第21章(1)
ファラミアはすくすく成長していた。
レムはたまに美術館に彼女を連れてきて、俺に元気な様子を見せてくれた。
「段々と、君に似てきたな」
「そうなんです。この子は私似なんです」
ファラミアは明るい茶色の髪をしている。レムに似て、すこし癖のある猫毛だ。
あー、あー、などとまだ言葉にならない声を発しながら、俺に手を伸ばしてくる。
「ハーベストさまが好きなところも、私に似ましたね」
「…………」
ありがたいことなのだが、それについてはコメントを控えた。
父親であるロミを差し置いて、そのような過大な好意を受けとるわけにはいかない。
「その絵に描かれているお子さまも、もう一歳になる頃ですかね」
「ああ。確か、八月の終わり頃に生まれたはずだ」
ちょうど今頃だ。
ファラミアはファラルドより三か月ほど遅く生まれた。最近、つかまり立ちができるようになったと聞いている。
ファラルドに最後に会ったのも、ちょうどそれくらいの月齢だった。あれ以来、なんとなく気まずいまま、三か月ほど経ってしまった。
「赤子の成長は早いですから。たまには会いに行ってあげてはどうでしょう」
「…………そうだな」
もうすぐ絵が描き上がりそうだ。
エリスのところに報告に行かなくてはならない。
キトに借りていた画帖も、返さなくてはならない。
俺は画帖からエリスのラフ画を丁寧に切り取って、その絵をレムに差し出した。
「これを貰ってくれないか。わけあって本人のところには持っていけない」
「えっ! よろしいんですか?!」
レムははちきれんばかりの笑顔を浮かべて言った。
「最高の贈り物です! ありがとうございます!」
ファラミアを抱いているために、いまは受け取れない。あとでロミに渡しておいてほしいと言われた。
最高の額縁を用意しておかなきゃとはしゃぎながら、レムは踊るような足取りで帰っていった。
大袈裟だなと思いつつ、その様子に心が温まる。
キトにもプレゼントしたら、喜んでくれるだろうか。そんなことをぼんやりと考えた。
祝いの言葉は贈っても、物を贈ったことはほとんどない。
人間は、親しい相手の祝い事に贈り物をすることがよくあるようだ。
ファラミアが産まれたときに、レムは仲間たちから色々な物を贈られていた。
人間の真似事をするのは気恥ずかしいが、あれほど喜んでくれるならやってみてもいいかもしれない。
俺が贈れる物と言えば、絵くらいしかないのだが。
それにしても、いい絵が仕上がった。
感情の浮き沈みにつられて、色づかいはずいぶん迷走したが、なんとか予定通りの鮮やかな緑色のグラデーションが描けた。
ファラルドに洗礼の言葉を与える、エリスの堂々たる姿。天井の採光窓から差す光を受け、画面に仕込んだ翠雲母が複雑な輝きを返している。
とてもいい出来だ。しばらく話題になるだろう、とロミも言っていた。
すこしくらい美術館を空けてもいいかと思った。
俺はいつもの正装に着替えてトライフルへと向かうことにした。
「ウィディアに行ったら、受付をしないといけないのだろうか」
前回のことを思いだし、俺はぼやいた。
「なんのことですか?」
ナビはとぼけた声を出す。
「サリーとかいう人間が、俺の行き先を管理すると言っていただろう」
キトは無視をしろと言ったが、さすがにまずいだろう。彼女は妙な噂話を消すために、あの立場に就いたのだと言っていた。
「ハーベストさま。あなたはいささか気を遣い過ぎる気がします」
ナビは小言を漏らした。
「人間は下位生物です。動向を気にする必要はありません」
「……ウィディアに寄らずにエリスのところに行くのはいいかな」
民衆に行動を見られなければ良いのだろう?
