第25章(1)
バルマーは大きな体でのしのしと石床を揺らしながら歩いてくる。
円卓に辿り着くと、小さく見える椅子を引き、どっかりと腰かけた。
ミシッと音がした。
「ワシに話があると聞いたが」
「え? いや……」
別にバルマーに話を聞くつもりじゃなかったのだが。当のライズは、黙って空いた席に座る。
「答えが得られるのであれば、あなたでも構いませんが」
そう答えると、彼はなぜか手のひらをこちらに向けて、制止のジェスチャーをした。
「すこし待て。これを立てる」
彼は白衣の懐から、どうやって入れていたのかわからない大きさの額縁を抜き出してきた。
それをみんなが見える位置に立て掛ける。
見覚えのある絵だ。
俺がバルマーに描いてやった、『風見鶏』の人間たち――彼の孫たちの絵だった。
「どうして持ってきたんですか?」
「ああ、これは魔除けだ!」
「ま、魔除け……?」
「効果があるかわからんが、おまじない程度だな」
「…………」
なにを言っているのか、相変わらずわからないが……。
その絵は、なぜだかこの場によく馴染んでいた。
ゼノに似た容貌の男女――双子だと言っていたか――その二人と、赤毛の女性、黒髪の男性が、楽しげな空気を醸しながらバルマーを囲っている。
俺はしげしげとその絵を眺めていたが、ふとライズと目が合った。
彼はまた、すこし寂しげな顔をしてこちらを見ていたようだ。
「それで、聞きたいこととはなんだ」
「ああ、俺がニース……いや、新樹庁にさせられている仕事についてです」
「おお、そうか! それは気になるな!」
バルマーは再び場違いな大声を出すと、急にこちらへ手招きをしてくる。
首をかしげていると、なぜだかナビがトコトコと円卓を歩いていった。
バルマーはナビを捕まえ、その首筋に手をやる。そして人形のように座らせた。
どうやら機能を停止させてしまったらしい。
「すべてを止めることはできんが、まあいい。魔除けはあるし、聞きたいなら聞かせてやろう」
で、詳細は? とバルマーが聞いてきた。
おそらく彼は、俺の肩にくっついているウォッチ端末のことを気にしている。
それを通じて遠隔で監視しているだろうゼノを警戒しているのは察せられた。
俺はすこし躊躇ったが、向こうから話すよう促されると、不思議と気持ちが楽になった。
単的に本題を口にする。
「トライフルで仕事をはじめた初期のことですが、向こうにいる協力者――俺の友人に妙な球体を飲ませたんです」
乾いた、胡桃大の球体。
毎回違う効果を示す謎の代物だ。
バルマーが頷いていたので、詳しい説明は不要だと感じた。
「あれはいったい何なんでしょう。最終的に友人はどうなりますか。もし彼にとって不都合な変化がもたらされた場合、それを元に戻してやることはできるんでしょうか」
それが聞きたいことの全てだった。
バルマーは思案するように高い天井を仰いでいる。その間、右手の指をタンタンと机上で踊らせていた。
「これはやはり、聞かない方がいいことですか。ご迷惑をかけるなら、無理に答えなくても――」
あまりに思考が長いため、不安になって言葉を挟むと、彼はまた手のひらを突き出して制止の意図を見せた。
「いやいや、どこからどう説明したものか、考えていただけだ」
そう語り、突き出していた手を顎に回す。
「あれが何なのかという問いには答えづらい。あれはワシの管轄ではない。ニースが独自に開発したものだ」
「研究開発は、旧樹院がすべて担っているわけではないんですか?」
「ああ。すこし前までは、研究なぞワシと部下の一部くらいしか興味を持たなかった。しかし、最近は違う。あのニースとかいう娘っ子のせいなのだが」
「む、娘っ子……」
あのニースをそう呼べるのは、あんただけだろうな。
心の声が聞こえたのか、彼はガハガハ笑いながら妙な話をした。
「娘っ子だったよ。つい最近まで――いつだったか、新樹庁で二大勢力が争いはじめる前までは、あのニースという再構成体は、バーベナと変わらんただの無害な娘っ子だった」
バルマーによると、ニースという再構成体が生まれたのは、新樹庁の中でもかなり遅いほうだったそうだ。
彼女はいつの間にか生まれ、新樹庁に二人いた統治者の片方に仕える従者の位置に収まっていた。
黒い髪で、清楚で大人しい雰囲気の、目立たない個体だったという。
「新樹庁の再構成体は、最初のふたりを除いたら、かなりガツガツしたやつが多かったな。ゼノを見たらわかるだろう。ああいうやつが多かった」
以前にライズがすこし話してくれた。
再構成体は百年くらい前から少しずつ生まれ、増えていったのだが、新樹庁の知恵の樹から最初に生まれたふたりの個体が、再構成体の主として樹上をまとめていた。
そして旧樹院の知恵の樹から最初に生まれたバルマーと、風見鶏という学園が変化した施設が合わさって、コンフィズリーを統治する新しい仕組みが作られていった。
「ガツガツしているとは言っても、再構成体というのはどこか思想が片寄っている。目の前のことにしか興味がないというか、視野が極端に狭い」
わかるだろう? と問われたので、俺は頷いた。
再構成体を『偏執狂』と称したのは俺だったか。
彼らは、目の前の興味にひたすらに没頭する。それはもしかしたら、素材として用いられた『昔生きていた人間』の個性を煮詰めた結果なのかもしれない。
バルマーは研究に没頭する。バーベナはアップルパイを作ることに執着し、ヴェーラーは与えられた研究課題を解決することに没頭する。
ゼノも似たようなものかもしれない。あいつは自分の考えを持っているというよりは、ニースから与えられた無理難題を上手くこなすことを楽しんでいるように見えた。
