エピローグ2:柊遥
「――これは、令和の薩長連合ね」
思わず、そんな言葉が口をついた。
“GAIALINQ ARC規格” というエネルギー制御におけるソフトウェア世界標準化の夢。
そもそも、日本の事業会社が主導して世界標準をリードしそうなプランというのが、ここ数十年で一体如何ほどあっただろうか。
それを、五井物産と五菱商事という、総合商社界の二大巨頭がこの夢を実現させる為に “共創” の旗印で手を結ぶ事で、一気に現実のものとなったのだ。
環境省で私がこの事案への対応をするようになったきっかけは、直也さんからの一本の連絡だった。
――「五菱商事の住田会長が、GAIALINQ ARCを自社バイオマス発電事業に導入するのみならず、GAIALINQ同様の『地熱×AIデータセンター事業』にも適用する方針をご検討中とのことです。」
この連絡を受けた時から、環境省は大騒ぎとなった。
「五菱商事が、GAIALINQ ARCを採用……?」
「しかもGAIALINQと同じスタイルの『地熱×AIデータセンター事業』まで新規参入するなどという事が実際ありえるのか……?」
最初は誰もが耳を疑った。
でも、すぐに経産省側でも同様の相談が直也さんから寄せられているという情報が入り、そうであるなら、GAIALINQに対するのと同等規模での支援を実施するべきであるという方向で、一気に「経産・環境の両省が共同支援の枠組みを作る」方針が閣議案件にまで上がるように持って行く事となった。
私はそれ以来、完全に “渦中の人” となってしまい、デスクに張り付き状態となった。
資料の山。
夜を徹した文案修正。
内閣官房や法制局との調整、
省内調整。
そして各メディア対応に向けた広報部門との調整。
冷めきったコーヒーを片手に、ひとりパソコン画面を見つめる。
本来なら再エネに関連する民間事業への支援については経産省が主導したがるのだが、一番直也さんに近いポジションにあるのが経産省官僚OBとはいえ、民間の半導体メーカーであるグリゴラ社執行役員の加賀谷さんである事から、ダイレクトに直也さんにアクセスできる私がにわかに霞が関全体から重宝される事態となってしまったのだ。
経産省はダイレクトにアプローチしやすい担当者をアサインしてこなかった件を、今に至って完全に悔やむ事となったようだ。
そして、この事態に対処する為に、暫定的な窓口として環境省官僚の私に一本化する方針を飲まざるを得なくなってしまった。
「……まさか、環境省がGAIALINQ支援政策の霞が関における “大本営” みたいになる日が来るなんてね」
正直、想定していなかった。
でも――これは大義だ。
日本国内における原発の再稼働は政治的にも社会的にも難航を極めている。
その中で、GAIALINQが掲げている地熱・再エネ・AI統合によるカーボンニュートラルモデルは、まさに “次の日本の環境政策の柱” に据えるべきテーマなのだ。
(思っていた通り、直也さんは現代のサムライ。
まさに幕末から維新回天の為に戦った志士や、明治初期の日本を設計していった官僚のような存在である事が証明されたわ)
かつて明治維新を動かした薩長連合は、最初は相容れない価値観のぶつかり合いだった。
尊王攘夷思想というイデオロギーに基づいていた長州と、富国強兵政策に基づく自藩中心主義の薩摩。
でも、それが倒幕、維新回天という方向性で一致した瞬間に “日本の歴史が動いた” のだ。
今回若干異なるのは、五井物産と五菱商事というのは、あくまでも総合商社の2TOPプレイヤーとして競合関係にあるだけで、異なる価値観によって対峙している訳でもなんでもなかったという点だろう。
GAIALINQ ARCというエネルギー制御OSとも言うべき規格を共同で推進するこの中核プレイヤーの共創方針によって、日本の再エネ政策は一段上のフェーズに進む。
むしろ問題なのは……その中核として、一ノ瀬直也という “個人” に完全に依存してしまっているという事。
――もう完全に『一ノ瀬直也一本足打法』になってしまっている。
