縦坑斥候、三回のカン
朝の工業区は、鉄の管が白い息を吐いていた。
鍛冶ギルドからのD任務は、北側分工房の縦坑での救援。昨夜から通信が滞っており、先行した古参操機士と坑夫二名の安否確認――そして引き上げまでが札に記されている。
受付で札を受け取るとき、端末に赤い注記が点った。
《注意:坑内マナライン断続/共振多発/音響伝達は良好(鋼索経由)/毒性ガス注意》
(音は通る……合図が活きる)
ヤードへ戻る。親方は私を見るなり、短く顎を上げた。
「縦坑か。音が道になる。……三回叩いたら、止まれだぞ」
三回のカンは、この街の操機士にとってSOS合図だ。
「了解。三回はSOS。二回は帰還成立」
「忘れるな。祀る前に、冷やせ。人を先に」
私は頷き、ハーネスを締める。胸スリットの石は静かだった。怖いほどに。
◆
縦坑の口は、工房の裏手に黒い穴を開けていた。鋼索が何本も沈み、滑車の梁が朝霧を切る。坑口の縁に残る擦過痕。昨夜、誰かが急いだあとだ。
《現地診断:音響路=良好(鋼索/梁)/マナ霧=濃度変動±12%/通気=弱》
《救難対象:操機士×1/坑夫×2/機体×1(旧式)》
《プロトコル:斥候→救助→撤退(優先 人>機体)》
梯子は幅が狭い。グレイハウンドの肩をたたみ、最低限の姿勢で降りる。
十メートル。二十。鉄骨が軋み、音が深くなる。
そこで、響いた。
カン、カン、カン――。
乾いた金属の三打。鋼索が道になって、私の胸骨を鳴らす。
《救難合図受信:SOS(三打)/方向:下方 40~60m/遅延:0.4s》
(間に合わせる。三分を、分割して使う)
呼吸を整える。一拍吸って、二拍吐く。
私はHUDに短い設計を落とす。
time_budget {
降下: 30s(梯子+滑車沿い)
救助Fix: 60s(人間2名:担架→昇降索固定)
旧機体: 30s(切離/ログ抜き取り)
上昇: 50s(停止点3箇所)
余白: 10s(事故対応/HB)
}
HBは0.8s刻み。安全マージンは0.2s。
無駄噴きは、即、死。
◆
底層に近づくにつれ、霧が濃くなる。ヴェイルを厚くしない。擦過は受ける。
岩棚の影に、光の破片。機体の目。
操機士がいた。片膝で坑夫に肩を貸し、もう一人が壁にもたれて座っている。
旧式の青いアストラは横倒しだ。肩のフレームが折れ、油が岩肌に黒く滲んでいた。
「灰色の犬か」
操機士がかすかに笑い、すぐ顔をしかめる。
「ダメだ、来ては。俺の三回は、3分で戻れる者に向けた合図じゃない」
「来ました。三回が聞こえたので」
私は答えながら、人間側の評価を先に走らせる。
// rescue::prioritize()
for each target in {minerA, minerB, veteran}:
breath = mic.pickup(target);
phase_noise = veil.microphase(target);
score[target] = weight(breath.regularity, -phase_noise, mobility);
sort(score, descending); // 人を先に
《優先度:坑夫B>坑夫A>操機士》
(操機士は歩ける。自分で歩くと言う顔だ)
「機体は置け」
操機士が言う。
「記録は俺の署名で出す」
喉が鳴る。私は一瞬だけ石を見る。石は答えない。
(祀る前に、冷やせ。人が先)
「ログの署名権、移譲。あなたがログの署名を」
「了解」
私は担架を展開、倒れた坑夫の胸に手を当てる。呼吸は浅いがある。
ヴェイルの縁を針の目に絞る。狭所で薄く走らせ、岩角に膜を引っ掛けない。
担架を昇降索に固定。
その間に操機士が坑夫のもう一人を抱え、私が索のバランスを取る。
「HB、0.8」
私の声に応じて、グレイハウンドの脚部が短く唸る。
滞空、安全マージン0.2。
担架が滑らかに持ち上がり、梁の影へ消える。
《残:坑夫A+操機士/青いアストラ:横倒し》
操機士が青いアストラへ目をやる。
……多分、長く共に歩んだアストラだ。
それでも。
「置いていく」
旧友――彼の青いアストラ――を置いていく。
操機士は言う。喉の奥で、その言葉が割れた。
私は胸スリットへ端末をつなぐ。青いアストラに残るログを圧縮して抜く。
ベイの規格が古い。変換を噛ませる。時間を食うな、焦るな。