そして俺も、自分の内面を絵に描き出すことに執着している。
「遠い未来を見ようとする個体は少ないんだ。ワシらは基本的には短期的で狭視的な思考回路で、反復行動で永遠を浪費する。しかし、あのニースという娘っ子……あれは違う。あいつは普通の再構成体ではない」
ニースが変わったのは、風見鶏の主要メンバーが皆、加齢の末に亡くなってからだという。
「ほれ、今あの娘の隣に生首があるだろう。あれはなんという名の個体じゃったかな、トゥリクとか言ったかな。あいつが謀反を起こそうとしたときに、対立したのがニースだった」
本当に急だったという。彼女はゼノをはじめとした周りの主要な再構成体を丸め込み、トゥリクの一派を圧倒した。
あっという間に敵対する再構成体たちは解体され、トゥリクは生首にされていた。
その際に、新樹庁の主であったふたりの再構成体も行方不明になってしまったらしい。
「知恵の樹というのは、最初に生まれた個体と最も力を同調させることができる。ワシが錬成種の開発を行えるのもそのせいだ。ワシは旧い樹の主なのだ」
それは初めて聞いた話だった。
錬成種を生み出す巨大なかまど。彼はその前にずっと居座っている印象があるが、あれを扱えるのはバルマーだけなのだそうだ。
「もうすこし正確に言えば、生命に近いものを生み出せるのは、旧樹院ではワシだけだ。アップルパイ程度であれば、バーベナでも作ることができるが」
隣で聞いていたライズが苦笑を漏らす。
彼女が執着するのはなぜアップルパイなのか、それを知っている者はここにはいなさそうだ。
「同様に、新樹庁の新しい樹の主もそのような力を扱うことができるはずだ。その力は行方不明になったふたりの再構成体が持っているはずだった」
しかし――バルマーはそこで言葉を切る。
俺はなんとなく予想していた。
ニースの異様な髪の色……。もともとが黒い髪をしていたというなら、今の淡緑が混じった髪は、どこから得られたものなのか。
「新樹庁のふたりの再構成体の名は、イーノスとエルフルトと言った」
「イーノスとエルフルト……」
聞いたことがある名だ。
というか、さんざん聞かされた名だ。
「魔王と女神の名ですね」
「ああ。ニースは別世界で、そのように語らせているとライズから聞いた」
ライズから?
俺がぱっと視線を向けると、彼は苦笑いを浮かべながら呟く。
「ナビの記録を読んだだけだよ……」
監視をしていたわけじゃないと言いたいのか。
別に今さら、監視が増えたところで気にしないのだが。
「エルフルトという個体は、輝くような淡緑の髪をしておった。だから人間たちは驚いていたよ。彼女の従者であったニースが、あのような変化を見せたことについて」
ニースは人間たちにこう説明したという。
エルフルト様はイーノスの一派により害され、力を失ってしまった。
私はエルフルト様から新樹の主の力を一部譲り受けた。
エルフルト様がイーノス一派に奪われた力を取り戻すまで、私が新樹庁の主となる。
「それは本当のことなんですか?」
俺はたまらずそう尋ねた。
俺は今まで、イーノスという名もエルフルトという名も、ニースから直接聞いたことがない。
もしそれが本当なら、エルフルトの状態やイーノスの捜索の緊急性を、もっと前面に出してもいいはずだ。
「まあ、嘘だろう。というか、真実などワシらは興味がない。だから真偽を明らかにしようなどと、誰も考えてこなかった」
エルフルトのことを心配していたのは、人間たちだけだった。
優しい指導者であったふたりがいなくなり、ニースが強硬的な支配を敷くようになった。
人間たちは戸惑ったが、ニースは他の再構成体とは違って、その支配に隙が全くない。
ニースに逆らおうとする者など、誰もいなかった。
「おまえも同じだろう、ハーベスト。おまえが可愛がっているその人間が困っていなければ、ニースが何をしていようと興味を持たなかっただろう」
「…………」
否定はできない。
俺は今までさんざんニースに反発しながらも、詳細を調査しようなどと思わなかった。
俺は絵さえ描けていたなら、ある程度満足した人生を送れていただろうから。
「しかし、おまえが興味を持ったなら、ワシも見解を出そう。可愛い孫が困っているならば、一肌脱いでやるのがジジイの役目だ」
ガハハと笑うバルマー。
いつの間にか俺も彼の孫になってしまったらしい。
彼は笑いを引き、真剣な目で天井を見たあとに口を開く。
「おまえの孫に飲ませた球体。あれはおそらく、エルフルトにまつわるものだ。どうやったのかは知らんが、ニースはエルフルトの力を他の生物に結びつけることで、思い通りに体の設計図を書き換えることができるらしい」
「設計図……?」
「ああ。生物は、世界のひとつ上の階層にある設計図をもとに構成されていると言われている」
その設計図を、バルマーは見ることができるらしい。
おそらく、ニースも見ることができる。
「あの球体には、ニースがおまえの孫――キトライドの体の設計図を書き換えるための命令が仕込まれている。たぶん、実験だろう。トライフルの人間にも、この球体を作用させることができるのか、調べている」
「…………」
「詳しいことはわからんが、ナビに書かれた情報によると、再構成体と同じ体にする命令が仕込まれていた。上手く動いていないようだと、ナビは判断していた」
「キトは、人間の人生を大切にしていました。再構成体にはなりたくないと……」
バルマーは顎に手を添える。
すこし考えてから、言葉を返す。
「人間の意思というのが、その書き換えの命令を拒絶することができるのかもしれん。しかし、その拒絶がいつまで通用するのか、一度破られたときに命令に逆行できるのかはわからん」




