図書館と狐太郎との出会い
図書館についた。
黒峰先輩は先に来ていて、席を取り待っていた。
「かすみちゃん、こっちだよ」
「お待たせしてすみません」
手招きする先輩に頭をさげ、勧められるままに隣に座った。
早速試験の過去問やノートを見せてもらい、大事な箇所を写していく。
「君のノート、見せてもらえる?」
「どうぞ」
数学のノートを渡した。黒峰先輩は要確認の箇所に見やすく付箋を貼ってくれている。試験で出やすい所だそうだ。
「ありがとうございます。助かります」
先輩のノートも綺麗な字で丁寧に書かれていて、頭にすっと入ってくる。結局、入学してから色々目をかけてくれる良い人だ。
……ただあの取り巻きの女の子達を除けばのハナシ、だけど。
先輩は周りに聞こえぬよう小声で囁いた。
「あの里に先生はいるけど、ちょっと物足りなかったしね」
「生徒の人数がすごく少なかったですしね。でもアットホームな良い学級でした」
里は小中学校までしかない。卒業後は皆それぞれの道を行く決まりだった。
勉強は終わり図書館を出る。彼の誘いで近くにある公園に来た。ここは静かな公園でほとんど人が通る気配がない。ベンチに座った私達は昔話に花を咲かせた。
「でもどうして君は里から出てきたの?あそこにいれば大抵の事は不自由しないよね」
「たしかに里の生活は楽しかったです。みんながいたし、でもこれは社会勉強だと思って決めたことです」
先輩は驚いたように目を開いた。
「それは本当?他にはない?」
「? それはどういう意味ですか?」
先輩は何も答えず、ほろ苦く笑った。
そして右手を空にかざした。
「あのね、あやかしの力は様々だけど、僕の場合はこう、例えばこんな事もできる」
霊力を溜めかざした手をさげ、かすみの両目を覆うように移動させた。それは不思議なことに眠気を誘った。
「……先、輩?」
「少し眠るといい。次に目覚めた時、君の世界は変わる」
だんだんと目蓋が重くなる。黒峰の力でかすみの意識はぷつんと途切れた。
◇◇◇
初めて出会った狐耳の男の子は周りから野狐と呼ばれ、名前がなかった。ずっと山奥に一人でいたらしいのだが、偶然通りかかった里人に保護され、ここに連れて来られた。
彼は狐のあやかしで理由は不明だが、親がいなかった。そのせいか里の子供が預けられる蓮見園に来てから、しばらくはずっと何も喋らず黙って一人で過ごしていた。
あとでわかったことだが、彼は言葉を知らなくうまく話せなかったのだ。
彼が来て早一ヶ月。藍色に染めた着物を着せられた彼は縁側に座り、今日も里の向こうにある山を見つめていた。
私はとと、と側に行った。
「こんにちは」
「……」
私の声にゆっくり振り向いた彼の目は、どんよりとそれでいて眼光は何処か鋭く冷気を感じさせた。
それでも怯むことなく続ける。
「あのね。私はかすみ。うつぎかすみっていうの。あなたの名前は?」
「……」
当時の私はあまり物事を気にしなく、この子狐の反応を気にとめる事もなかった。さらに沢山話しかけた。
「私も君よりちょっと早いけど、里に来たんだよ。これねぇ、変わった玩具なんだけど、一緒にやろう?」
「……」
相手の反応が薄いことをいいことに、適当に玩具をバラバラと畳に広げた。玩具は言葉遊びで、文字の書かれた積み木を並べていく物だった。
蓮見園には使い古されたけん玉や歌留多、御弾き等、昔ながらの玩具しか置かれていなかった。
何度か遊んでいるうちに彼は興味が湧いたのか、無言で積み木を並べ始めた。文字が理解できないからか、最初は時間がかかったけれど、絵もついていたので覚えやすく次第に上手く繋ぎ合わせられるようになっていった。
そしてそれはある日のこと。
いつものようにままごと道具を抱え持っていく。
「あのね、今日はこれやろう。おままごと!」
「…………なに、それ」