《log_dump: 68%→91%→完了》
《署名権:操機士へ移譲/記名:ベテラン操機士(ID: redacted)》
(機体は置く。記録は、持ち帰る)
坑夫Aを索へ。操機士は自分で上がる。私は最後尾で支える。
上昇の三分割。途中停止三回。HBは温存。
通気の薄い層に入ると、頭痛が鋭くなる。石がわずかに私の呼吸へ追従した。
(駄目だ、追従させるな)
// calm::reverse_phase()
breath.sync(inhale=1, exhale=2);
inject(veil.control, counter_phase);
if (pulse > +15%) force_idle(400ms);
膜が静かに落ち着く。人間側ガードが一瞬だけ働き、推進がアイドルになる。
足場が揺れる。落ちるな。安全マージン0.2。
操機士の背が、上の光へ近づく。
その時だ。
坑壁の奥、折れたフレームがきしみ、青いアストラの胸がかすかに明滅した。
石が、庇うような波形で一度だけ揺れた。
(見るな。祀るな。置け)
私は顔を上げる。
——上で、二打が返った。
カン、カン。
梁が喉の奥で鳴る。
帰還成立の合図が、坑内の空気を震わせた。
「行くぞ」操機士が言う。
「行きます」私は答える。
◆
坑口の光は、遠くて、近い。
HBを0.8で一度だけ踏む。安全マージン0.2。
坑夫たちの担架が光へ出る。操機士の背が続く。
最後の縁で、ヴェイルの膜がぱちぱちと毛羽立った。
石温、+6℃。位相相関、+0.4°。許容内。
私は膝で体を押し上げ、坑口を跨ぐ。
《3》
《2》
《1》
坑外の冷気が肺に刺さる。
《0》。
膜がぱんと音を立てて剥がれ、重力が生身でのしかかった。
吐く息が白い。指が震える。
「……置いてきた」
操機士の声が低く割れる。拳が震えている。
彼は自分の胸のタグを外し、端末に接続した。
私は黙って頷き、ログの見出しを書き始める。
mission_log {
任務: D-縦坑斥候・救助
救助: 坑夫2/操機士1(自力)
遺留: 旧式アストラ1(座標・写真・姿勢ベクトル記録付)
署名: 古参操機士(ID: redacted)→責任権限移譲確認
判断: 人間優先(祀る前に、冷やせ)
安全: HB=0.8s×2(マージン0.2s)/位相相関+0.4°以内/石温+6℃
備考: 坑内SOS(カン×3)受信→帰還成立(カン×2)応答
}
帰還後、ギルド監督がこちらへ歩いてきた。
何も言わない。
ただ、私の端末に視線を落とし、頷いた。
その顎の動きが、合図に見えた。
私は操機士へ端末を差し出す。署名枠に、彼の手が落ちる。指が、僅かに震えている。
名前が刻まれるたび、噂が薄くなり、記録が厚くなる音がした。
◆
帰還手続きは淡々としていた。受付嬢は私の顔を見て、ほんの少しだけ目を細めた。
「提出、確認しました。残してきたアストラの座標はギルドへ連携します。……お帰りなさい」
私は軽く会釈し、端末の“提出”を押す。
画面に砂時計。短い音。
《提出完了:救助ログ/遺留機体報告/責任権限移譲書》
《注記:噂対応用の公開版ログ(個人情報伏せ)生成》
(噂は刃、ログは装甲。……装甲を、前に出す)
◆
ヤードに戻ると、夕闇が鉄骨にからんでいた。
私は装甲の縁に指を置く。
叩かない。今日は、二度の合図を受けて帰ってきた。もう叩き足す必要はない。
ただ、金属の冷たさを確かめる。
親方が隣に立ち、レンチで梁を二度叩いた。
カン、カン。
乾いた音が、夜に短く溶ける。
「置いてきたものは、明日でも明後日でもいい」親方が言う。「帰ってきた人間を、先に冷やせ」
私は頷く。喉の奥が熱い。
貸し間へ戻り、机に端末を置く。
“mission_postmortem.md”を開き、見出しを増やす。
postmortem {
決定: 人間優先/機体遺留(署名移譲)
合図: SOS=三打/帰還成立=二打(音路=鋼索)
技術: HB=0.8s刻み/安全マージン=0.2s/人間側ガード(脈拍+15%)発火
追従: 恐怖波形→逆相入力で抑制
倫理: 弔いは噂でなく記録で
}
石が机の端で、一度だけ明滅した。
私は触れない。祀る前に、冷やせ。
深呼吸を手順に落とし、窓を少しだけ開ける。
遠くで、工房の梁が二度鳴った気がした。
灰色の犬は、明日もまた、三分を設計に分割する準備を始める。




