身に琥珀色の瞳を向けた。
アリスは、魔理沙の瞳からは死角となっている、左側の口の端を引きのばして、
(ほらね。健気に食い付いてきちゃって、まぁ…。)
そう彼女の事が可愛くて堪らないと言いたげに、小さく忍び笑い。
しかし、こんなタイミングで魔理沙の自尊心を刺激するのは、顔を真っ赤にして照れている様子を楽しむのは…勿体無い…と、アリスは、瞼を、唇を、キュッと結んで…辛うじて…彼女をからかいたい衝動を我慢したらしい。
普段の、人形の様に端然とした澄まし顔を魔理沙に向けて、
「あらっ、気になるのかしら。」
と、如何にも嬉しそうな顔で…って、茶目っ気を抑えきれてないでないか。だいたい表情からして、澄まし顔を作っていたはずが、含み笑いがバレバレなくらいに頬を震わせている…。
かくの如き、あまりと言えばあんまりに愉快そうな、アリスの面持ち。
魔理沙だって…幾らなんでも、そこまで…微笑みが隠せないほどに喜びを露わにされてはなぁ。怒る気にも、拗ねる気にもなりゃしない。
張った二の腕を動かさぬように、肘から下だけを使って、魔理沙は頭と一緒に俯いたトンガリ帽子のツバを、五本の指で摘まむ。
「アリスと、あいつの馴れ初めの話…そう言えば、あの夕暮れの観劇の時以来、ずぅっと、聞きそびれていたからな。」
魔理沙は言葉に続けて、取り上げたトンガリ帽子を、サッと、フリスビーの要領でアリスの方向へと投げた。
羽飾りの差さった帽子は真っ直ぐに、素早く回転しながらアリスの耳元を横切る。
運び屋の風切羽の所為か、トンガリ帽子は音も立てずにアリスの後ろの…あの日暮れ模様の舞台で好演していた…王子様の人形の腕の中に落ち着く。本棚という実用的な玉座に腰かけた、勇敢な彼に任せておけば間違いないだろう…。
にこやかに毛羽立った耳元の髪を掻き撫でながら、アリスはテーブルの、魔理沙の正面へ移動する。
四人掛けのテーブルから、自分もサイドチェアーを引き出して…これも魔理沙の座っている椅子と同様、ずいぶんと凝った作りがされていた。しかも、魔理沙の椅子の背もたれが縦格子状なのに対して、こっちは柔らかいベルベット生地のクッションが背もたれ部分に取り入れられている出来栄えの良さ。
…流石は男の一人暮らし、縫物くらいはお手のものと…いやいや、それはそれとして、アリスはこの椅子を気に入ってくれたらしいな。背もたれのクッションに背骨を埋め、体重を預ける様なくつろいだ気持ちで、この椅子に落ち着いた。
続いて、自分と魔理沙の間に居座る、テーブルの上の『お荷物』には…一端、舞台袖に退いてもらって…アリスが目の前の魔理沙へと話し掛ける。
「まっ、彼に告白されて以降、それきりで袂を分かってしまったのだから…馴れ初めなんて言える様な艶っぽい話も無いのだけど…。」
と、右手でゆっくりと目の前の荷物を脇にフェードアウトさせつつ、アリスが前口上を口にした。…『艶っぽい話も無い』という割には、さりげない手配りも相まって、何とはなしに意味有り気な雰囲気が香る…。
荷物の向こう側から覗く魔理沙の瞳も、やや不完全燃焼気味に、琥珀色の妖光を燻らせている。
「ふーんっ…で、絵の描き方も、お前が仕込んでやったのか。人形の操り方みたいに…。」
と、魔理沙もアナタの荷物に手を掛け…早く、続きを話してくれ…と促す様に、横に押しやった。
アリスは…そう慌てないの…と冷やかす様に、荷物を奪われた手をひらひらと動かして、
「いいえ、私じゃないわ。絵画の制作に手を染め出した頃には…彼、自身の『能力』をほぼ掌握していたみたいだから、独学なんでしょうね、多分…。」
アリスはそう、恰も魔理沙の胸中を突っ突く様に、答えた。
そんな風にぐりぐりと、探りを入れてくる様なアリスのお喋りに…腕を動かすのが痛い癖して…魔理沙は椅子に踏ん反り返って、心根を見せまいと腕組みをする。
「へぇ、それじゃあ、あいつ…アリスから人形作りの方法を教えて貰っておいて、早々に、他の分野にも手を伸ばしていたって事か。」
「まぁ、その辺はやっぱり男の子ってことかしらね。こっちが驚くくらい、『能力』を修練することにかけては精力的だったし、それに、貪欲だった。例えば…。」
アリスは手に着いた水滴でも払うかの様に、サッと、荷物のあるのとは反対の方向を指差して、
