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羅生門の手紙

掲載日:2025/12/02

 大正十二年、五月の雨が浅草の石畳に薄く光っていた。

 私は、作家の芥川龍之介に頼まれ、彼の手紙の整理を手伝っていた。

 机の引き出しには、差出人不明の封筒がひとつだけ混じっていた。


 封蝋には、獣の爪のような跡。

 裏には、読めない文字。

 ただ一行だけ、かろうじて判読できた。


 ——“羅生門にて、今宵、主を返す。”


 芥川は苦笑しながら言った。

 「随分と趣味のいい悪戯だね。だが、羅生門なんてとっくに無いじゃないか。」

 そう言いながらも、指先がかすかに震えているのを私は見逃さなかった。


 夜、手紙の封を切ると、中から細い髪の毛の束が落ちた。

 黒く、濡れたように艶やかで、しかし触れると冷えきっている。


 「これは……まさか。」


 その瞬間、玄関の戸がトン、と叩かれた。

 夜更けの浅草に訪問客などあり得ない。

 私は恐る恐る戸を開けた。


 誰もいなかった。

 ただひとつ、濡れた足跡が廊下に並んでいた。

 村雨のように細く、軽い足取りで。


 芥川は足跡を見て、息を呑んだ。

 「この足跡……知っている。」


 彼は手紙の封蝋を指で撫でた。

 「これは、かつて書いた物語の亡霊だよ。」


 確かに——

 足跡は途中でふっと途切れている。

 人が消えたのではなく、“物語が終わった場所”で足跡が止まっていた。


 芥川は静かに言った。


 「物語の人物が、作者に会いに来たんだ。

  だが、彼らには“自分の最期”しか覚えていない。」


 足跡の終点には、小さな紙片が置かれていた。

 墨のにじんだ一言だけ。


 ——あなたの書いた死に方では、まだ死ねません。


 芥川はしばらく黙り、それから微笑んだ。

 「続きを書けということか。」


 私は震えながら紙を拾い上げた。

 その裏側に、もう一行だけ書かれていた。


 ——次は、あなたの番です。

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