地下室の監禁と先輩の過去
目を覚ますと薄暗い一室のベッドに寝かされていた。図書館を出て公園にいた時からの記憶が抜けている。
衣服はその時着ていた物と全く同じで乱れもなかったので、そのままここに連れてこられたのだろう。
天井から周囲に視線をうつす。近くで小さな灯りが点いていた。灯りの向こうは机と椅子がある。その椅子に人影、いや黒峰理狗が足を組み座ってこちらを見ていた。
「……ここは?」
「目が覚めたんだね。食事を持ってきたよ。この部屋は黒峰家の地下室で、昔僕が使っていた部屋なんだ」
「先輩の?」
まだ頭がぼうっとして思考が追いつかない。
先輩が近づいてくるのは分かったが、目を開けるだけで精一杯で体はまだ鉛のように重かった。
ぎしりと音がし、先輩がベッド端に腰をおろした。私の顔を様子をうかがうように覗き込んでいる。
「ごめんね、君をほんの少し眠らせようとしたんだけど、力加減を間違ったみたいだ」
「……どうして、こんなことをしたんですか」
重たい頭を動かし左右の壁を確認したが、あるのは扉一つだけだった。
彼はかすみの問いに答える。
「今は夜の8時頃だ」
「……よる、」
「黒峰家に是非とも招待したかったのに、君ときたら図書館だなんて言うから参ったよ。ここに連れてくるのに余計な時間と労力を使ってしまったじゃないか」
この状況、かすみにされた事を思えば理解に苦しむ行動だ。にもかかわらず、先輩は平然とした顔で語った。
「私、帰ります!」
「おっと、まだ力が入らないだろう?急に起きると危ないよ。ほらお腹すいたでしょ、これ食べなよ」
黒峰先輩が用意したトレイにはシチューとパン、サラダ、切り分けたアプリコットケーキが乗っていた。
彼の言う通りたしかに空腹だ。でもと逡巡する。
「警戒しなくても毒なんて入ってないから、安心しなよ」
「いらないです。とにかくここから出してください。早く帰らないと」
今朝、家を出る時、狐太郎に出くわした。怒らせてしまったが、あの様子だと夜になっても帰ってこない私を心配して探しているのではないかと想像する。
狐太郎の事を思っていると勘づいたのか、先輩は端正な顔をピクリと震わせ、疎ましげに歪めた。
「あの野狐、君の所にいるんだね。君の体から狐の臭いがする」
「……」
「山野を這いずり、何者にも慣れない野狐ふぜいが、我らあやかしと同等になろうなどと――」
「彼はもう野狐じゃない。狐太郎です。若月狐太郎」
頭痛のする頭をおさえ、私は上体を起こした。
「狐太郎の事はもういいでしょ。それより私をここに連れてきた目的は何ですか?」
「君の力を借りたい。それが理由だよ」
「私の?」
頷く黒峰先輩に私は不信げに眉を寄せた。あやかしでもない自分に、一体どんな力を貸せと言うのか。
不意に天井へ顔を向けて、先輩は言った。
「君も知っての通り、この家は狼のあやかしの一族だけど、僕には獣のあやかし特有の耳と尾がない。そのせいか霊力が他のあやかしより少ないんだ」
「元々、そういった特徴をもつあやかしもいるけど、先輩のそれは違うという事ですか?」
「……っ、」
目を見張った先輩は言葉を詰まらせた。
「……どうして、わかったの?」
「なんとなく。時々先輩の影、というか魂のようなモノが揺らいで、その時なぜか欠けて視えるんです。その外見が先天的なものであれば、他のあやかしと同じように霊力は馴染んで安定してるはずです。でも先輩の状態はどこか違和感があって……」
理由は分からないが、たまに私にはその揺らぎが蜃気楼のように視える。
苦虫を噛み潰したような顔になった先輩が、拳を握った。
「僕は妾の子でね。当主が黒峰家の崇める神に霊力を献上するため、作られた存在なんだ。方法は耳と尾に霊力をのせて献上する」
「そんな」
私は息を呑んだ。
里に来たばかりの頃の彼を思い出す。もしかしたら、あの時痛々しくも体中に包帯を巻いていたのはそれが理由だったのか。
「あの頃の僕は非力な子供でただ奴らにされるがままだった。でも今は違う。親や兄弟、血筋なんか関係ない。絶対に僕はあいつらを許さない」
