告白されると思ったら、魔法学院中がベトベトになった件
ギャグが入った話を作ってみました。少しでもクスッと笑っていただけたなら幸いです。
魔法と歴史を重んじるコクハック王国には、創立百五十年を迎える名門魔法学院がある。
その名も、フセイリーツ魔法学院。
この学院は、さまざまな魔法の才能に恵まれた若者たちが集い、日々研鑽を積む由緒正しき学び舎である。
もっとも、俺にとっては由緒正しさよりも、毎日の小テストのほうがよほど重大な問題なのだが。
俺はレオン・イーストウッド。
学院の二年生で、成績は中の下、毎日の小テストで苦労しているところだ。
顔立ちは平凡。特技といえば、写真部で鍛えた魔導写真機の扱いくらいだ。
世の中には男女交際を厳しく取り締まる学院もあるらしいが、フセイリーツ魔法学院は恋愛自由。もっとも、自由だからといって恋人ができるわけではない。
恋愛経験?
……聞くな。
そんな俺にも、ついに春が訪れた!
……と思ったのが、すべての間違いだった。
◇ ◇
学院の創立百五十周年記念式典を三日後に控えた夕方、俺は同じクラスのカノン・ウエストフィールドに呼び出され、時計塔の裏手へ向かっていた。
カノンは学院でも指折りの美少女だ。
柔らかな髪、優しい瞳、誰に対しても分け隔てなく接する穏やかな性格。
当然、彼女の人気は高く、別の学年の生徒が告白しに来るぐらいだ。
男子生徒たちの間では、彼女に微笑みかけられただけで、一週間は幸せに暮らせるという噂まで流れている。
そんな彼女が、わざわざ俺を人目につかない場所へ呼び出したのだ。
しかも、待ち合わせは夕暮れ時だ。時計塔の裏手は告白で使われることが多いと聞いたことがある。
これは、ひょっとして……と、そんなことを考えて歩いていた。
《いやいや、落ち着け俺。相手はカノンだぞ? 俺みたいな平凡男に、そんな都合のいい話があるわけ……》
時計塔の陰に立つカノンが、俺を見つけて小さく手を振った。
夕日に照らされた頬が、ほんのり赤い。さらさらとした長い髪が風で綺麗にたなびいている。
俺の心臓が跳ねた。
《あるのか!? 都合のいい話が、ついに俺にもあるのか!?》
「レオン君、来てくれてありがとう」
「お、おう。どうしたんだ?」
「実はね、ずっと伝えたいことがあって……」
カノンは胸の前で両手を組み、恥ずかしそうに視線を落とした。
胸の前で組まれた両手に、つい視線が引き寄せられる。
《……いかん、どこを見ているんだ俺は!》
「こんなこと、レオン君にお願いしていいのかわからないんだけど……」
お願い。その言葉が少し気になったが、俺の頭はすでに花畑だった。
「遠慮するなよ。俺にできることなら」
「本当? うれしい!」
カノンの笑顔がまぶしい。
「実は私、好きな人がいるの」
《来た! ついに来た!》
「それでね……」
俺は覚悟を決めた。さあ、言ってくれ。俺も男だ。ちゃんと受け止めてやる。
「アレン君とお付き合いできるように、協力してほしいの!」
《そっちかーーーい!!》
危うく、時計塔に頭を打ちつけるところだった。
アレン・ノースレイン。
同じ二年生で、魔法剣術の実力者。金髪で容姿端麗、成績優秀、おまけに性格までいいという、俺とは別の生き物である。
ファンクラブまでできていると噂にきいたことがあるくらいで、女子生徒に人気だ。
「レオン君、アレン君と少し話したことがあるでしょう?」
「……まあ、写真部の仕事でな」
「だから、どうしたら仲良くなれるか、相談したかったの」
なるほどね。俺は恋人候補ではなく、恋愛相談窓口だったわけだ。
