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交錯世界の風見鶏  作者: 小柚


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第21章(3)

 俺の悪い癖だ。

 考えが煮詰まってしまうと、しばらく動けなくなる。

 美術館に戻った俺は、着替えもせずに自分の定位置であるスツールに腰掛けて、ぼんやりしていた。

 作業着ではなく正装の俺は、ここでは奇妙に映るだろう。誰も話しかけてこない。

「ハーベストさま。今度はキトライドが呼んでいます」

「…………」

「はやく行って、方針の変更を突きつけましょう」

「うるさい、黙れ――」

 鋭い声を出してしまい、俺はぞっとして顔を上げた。

 周りにいた客はわずかだったが、聞こえてしまったのだろう。

 彼らは俺の視線を受けて、怯えたようにして逃げていった。

 人間にとって、俺は怖い存在なんだなと再認識した。

 特にこんな格好をしていたら尚更。

 再び俯いて、動きを止めていた俺に、場違いなほど平坦な声がかけられた。

「これが新作? いい絵じゃないか」

 弾かれたように顔を上げる。

 そこには赤毛の少年が、エリスの絵を見上げて佇んでいた。

「…………」

 いつものように応対ができない。

 俺は微妙な顔をしていただろう。

 しかしライズは平然として、絵の鑑賞を続けていた。

「不思議な色だね。なんでキラキラするの? こんな絵の具、見たことがない」

「……あ、ああ、それは翠雲母といって……」

 たどたどしい口調ではあったが、解説をした。

 ライズは興味があるのかないのかわからない平坦さで相槌を打ち、しばらく俺に話を続けさせた。

「よくわかんないけどさ、きみが熱意を持ってこの絵を描いたのはわかるよ。いい絵だと思う」

 ライズは締め括りに、そのように褒めてくれた。

 普段なら嬉しかったと思う。理解しきれていない感想でも、価値を認めてくれたら喜んでいたと思う。

 しかし、いまの俺はそういう気持ちにはなれなかった。

 焦りと、もどかしさと、すこしの苛立ちが、目の前の罪なき観客に漏れ出してしまった。

「いい絵が描けたところで、なんの意味もない。俺はこの絵に描いたものを守れない。未来を祝うために描いたのに、結局は過去を飾る絵になる」

 俺は吐き出しながら、頭をぐしゃぐしゃに掻いた。

 何が言いたいんだ。何をぶつけているんだ。

 ライズはただいつものように、絵に感想をくれただけなのに、どうして俺は会話の腰を折るようなことを言うんだ。

 ほら、困惑しているだろう……?