彼自身の理念をベースとしながら、彼自身が戦略も描き、五井物産を起点として拡がりを見せ、日米政権が公的支援を進め、遂に五菱商事がそれに『参画』するという事態に至ったという状況。
当然省内でも大きな懸念が寄せられた。
「あまりにも一ノ瀬氏個人への負担が大き過ぎないだろうか?」
「まだ二十代半ばの前途有望な若者にあまりにも大きな負担を背負わせ過ぎだ」
「卓越したリーダーである事は論を待たないが、むしろそうした人材を消耗させ過ぎて、潰さないようにするべきではなかろうか?」
その議論の結果、環境省幹部は素早く決断するに至った。
> 「GAIALINQを監理・支援する専任ポストを地球環境局傘下に新設する」
――そして、その役職名が『GAIALINQ監理官』。
その初代監理官として、私自身の名前がリストされてしまったのだ。
官房長からの内線は、まだ耳に残っている。
「柊くん。初代監理官は君にお願いしたい」
「……本気ですか?」
「本気だよ。
一ノ瀬氏とのダイレクトホットラインを持っている君しかいないだろう」
私は笑ってごまかすしかなかった。
これでまた、徹夜の日々が続く。
でも、それだけじゃ終わらなかった。
今度は――大臣官房からの “とんでもない依頼” が飛び込んできた。
「柊くん。6月の地球環境サミット、九州阿蘇で開催する件ですが……」
「はい、承知しています」
「そこに、一ノ瀬直也氏を主賓スピーカーとしてお招きできないかと」
「――は?」
思わず聞き返した。
「い、いや、無理です。
絶対無理ですって!
彼はGAIALINQプロジェクトで国内外を飛び回っていますし、あのスケジュールの中に講演の枠なんて、絶対に――」
「そこを、なんとか」
「な、なんとかって言われましても……」
官房審議官は苦笑いしていた。
「経産省側も賛同していてね。
どうしても“象徴的な登壇”をお願いしたいそうだ。
我が国のCO₂削減政策の柱として、GAIALINQを正式に国際的に紹介したいんだよ。
――原発事故からこのかた、CO₂削減政策について歯切れの悪い対応を強いられてきた我が国にとって、GAIALINQはどれだけ強調しても足らない程の戦略的価値を持っている」
「それは理解しますけど……」
「頼みますよ。柊“監理官”」
――完全に押し切られた。
デスクに戻り、私は深くため息をついた。
まだ柊 “監理官” になったわけでもないのに、この仕打ち。
GAIALINQ監理官に就任する事自体はやぶさかでない。
それによって直也さんへの支援を公に進めやすくなるというのは間違いなく前進だ。
しかし “基調講演の依頼” などというのは、霞が関の都合を相手に押し付けるようなもので、しかも、無理をお願いしたところで、直也さんの時間は有限で、尚且つ調整できる余地などもう残っていよう筈もないのだ。
(――もう絶対無理だよ……。)
ともあれ、こうなってしまった私一人では判断できない。
さしあたりダメ元で確認しなければならない。
ディスプレイの前で、スマートフォンを手に取る。
連絡先のリストをスクロールしながら、少しだけ指が止まった。
――篠原 瑠衣。
つい先日、直也さんが私との打ち合わせに際して同行させた秘書。
ただの秘書ではない。
警察庁官房からGAIALINQプロジェクトに出向しているという異形の人事、つまり彼女は警察官僚に他ならない。
確かに今後の世界のエネルギー政策やAI政策にとって、直也さんはますます重要視される存在となるだろう。
だからこそ、その彼に対する警護役を兼ねて秘書として送り出していた訳だ。
さすが旧内務省の御本尊。こうした対応だけは早い……。
「……瑠衣さん、今、少しお時間いいかしら?」
電話をかけながら、自分の声がわずかに震えているのが分かった。
相手が “世界の中心” にいる人間だという実感。
瑠衣さんの声が、受話口から明るく響いた。
「柊さん。
先日はお時間を頂きありがとうございました」
私は深呼吸して、言った。
「……お願いがあるの。
直也さんに、ひとつ、無理なお願いを」
その瞬間、またひとつ――
世界が、少しだけ動いた気がした。