心のなかで、うなずいていたところに、最後の念押しがきてしまった。
カノンが両手を合わせて俺のことを見上げ、そして瞳を無駄なくらいキラキラと輝かせ、こう言った。
「お願い! レオン君だけが頼りなの」
《その顔で頼むな! 断れなくなるだろうが!》
「……わかったよ」
「ありがとう! レオン君、大好き!」
《そういう言葉を軽々しく使うなーーー!!》
こうして俺は、人生初の告白を受け損ねたばかりか、別の男への恋を応援することになった。
◇ ◇
翌日の放課後、カノンは一枚の便箋を持って俺の席にやってきた。
「レオン君、お願いがあるの」
嫌な予感しかしない。
「今度は何だ?」
「アレン君にお手紙を書きたいんだけど、文章を一緒に考えてほしくて」
「ひょっとして、ラブレターか?」
「うん!」
カノンは満面の笑みでうなずき、俺は追加の精神的ダメージをくらった。
《俺の心に追い打ちをかけるなー!》
カノンは文章を書くのが苦手らしい。
彼女が考えた書き出しは『アレン君へ。こんにちは。今日はいいお天気ですね』だった。
《……天気予報か!》
「もっと気持ちを伝えたほうがいいんじゃないか?」
「どうやって?」
「そうだな……たとえば、何かに例えるとか」
「例える?」
カノンが目を輝かせた。
俺は少し考えた。
正直なところ、アレンへの恋文を真面目に代筆するのはとても面白くないし、ほんの少しだけ悪ふざけをしてやろうと思った。
「そうだな。俺の愛は、ミノムシの足元からベヒーモスの頭上まで届く巨大なメスシリンダーでも収まりきらない……とか」
「わあ! すごい!」
「いや、今のは冗談で……」
「とっても素敵! アレン君、きっと喜んでくれるわ!」
待て。なぜそうなる。
「いやいや、普通はもっと花とか星とか……」
「でも、アレン君は魔獣が大好きなの。特にベヒーモスの話になると、すごく楽しそうなんだもの」
そういえば、そんな話を聞いたことがある。
だが、ミノムシとベヒーモスを同じ文章に登場させる必要はないだろう。
「ありがとう、レオン君! これで書いてみるね!」
カノンは嬉しそうに走り去っていった。
《……まさか、本当に使わないよな?》
その翌朝、教室に着いた俺が授業の準備をしていたとき、カノンが教室へ飛び込んできた。
「レオン君! 大成功だったわ!」
「何が?」
「お手紙よ! アレン君が、すごく喜んでくれたの!」
「……は?」
「特にベヒーモスのところ! こんなに魔獣への理解が深い女の子は初めてだって!」
「……はあ!?」
「それでね、今度、一緒に魔獣の資料室へ行くことになったの!」
カノンは幸せそうに両手を頬に当てた。
俺は机に突っ伏した。
《逆効果なんかーーーい!!》
恋愛というものは、つくづく理解できない。
いや、そもそも逆効果を狙った俺が悪いのか。
そんなことを考えていると、隣の席から冷たい声がした。
「……朝から何を騒いでいるのよ」
幼なじみのリリア・サウスベルだった。
リリアは成績優秀で魔法の腕も一流。俺とは小さい頃からの付き合いだが、なぜか最近はやたらと小言が多い。
「ちょっと恋愛相談に乗っていただけだ」
「ふうん。カノンの?」
「ああ」
「……あんた、ほんとに鈍いわね」
「何が?」
「何でもない!」
リリアはぷいっと顔を背けた。
耳が少し赤かったが、きっと教室が暑かったのだろう。
◇ ◇
その日の昼休み、俺はクラスメートで友人であるアワード・バブルスを中庭へ呼び出した。
アワードは物質創成魔法の天才だ。