 俺はそう思って視線を上げたが、ライズの表情は思っていたのと違った。

 彼は無表情に、俺を見下ろしていた。

「……何かあったの?」

「…………」

 俺はすこし逡巡したが、堪えきれなくなって浅く頷いた。

「話くらい聞くよ? ぼくで良かったら」

「………………」

 ライズに話したら、巻き込んでしまうのではないか。

 以前のようにゼノがやってきて、ぶち壊していくんじゃないか。

 考えが巡ったものの、俺は随分と疲弊していた。

 錬石を食べているから、昔のように体にヒビが入ることはないが、気持ち的にはあのときくらいには余裕がなくなっていたように思う。

「……悩んでいるんだ」

 そう呟くと、ライズは壁際に寄せてあったスツールを俺の隣に運び、そこに腰掛ける。

 小さな声で話せば、客やスタッフには聞こえないだろうと思わせる位置取りだった。

 俺は少しずつ話した。トライフルのこと。フォレスティアのこと。キトやエリスのこと。ニースの無茶振りを、なんとか成立させてきたこと。

 俺はライズのことをよく知らない。しかし彼はバルマーのもとで錬成種を管理しているらしい。

 ナビのメンテナンスもしている。ナビ・ベータの新機能、ウォッチとの連携で警告を飛ばす機能も追加してくれた。

 ゼノやニースほどではないが、俺の仕事を把握しているのではないかと思う。

 だから詳しい説明はしなかった。俺の思考の流れだけを説明した。

 特に質問などが挟まれなかったのを見ると、ライズに対する俺の認識は間違ってはいないようだ。

 トライフルの仲間たちと今後の話をした矢先に、ニースからまた無茶な命令が下ったことも話した。

 彼らの計画と、丸っきり正反対な内容だった。

 こんな内容を実行するわけにはいかない。

 しかし、ニースの命令に反することもできない……。

 そんなことを口にして良いのかわからなかったが、ナビもライズも発言を遮らない。

 不安になってきて、顔を上げた。ライズの言葉を待った。

 彼はいつもの無表情をこちらに向けていたが、俺の視線に答えるようにぽつりと言葉を落とす。

「べつに、きみのやりたいようにやったらいいんだよ」

 それはあまりにも他人事の発言で、俺は消沈してしまう。

 それを見て、ライズは慌てたように言葉を続けた。

「いや、突き放した訳じゃない。きみはもう十分考える力がある。やりたいこと、できること……順番に物事を並べて、よく考えてみたらいい」

「順番に並べて……」

「そう。落ち着いて考えてみたら? この話には正解なんかない。誰もわからない。きみにできるのは、きみが本当に望んでいることを、きみの手で作っていくことだけだよ」

「…………」

「きみはまだなにも失っていないでしょ。大丈夫、なんとでもなるよ」

 ――まだなにも失っていない。

 それは単純な一言ではあったが、俺の目を覚まさせるには十分なものだった。

「……なんとかなるだろうか」

「なるよ。すべてが期待通りにはならないし、時間はかかるかもしれないけど」

 失っていなければ、どうとでも――彼はそのように繰り返し、すこし寂しそうに目を伏せた。

「俺はコンフィズリーを見捨てるつもりはない。しかし、ニースのやりかたは違うと思う」

 もっといいやり方があるはずだと口にして、強く拳を握った。

「上から押さえつけるだけでは、一時的な支配だ。それではうまくいかない」

「そっか。じゃあ、どうするの」

「ニースの話も、すべてが的外れというわけではない。手段と目的を切り離して考える。手段をこちらで調整する」

 俺は画帖を引き寄せ、表紙をめくる。わずかに緑色のパステルが付着したそのページに、鉛筆を走らせた。

 ニースの今回の命令の大目標は「トライフルでの私たちの活動基盤を作れ」だ。

 その手段として、「トライフルの精霊人を本格的に手足として用いる」を与えられた。

 そして、その状態を作るための具体的な手段まで指定された。

 それが「聖地を取れ」、「私たちが自由に精霊人の力を振るえるようにしろ」だ。

 これを達成するのに「イノスマイリア共和国という国が邪魔」なわけだ。

 確かに戦力を二十名ずつに固定され、増やすには相手国の同意が必要だとかいうのはあまりにも不自由だ。

 共通の敵であるファロウの戦力を甘く見積もりすぎている気がする。同盟国同士で牽制しあっている場合ではないだろう。

 しかし、イノスマイリアを排除する手段として「征服するか、属国化」を指定されている。ここがキトの方針と大きく乖離する。

 そこまでする必要があるだろうか。牽制を排除できれば良いだけだろう?

 さらに言われたのが、「聖地の周辺、白嶺地区だけでは足りない。ファロウ領を含め、国境の森すべてを精霊人の自治区として確保しろ」。これは要するに、ファロウと一戦交えろという命令だ。

 コーデリアは以前、ファロウは森に侵入し、精霊人の資源を勝手に持ち出していると言っていた。

 恐らくニースが言いたいのは、戦争資源となる精霊石をこれ以上ファロウに持ち出させるなということだ。

 続く「精霊人の自治のためにフォレスティアの兵をコーデリアに帰属させなさい」。これは戦力が分散されたいまの状態では、ファロウと戦えないという冷静な分析かもしれない。