「ハーベストさま。ナビの意見を無視するのであれば、質問をしないでください」
燃料の無駄遣いです、とピシャリと言われた。
やはりナビも燃料で動いているのか、などと無駄なことを考えながら、トライフルの空へと躍り出た。
フライトに雲化の機能を使わせながら、俺はまっすぐエリスのところに向かった。
「ハーベスト様! よくぞお越しくださいました!」
到着するなり、満面の笑顔のロナルドが出迎えてくれる。
「エリス様に会いに来られたんですね?」
「ああ、まあ……」
「すぐに人払いをします!」
「…………」
ありがたいのだが、そこまで気を遣わなくてもいいのに。
エリスやロナルドのほうが忙しいだろう。俺はただ絵が描けたことを報告に来ただけなのだから。
来る度に様子が変わっている。
エリスの間には調印式のときに設置されていた長机は今はなく、教壇と長椅子が並び、聖堂の礼拝堂のようなレイアウトになっている。
聖堂の女神像のような位置にいるエリスと向き合った。
「ようこそお越しくださいました、ハーベスト様」
「ああ、忙しいときに、申し訳ない」
「ハーベスト様は最優先のお客様ですから」
「…………」
いまもフォレスティア国民はみんなその認識なのだろうか。
どうにかならないものか、と思った。
「たいした用事ではないんだ。すぐに帰る」
そう前置きしてから、エリスに絵の完成を告げた。
「とても良い絵に仕上がった。みんな喜んでくれている」
「そうですか、それは良かったです」
「…………」
報告は以上だった。新しく見せるものがあるわけでもなく、絵の色合いの工夫やもらった感想の詳細を伝えたところで、エリスが興味を膨らませるとは思えない。
わずかな沈黙が流れたのち、エリスは俺の脇に抱える画帖に目を落とした。
「それはどうするんですか」
「ああ、これはキトに返却する。君の絵は外してある」
エリスが気にしているのはそこかと思った。
しかし彼女はすこし不安げな顔をした。
「返却の必要はあるのでしょうか。それはキトライド様があなたに贈られたものなのでは」
「…………」
確かに、使い古された画帖など返却されても困るのかもしれない。パステルを返却するときも、キトは難色を示していた。
「だが、返却することを約束した」
俺は内心焦っていた。返却しなくてもよいとなると、あちらへいく理由がひとつ消える。
他の理由と言ったらファラルドの様子を見ることだが、呼ばれてもいないのにその名目で訪問すれば、また迷惑がかかるかもしれない。
「それは困る。返却を理由に訪問する予定だった。これがなければ、なんと言ってキトに会えばいいかわからない」
思わず口走ってしまうと、エリスが面食らった顔をして呟いた。
「別に、理由などなんでもいいでしょう。フォレスティアの統治について、指示をしに来たとでも言えば……」
「いまは休暇中だ。女神の神託はない。俺個人が君たちの国作りに不用意に口を出せば、君たちを困らせるだろう?」
「…………」
エリスは言葉を探すように、視線を泳がせた。
まずいことを言った気がした。
近頃、エリスには余計なことを言ってしまう。
もしかしたら、彼女ならわかってくれるんじゃないかと期待しているからかもしれない。
キトと違い、明確に人ではなくなったエリス。
でも彼女は、人である感覚を全て失ったわけではない。
生まれたばかりの、中途半端な半神――俺と似たような存在であると感じていた。
しかし彼女は困惑している。俺はふと気が付いた。
キトに依存する代わりに、エリスに依存を始めてしまったのだろうか……。
どこまでも情けない。当事者にならねばならないと反省したばかりなのに、もう忘れてしまったのか。
俺は頭を垂れながら言った。
「申し訳ない。責任を放棄しているわけではないのだが……」
先日ゼノにも指導された。
俺の立場をわからせてやると言われた。
連晶一粒で、全てを圧倒してしまう事実を見せつけられて怖くなった。
女神の使いとして協定に名を連ねたのに、俺はまだ一介の絵描きでいたいのだろう。
しかし同時に、一緒に頑張ってきたキトやエリスに置いていかれたくないとも思っていた。