何もない場所から物体を生み出す魔法に関しては、教師たちでさえ一目置いている。
ただし、常識というものをどこかに置き忘れてきた男でもある。
「アワード、ちょっと聞きたいことがある」
「何だい、レオン?」
「ミノムシの足元からベヒーモスの頭上まで届くような、巨大なメスシリンダーって作れるか?」
「作れるよ」
即答だった。
「いや、仮に作るとしたらって話で……」
「ここでいい?」
「待て。何をする気だ?」
アワードが片手を掲げると、魔法陣が中庭いっぱいに広がった。
そして地面が震え、ゴゴゴっとした重低音とともに、空に向かって透明な物体が伸び始めたのだ。
十メートル。
三十メートル。
五十メートル。
百メートル。
ぐんぐんと伸び、見上げる俺の首が痛くなったころ、ようやく止まった。
中庭のど真ん中に、高さ百メートルを優に超える巨大なメスシリンダーがそびえ立っていた。
「できたよ」
アワードが胸を張り、満足そうに笑った。
俺はしばらく言葉を失った。
「……お前、何を考えているんだ?」
「メスシリンダーを作ったんだけど? まあ、目盛りは付けられなかったけどね」
アワードは照れ笑いしながら舌をペロッと出してごまかした。
《テヘペロか!》
「まあ、そりゃ見ればわかる! それより、何で本当に作った!?」
「作れるかって聞いたから」
「聞いただけで、作っちまうんかーい!」
巨大試験管が現れた轟音に驚き、周囲には大勢の生徒が集まっていた。
誰かが教師を呼びに走っている。
《まずい。非常にまずい》
そして十分後、俺とアワードは学院長室に呼び出された。
「レオン君、アワード君」
「はい……」
「中庭のあれは何かね?」
「……試験管です」
「見ればわかる!」
バンッ!と、学院長が机を叩いた。
「明日は創立百五十周年の記念式典だというのに! なぜ中庭にあんな巨大なものを建てたのだ!」
「その、恋愛相談がきっかけで……」
「恋愛相談!?」
俺は事情を説明した。
カノンの恋文のこと。
ミノムシとベヒーモスのこと。
そして、アワードが勢いでメスシリンダーを作ってしまったこと。
学院長は額に手を当て、深いため息をついた。
「まったく……恋心というものは、メスシリンダーで量れるものではないのだぞ」
「はい……」
「そもそも、目盛りが付いていないからメスシリンダーとは言わんっ! これは目盛り無し試験管だっ!」
《目盛りないのが問題なんかい!?》
「とにかく、明日の式典が終わったら速やかに撤去しなさい。安全確認も忘れずにな」
「はい!」
俺とアワードは頭を下げた。
かくして巨大メスシリンダー改め目盛り無し試験管は式典終了まで中庭に残されることになったが、それが学院を救うことになるとは、このとき誰も想像していなかった。
◇ ◇
翌日。空は快晴。
フセイリーツ魔法学院は創立百五十周年の記念式典を迎えた。
中庭には全校生徒が集まり、教師たちが忙しそうに整列を指示している。
色とりどりの花が咲き、祝賀の魔法飾りが風に揺れていた。
ただし、中庭の片隅には、巨大で意味不明な試験管が、高くそびえ立っている。
何とも言えない光景だった。
「レオン、いい写真が撮れそうだね」
隣でアワードが言った。
「お前があれを作らなければ、もっといい写真になったんだけどな」
俺は魔導写真機を構えた。今日は写真部として式典の記録係を任されている。
念のため、防塵ゴーグルも装着済みだ。
そして、隣のアワードは実験用の防護マスクを着けている。
「お前、何でそんなものを?」
「今日は風が強くなるかもしれないからね。粉塵対策だよ」
