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縦坑斥候、三回のカン

 朝の工業区は、鉄の管が白い息を吐いていた。

 鍛冶ギルドからのD任務は、北側分工房の縦坑での救援。昨夜から通信が滞っており、先行した古参操機士と坑夫二名の安否確認――そして引き上げまでが札に記されている。


 受付で札を受け取るとき、端末に赤い注記が点った。

《注意:坑内マナライン断続/共振多発/音響伝達は良好(鋼索経由)/毒性ガス注意》

(音は通る……合図が活きる)


 ヤードへ戻る。親方は私を見るなり、短く顎を上げた。


「縦坑か。音が道になる。……三回叩いたら、止まれだぞ」


 三回のカンは、この街の操機士にとってSOS合図だ。


「了解。三回はSOS。二回は帰還成立」

「忘れるな。祀る前に、冷やせ。人を先に」


 私は頷き、ハーネスを締める。胸スリットの石は静かだった。怖いほどに。



 縦坑の口は、工房の裏手に黒い穴を開けていた。鋼索が何本も沈み、滑車の梁が朝霧を切る。坑口の縁に残る擦過痕。昨夜、誰かが急いだあとだ。


《現地診断:音響路=良好(鋼索/梁)/マナ霧=濃度変動±12%/通気=弱》

《救難対象:操機士×1/坑夫×2/機体×1(旧式)》

《プロトコル:斥候→救助→撤退(優先 人>機体)》


 梯子は幅が狭い。グレイハウンドの肩をたたみ、最低限の姿勢で降りる。

 十メートル。二十。鉄骨が軋み、音が深くなる。

 そこで、響いた。


 カン、カン、カン――。


 乾いた金属の三打。鋼索が道になって、私の胸骨を鳴らす。


《救難合図受信:SOS(三打)/方向:下方 40~60m/遅延:0.4s》

(間に合わせる。三分を、分割して使う)


 呼吸を整える。一拍吸って、二拍吐く。

 私はHUDに短い設計を落とす。


time_budget {

降下: 30s(梯子+滑車沿い)

救助Fix: 60s(人間2名:担架→昇降索固定)

旧機体: 30s(切離/ログ抜き取り)

上昇: 50s(停止点3箇所)

余白: 10s(事故対応/HB)

}


 HBは0.8s刻み。安全マージンは0.2s。

 無駄噴きは、即、死。



 底層に近づくにつれ、霧が濃くなる。ヴェイルを厚くしない。擦過は受ける。

 岩棚の影に、光の破片。機体の目。

 操機士がいた。片膝で坑夫に肩を貸し、もう一人が壁にもたれて座っている。

 旧式の青いアストラは横倒しだ。肩のフレームが折れ、油が岩肌に黒く滲んでいた。


「灰色の犬か」


 操機士がかすかに笑い、すぐ顔をしかめる。


「ダメだ、来ては。俺の三回は、3分で戻れる者に向けた合図じゃない」


「来ました。三回が聞こえたので」


 私は答えながら、人間側の評価を先に走らせる。


// rescue::prioritize()

for each target in {minerA, minerB, veteran}:

breath = mic.pickup(target);

phase_noise = veil.microphase(target);

score[target] = weight(breath.regularity, -phase_noise, mobility);

sort(score, descending); // 人を先に


《優先度:坑夫B>坑夫A>操機士》

(操機士は歩ける。自分で歩くと言う顔だ)


「機体は置け」


 操機士が言う。


「記録は俺の署名で出す」


 喉が鳴る。私は一瞬だけ石を見る。石は答えない。

(祀る前に、冷やせ。人が先)


「ログの署名権、移譲。あなたがログの署名を」

「了解」


 私は担架を展開、倒れた坑夫の胸に手を当てる。呼吸は浅いがある。

 ヴェイルの縁を針の目に絞る。狭所で薄く走らせ、岩角に膜を引っ掛けない。

 担架を昇降索に固定。

 その間に操機士が坑夫のもう一人を抱え、私が索のバランスを取る。


「HB、0.8」

 私の声に応じて、グレイハウンドの脚部が短く唸る。

 滞空、安全マージン0.2。

 担架が滑らかに持ち上がり、梁の影へ消える。


《残:坑夫A+操機士/青いアストラ:横倒し》

 操機士が青いアストラへ目をやる。

 ……多分、長く共に歩んだアストラだ。

 それでも。


「置いていく」


 旧友――彼の青いアストラ――を置いていく。

 操機士は言う。喉の奥で、その言葉が割れた。


 私は胸スリットへ端末をつなぐ。青いアストラに残るログを圧縮して抜く。

 ベイの規格が古い。変換を噛ませる。時間を食うな、焦るな。


《log_dump: 68%→91%→完了》

《署名権:操機士へ移譲/記名:ベテラン操機士(ID: redacted)》

(機体は置く。記録は、持ち帰る)