エリスはまだ悩んでいたようだが、ゆっくりとこちらに目をやり、口を開いた。
「そうですね……。差し出がましいかもしれませんが、私から提案があります」
エリスは、キトをここに呼んでくるように言った。
「あなたの応接係として、ロスウェル家のご息女が任命されたと聞きました。彼女を通して、キトライド様をこちらに呼んでください」
「ここに呼ぶのか? 何の用件で呼ぶんだ」
「三者で話したいからと言うのです。詳しい内容を伝える必要はありません」
俺は彼女の言う通りにした。
フライトでウィディアの聖堂に降り立ち、迎えに出てきたサリーに一言告げる。
「キトライドを呼べ。今すぐだ」
「は、はい、わかりました! お部屋でお待ちいただけますか?」
「ここで待つ。今すぐ呼んでこい」
「か、かしこまりました!」
強気に出たお陰か、サリーは前回のような甘えた声は出さなかった。
すぐに使者を飛ばし、すこし離れたところに控えている。
キトが戻ってくるのは早かった。
馬車から飛び降りたキトは、慌ててこちらに駆け寄ってきた。
「何々? 急用? 女神の神託?」
「いや……違うんだが」
俺はちらりとサリーを見た。こちらの会話を聞き逃すまいと、耳を澄ませているのがわかる。
「いまからエリスのところに行く。一緒に向かおう」
「え? 今から?」
怪訝な顔をされた。
キトはあまり彼女のところに相談には行かないのだろうか。移動装置があるから、フライトよりも早く行けるのに。
「エリスと打ち合わせをする」
詳しい説明はせず、俺は頑としてその態度を貫いた。
キトは困惑しながらも、「わかった」と答えた。
聖堂に神官たちを集めてもらい、エリスのもとに運んでもらう。
“聖人ふたりと女神の使いが会談を行うらしい”と即座に話が伝わって、神官たちは緊張の面持ちで俺たちを見ていた。
「そんな大袈裟なもんじゃねぇよ。なあ、ハーベスト?」
キトはそう尋ねてきたが、俺は何も言わなかった。
エリスのもとへ無事に帰り着くと、そこには見覚えのある人影がもうひとつあった。
長い銀髪、紺の正装を纏う女性。コーデリアだ。
三人で話すのではなかったのか。
「お待ちしておりました、ハーベスト様、キトライド様」
「……急に呼びつけて、何のつもりだ」
不機嫌に睨み付けるキトに、エリスは涼しい顔で答える。
「話し合いの必要性を感じたので、お呼びしました」
お座りください、と促される。
最前列の右端にコーデリアが座っていた。俺とキトも、それぞれ距離を取って腰を下ろす。
久しぶりに顔を合わせた四人は、それぞれどこか気まずそうな表情を浮かべていた。
「話し合いの必要性って何だよ」
キトがまず口火を切る。
「ロナルドを通じてあんたとは話してるだろ」
「ロナルドはたまに妄言を吐くことがありますので」
おお。俺はつい感心してしまった。
従順な娘だった頃のエリスからは到底出てこなかっただろう、強い言葉だ。
「妄言ってなんだよ」
「私とハーベスト様の関係について少々、妄想を交えて語る部分があります」
「…………」
キトが一瞬黙ったところで、エリスは「それだけじゃありません」と畳み掛けるように言葉を続けた。
「ロナルドは私の神格化を進めようとしますが、そのようなつもりはありません。私はあくまで聖人。キトライド様と同格であると扱っていただきたく思っております」
「同格……」
「同格です。だから呼びました。ハーベスト様と話す権利は私にも、あなたと同じくらいあるとご認識いただきたいです」
これは公的な立場の確認です、とエリスはキトにやけにはっきりと告げた。
「…………」
再び黙るキト。なんの話をしているのかよくわからないが、彼らには大切な確認なのだろう。
コーデリアはひとり、退屈そうに髪の毛をいじっている。
「内輪揉めはよそでやってよ。早く本題に入りましょう」
彼女はつまらなそうに呟いた。
「あの協定で落ち着くと思っていたのに。どうしていま、緑目の兵隊同士でギスギスしているのかしら。その話をするんじゃなかったの?」
「はい、そうです。現在、私の兵士たちの間で確執があることを皆さんにご相談したいのです」