「あのドライフラワーなんかも、誰が教えた訳でも無いのに見事なものでしょう。見ようによっては野に咲く花より、その存在感や、色彩の魅力に深みが増している様にも感じるわね。…っと、私がちょっと褒めたら…家の中が乾燥した草花の匂いで息苦しいってくらいにまで、ドライフラワーを作り続けて、そこら中に飾り続ける…要するに、凝り性なところがあるのね、彼…。」
「へぇ…。」
と、壁に逆様に吊り下げられた、百日草と、ドングリの木の枝を束ねたドライフラワーを眺めながら…魔理沙は素直に感心した様な、だが…どこか、忌々(いまいま)しげな声を漏らした。
ドングリの葉に留まる茜色が、出会った日の夕焼けの暖かさを思い出させる。
魔理沙はそんな記憶に浸りながら、熱っぽい吐息を漏らして…入れ違いでエプロンドレスの胸元に入り込む冷たい室温に、身震いした。
「うぅ…そう言やぁ、この部屋ちょっと寒いよなぁ…。」
そう言って、腕組みした格好のまま肘を撫でる、魔理沙。
アリスは、呆れ果てましたよと言わんばかりの、溜息を吐く。
「寒くて当たり前よね。誰かさんがドアを蹴破ったんだから…。彼が帰ってくる前に、どうにかした方が良いと思うのだけどなぁ。嫌われてしまうかも知れないわよ。不味いんでしょ、それじゃあ。」
「まぁ、これくらいはどうって事も無いとは思うけどな。…今後、なお一層過酷な公演を控えて…風邪でも引かれたら、困るのは私か…。そうは言っても、その当の私が今は一番へばっているんだよなぁ。腕もこれ以上は上がりそうにないし…。」
と、魔理沙は『お手上げだ』と両手を顔の辺りまで上げて見せた。それから続いて、パチンッと、音を立てて掌を合わせると、
「だからさぁ、ここは一つ、頼むぜ。」
その『いつもみたいにお願い。』と甘える魔理沙の仕草に、アリスは渋柿を口に含んだ様なしかめっ面で、
「お断りよ。貴女の『肩代わり』をさせられる謂われは無いもの。ご自分でおやりなさいな。」
そんな事を言って言葉では冷たく突き放すものの…プイッと、そっぽ向いたアリスの顔貌には、
(弱いのよねぇ…魔理沙におねだりされると…。)
と、愚痴を漏らす様な、それでいて、今にも甘やかしてしまいそうな…まさにツンデレそのもの、ツンデレの見本の如き、頬を赤らめた表情が居座っていた。
しかしながら、簡単には相手のお願いに折れない。相手にちょろいなどと思われては沽券に関わる。そうそう容易くは甘い顔を見せないのが、ツンデレのツンデレである所以であり、チャームポイント…と、少々、彼女の心情から脱線したが…アリスはまた、拝み倒そうと画策する魔理沙の方に顔を戻す。…まっ、これだけですでに、半分は『おねだり』に屈した様なものだがな…。
「だいたい魔理沙が、自分の身体を夜風に晒すのも顧みず、この家を訪ねた理由は、彼に出来たての料理を、温かい内に食べさせたかったからなんでしょ。それなら、いつまでも料理をあんな所に浮かべてないで、少しでも保温できる様に、暖を取る努力をしなさいよ。とりあえずは、ドアを直してから…。」
と、アリスが出入り口の方に目線を移すと…倒れ伏した哀れなドアの上に、これまたもの悲しそうな姿で佇む魔法の箒が…。主にうっちゃらかされても、ちゃんと、次の指示を得られる距離まで近づいていたと言う訳だ。…実に、涙ぐましい忠犬っぷりである…。
魔理沙はそんな箒と、テーブルに頬杖ついたアリスに、何の気負いも、悪びれた様子も無く答える。
「んっ、あぁ、その事は別に構わないぜ。どうせ、あいつも留守にしているんだ。さっきアリスが言った案を採用して、あいつが帰ってから温め直すしか無いだろ。それで無くとも、荷物の引き取りや、運搬に、かなり時間を取られても居るしな。…って、またかよアリス…。最近のお前、何か、リアクションがオーバーに成ったんじゃないか。」
目の前で、自分の掌から滑り落ちたアリスの顔。
そんなアリスの動作に…これも近頃では珍しく…攻守を後退して、魔理沙の方が呆れた様に鼻息を漏らした。
アリスは威儀を整える様に背筋を伸ばして…そうして一際華奢な体付きが強調された姿勢から、軽く睨みを利かせた、非難めいた瞳で魔理沙を見つめる。
(要するに、彼が見ている前で調理した方が、アピール度が高いと踏んだ訳ね。それは、確かに…。)
と、瞬時に、アリスの脳裏にイメージが浮かぶ。
…部屋の中央にある薪ストーブ…持参した陶製の鍋をその赤々と燃える火にかけ…木製のお玉でかき混ぜられながら、じっくりと煮詰まっていくシチュー…そして、ストーブの前で椅子に腰かけた魔理沙の、汗ばんだ、満ち足りた微笑み…。