「ここが先輩の部屋なのも、妾の子だから?」
「そうだよ。簡単に逃げられないようにするために作った監禁部屋だ。ここは僕にとって忌まわしい記憶がある場所だ。……今でもよくあんな目にあって死ななかったなと自分に感心する」
薄暗い室内に目を凝らせば、冷たい石床におびただしく黒ずんだ染みが幾つもあった。
「……でももう良いんだ」
「黒峰家を継ぐのは先輩なんですよね?」
「そうだよ」
彼は陰りのある顔で微笑んだ。
私は無意識に震えた。
黒峰家に対し何かしら負の感情を抱いているはずなのに、淡々と語る彼の姿に何か得たいの知れない薄気味悪さを感じた。
「でも私は協力できないです。先輩が何を私に求めてるのかもわからないし、とにかく私は帰ります」
「それはできない。君にはずっとここにいてほしい。ここに僕といると約束してくれるなら、この部屋から出してあげる。……それじゃ僕はやることがあるから行くね」
「待って先輩!」
これ以上話していても無駄だと思ったのか、先輩は私を残して部屋を出ていってしまった。無情にもガチャリと鍵がかけられる。
一人だけ取り残され、私はガックリと肩を落とした。
配膳された食事は万が一にも何か混入しているかもしれない。それを思うと安易に口にはできなかった。私はトレイを避け、ゆっくりとベッドから降りた。
机には勉強用のテキストやノート、筆記具が入った鞄が置いてあった。その中に手を入れ、スマホを取り出す。
(良かった。スマホは回収されてないみたい)
連絡手段があることに嬉々とし電源を入れた。だが電波がない。この場所は通信ができないようで、再びガックリと項垂れた。
他になにか状況を打開するものはないかと机の引き出しを開け、色々探していると、一枚の写真がひらひらと落ちてきた。
「これって」
僅かな灯りを頼りに写真を見ると、写っているのはあやかしの里にいた子供たちの写真だった。
だがその異様な画に全身が冷たくなっていく。
「……なによ、これ」
写真の中の子供たちの顔が皆塗り潰されていた。それも黒のペンで。
「先輩はどうしてこんなことを――」
――コンコン。
独り呟くと、扉を叩く音がした。振り向くといつの間に開けたのだろう。解放された扉から一人の女が入ってきた。
鋭く細い琥珀色の瞳、黒髪を後ろで纏めた女の頭部には獣耳とカチューシャ。深緑の上衣とスカート、それらを覆うフリルのついたエプロンをつけている。
見るからに黒峰家の使用人だった。彼女は食事の乗ったトレイを手にした。
「理狗様から一度食事を下膳するよう仰せつかっております。その代わりこちらをどうぞ、と」
使用人はビニール袋に入った物を差し出してきた。中を開けると未開封状態の栄養補給ドリンクと固形菓子が沢山詰め込まれていた。
「こんなに一杯」
「先程、コンビニで買ってきました。おかしな物は入っておりません。封も開けておりませんので。これでしたら気兼ね無く召し上がれるのではとお持ち致しました」
彼女の言う通り、これなら食べられそうだ。先輩にはああは言ったが、やはり空腹ではあったのだ。
「ありがとうございます」
理知的で冷たさを帯びた瞳が印象的な女性だが、私がお礼をいうと少しだけ目元を弛めた。どれもすぐに食べられる物で、出たゴミも回収するというので、彼女に見守られながら急いで食べた。
「ありがとう。ご馳走さまです」
「それでは私はこれで失礼致します」
ゴミを回収し、彼女は軽く頭を下げるとトレイを手にし、部屋を出ていった。それから少し間をおいて、私はうん?と小首をかしげた。
(あれ?今の人、鍵かけたっけ?)
扉が閉まった時、施錠音が聞こえなかった。
期待を込めてドアノブに触り力を入れると、扉が抵抗なく開いた。
彼女は黒峰家の使用人。施錠の指示は当然出ているはずだ。けれど彼女はそれをしなかった。
(もしかして、ここから出ていい。逃げてもかまわないってこと……かな?)
都合の良い解釈はさておき、そうとわかれば急いで鞄を肩にかけ、部屋を出て暗い廊下を歩きだす。進んでいくとすぐ向こうを歩く使用人の女に追いついた。




