狐太郎がやってきた
それはある晴れた朝
ピンポンと軽快に来客を告げる玄関のインターフォンが鳴った。ドアを開けると薄茶の髪をした狐耳の男の子がへらりと笑みを浮かべ立っていた。
「え……こた、ろう?」
「はは、来ちゃった」
彼は若月狐太郎。あやかしの里で暮らす私の友達だ。いつも向こうでは着物姿でいる事がほとんどなので、洋服を着ている事にも驚いた。
「こた、里の修練はどうしたの?」
彼は口角を上げた。
「師匠に言って休み貰った!だってそろそろかすみちゃんを補充しないと、って思ってさ」
狐太郎と違い、私はあやかしじゃない。
事情があり昨年まであやかしの里に預けられていたが、この春から人里に降り、高校に通うことになった。
現在はあやかしの里関連のアパートに一人暮らしである。
腰に手をあて私は呆れたように言い放つ。
「補充ってさぁ、何いってんの」
「もちろん、こーいうこと」
「!」
元気良く返事をした狐太郎はぎゅむっと擬音が出る位に私を抱き締めた。こうしていると落ち着く安心するらしく、あやかしの里で彼がいつも私にしていた行動だ。
横からふさふさの尾が揺れている。何だか懐かしくなり、触りたくなった。手を伸ばすと勘づいた狐太郎が耳元で面白くなさそうに口を尖らせた。
「かすみちゃんさぁ、俺の尻しかキョーミないでしょ」
「心外な。大丈夫、耳も好きだよ」
「…………あっそ」
いつものありふれたやり取り。大した事は言ってないのに、どうしてそんな顔を赤くしているのだろう。変な狐だ。
おっといけない。もういい加減出発しないと遅刻してしまう。私はぐーっと狐太郎を押して無理矢理剥がし、腕からサッと逃れた。
「私、学校行ってくるから。話はまたあとでね!」
「え、ちょっと待って」
玄関に鍵をかけ、私は駆け足で学校に向かった。
ここは日本。私が通う光宮学園は人間のみならず様々な種族の者が在籍している。
この国は急激な人口減少により自国民は少なくなり、これまで人間の世界に溶け込み、正体がばれぬよう生活していたあやかしや特殊能力者がだんだんと姿を見せるようになっていた。
彼らは普通の人間より遥かに能力が優れている。種族間の交流や共存を学びあえるよう創設されたのがここ光宮学園であった。
どうにか間に合った。
校舎に入り廊下を小走りに進み教室に入る。生徒達は狐太郎と同じような耳と尾を持つあやかしや角があったり瞳が赤かったり、とにかく多種多様だ。
無事席についたまでは良かったが、そのうち教室中の生徒が奇妙な顔をしざわめきだした。
「……なんだこの匂い」
「変わった獣のにおいがする」
匂いに反応し、教室内の空気が変わってきた。
私は焦った。これはまずい。
あやかしは人間より遥かに五感が鋭く敏感で、獣のように鼻がきく。
きっと犯人は私だ。何故なら今朝、狐太郎にいっぱい触られたから。
皆の方を向いて事情を話した。
「ごめんなさい。その、田舎から友達が来てて……あやかし、いえ狐の子で……」
「そうなんだ」
「へぇ、狐か。そっか、まだ山で暮らしてる奴いるもんな。でもその狐、結構強いやつなんだな、匂いでわかる。すごい霊力だ」
狐太郎のいた里は特殊で力の強いあやかし達が暮らしている。その地はまだ昔ながらの形態を保ち、より能力を磨くための厳しい修練を行っていた。
また小規模だが人間の集落も里内にあり、そこはあやかしの保護がある特別な場所だ。
私は幼い頃、そこに預けられ育った。子供に関してはあやかし、人間区別なく一緒くただ。そんな所に預けられていたせいか、あやかしを見ても特に驚くことはない。
私より少し遅くだが、狐太郎も里にやって来た。彼は山野を駆ける野狐で幼少時、山奥に捨てられていたという。その為、出自は不明だ。
そこに偶然通りかかった里の者が彼を保護し、連れ帰ってきたのだ。
この教室にいる同級生達はほとんどあやかしで、特殊な環境にいたかすみの事を理解し仲良くしてくれている。
