ご褒美の罠、職人の流儀
報酬は、紙で渡された。普段より少しだけ分厚い封筒。
私は封筒の重さを石の温度みたいに計り、まっすぐ組合の食堂へ向かう。
「本日のおすすめ」
・赤いシチュー(辛)
・白いシチュー(濃)
・黒いシチュー(焦)
・パン(たぶんパン)
(……情報量が少なすぎる)
私は掲示に目を凝らし、トレイを持った。
受付嬢がちょっとだけ口角を上げたように見えたのは、たぶん気のせい。
「おすすめは?」
「黒です」
「なぜ黒」
「焦げは旨味です」
「冷却は?」
「諦めてください」
理屈が破綻している。だがD任務の前祝いだ。私は黒とパン(たぶんパン)を取った。
一口。
「…………」
舌が走る。辛いではない。焦げた上に甘い。
バグ報告を出したい衝動が走る。私は水を求めてきょろきょろし――向こうで親方と目が合った。
「黒いったのか」
「焦げは旨味らしいので」
「焦がす前に、煮ろ。ことわざだ」
「初耳です」
親方は自分の席から白を一匙すくって差し出した。
恐る恐る口に入れる。濃い、しょっぱい、でも落ち着く。
「甘いも辛いも、冷やす前に味見だ。祀る前に冷やせだろ?」
「食堂のフローに冷却は無いんです」
「諦めろ」
隣の席から、受付嬢が(いつもの無表情で)小さなカップケーキをそっとテーブルに置いた。
「余りです」
「ありがとうございます。……受付嬢さん、甘いものお好きなんですか?」
「統計的に、忙しい日は糖が必要です」
(※机の下でスマホ代わりの端末ケースにドーナツのステッカーが見える。私は見なかったことにする)
私は黒を白で割り、パン(たぶんパン)を浸した。味は……まだ事件だが飲み込める。
(ご褒美の最適解:白→黒を希釈→最後に甘い)
(※ただし黒単体は安全外。次回以降禁止)
◆
食後、再現試験の段取りを親方に見せる前に、私は整備ログを開いた。
[UPDATE] armor.knee_joint → scrap_plate_steel (補強)
[NOTE] 耐衝撃 +6%/関節摩耗 +8%/整備頻度↑
膝に貼り付けた廃材の鉄板。数字だけ見れば耐衝撃性は確かに増した。
けれど関節の軋みが、帰還のたびに増えていくのも事実だ。
「……お前なぁ、膝に廃材貼るやつがあるか」
背後から覗き込んだ親方の声。
「面圧を計算すれば、まだ持ちます」
「持たせるんじゃねぇ、“帰るまで”持たせろ」
私は肩をすくめ、更新ログを保存した。
ヤードの脇で再現試験の段取りを親方に見せる。
親方が図面に赤ペンを入れる。ペン先が止まる。
「ここ、“レンチ祈願”が抜けてる」
「……儀式はロジックに含まれません」
「縁起はロジックだ」
「ロジックではないです」
「ないが、ある」
親方は自分のレンチをカン、カンと二度鳴らし、グレイハウンドの装甲を軽く叩く。
私は観念してスクリプトの冒頭に一行追加した。
// pre::shopfloor_ritual()
// カン×2 → 祈願(※親方が満足するまで)
「これで合格だ」
「……テストが通るなら」
「祀る前に、冷やせ。祈る前に、叩け。二本立てだ」
「ことわざの増殖が速い」
◆
翌朝、D任務の積み込み。回送隊の運転手が無駄話を仕掛けてくる。
「昨日は助かったなぁ。ところで君、どこの出だ?」
「出自は登録不可です」
「お、おう。じゃあ好きな犬種とか」
「灰色……」
「やっぱグレイハウンドか」
「機体名です」
「会話って難しいな」
(人間はなぜ無駄話をするのか)
→ 仮説1:連帯の確認
→ 仮説2:沈黙の不安
→ 仮説3:口が寂しい(黒シチューの後遺症)
……仮説なんて出すまでもなく、前世ではもっとお喋り好きだった気もする。
こっちの世界に慣れきって、すっかり擦り切れてしまったのだろうか。
「無駄話の最適長は?」と口に出しかけて、私は慌てて飲み込む。
親方の言葉が頭をよぎる。「武器は相手に理由を作る」。
会話も、時に理由を作る。
「……昨日の索、ほどき方が良かったですね」
「お? おう、あれか! 穴のあいた柄のナイフ、あれ便利だな!」
相手の目が少し輝く。うなずきが同期する。
(結論:会話の安全枠=相手の“成功ログ”を話題にする)
◆
夜、貸し間。端末のメモに新しいコメディ仕様を追記する。
comedy_budget {
食堂:黒単体禁止/白で希釈→甘いので終了
親方:ritual()は前処理に含める(副作用:親方の機嫌+10)
会話:相手の成功ログを引き出す→共感→切り上げ
受付嬢:甘味の差し入れは受領(返礼:ログの提出早める)
}
窓の外、工業区の夜風。
机の上の石が一拍、微かに明滅した。同調してくる気配。
「祀る前に、冷やす。……でも、たまには祈っても、いいか」
私はカン、カンと机を指で叩いてから、ランプを落とした。