(それにこの娘、きっと、自分から『温め直すから待って居て』と彼に言っておいて…それでいて、『待たせている』ことに堪え切れずに、クロワッサンを彼に勧め始める。その結果、彼がクロワッサンを食べている姿を、ちゃんと美味しく出来ているかを意識するあまり…焦がすと…。シチューか、それとも、エプロンの裾を…。もしそんな魔理沙が見られるのであれば、それこそ、私にとっては何よりの『ご馳走』でしょうね。)
するとそこで、再び、脳裏を『掠め飛ぶ』イメージが浮かんできた。
アリスは、心の底の方からもち上がる泡の様な、気の抜けた感覚を押し戻すべく、低い声で呟く。
「私も、そうじゃないかとは思ったのだけれど…あの『魔獣』から仕事を奪った理由って…半分は、荷物の受け取り人の驚く顔を見ること…もう半分は、やっぱり、意図的に料理を冷まそうとして時間を稼いでいたのね。…この娘ったら、どこまで可愛らしい神経しているのだか…本当に、人間の小娘だった頃の私の生き写しみたい…。」
その、話が進む程に小さく、口の中で淡雪と溶けていく…どこか怜悧で、どこか羨ましげな…アリスの囁き。
魔理沙は徐々に聞き取り辛くなるアリスの声に、首を傾げたり、身を乗り出したり…それでも、全ての内容を把握する事は出来なかったようで、
「えっ、『魔獣から仕事を奪った』の先が、よく聞こえないぜ。そんなモゴモゴと喋ってないで、言いたい事があるならはっきり言えよな。」
と、少し不機嫌そうに、ほんの少しだけ舌鋒を尖らせた。…魔理沙も『女の勘』と言うやつで…アリスが何やら、『小っ恥ずかしい』種類の言を口にしたのは解かったようだが…まっ、そこまでなら、アリスとしても一安心…自分自身の羞恥心にまで火が及ばず、二安心だな…。
ブーツの底で踏ん張り、背もたれを身体で押して椅子を後ろにずらす。そうやって出来たスペースに、アリスがやおら立ち上がった。
「これから貴女たちって言う…ではなくて…貴女たちの食べる『ご馳走』から、そのご相伴に与るのだし…代筆しただけの働きで、しおらしい顔して食卓に混じる訳にもいかないわよねって…そう言ったのよ。…じゃあ、彼が帰ってくる前に、始めましょうか。」
そうハキハキと『部屋中』に布告を出すと、アリスは真ん中の、薪ストーブの前に移動した。
魔理沙はそうして、アリスがすんなりと願いを聞き入れてくれた事に安堵した様に…溜息と共にポロリッと…、
「ふぅーっ、本気で助かるぜ、アリス。私はまたてっきり、私があいつの非難の目線に晒されるのを見たいが為に、意地でも手を貸してくれないものかと…なんだよ、その、『それは面白そうだ』って顔付きは…。」
と、普段通りの冷静そのものの無表情の…あえて違いを挙げるならば、瞳が少しだけ大きく見開かれている…アリスに、旨味の無さそうな声で訪ねた。
アリスはしばらくの間、ジッと、魔理沙と顔を見合わせた後で、
「…冗談よ。まっ、遂さっき、貴女に似た様な手口で驚かされた仕返しと…誰かさんばかり見ていないで、偶には、こっちも見なさいよという…貴女に負けず劣らず愛らしい、私の気持ちの表われってところかしらね。この魔理沙への好意と併せて、貴女を休ませようって厚意もサービスして上げるわ。解かったら気を揉んでばかり居ないで、おさんどんするだけの体力を回復できる様に、良い子にしてなさい。」
魔理沙はそこでようやく…アナタの前で料理して、良い格好を見せようとしていた策略…を、アリスに看破されていた事に勘付くと…、
「はぁ、その…アリス様のご厚情には、心より感謝しておりますです…。」
項垂れた魔理沙は、どこか悔しそうな、だが、ほんのりと頼もしそうな声で、アリスの笑顔に返事をした。
「あの、何でもかんでもお願いしして悪いんだけど…私もしっかり身体を休める様に頑張るからさぁ。『手』が足りていたら、両腕のマッサージも頼めるかな…。」
と、調子に乗った…もとい、英気を養う事に全神経を集中している魔理沙が、アリスへ更なる懇請を行った。…のは、良いのだが…いやいや、良くは無い。
なぜならアリスは、霧雨女史が蹴り破ったドアの修繕に『手』を付けなければならないのであるからして…腕は一人に、五本も、六本もある訳で無し、そうもそうも『手』の回し様がなかろう。
そんな事は彼女だって…、
