六界 アリス ①
「あれは…夢じゃなかった…絶対」
入学式の翌日、黒鋼マリーは間違いなく睡眠不足だった。
過去に経験したことのない、そんな異常な体験。
本当に「宇宙人」がいるという事実と黒づくめの少女。
それは安穏と過ごしていたマリーにとって、信じていた常識が崩壊するのに十分な現実だった。
「やだなぁ…今日は休みたいなぁ…寝不足だし」
しかし「宇宙人」という現実が存在するのと同時に、待ちに待った高校生活が始まったというのも、それは紛れもない事実ではある。
昨日の今日で、入学二日目から欠席というのはさすがにどうか? とマリーは思い直す。
「…仕方ないよね」
昨日のような出来事はかなりのレアなはずだと考えたマリー。
そうでなければ世間はもっと死亡記事であふれ、人々は殺伐としているはずである。
マリーはそんな都合のいい考えで自分を無理矢理納得させ、着替え始めようとパジャマのボタンに手をかけた。
その時 ---
「マリー、おいマリー、朝だぞ起きろー」
「えぇ…兄貴?」
あまりに危機感を感じさせない能天気な声が部屋の外から聞こえる。
五歳年齢の離れた兄の聞き飽きた声、その平和そうな声にマリーは少しの面倒臭さを感じていた。
「なによ兄貴、私もう起きてるから大丈夫だよ」
「おっ、そうかそうか。了解ー」
これから着替えだというのに無遠慮に入室されるのは、兄妹といえど少し困るとマリーは考えた。
安心した兄はそのまま去るかとマリーは思ったのだが ---
「あぁ、そうそう、もうひとつ大事なことがあったんだ」
「何よ? 入って来ないでよ? 今から着替えるんだから」
なぜか粘る兄の行動に、マリーは迷惑さ全開の声で返した。
「誰が入るかー、 うん、あっ今日な? 叔母さんがうちに来るらしいんだ」
「叔母様が? なんで? 」
「さぁ? 詳しくは聞いてないなー」
--- 父方の妹、その叔母をどうやらマリーは実の兄よりも大切に思っているフシがある。
そう見えることについては少し複雑な想いはあるが、兄にとっても叔母に対しては、自分が幼い頃より可愛がってもらった記憶がある。
それは今でも懐かしい記憶として思い出されるため、幸い叔母に嫉妬するといった感情は湧くことはなかった。
それに加え、叔母はマリーだけを贔屓にすることもなく、自分も叔母に遊んでもらったという良い思い出しか持っていない。
すでに成人している兄にとっては、叔母を好きだとわざわざ公言するのは、さすがに気恥ずかしいという想いもあり、単に照れ臭いというのが一番の理由以外にはない。
「美佐緒叔母様って…まだひとり暮らしだっけ?」
着替えながらマリーはまだ兄と会話を続けていた。
さっきまでの邪険な態度とはうって変わって、叔母の話題になるや、途端に饒舌になっている。
「あぁ、たぶんその話で来るんじゃないかなー? ほら、少し前に親父が叔母さんに縁談を持ちかけてただろ?」
「うーん…」
ようやく着替え終えたマリーは自室のドアを開ける。
「叔母様、お見合いして結婚しちゃうと思う?」
「俺はしないと思うぞ?」
「そうだよね…叔母様の性格なら…」
「もう五年ぐらい経ったのかな。けど、まだ忘れてないと思う」
「うん…」
そんな会話をしばらく二人は続けていたものの、昨日話し込んで遅刻しそうだったことをマリーは思い出し、それ以上の会話は打ち切った。
--- 昨日の出来事など知る由もない同級生たち、本日も教室の中は騒がしい声で満たされている。
「マリーちゃん、おはよう!」
「あー、うんおはよー」
気の抜けた返事をマリーは雛に返した。
たぶん昨日のことが気になって仕方ないんだろうな --- 程度の差はあれ、雛もそのことについては同様の思いを抱いていたため、気持ちは十分に理解していた。
「昨日のこと?」
「…ん? あー…そうかな」
「だよね、私も同じ」
昨日の出来事 --- 単なる都市伝説だと思っていた「宇宙人」に襲われたという現実が、マリーの脳内をずっと駆け巡っていた。
事件に巻き込まれたというのに、すでに落ち着いた様子の雛の態度は、マリーにとってかなり意外に見えている。
「けど私としては、あの宇宙人よりも全身黒い服の女の子が気になるのよね…」
マリーは隠すことなく素直に、雛にもやもやしている本当の原因を伝える。
「うん、そこは私も気になるな」
「雛と似た髪型だったけど…知り合いってわけでもない?」
「初対面だよ。ん-…けど少し似た感じかなぁ…? 私の方が少し短いと思うけど」
雛の弁によると、特に珍しい髪型でもないため、街中でも自分と同じシルエットの女の子とは頻繁に遭遇するとのことだった。
「まぁ、確かにそうかな? 雛の方が少し短いよね」
