第3話:危険な新人(神宮寺麻里)
――その女は、最初の一言で空気を変えた。
GAIALINQフロアのモニタールーム。
私は、亜紀と玲奈が進める一次面談の映像を黙って見つめていた。
春の光がガラスに反射し、スクリーンの中の新人――鏡侑里香の輪郭を淡く縁取っている。
「希望ではありません。“前提” です」
その言葉を聞いた瞬間、私は指先を止めた。
――この子、最初から自分を “中” に置いている。
人事面談でそんな言葉を使う新人なんて、普通はいない。
けれど、虚勢には聞こえなかった。
声の底に、妙な芯がある。
型でも理屈でもない、まっすぐな確信の響き。
彼女が信じているのは理念じゃない。
一ノ瀬直也という、ひとりの人間そのものだ。
私は腕を組み、画面越しにその視線を追った。
表情も姿勢も、どこか研ぎ澄まされている。
亜紀が軽い皮肉を返し、玲奈が理性的に受ける。
いつもの連携だ。
それでも今日は、侑里香の方が一枚上手だった。
空気の重心を、自然に自分の側へ引き寄せている。
そして、あの英語の回答。
“GAIALINQ is not merely a business initiative,
but a structure of collective prayer —
not in a religious sense, but as a living network
that connects human wishes and actions into harmony.”
……見事だった。
発音も、間の取り方も完璧。
しかも、GAIALINQの理念をそのまま繰り返すんじゃなく、自分の言葉にして言っている。
理解というより、吸収してしまっている。
「Prayerを宗教的な祈りではなく、“願いを繋ぐ構造体” として理解しています」
――その一文を聞いた時、私は小さく息を呑んだ。
危険だと思った。
頭がいいとか情熱があるとか、そういう話じゃない。
この子の “信じ切り方” が危ない。
人を惹きつけて、場の重心を動かすタイプ。
リーダーになる器だ。
でもGAIALINQのような場所では、純度の高すぎる理想は、かえって組織を狂わせることがある。
彼女は、直也の思想を「理解」しているんじゃない。
まるで、呼吸のように受け取っている。
――それが一番厄介だ。
直也は理想を語る人間だけど、同時に誰よりも現実的な設計者だ。
速くて冷静で、余計な感情をはさまない。
そんな人の隣に、こんな “純粋さ” を持ち込んだら――壊れるのは、きっと直也の方だ。
映像の中で、侑里香が言った。
「私はそもそも燃え尽きることなどあり得ません」
その瞬間、私は小さく笑ってしまった。
燃えること自体を、怖れていない。
むしろ、燃える前提で生きている。
玲奈の声が聞こえる。
「……この子、完全に種火だわ」
亜紀が応じる。
「しかもそれを燃え上がらせる為の燃料は無限大のタイプ」
正確だった。
私はモニターを閉じ、立ち上がる。
胸の奥で、小さく警鐘が鳴っていた。
――この子を入れるかどうかは、採用じゃない。
危険度の測定だ。
内線が鳴る。
「神宮寺さん、一次面談のフォローアップをお願いします」
「分かりました」
鏡の前で、ネイビーのジャケットを整える。
光を反射した自分の顔を見て、少しだけ苦笑した。
「……どこまでが理念で、どこからが執着なのか。
確かめてみよう」
※※※
鏡侑里香。
姿勢は完璧。呼吸も乱れない。
勝つ準備を終えた人間の目だ。
「神宮寺麻里です。
GAIALINQのAI事業推進を担当しています」
「鏡侑里香です。
本日はお時間を頂き、ありがとうございます」
礼儀正しい。けれど、少しも引かない。
「一次面談、拝見しました。
印象的でした」
「ありがとうございます」
その笑みの出し方すら計算されている。
「GAIALINQを “前提” と呼ぶ理由を、もう一度」
「はい。
私にとってGAIALINQは “入る場所” ではなく、“生きる理由” です。
地熱とAIを繋ぐ構造の中で働くことが、私の人生の設計図なんです」
言葉が整いすぎている。
でも、不思議と空虚ではなかった。
「あなた、一ノ瀬COOをずいぶん研究してるのね」
「はい。GAIALINQを理解するには、彼の思考を追うしかないと思いました」
「……どこに惹かれたの?」
「理想と現実を、同じ速さで設計できるところです。
誰より冷静で、誰より優しい。
だから支えたいと思いました」
“支えたい” ――その一言に、私は胸の奥がざらつくのを感じた。
「鏡さん」
少しだけ声を落とす。
「GAIALINQは、理想を掲げる場所じゃない。
試される場所よ。
理想が強すぎる人ほど、自分を壊すわ」
彼女は一瞬だけ目を細め、そして笑った。
「それでも構いません。
壊れるなら、それは次の形に変わるためだと思います」
……やっぱりこの子は怖い。
破壊すら、成長の一部として受け入れている。
「あなたの意志は本物ね。
でも、私には決められない」
「え?」
「GAIALINQの人事を決めるのは、私でも亜紀でも玲奈でもない。
一ノ瀬直也、ただ一人よ」
少しの沈黙。
彼女の表情に、納得の影が浮かぶ。
「鏡さん」
私は立ち上がった。
「あなたの意志は、きっと誰かを動かす。
でも――直也を動かすのは危険。
彼は、優しすぎるから」
「……優しい、ですか?」
「ええ。あまりにもね」
ドアに手をかける。
「だから私は、あなたを歓迎できない。
けれど――止める資格もないの」
背後で、彼女が小さく息を吸う音がした。
春の光が、ガラスに跳ね返る。
「……あなたの “前提” が、彼を壊さないことを祈るわ」
静かにドアを閉めた。




