爵位や称号の話
前に書いた西洋貴族の話がそこそこ読んで頂けているようで幸いに思います。そちらでは爵位の説明は調べればわかるかなと思って飛ばしてしまったのですが、ちょくちょく自分としては異論のある説明がSNSでバズっているのを見かけたりしてしまうので一度自分でもまとめてみようかと思って書いてみました。
なお爵位の話と言いつつ実際は称号の話みたいになっていて、王、皇帝、五爵+α、その他という順番で書いています。あ、基本的には西洋の中世~近世くらいの話です。
〇王(英語King)
国のトップ、もしくはある程度以上の規模の集団のリーダー。説明するとしたらこんな感じになるでしょうか。しばし大規模部族のリーダーとかも「王」と呼ばれたりする都合、何気に定義が難しかったりします。
既存の王位を継ぐのではなく新たに王を名乗る場合、ゲームなんかだと特定の地域を支配することで王号を名乗れたりしますが、歴史的には領土だけでなく教会からの承認も必要でした。これは基本的に中世近世の西欧では王冠は聖職者(=神の代理人)から授けられるものであり、神の権威が王権を保証していたことによります。もちろん、王の側も対抗しようとして色々やっていたのですがその辺は本題から外れてしまうので割愛。
注意点というか話のネタになりそうなところとしては国のトップ=王というイメージのため、厳密には王ではない人物も王と呼ばれたりしました。例えば身近なところだと織田信長とかも宣教師の報告書では「日本国王」と書かれたりしていますが、日本史上では当然日本国王ではありませんでした(第六天魔王云々はさておき)。しかし、現地の実態をよく知らない人に対して「天下人」を説明する言葉として「王」という単語を使うのは理解できる話です。こんな感じで現地だと独自の言葉を使っていたとしても便宜上「王」という扱いになっていることがあります。
物語のネタとしてもこういった他国(他文化)からの呼び方と現地の名称が違うというのは異文化交流のネタとして使えるのではないでしょうか。
〇皇帝(英語Emperor 独語Kaiser)
言葉の語源はラテン語のインペラトール(imperātor)やカエサル(Caesar)から。語源からわかるようにこの言葉はローマ帝国と強く結びついており、現代的には色々な意味合いがありますが、中世~近世においては「皇帝」とは多くの場合ローマ帝国並びにその後継国家の支配者のことを指しました。具体的には西ローマ帝国→神聖ローマ帝国と東ローマ帝国→ビザンツ帝国→ロシア帝国の支配者たちですね。
「皇帝っていうけど異世界にローマ帝国があるのかよ」というツッコミを見かけることがありますが、それの理由の一つがこれです。
皇帝も王と同じく教会から戴冠を受ける存在であり、東洋と違って王と皇帝の間に上下関係があるわけではありませんでした(名目的にはちょっとややこしいところなんですが)。
そもそも「帝国」とは何か、という話はついででするには複雑なんですが、大雑把に説明すると、古代ローマ時代にはローマの命令権(ラテン語imperium)が及ぶ範囲が自国の領域だと認識されていました。それが転じてローマ帝国という意味になり、過去のアテナやスパルタといった強国も普通の国とは違う帝国であるとされていきました。
そこから色々な意味合いを持ちながら近代以降に領土拡張主義と結びついて誕生したのが帝国主義であり、そこで定義されたのが現代的な意味での「帝国」ということになります。
現代的な「帝国」の定義としては「主に軍事力によって複数の国家・地域・民族を支配している国家」なんて言われたりして、物語的ないわゆる「悪の帝国」のイメージもこれに近いものがあります。しかし、民族概念なんていうのも近代以降のものですし、中世・近世はナショナリズムの概念も薄いので、この現代的な意味での帝国の要素には中世・近世っぽさは無かったりします。
さらに余談なのですが、「帝国」なのかどうかは定義に合わせて判断される都合、「帝国」と呼ばれても国家元首は皇帝でないことがしばしあります。前述のローマに帝国と判断されたアテナやスパルタもそうですし、近いところでは自称も込みで「大英帝国」なんて存在がありましたがその国家元首は常に「国王/女王」であって皇帝ではありませんでした。帝国なのに統治者が皇帝じゃないというのもそれはそれでネタとしては面白いのではないでしょうか。