「お前が言うと、何か実験事故を予告しているように聞こえるぞ。フラグかっ!」
厳かに式典が始まった。学院長の挨拶に続き、来賓が紹介される。
今年の特別講演者は、卒業生であり、今や王国でも名高い冒険者となったブロークン・ハートック氏だ。
立派な体格で、顔には歴戦の傷跡。
そして、誰よりも印象的な名前。
《ブロークン・ハートック……失恋した俺に何か恨みでもあるのか、この学院は》
壇上に立った冒険者は、力強く語り始めた。
「諸君! 冒険者にとって最も大切なものは何だと思う?」
生徒たちが静まり返る。
「剣か? 魔法か? 違う! 決して折れぬ心だ!」
《……三日前、俺の心はきれいに折れましたけどね!》
「たとえ絶望に打ちのめされようとも、立ち上がる勇気を忘れるな!」
《……立ち上がれないわー》
実に立派な話で、名前さえ気にならなければ、素直に感動できたと思う。
そのときだった。
壇上の近くで、金色の粉がふわりと舞い上がった。
「……ん?」
中庭の花壇に、見慣れない花が咲いている。
淡い金色の花弁。
中心から、きらきらと輝く花粉が放たれていた。
俺は魔導写真機のレンズを向けた。
「アワード、あれは何だ?」
「ユメミソウだね」
「ユメミソウ?」
「花粉を吸い込んだ人に、願望を反映した幻覚を見せる魔法植物だよ」
「……何だって?」
アワードが首を傾げた。
「普通は厳重に管理されているはずなんだけど」
ぴゅーっと、つむじ風が吹き、金色の花粉が中庭いっぱいに広がった。
「……なあ、アワード」
「うん?」
「それ、かなり危険な花じゃないか?」
「そうだね」
「何でそんなに落ち着いてるんだよ!」
その瞬間、周囲の様子が一変した。
◇ ◇
「学院長! 学生のころから大好きでした! どうか私と結婚してください!」
拡声魔法で響く声に驚いて壇上を見ると、ブロークン・ハートック氏が片膝をついていた。
差し出しているのは、どこから取り出したのかわからない花束だ。
相手は学院長。立派な白い髭を蓄えた男性である。
「おお……ついにこの日が来たのだな!」
学院長が両手を広げた。
《何で受け入れるんだーーー!!》
その近くでは、一人の男子生徒が石像に抱きついていた。
「君の冷たい肌も、僕の愛で温めてみせる!」
別の場所では、教師が大木に向かって忠誠を誓っている。
「我が主よ! 一生あなたについていきます!」
木は何も答えなかった。当たり前だ。
「レオン、みんな幻覚を見ているね」
アワードが冷静に分析した。
「見ればわかる!」
どうやら、俺の魔導写真機用の特殊防塵ゴーグルに備わった、顔全体を覆う透明な防護膜と、アワードの防護マスクが花粉を防いでくれたらしい。
正気を保っているのは、俺たちだけのようだ。
「何とかできないのか?」
「中和薬があればね。花粉の魔力を打ち消せるはずだよ」
「作れるか?」
「もちろん」
アワードが手のひらを上に向ける。
白い発泡タブレットが現れた。
「これを水に溶かして、みんなに浴びせればいい」
「どのくらいの水が必要なんだ?」
「全員に行き渡る量だから……かなり大量かな」
俺は中庭を見回した。
数えきれない生徒たちや教師たちに来賓たち。
そして、空高くそびえる巨大な試験管。
俺はゆっくりと顔を上げた。
「……アワード」
「何?」
「あれ、使えるんじゃないか?」
アワードも試験管を見上げた。
「なるほど。あれに大量の水を入れて、薬を入れれば……」
「よし! 水を用意するぞ!」
だが、大量の水をどうやって作る?
