引っ越しと約束の朝
教室に入ると先程と変わらず穏やかで温かな空気が流れていて私は再び席に着き、食べかけだったお弁当を食べた。
午後はあと二科目授業を受ければ、下校時間がくる。時間が経つのは意外と早く、気がつけばHRになっていた。
皆と別れ学園を出れば、陰鬱な気持ちから解消された。アパートに戻ると空室だった右隣の部屋のドアが開いていた。次から次へ運び込まれる荷物、引っ越し業者が来ていた。
(引っ越しかぁ、今度はどういう人が住むんだろう)
あまりジロジロ見ていると不振人物と疑われても困るので、早々に自分の部屋に入る。
が、背中から声がかかった。
「あ、かすみちゃん!おかえり!」
「え、狐太郎?」
隣の部屋の玄関からひょこっと顔を出した人物は、今朝里から来た狐太郎だった。彼は手にぶら下げた紙袋を私に渡してきた。
「これ、引っ越し挨拶の手土産。里降りてすぐの所にある有名な和菓子屋の月餅だよ。美味しいからかすみちゃんも食べてみて」
「あ、ありがとう。……って、え?引っ越し?今朝休んで来ただけだよね!?」
あれぇそうだっけと彼はとぼけたように顔を傾け口角を上げた。あざとい。
耳に触りたくなって手を伸ばしてみた。だが彼はすっと避けた。
「とにかく、かすみちゃん一人で暮らすって聞いて心配だから来たんだ。でもちゃんと長に許可貰ってるから大丈夫。あと荷物搬入終わったら、耳とか触らせてあげるから。今はダメ」
そういって狐太郎はさっと自分の部屋に戻っていった。
その夜、搬入が終了し一段落した狐太郎がうちに顔を出した。引っ越したばかりでまだ日用品も揃ってなく、夕飯は買ってくると言ったので、私の所でご飯をご馳走することにした。
「ありがとう、かすみちゃん」
「いいけど、有り合わせの物しかないよ?」
「全然かまわない。嬉しい」
引っ越し祝いに貰った月餅は食後に二人で頂くことにした。彼は食べ終わった食器を洗うのを手伝ってくれる。二人でやれば片付けは早い。思いのほか狐太郎は手際が良いことに感心した。
急須に茶葉と湯を入れ蒸らし、湯飲みに注ぐ所でかすみのスマートフォンが鳴った。里長からだった。
『かすみさん、変わりないかい?』
「はい」
『ところでそっちに狐太郎が行っているだろう。色々と面倒かけて申し訳ない』
「いえ、」
『それでね――』
里長からの連絡はこうだ。今年始め、里を降りた私は町で一人暮らしを始めた。
山奥で修練を積んでいた狐太郎はこの事を一切知らされておらず、偶然修練中に怪我をした。そして里の治療院で処置を受けていた時、私の話を耳にしたのだという。
『すまないね。君の事を隠すのには限界があったんだ。特にあの子は君のことには敏感だから、すぐに姿がないことを問い詰めてきてね』
「……そうですか。いえ、仕方ないです。長様のせいじゃありません」
あやかしの彼なら、私が里にいない事などすぐわかる。里長から私の住所を聞き出した狐太郎は里を飛び出してしまったそうだ。
『我々も止めたんだが、ああいう子だからなかなか納得してくれなくてね。しかし君も困った子に懐かれたものだ。そういうわけだから、本人が帰る気になるまで申し訳ないが頼むね』
普段明るく人懐っこい性格でサバサバした雰囲気の彼だが、実際は真逆だ。実は狐太郎はかなりの粘着質、加えて自分の懐に入れたものは何があっても手離さない。執着心の強い狐のあやかしだった。
里長から大体の事情を聞いた私は頷き「わかりました」と通話を終えた。
「で、長、なんだって?いっとくけど俺は帰らないからね」
「!」
ふっと顔を上げると狐太郎がすぐそばにいて、私を見下ろしていた。強気な言動とは裏腹に彼の青い瞳が僅かに揺れている。
「もう、長様も困ってたよ。修練の途中で抜け出したって……。でも狐太郎が帰る気になるまでは仕方ないって言ってた」
「俺が戻る時はかすみちゃんも一緒だよ」
優しげな顔で私を見る狐太郎。でも目は笑っていない。真剣だった。
「ねぇ、かすみちゃん。一緒に帰ろう」