「魅麗ちゃんも同じ意見だったよ。別に珍しくもない髪型だから特定できないって。私もそうだけど、魅麗ちゃんもあの子の顔ははっきり見てなかったの」
--- 唯一彼女の顔の一部を目撃したのはマリーだけだった。
それはおそらくただの偶然だったのだろうが、マリーにとっては何か心に引っかかる事実だった。
「ねぇ聞いてよ! 今朝も会えなかったのよ! どうなってるのよ!」
「え? は?」
「だから! 昨日説明したでしょ!? C組の六界アリスと今日も会えなかったの!」
昼休みになり、教室の中はそこここで友人同士が机を並べて昼食を摂る風景が広がっていた。
一部で話す声が騒がしく聞こえるも、それ以上にうるさい声を発した魅麗に少し注目が集まる。
「というかさぁ…あんた、他のクラスになんで堂々とお昼持って座ってんのよ?」
わざわざ自分の椅子まで持参し、雛とマリーの横でパンを頬張るツインテ少女。
「え? なに? 疑問そこ?」
「その意外そうな顔の詳細を聞きたい」
それが何かおかしい? --- と言わんばかりの魅麗の表情。
マリーはその表情を見て、「あぁ…この子に常識を説いても無駄だったか」と心の中でひとりつぶやきながら、目の前に置かれた自分の弁当に箸を伸ばす。
横で座っている雛はクスクスと笑い、どうやらこの状況を楽しんでいる様子だ。
「じゃあ今C組に行ってみれば? 今なら会えると私は思うなぁー」
「私がまだ食べてる最中でしょ! 」
自己本位極まる魅麗の発言は、マリーの表情を引きつらせるには十分すぎた。
「ねぇ魅麗ちゃん?」
「ん? なによ雛」
いつの間にか二人が名前で呼び合うほど仲よくなっていることにマリーは少し驚いく。
(いや、人懐っこそうな雛と厚かましい魅麗ならこうなるか…)
知り合って二日目、マリーはこの二人の性格をかなり意外に理解していることに改めて気がつく。
しかし冷静になった今、昨日の出来事を振り返ってみると、この三人が無事生きていることが奇跡なのかもしれないと気づく。
(…そうか、私たちは昨日被害者になってもおかしくなかったんだ…)
途端にマリーの背中に寒気が走る。
---「宇宙人は実在する」なんて、安いSF漫画じゃあるまいし。
マリーにとってはそんな現実など御免こうむりたかったが、そんなマリーの思惑などおかまいなしに、現実は非情な顔を見せる。
ただマリーが唯一理解したのは、「私たち三人は、ある意味死線を越えた関係と言えなくもない」ということだった。
それが「吊り橋効果」ならぬ、「戦友」といった意識なのかよくわからないが、本人たちは気づいていないまでも、雛と魅麗にはそんな共生意識が芽生えているように見えた。
「けどさぁあんた、他の子と比べて美人かどうかなんて、なんでそんなバカバカしいことにこだわってんの?」
マリーは一切の遠慮なしに魅麗に尋ねる。
「好意」とはまだ程遠いものの、魅麗とのそんな関係を、マリーはなぜか素直に受け入れてもいいと思った。
昨日は個人のプライベートに関わるのはやめておこうと考えていたマリーだったが、しかしよくよく考えてみれば、他のクラスで騒ぐのは明らかな迷惑行為なうえ、いつか自分にもとばっちりが来る可能性があると思い直したからだ。
魅麗のそんなバカな行為をやめさせられるならそれに越したことはない。
「…」
「ねぇ、答えてよ」
マリーの質問に視線を外す魅麗。
その態度にマリーは少し苛立ちを感じ、少し語気を荒げて再び聞き直す。
女の子だから自分が可愛く見られているかは、確かに重要な関心事であるのはマリーも同意見ではある。
しかし魅麗のこだわりは、そういう一般的な考えとは少し異なる、単に可愛さというだけではない「執着」じみた空気をマリーはおぼろげながら感じている。
「…別にいいじゃない、私の勝手でしょ」
あくまでも言葉を濁してしらを切る魅麗。
個人の勝手で済ませられる限度はすでに超えている
---なにしろマリーは、昨日罵られて嫌な思いをした「被害者」なのだから。
そんなマリーと魅麗のやり取りが続く中、まさか二日連続で同じようなことが起こるとは、当の本人たちにも想像できなかったのだった。
「最河って…どいつ?」
まだ昼休みが半分も過ぎていない時間、昨日と似たような出来事が再び起こる。
教室のドアがなんの前触れもなく開き、そしてそこに立っている別のクラスの女の子が静かに質問を投げかけた。
---二人目の魅麗?
マリーも、クラスメイトたちさえそんなことを思い浮かべながら、一斉に声のする方向を見る。
腰までの長い銀髪が、廊下から照らされる陽の光に反射し、その姿は否応なく人目を引く。
そこにいたのは、少し幼い顔立ちの美少女 --- 六界アリスだった。