普通の水魔法では、とても足りない。
そのとき、ハッとして俺は思い出した。
カノンの得意魔法は、液体創成。しかも、かなりの量を作り出せる。
「カノン! カノンはどこだ!」
人混みをかき分ける。
そして、俺は信じられない光景を目にした。
アレンが箒にまたがって得意げに胸を張り、満面の笑顔を浮かべている。
「さあ、姫! 私の白馬にお乗りください!」
「まあ、アレン王子様! なんて素敵なの!」
カノンが両手を胸の前で組んでいた。
「プハッ!」
《白馬じゃねえ! それは箒だ!! 思わず吹いちまったじゃないか。》
しかも、アレンは箒を上下に揺らしている。
ぱかぱか、という効果音まで自分で口にしていた。
学院屈指の美男子が、見る影もない。
「カノン! 頼みがある!」
「まあ、レオン君。どうしたの?」
「今すぐ、あの試験管に透明な炭酸水をいっぱい作ってくれ!」
「炭酸水?」
「ああ! 試験管の半分くらい作ってくれ。できるだけ早く!」
炭酸水なら発泡タブレットを素早く溶かせるかもしれない。噴き上がる勢いも利用できそうだ。
カノンはにっこり微笑んだ。
「わかったわ! 王子様との結婚式を祝う、とびきりおいしい飲み物を作るわね!」
「いや、普通の透明な炭酸水でいいから!」
「任せて!」
カノンが両手を掲げる。
巨大な魔法陣が試験管の上に現れた。
液体が滝のように流れ込み、見る見るうちに試験管の半分ほどまで達した。
「すごい……!」
思わず感心した。
さすがはカノンだ。これだけの液体を一度に作れるとは。
……だが、何かがおかしい。
試験管の中身は妙に黒く、しかも甘ったるい香りが外まで漂ってきた。
「……カノン?」
「なあに?」
「これ、何を作った?」
「黒蜜炭酸水よ!」
「……は?」
「私、大好きなの! 女の子たちにも大人気なのよ!」
黒蜜炭酸水は、黒蜜の濃厚な甘さと炭酸の刺激が特徴で、女子生徒たちに人気がある。
学院の売店でも、売り上げの1、2位を争う飲み物だ。
だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「透明な炭酸水って言っただろうが!」
「えっ? でも、お祝いにはおいしいほうがいいでしょう?」
そうか。
液体創成は、術者の感情や願望に影響されることがある。
今のカノンは、アレンとの結婚式の真っ最中なのだ。
つまり、頭の中はお祝い一色。
《よりによって、黒蜜炭酸水かーーー!!》
試験管の中では、黒い液体がしゅわしゅわと泡立っている。
「レオン、どうする?」
「……使えるか?」
「中和薬を溶かすだけなら問題ないよ。ただ、炭酸がかなり強いね」
「やるしかない!」
俺は腹をくくった。
もう時間がない。
周囲では、幻覚に取りつかれた生徒たちがますます暴走している。
そのとき、背後から声がした。
「あ、な、た♡」
聞き覚えのある声だった。
◇ ◇
振り返ると、リリアが立っていた。
いつもはきりっとした表情の幼なじみが、今日はやけに柔らかい笑顔を浮かべている。
「リリア? お前も花粉を……」
「もうっ。そんな怖い顔しないで♡」
リリアが俺の腕に抱きついてきた。
「ほら、あなた。早くお家に帰りましょう♡」
「…………は?」
「今日はね、あなたの大好きなシチューを作ってあげるの♡」
「お、おう……」
「それから、一緒にお風呂に入って……」
「ちょ、ちょっと待て!」
「ふふっ。恥ずかしがらなくてもいいのよ。私たち、夫婦なんだから♡」
リリアは幸せそうに微笑むと、俺の肩にこてんと頭を預けた。
「それでね、寝る前には……」
「ね、寝る前には!?」
「いつものように、ぎゅーって抱きしめて、おやすみのキスをしてね♡」
「お、おやすみのキス!?」
「もうっ。昨日は三回もしてくれたじゃない♡」
「昨日の俺、何やってんだーーー!!」
リリアはくすくす笑いながら、俺の手を両手で包み込んだ。
「ねえ、あなた……」
「な、何だ?」
「私、あなたのお嫁さんになれて、本当に幸せよ♡」
「…………」
その笑顔は、いつもの意地っ張りなリリアとはまるで違っていた。
……いや、待て。ちょっとどころじゃなく、かわいいじゃないか。
心臓が妙な音を立てている。
「だから、ずっと一緒にいてね。大好きよ、レオン♡」
「うおおおっ! 俺だけ人生が十年進んでるーーー!!」
いやいやいや!
今はそんな場合じゃない!