「はい、はい、ちゃんと心得ていますよ。それ位の仕事なら、この部屋に『居る』だけの頭数で手が足りるでしょう。」
…と、『心得ている』と言いながらも、何やら不可解な返答をした、アリス。左右に一つずつの手をどの様に活用して、魔理沙の無理難題に応じる積りなのであろうか…。
本棚の方を、それから何故か、真っ暗な天井の隅っこを見つめ、アリスはその『手』を…叩いた。
パンパンッと、アリスが手を打ち鳴らす音は、まるで小間使いを呼び寄せる様な調子に聞こえる。しかし、アナタには失礼だが…こんなオンボロの掘立小屋に、使用人を雇っておける余裕があるとはとても思えない。家ネズミを数匹養うのが精々と言ったところだろう…。
そぉら、噂をすれば天井の梁から、パラパラッと、砂埃が落ちてきた。
大方、アリスの手を叩く音に驚いた家ネズミが、梁の上を走り回りでもしたのだろうが…それにしても、やけに数が多い様に見えるな。
アナタのお宅で得られる食い扶持では、数匹巣食うのが関の山かと思っていた事は謝らなければいけなさそうだ。
それと、暗がりで薄らと光る二つの眼の位置からすると…アナタの家には随分と大きなネズミが巣食っている様ですなぁ。それもよくよく見てみれば、『二つの眼』は天井の梁の上に、びっしりと居並んでいるではないか…。
幾ら魔理沙とアリスが動物たちに理解のある方だとしても、これだけネズミが鮨詰め状態になっているのを見せられては、怖気の一つも感じても良さそうなものだろうに…そこは流石のお二人だ。 眉根一つ動かす事も無く、アリスなどは更に急かす様に、パンパンッと、再び手を叩いて呼び掛ける。
するとどうだろう…。天井隅の住人達がその音に釣られる様に、わらわらっと、梁の上から下りて来たではないか。しかも、このシルエットは…ネズミでは無い…明らかに人の形をしているのだ。
次々と天井から飛び降りる、人影。『彼ら』はどうも、梁の上に腰掛けていた姿勢から、ヒョイッと、床板に落ちてきているらしいのだが…その度に、そして、アリスの方へと二足歩行で近づく度に…カタカタッと、およそ生き物の身体から生じるとは思えない音を、漏れ聞こえさせているではないか。
魔理沙はその奇怪な物音が、アリスの背後…本棚の辺りからも聞こえるのに気付いて、目線を移した。
今、本棚の上から降り立った人影は…ヒョコヒョコッと、倒れたドアの上を踏み越え、他の人影たちへと合流しに向かう。
その瞬間、月明かりによって暴かれたシルエットの正体は、何と…残虐非道、海の荒くれ者として名を馳せた…海賊、『フック船長』だ。そう、『ピーターパン』に登場する敵役の…左腕に鉤爪の義手が付いているのだから、間違いなかろう…。
ドアと床とのわずかな段差を四苦八苦しながら踏破なされた、船長。その鉤爪に引っ掛かったレースの様な薄明が、サッと、部屋中に広がり他の人影の素顔にも光を当てた。
アリスの前に整列したその面々には…『長靴を履いた猫』が居る。『赤ずきん』に、数々の舞台で悪役を歴任してきた名優『オオカミ』も…そして一様に、皆がかなり小柄なのだ。…あっ、『七人の小人』がチビなのは元々かな…。
兎にも角にも、もうお分かりでしょう。この、独りでに動き出した小柄な『登場人物』たちは…何と、アナタがこしらえた『操り人形』だったと言う訳だ。
各々の人形に、糸の繋がる十字に組まれた木の棒を背負わせたままで、これほど表情豊かな、まさに生き生きとした行動力を与えるとは…これがアリスの、『人形を操る程度の能力』と言うやつなのだろう。これでは確かに、アナタの『能力』も霞んでしまう様だ。
そんな並外れた力を行使するアリスが、『注目しなさい』と人差し指を立てて、人形たちに指示を与え始める。
「それぞれ、二人一組で動きなさい。まず一組は魔理沙のマッサージを、一組は隣の小屋から薪を持ってくる。それから…もう一組、ドアの修理を…あらっ…。」
と、舞台各所に人形を配置していたアリスが、入り口を指差して声を漏らした。…どうやら、『主役』のご帰還の場面に出くわしたらしい…。
入り口に立ちふさがる一際大きな人影が呟く。
「ア…あらって、俺の家のドアは…。」
その声の主は…目の前の女性の名を呼ぶのを躊躇ったのは…言うまでも無く、アナタ。
アナタのその腕にはもう、この場に…魔理沙の瞳の奥で散った…琥珀色の火花に投げ込まれる為の薪が、携えられていた…。