「いやよ、私はここにいる。里には戻らない。それより狐太郎こそ帰って修練を――」
「俺のことなんかいい。かすみちゃんこそ、もしかして長と何かあった?それなら心配いらない、俺が何とかするから大丈夫だよ」
「! いい、それはいらない。狐太郎の助けはいらないよ」
私と狐太郎、両者譲らなかった。これではただ時間が過ぎるだけ。私は説得するのは諦めお茶をテーブルに置いた。
「……」
「月餅食べよ?」
狐太郎もこれでは埒が明かないと判断したのか、もうその話はしなくなった。敷いた座布団に座り茶をすすり、月餅を口にする。
小麦粉を丸く平たくし、中に餡とクルミを細かく砕いたものが入っている。老舗店だそうで、月餅はかなり美味だった。
「そういえば狐太郎はお金はどうしたの?引っ越しなんてかなりお金かかるでしょ」
「何年も修練してたから、お金なら結構あるよ。だから新しい部屋に必要な物は全部買って運んでもらった」
里で暮らすあやかしの子は霊力を制御する訓練から始まり、個々の特性に合った術を習得しなければならない。
そのうち里を介して様々な依頼がくる。能力があるあやかしは依頼を受けこなす事で報酬を得られるのだ。
初めて里に来た頃は互いに両親がいなかった為、二人でいることが多かった。けれどあやかしである狐太郎は修練を経て、度々不在にすることがあった。
今思い返すと他のあやかしの子もそうだった。あれは修練や依頼を受けていたのでいなかったのだ。
「他に足りない物はない?」
「その事なんだけど、かすみちゃん明日学園休みでしょ。買いたい物が幾つかあるんたけど、付き合ってくれない?」
あ、と私の呼吸が止まった。申し訳ないと首をふる。
「ごめんなさい。明日は友達と約束があって、買い物には付き合えない」
「友達。それって、……男?」
「いやいや、違うから!」
本当は同郷の黒峰先輩と図書館で試験勉強するなどとは口が裂けても言えなかった。先輩と狐太郎はお互い顔見知りで、なぜか昔から仲が悪かったからだ。
(きっと先輩と会うってバレたら、物凄く機嫌悪くなって反対されそう。それについていくって言いかねない!)
「ふーん。女の子ならまだいいけど」
「はは、」
テーブルに肘をつき顎を手にのせ、狐太郎は疑いの眼差しを向けている。私の背からひやりと汗が流れた。
「……ま、いっか。わかった。それじゃ部屋に戻る。おやすみ、かすみちゃん」
それでも先約だからと残念そうに言って、彼は大人しく自分の部屋へ戻っていった。
翌日、
玄関を開けると狐太郎がいた。
「おはよー、良い天気だね。かすみちゃん」
「……おはよう」
一応、人と会うのでそれなりの服装をと身支度を整えたのだが、それが良くなかったらしい。狐太郎は私の姿を見て一瞬ぽかんとした後、上から下までじいっと観察するように私を見た。
そして不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。
「なに、その服」
「え、何か変?おかしい所ある?」
折角、外出するのだからと以前購入した茶のトップス、ベージュのサイドプリーツスカートを着てみた。
初めて袖を通したので、どこか変な所があるかも知れない。だが一通り確認しても不具合は見当たらなかった。
私小首をかしげた。
「変な狐太郎。何もないじゃない。この服、可愛いと思って買ったのはいいんだけど、なかなか着る機会がなかったの。だから――」
「かすみ、」
買った時のことを思い出し、顔を弛ませて話していると狐太郎がその先を強い口調で遮り、ぎゅっと私に抱きついた。
相変わらずの過度なスキンシップに苦言がもれる。
「狐太郎、くるしい。離れて、匂いがまた移っちゃう」
「うるさい。俺の方がくるしい。わざと匂いつけてるんだ、ばーか」
いつも明るく、何だかんだ優しい彼が、珍しくも貶してきたことに驚いた。
やがてぱっと体を解放して、狐太郎は何も話さず自分の部屋に消えていった。