「リリア、悪い! ちょっと待っててくれ!」
「もうっ。お仕事ばっかりなんだから♡」
リリアが頬を膨らませる。
普段の彼女なら、絶対に見せない表情だった。
《……くそっ。ちょっとかわいいじゃないか》
だが、今は学院の危機だ。
俺は名残惜しさを振り切り、アワードのもとへ走った。
◇ ◇
「準備はできたか!」
「うん。中和薬はこれだよ」
アワードが白い発泡タブレットを掲げた。
「これを試験管の中へ落とす。反応で液体が噴き上がれば、中和薬が広く行き渡るはずだ」
「噴き上がるって、どのくらい?」
「やってみないとわからない」
「……お前、その言い方やめろ」
アワードが巨大試験管の上部へタブレットを転送した。
白い錠剤が黒い液体の中へ落ちていく。
シュワ。
シュワシュワ。
シュワシュワシュワシュワ。
シュワシュワシュワシュワシュワシュワ。
巨大試験管の中に無数の泡が生まれた。
「……アワード?」
「うん?」
「これ、ちょっと泡が多くないか?」
「そうだね」
「大丈夫なのか?」
「たぶん」
「たぶんって何だ!」
「炭酸水に入れると猛烈に発泡するからねっ!」
「……それ、先に言わんか―い!」
次の瞬間。
巨大試験管の中では黒い液体がぐるぐると渦を巻き、猛烈な勢いで泡が噴き上がる。
その泡は巨大な柱となり、百メートルを超える巨大試験管の中を一気に駆け上がっていった。
「アワードっ!!! 何かすごいことになってるぞっ!」
「うんっ! 炭酸と発泡タブレットが予想以上に反応しているねっ」
「冷静に、解説するなーーー!!」
そして。
どごおおおおおおおーん!!
巨大試験管の先端から、黒蜜炭酸水が大噴火した。
黒い噴水が空高く舞い上がり、泡は薄い黄色で、地面に向かって落ちてくる。
また、光を浴びた無数のしずくが、きらきらと輝き、実に幻想的な光景だった。
ただし、降ってくるものが黒蜜炭酸水でなければ、の話だ。
俺は頭を抱えた。
黒い雨が、学院中庭に降り注いだ。
生徒たちの頭に、教師たちの肩に、来賓たちの礼服に。
そして、学院長の立派な白髭に。
べちゃっ。
べちゃべちゃっ。
べっとり。
中和薬が全員に行き渡り、ユメミソウの魔力が打ち消されていく。
幻覚から解放された人々は、次々と正気を取り戻した。
「……あれ? 私、何をして……」
「何だ、この黒い液体は!?」
「きゃあああ! 髪が! 髪がくっつく!」
「制服が甘い匂いになってる!」
「誰だ! 私の背中に黒蜜をかけたのは!」
そして、中庭のあちこちから悲鳴が上がった。
「いやーん! 顔がベトベト!」
その叫びが、まるで合唱のように広がっていく。
「いやー! 髪がベトベトしてるー!」
「キャー、服がべとついてるー!」
「服や髪がベトベトだー!」
「もうっ!靴までベトベトなんだけど!」
「ぎゃー、全身被ったー!」
今日は学院創立百五十周年!
記念すべき日だ。
そんな日に全校生徒と教師や来賓たちが、黒蜜炭酸水まみれになった。
しかも、全員が正気に戻っている。
つまり、自分たちがどれほど恥ずかしい行動をしていたか、思い出せる者もいるわけだ。
壇上では、ブロークン・ハートック氏が学院長の手を握ったまま固まっていた。
「……わ、私は、いったい何を?」
学院長も、困惑した表情で冒険者を見つめている。
「ハートック君、君は先ほど私に求婚していなかったかね?」
「…………」
「…………」
長い沈黙。
そして、冒険者は静かに手を離した。
「……決して折れぬ心が、今、折れそうですっ!!!」
《あんたの名前どおりじゃねえかーーー!!》
これから待ち受ける後始末のことを考えると、絶望しかなかった。
俺は思わず目をつぶり、口を開けたまま天を仰いだ。
すると、頭上から最後の黒蜜炭酸水の泡が落ちてきて顔にべちゃっとついた。
口に泡が入ってくる。
……甘い。とてつもなく甘い。
◇ ◇
騒動が収まったあと、俺とアワードは再び学院長室へ呼び出された。
学院長の白髭は、すっかり茶色になっていた。
浄化魔法で衣服や髪をきれいにできるとはいえ、まだ処理が追いついていないらしい。