〇公爵(英語Prince、Duke、Grand Prince・Grand Duke・Archduke)
公爵は五爵のうち最上位に位置し、臣下としては最高位に位置する爵位……と言いたいところなのですが、実際は面倒極まりないのがこの公爵です。
五爵の公侯伯子男というのは古代中国の貴族制度由来で、東西それぞれの貴族制度が五爵に設定されたのは興味深い、なんて言われたりもするのですが、それ本当か?って言いたくなってしまうくらいには、公爵の枠にはとりあえず上級称号を押し込んだだけでは感があります。
そんな前置きはさておき、英語表記でPrinceとDukeの二つの単語を書いた通り、違いのある二種類の称号が公爵と訳されていますのでそれぞれの説明からやっていきたいと思います。
・Prince
語源としてはラテン語で「第一人者」を意味するプリンケプス(Prīnceps)から。由来としては初代ローマ皇帝のアウグストゥスは独裁制への反発を警戒して王や皇帝を名乗らず「第一人者」を名乗って統治を行っており、そこから転じて中世には王や皇帝を号していない独立諸侯(君主)がPrinceと名乗るようになりました。
現代でもモナコ公国の用例がこれに該当し、モナコ公国の国家元首の称号はPrince of Monacoとなっています。こういった君主としての使われ方をした場合は○○公と訳される場合が多いようです。
また、日本語でプリンスというと王子のイメージがありますが、こちらの意味で使われることもあり、というか順番としては王や君主の縁者にPrinceの称号が与えられたことから王子の意味合いを持つことになった、と言うべきでしょうか。たまに「公爵は王族にしか与えられない」という説明を見ることがありますが、それはこの用例のことを指すのでしょう。
ドイツの軍艦名として一部では有名であろう「プリンツオイゲン(独語Prinz Eugen )」も意味合いとしてはこちらになりますが、サヴォイア公(Duke of Savoy)の縁者であることが由来のため王子ではなく公子と訳されたりします。
なお、同じくイギリス軍艦名として有名な「プリンスオブウェールズ(英語Prince of Wales)」は君主としての称号だったものがイギリスの皇太子に与えられることが慣例化して皇太子の意味をもつことになったというややこしい事例だったりします。
・Duke
語源としてはラテン語で軍団の司令官を指す言葉として使われたドゥクス(Dux)から。それがそのままローマ帝国崩壊後も地域の最高権力者を示す言葉として残り、臣下としての最高位を示す言葉になりました。
一般的に○○公爵と訳されるのは全部このDukeで、王族であっても、そうでなくても公爵位は基本的にはDukeです。ただ、実態としては独立諸侯やそれに近い勢力であっても由縁があったりしてDukeを使っている場合もありました。
・ Grand Prince、Grand Duke、Archduke
大公と訳されることが多く、説明によっては王と公爵の間の地位とされることもあります。基本的には他のPrinceやDukeより一等抜けているという意味合いで使われましたが、その細かい意味合いについては国や地域によって変わりました。
他にも正式な称号としての場合以外にもいわゆる尊称的な使われ方であったり、ただのDukeも場合によっては大公と訳されることもあるためとりあえず公爵の枠の中として扱っています。
現在だとルクセンブルク大公国の元首の称号がGrand Duke of Luxembourgとなっています。
以上、公爵の場合分けあれこれの話でした。かなり面倒ですし、ネット上で見かける解説でも説明不足を一番感じるところでもあります。創作で扱う分としてはDukeの意味だけで使うのが一番楽でしょう。
〇侯爵(英語marquess、独語Fürst)