 そして「いまフォレスティアに蔓延する負の世論は都合が良いです。うまく利用しなさい」に繋がる。

 これは、フォレスティアにある「イノスマイリアに女神の力を持たせるな」という世論を利用して、聖地の戦力を精霊人側へ一元化しろという意味だ。

 世論を利用すること自体が目的ではない。最短で体制を組み替えるために使えということだ。

 これらを整理すると、俺がやるべきことが見えてくる。

 俺は画帖を閉じ、立ち上がった。

「ありがとうライズ。お陰で考えが整理できた」

 ライズは首を横に振る。

「いや、ごめんね。なにも力になってあげられなくて」

「十分だ。ありがとう……」

 俺はそう言いながらも、ふと考えた。

「ライズ、ひとつだけ頼みをきいてくれないか」

 そう言い直すと、彼は強く頷く。

「ぼくに出来ることなら」

 俺はすこし躊躇ったが、やはり頼んでおこうと思った。

「連晶を使うかもしれない。バルマーの許可をとっておいてくれないか」

 ライズはわずかに目を見開いたが、すぐに細める。

「わかった。なんとかしておくよ……」

「じゃあ、行ってくる」

 別れを告げ、足早に出口へ向かう。

 開かれた扉を抜けると、フライトの足元に見慣れた姿があった。

「レム」

「ハーベスト様……」

 彼女はファラミアを抱いていた。

 また泣いていたのだろう、すこし赤くなった目に胸が痛む。

「あの。お元気がないと伺って、様子を見に来たんですが……」

 話しかけづらくて、隠れていたのだろう。

 ファラミアが喃語を喋りながらこちらに手を伸ばす。

 小さな手を握りながら、口を開いた。

「すまない。しばらく美術館を空ける。いつ戻れるかはわからない」

 レムは息を飲んだが、なにも言わずに頷いた。

「必ず戻る。ファラミアの子守りを手伝えなくて申し訳ないが……」

「ハーベスト様。あなたは多くの人に必要とされるお方です。私たちのことは、お気になさらず……」

 彼女はそう言ってファラミアを強く抱いた。

 俺はファラミアから手を離し、はっきりと述べた。

「俺の家はここだ。必ず戻る」

 それじゃあ、と別れを告げて立ち去ろうとすると、レムのか細い声が聞こえる。

「お帰りを、お待ちしております……!」

 俺は振り返り、笑顔を送った。

 彼女も泣きそうな顔で、へにゃりと笑った。


「キトが呼んでいたんだったな」

 フライトでトライフルに向かいながら、ナビに確認する。

 ウォッチにリンクし、キトの映像を流してもらう。

 いつものように公務をしている。

 式典の準備のようにも見える。

 まずいな、と思った。俺に台本を読ませる準備をしているのだろう。

「キトライドに方針の変更を突き付けましょう」

「……まあ、そうなんだが……」

 どうしようか。すぐに台本を読めと言われたら。

 俺はウィディアに到着後、しばらく上空を旋回した。

 キトの居場所をウォッチで探った。

 珍しいことに、聖堂にいるらしい。

 式典は聖堂前の広場で行われるようだ。

 そこには演台がある。格式高そうな設備だ。建てるのは時間がかかっただろう。

 しばらく旋回しながらキトの様子を見ていたが、彼が広場に出てきたタイミングでフライトを地上に向かわせた。

 フライト用に開いているらしいスペースに、ふわりと降り立つ。

 すぐにサリーが駆け寄ってきたのを、キトが押し退けた。

「やっと来たか。待ってたよ、ハーベスト」

 彼は演台を示して、嬉しそうに語る。

「あんたが来たら、さっそくやろうと思ってた。まずは打ち合わせをして……」

 申し訳なく思った。あれだけの設備を用意するのにも、多くの人間が動いたのだろう。

 しかし、いまさら予定通りには進められない。

 ――あんたはもともと、俺たちの事情なんか気にしちゃくれなかっただろ。

 以前、キトに言われた言葉がふと浮かんだ。

 俺は少し、気にしすぎていたのかもしれない。

 相手を尊重することと、すべてに遠慮することは違う。

 今はまず、キトに話さなければならない。

 静かな場所で。ふたりだけで。

 俺は無言で着火する。

 『上昇』の錬成術を練りながら、キトの腕を掴んだ。

 ぎょっとするキト。

 俺は構わず彼を引き寄せて、そのままフライトの背中に飛び乗った。

「ハーベスト様?!」

 サリーが慌てて駆け寄ってくる。

 俺は無視してフライトの翼を広げた。

「え? どしたの?」

 翼の根元を掴みながら、キトはうろたえている。

「話が変わった。式典は中止してくれ」

 俺はそれだけ口にして、即座にフライトを離陸させた。

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