だがこの学級は問題ないのが、最近困っている事があった。
それは――
「空木さん、二年の先輩が呼んでるよ」
授業が終わり昼休みになった。席の近い女子とお弁当を広げて食べていると、とある先輩の来訪を告げられ、私は不安な気持ちで席を立った。
そこには艶のある黒髪、黒曜石のような瞳をもつ男子生徒がいた。彼に誘導され、人気のない階段へ向かった。
「黒峰先輩、どうしましたか」
爽やかな顔で彼が私を見た。
「来週試験だから、もし良かったらこれ。去年の過去問、僕のだけど参考にどうかと思ってね」
「わ、それは助かります。ありがとうございます」
彼は黒峰理狗、年齢は私より一つ上。狐太郎と同様、あやかしの里の同郷だ。狼のあやかしだが狐太郎のような耳と尾はない。
獣系のあやかしすべてが狐太郎のような身体的特徴があるわけではないのだ。
私が喜ぶ姿に黒峰先輩がふっと笑った。狐太郎と同じくらい整った容貌に私は瞳を細めた。校内で先輩は女子生徒達から人気があると有名だ。
今も目立たない場所でこっそり話しているにもかかわらず、遠巻きに女の子達が見ていた。
「それでね、かすみちゃん。今度の休みだけど、一緒に僕の家で勉強しないかい?」
「先輩の家で勉強、ですか?」
急な誘いに驚き、無意識に体を強ばらせた。先輩の言う休みとは明日のことだ。
黒峰先輩の家はお金持ちだ。二年前まで親元から離れずっと里で暮らしていたのだが、黒峰本家の跡取りが不慮の事故で次々いなくなり、分家の子である先輩が急遽本家当主として迎え入れられた。
黒峰家は由緒正しい家柄で歴史も古く、多くの会社を経営している。本家の屋敷も相当大きく、そこには何人もの使用人が働いていると聞いた事があった。
なんとなく敷居が高い気がして、私は別の案を口にする。
「家はちょっと……それなら図書館はどうですか?」
「いいよ。本当はうち自慢のアプリコットケーキをご馳走したかったんだけど。今度作らせて持ってくるね」
「いえいえ、それは大丈夫です!」
そんなわけで明日は黒峰先輩と図書館で試験勉強することに決まった。
すると向こうから二年の女子生徒がやって来た。
「黒峰くん、刑部先生が探してましたよ?」
わかったと頷いた先輩はひらひらと私に手を振る。
「それじゃ、かすみちゃん。またね」
「はい」
去っていく先輩の背を見送り、私も教室に戻ろうと元来た道を歩こうとした時、
「ちょっとあなた、いい?」
どこか威圧的な声が聞こえ顔を上げると階段の上から、綺麗系な女生徒数人が降りてきた。制服胸元のリボンの色が違うので、おそらく彼女達は上級生だ。
ふと気づくと、いつの間にか彼女達に取り囲まれていた。
「あのね、あなた一年生よね。黒峰君と一体どういう関係なの?」
「あ、……私は、その、先輩とは同郷で……」
彼女が綺麗な顔を歪ませた。
「はぁ?彼はあの黒峰家の御曹司よ。この学園に入学する前はお屋敷でずっと専属の家庭教師から英才教育を受けていたと聞いたわ」
「あなたみたいな普通の人間が大妖の血をもつ黒峰君と並んで話すだなんて、図々しいのも大概にしなさい」
「小賢しい人間。色目使ってんじゃないわよ」
口々に罵詈雑言が飛んできて圧倒された。不用意に反論すると、さらに罵られそうなのでひたすら沈黙し耐えた。
やがて何の反応もなく俯いていた私の態度に飽きたのか、一人の女生徒が舌打ちした。
「とにかく彼とあなたは住む世界が違うんだから、今後は近づかないで頂戴!わかったわね!」
「……はい」
こっちだって好き好んで近づいた訳ではない。先輩の方から一年生の教室に来て、私を呼んだのだ。
言い返してやりたくて、途中声が喉まででかかったがぐっと堪えた。
「ふん、行きましょ。こんな子に構ってる時間が勿体無いわ」
女生徒こと黒峰先輩の取り巻きは散々悪態をつき、階段の向こうに消えていった。
嵐が過ぎ去り、はぁと息を吐く。とぼとぼと私は自分の教室に帰った。