五爵のうち公爵に次ぐ第二位の地位。語源は後述する辺境伯(英語Margrave)から。語源からも伯爵の上位存在だった辺境伯が侯爵にスライドしたのだなと成り立ちを連想できます。
ただしドイツ語圏では公爵のところで触れたプリンケプス(Prīnceps)由来のフュルスト(Fürst)が公爵に次ぐ地位(=侯爵)を指す言葉として定着しました(公爵を指す言葉はHerzog)。
このためドイツ語圏の貴族爵位の翻訳では公爵/公/侯爵/侯の使い方が一定ではないようです(イギリスなどと同様に公=Princeとする場合、Prince= FürstなのでFürst=公となり、ドイツ語圏での爵位順序だけ考えるとFürstは公に次ぐ地位なのでFürst=侯ということになる)。
現在だとリヒテンシュタイン公国がこのパターンで、国家元首はFürst von Liechtensteinなので リヒテンシュタイン候なのですが、国の名称としては公国呼びの方が一般的になっています。
とりあえずドイツ語圏まわりの話はややこしすぎますので、創作では侯爵は単に五爵の二番目の地位として扱うのが一番扱いやすいと思います。
〇伯爵(英語Earl、Count 独語Graf)
五爵のちょうど中間に位置する爵位。ローマ帝国時代に各地に地方長官として送り込まれた「伯」(コメス)(ラテン語Comes)という役職に由来し、それがそのままフランク王国以降にも引き継がれ、やがて伯爵という称号へと変化しました。
イメージとしては現代でいうところの県知事、古代日本だと国守とか守護とかそんなところでしょうか。
英語で伯爵を指す言葉が二種類あるのは、ウィリアム征服王はイングランドを征服して新制度を作った際に大陸の伯(Count)とは別の存在として伯爵(Earl)を作ったのですが、時が経つにつれて両者は同一視されるようになって現在に至っているからです。
またドイツ語圏のみラテン語のComes由来ではなく、Comesと同格扱いとされた地域独自の「Graf」という地位が伯爵を指す言葉となりました。
伯爵の訳としては爵位制度が整ってからの時代(近世以降)は○○伯爵という訳が多いですが、それ以前では○○伯という訳をよく見ます。
五爵の真ん中ということで伯爵にはそこまで力がないというイメージを抱いている人もいるかもしれませんが、中世では王と争うような伯もしばし見られましたし(まあこれは王権が弱いということもあるんですが)、領土を拡大して後に諸侯へと転じていく伯もいました。
伯爵は創作でもよく登場する爵位ですが、実際強くも弱くも設定できる便利な立場であるとも言えます。
〇子爵(英語Viscount)
五爵のうち下から二番目の爵位。由来としては伯の補佐役として小規模な領地を治めた「副伯」(ラテン語Vicecomes)が転じて爵位となったもの。
この由来のため子爵位の保持者は伯爵以上の爵位保持者を兼ねていることも多く、子弟の儀礼称号として使用されることも多いとか。この点では実は大貴族の御曹司、という話をする時に便利な肩書といえるかもしれません。
あとはイギリスでは五爵の中で最後に生まれた爵位であるという話くらいでしょうか。
〇男爵(英語Baron)
五爵のうち一番下の爵位。語源はラテン語で一人前の男を意味するBaroから(ただ諸説あり?)。
イギリスでは伯爵(Earl)とこの男爵(Baron)が最初に制定された爵位でした。ただし、当初は国王の直臣を意味するというだけで貴族称号的な存在ではなかったものが、他の爵位が増加する中で改めて貴族称号として整備されていったようです。
最下位の爵位ということでしばし木っ端貴族のように扱われることもありますが、別でも書いた通り国・時代によっては爵位称号を保持している時点で確実に富裕層の一員でした。このあたり、話の本筋からはズレてしまうので仕方ないのでしょうが、貧しい貴族家というのは存在できるのか、存在できるとしたらそんなピンキリな集団が特権階級として存続できるのか、みたいなところも考えてみると舞台背景となる社会の解像度を上げられるのではないでしょうか。
子爵・男爵の訳ついては伯爵以上のように爵が省略されることはなく○○子爵/男爵という表記が一般的です。