「レオン君。アワード君」
「はい……」
「今回の件について、説明してもらおうか」
俺たちは一切合切の事情を話した。
学院長は聞き終わると、深い息を吐いた。
「……なるほど」
「申し訳ありません!」
俺は頭を下げた。
「ですが、あの試験管がなければ、全員を助けることはできませんでした」
学院長はしばらく考え込んだ。
そして、ゆっくりとうなずいた。
「確かに、君たちの判断によって学院は救われた」
「……はい」
「巨大試験管の件は、今回に限り不問としよう。君たちへの処分もない」
「本当ですか!?」
「ただし、今後は巨大な物体を創成する前に、必ず許可を取ること」
「はい!」
隣でアワードが元気よく返事をした。
「では、次は許可を取ってから作るね!」
「次を考えるな!」
俺と学院長の声がハモった。
その後、学院長の浄化魔法によって、中庭も校舎も無事に元どおりになった。
巨大試験管も撤去された。
後世、創立百五十周年記念式典は学院史上最も甘く、最もベトベトした事件として語り継がれることになった。
◇ ◇
夕方、ようやく騒動から解放された俺は、校舎近くのベンチに腰を下ろしていた。
今週は、いろいろあって、本当に疲れた。
告白スポットに呼び出され、そのあとは恋文を考えさせられ、巨大試験管を作らせ、学院中を黒蜜炭酸水まみれにした。
最後の二つは俺にも責任があるが……。
「レオン」
顔を上げると、リリアが立っていた。
いつもの制服姿で、いつもの少し不機嫌そうな顔。
仁王立ちして、胸の前で腕を組んでいる。
「おう、リリア。もう大丈夫か?」
「ええ。おかげさまでね」
彼女は俺の隣に腰を下ろした。
しばらく沈黙が続いた。
「……ねえ、レオン」
「何だ?」
「さっきのこと、覚えてる?」
「さっき?」
「……私が、あんたに言ったこと」
思い出した。
シチュー。
一緒に風呂。
おやすみのキス。
そして、夫婦の……。
「……ああ」
「そ、そう」
リリアは膝の上で両手を握りしめた。
「その……変なこと、言ったでしょう?」
「まあな。でも、花粉のせいだろ? 気にするなよ」
「…………」
リリアが黙り込んだ。
「どうした?」
「……全部が、花粉のせいじゃないんだから」
「え?」
「な、何でもない! あんたって本当に鈍感!」
リリアが勢いよく立ち上がった。
頬が真っ赤だ。
「何で怒るんだよ!?」
「知らない!」
リリアは足早に去っていった。
俺は首を傾げた。
昔から、あいつの考えていることはよくわからない。
ただ……、あの時の幸せそうな笑顔だけは、妙にはっきり覚えていた。
不思議と胸が温かくなった。
俺が綺麗な夕焼けを見上げた、そのときだった。
「レオン君!」
聞き覚えのある声がした。
カノンだ。
カノンは、俺を見つけたことが嬉しかったらしく、満面の笑みで駆け寄ってきた。
「今日は本当にありがとう! レオン君のおかげで、みんな助かったわ!」
「いや、まあ……無事でよかったよ」
「それでね、お礼をしたいの!」
嫌な予感がした。
ものすごく!!! 嫌な予感しかない。
「私の得意魔法で、好きな飲み物をたーっぷり作ってあげる!」
「……カノン?」
「もちろん、私の大好きな黒蜜炭酸水よ!」
カノンが満面の笑みを浮かべて、両手をパッと広げた。
俺は勢いよく立ち上がった。
そして、学院中……いや、国中に響き渡るほどの大声で叫んだ。
「もう炭酸水は見たくないんじゃーーーーー!!!」
夕暮れのフセイリーツ魔法学院に、俺の悲鳴がこだました。
おしまい。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
勘違いから始まった恋愛相談が、まさか学院中を巻き込む大騒動になるとは……。
レオンの受難はこれでひとまずおしまいです。
鈍感な彼が、幼なじみの気持ちに気づく日はまだまだ遠そうです。
最後に……面白かったと思っていただけましたら、評価や感想をいただけると、とても励みになります! どうぞ、よろしくお願いします!