 坑夫Aを索へ。操機士は自分で上がる。私は最後尾で支える。

 上昇の三分割。途中停止三回。HBは温存。

 通気の薄い層に入ると、頭痛が鋭くなる。石がわずかに私の呼吸へ追従した。

(駄目だ、追従させるな)


// calm::reverse_phase()

breath.sync(inhale=1, exhale=2);

inject(veil.control, counter_phase);

if (pulse > +15%) force_idle(400ms);


 膜が静かに落ち着く。人間側ガードが一瞬だけ働き、推進がアイドルになる。

 足場が揺れる。落ちるな。安全マージン0.2。

 操機士の背が、上の光へ近づく。


 その時だ。

 坑壁の奥、折れたフレームがきしみ、青いアストラの胸がかすかに明滅した。

 石が、庇うような波形で一度だけ揺れた。


(見るな。祀るな。置け)


 私は顔を上げる。

 ——上で、二打が返った。


 カン、カン。


 梁が喉の奥で鳴る。

 帰還成立の合図が、坑内の空気を震わせた。


「行くぞ」操機士が言う。

「行きます」私は答える。



 坑口の光は、遠くて、近い。

 HBを0.8で一度だけ踏む。安全マージン0.2。

 坑夫たちの担架が光へ出る。操機士の背が続く。

 最後の縁で、ヴェイルの膜がぱちぱちと毛羽立った。

 石温、+6℃。位相相関、+0.4°。許容内。

 私は膝で体を押し上げ、坑口を跨ぐ。


《3》

《2》

《1》


 坑外の冷気が肺に刺さる。

 《0》。


 膜がぱんと音を立てて剥がれ、重力が生身でのしかかった。

 吐く息が白い。指が震える。


「……置いてきた」

 操機士の声が低く割れる。拳が震えている。

 彼は自分の胸のタグを外し、端末に接続した。

 私は黙って頷き、ログの見出しを書き始める。


mission_log {

任務: D-縦坑斥候・救助

救助: 坑夫2/操機士1(自力)

遺留: 旧式アストラ1(座標・写真・姿勢ベクトル記録付)

署名: 古参操機士(ID: redacted)→責任権限移譲確認

判断: 人間優先(祀る前に、冷やせ)

安全: HB=0.8s×2(マージン0.2s)/位相相関+0.4°以内/石温+6℃

備考: 坑内SOS(カン×3)受信→帰還成立(カン×2)応答

}


 帰還後、ギルド監督がこちらへ歩いてきた。

 何も言わない。

 ただ、私の端末に視線を落とし、頷いた。

 その顎の動きが、合図に見えた。


 私は操機士へ端末を差し出す。署名枠に、彼の手が落ちる。指が、僅かに震えている。

 名前が刻まれるたび、噂が薄くなり、記録が厚くなる音がした。



 帰還手続きは淡々としていた。受付嬢は私の顔を見て、ほんの少しだけ目を細めた。

「提出、確認しました。残してきたアストラの座標はギルドへ連携します。……お帰りなさい」


 私は軽く会釈し、端末の“提出”を押す。

 画面に砂時計。短い音。

《提出完了:救助ログ/遺留機体報告/責任権限移譲書》

《注記:噂対応用の公開版ログ(個人情報伏せ)生成》

(噂は刃、ログは装甲。……装甲を、前に出す)



 ヤードに戻ると、夕闇が鉄骨にからんでいた。

 私は装甲の縁に指を置く。

 叩かない。今日は、二度の合図を受けて帰ってきた。もう叩き足す必要はない。

 ただ、金属の冷たさを確かめる。

 親方が隣に立ち、レンチで梁を二度叩いた。


 カン、カン。

 乾いた音が、夜に短く溶ける。


「置いてきたものは、明日でも明後日でもいい」親方が言う。「帰ってきた人間を、先に冷やせ」


 私は頷く。喉の奥が熱い。

 貸し間へ戻り、机に端末を置く。

 “mission_postmortem.md”を開き、見出しを増やす。


postmortem {

決定: 人間優先/機体遺留(署名移譲)

合図: SOS=三打/帰還成立=二打(音路=鋼索)

技術: HB=0.8s刻み/安全マージン=0.2s/人間側ガード(脈拍+15%)発火

追従: 恐怖波形→逆相入力で抑制

倫理: 弔いは噂でなく記録で

}


 石が机の端で、一度だけ明滅した。

 私は触れない。祀る前に、冷やせ。

 深呼吸を手順に落とし、窓を少しだけ開ける。

 遠くで、工房の梁が二度鳴った気がした。

 灰色の犬は、明日もまた、三分を設計に分割する準備を始める。

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