〇辺境伯(英語Margrave 独語Markgraf)
五爵+αと書いた+α部分として辺境伯を。
別でも書きましたがもともとはフランク王国時代に国境防衛のための要地(独語Mark)に置かれた伯(独語Graf)という地方長官の職でした。ドイツ語で見るとわかりやすいですね。
侯爵のところで書いた通り、イギリスやフランスなどでは公と伯の間の地位ということで侯爵へと変化していきました。しかしドイツ語圏では諸侯の称号の一つとして残り続け、後々には公や王となる家もありました。
創作では割と人気の辺境伯ですが、その称号というか地位が消えた理由としては、残った地域と消えた国々の違いから考えると中央集権化の流れの中で消えたと見るのが一番妥当でしょう。独自の兵権・権限をもった強大な領主という存在は中央集権を志向するなら障害でしかありません。
その点を踏まえると、創作に出てくる国家というのはかなり中央集権化が進んでいることが多いですが、そんな国家になぜ辺境伯という地位が存在しているのか、という説明なんかもあると国家制度の説得力が増すのではないかなと思います。
〇その他いろいろ
日本が華族制度の参考にしたイギリス以外の地域にも独自の貴族制度があり、それらは必ず五爵の内に収まるということはありませんでした。そのような称号のうちのいくつかに触れたり、男爵未満の貴族層についてもちょっと触れます。
・選帝侯
神聖ローマ帝国の君主に対する選挙権を持った「諸侯」のこと。間違えやすいですが侯爵の一種とかではないです。当初は地位を表すものではなく、それぞれの選帝侯は公や辺境伯、大司教といった別の地位を持っていました。しかし時代が下ると選帝侯そのものが地位を表す称号となっていきました。
・宮中伯
辺境伯と同じくもともとはフランク王国が設置した役職の一つ。ライン宮中伯だけ諸侯の一つとして残り続け、選帝侯にも選ばれました。
・方伯、城伯
神聖ローマ帝国で用いられた称号で、方伯は公と伯の間、城伯は子爵相当の地位になるようです。
・騎士領主層
別でも書いた通り、イギリスでは騎士は「爵位貴族」には含まれませんでしたが、西欧全体で見た場合は「貴族」と見なされていました。ユンカーと呼ばれるドイツの下級貴族なんかも大枠で見ればこちらに入ります。
なお、このような爵位を持たない貴族層が貴族身分を表現するための手段としては紋章の使用の他、ドイツやフランスでは名前にフォン(von)やド(de)といった前置詞を入れることで貴族であることを示しました。ただしこの前置詞は平民に対する褒章として名乗りを許す場合や、一般的に使う地域もあり、名前に前置詞が入っていれば必ず貴族であるとは限りませんでした(フォンは大体貴族で良かったはずなんですが)。
上記の通り、五爵の範囲に収まらない称号というの主に神聖ローマ帝国のものです。神聖ローマ帝国は一つの国家というよりは地方分権に振り切った枠組みとでも言うべきで、内実としては混沌としたものがありました(個人的には日本の室町時代みたいなものかなと思っています)。日本でも戦国時代には官名が乱発されたり好き勝手に自称されたりしていましたので、同じように神聖ローマ帝国でも色々な称号が使われる複雑な形になってしまったのではないでしょうか。
まあちょっとこの辺の神聖ローマ帝国の称号秩序とかの詳細については調べ切れていませんのでなんかややこしいようです、としか言えないのですが。
〇終わりに
日本の華族制度の場合、明治維新の際にイギリスの貴族制度を古代中国の五爵の貴族制度に変換するような形で華族制度が制定されたので最初から五爵が揃っていましたが、上記で書いてきた通り、ヨーロッパでは五爵の形に落ち着くまで紆余曲折ありましたし、地域によっては五爵では収まり切りませんでした。
個人的にはこうった複雑さを創作でも必ず反映するべきだとは思っていませんが、複雑さというのはネタにもなり得ますので誰かの役に立てれば幸いに思います。
一応、色々と自分なりに調べてまとめてましたが、詳しい人から見れば何かしら間違っているところ、異論のあるところもあるかとは思いますがご寛恕いただければ幸いです。