あやかしは人間より知能が高く秀でている者が多い。それは子供でも同じ。彼もやはりあやかしの子ゆえ、この頃はすっかり文字や言葉を覚えていた。
畳に並べたままごと道具を見て、彼はきょとんとしていた。
「ええと、私がお母さんで君は子供。でも君って名前じゃ変よね……じゃあ、狐だから、こた、こたろう。君の名前は狐太郎ね!」
「こたろう?」
「うん。私のことは、かすみお母さんって言って!」
彼はあからさまに嫌そうに顔をしかめた。あとから聞いた話だが、この理由は自分と年齢が近い少女を母と呼ぶ事に嫌悪感が湧いたかららしい。
「狐太郎、それ名前? 野狐じゃなく?」
「野狐って狐の種類みたいなものでしょ。それって個人の名前とはちょっと違うと思う」
「……うん、」
その名が気に入ったのか、目を輝かせた彼は何度も『狐太郎』と呟き反芻していた。なんだかとても嬉しそうだったので、それ以来、ままごと以外でも狐太郎と呼ぶことにした。
そしてある日、絵本を読み頁を捲っていると突然私の指に痛みが走った。
「いたっ、……あー、絆創膏、もらってこなきゃ」
「どうしたの、かすみちゃん」
「紙で指、切っちゃった」
この頃の狐太郎はすっかり里の暮らしに慣れていて、周りともコミュニケーションができるようになっていた。
「見せてみて。血、出てる」
「あ、うん」
「治癒の術、この前教わったんだ。やってみる」
「ええっ、大丈夫だよ。そんな大袈裟な、放っておけば治るから!」
狐太郎もあやかしだ。里の法に従い他の者同様、修練の場に赴く。それは霊力を制御する術を身につけるためでもある。
断った私に構わず、彼は傷ついた指に触れ、霊力を送り込んだ。どれくらい経ったか、やがて狐太郎がむすっとし顔を上げた。
「治らない」
治癒術はあやかしが一番はじめに教わる術だが、実践はまだらしかった。彼は傷口を睨んで苛ついたように言った。
「……っかしーな。師匠がこれは初歩のやつだって言ってたのに、くそ」
「はは、もういいよ。絆創膏もらってくるね」
あやかしにも得手不得手はある。手を引っ込めようとすると、逆に狐太郎に引っ張られた。
「そうだ。こうしたらいい!」
パクッと狐太郎は傷口を、いや指を咥えた。そのまま霊力を流し、傷を治していく。
だんだん痛みが消えていったので、治癒術が成功したのだとわかった。けれどいつまで経っても彼は動かなかった。何故か放心状態で固まっている。
「こたろう?」
何度目かの呼び掛けに漸くはっと我に返った彼は、慌てて口内から指を解放した。
「悪かった、ごめん!俺、やっぱり治すの苦手みたいだ。でも治って良かった」
「う、うん」
この時の狐太郎はじゃあねと私と目を合わせる事なく、ぱっと向こうへ行ってしまった。
すっかり治った指先を見つめ、私は小首をかしげた。
そんな里での日々が続いた。
ここ数年の間に理狗君という一つ年上の狼のあやかしの子とも友達になった。人里にいた頃、事故に遭い大怪我をしたそうで、体中に包帯が巻かれていた。
あやかしの回復能力は人間より遥かにあり、彼もすぐに怪我から回復した。私達と遊んだり修練の場に出るようになったが、またすぐ両親の所に戻ることになり里を出ていった。
それからまた数年経った。
ある日、私は里長に話があると呼び出され、里長の住む御屋敷にいた。
里長と私だけいる座敷で話を聞く。話が済み、出されたお茶と茶菓子を食べ、終わったので廊下に出た。長い廊下を歩いていると縁側の向こうに見えた茂みががさりと揺れ、一瞬黒い影が横切っていった。あれは――
すると異常事態を知らせる鐘の音が里中に響き渡った。
里長の元に急いで戻り、下里を見ると、あやかしと人間の子達がいる蓮見園に火の手が上がっていた。里長の屋敷は高台にあり里中を見渡せるため、すぐに状況がわかるのだ。
私はひどく狼狽した。
カンカンカン……と鳴り響く音がやけに遠く感じた。




