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密閉試験、評判はデータで動く

 朝のヤードは、鉄が冷たく、空気が澄んでいる。

 親方は無言で顎をしゃくると、奥の密閉ベイのシャッターを下ろした。厚い扉が重い空気を切り、外界の音が消える。


「再現試験だ。短いのを一本。数字で見せろ」


 私はうなずき、グレイハウンドの胸ハーネスを締める。

 石の光は昨夜よりも安定している。やわらかい脈が、こちらの呼吸に同調しかけているのが分かる。


《密閉環境:OK/外乱遮断:OK》

《試験手順:A-1(ヴェイル位相→冷却→微調)》

《安全条件:位相相関±0.5°超/石温+8℃で即停止》


「行くよ、グレイ」


 私は短く息を整えると、“三分の設計図”をさらに短い形に圧縮した。


// test::A1

prime(veil, base=35%);

pulse(booster, 0.6s);

sample(log, 120Hz);

rebalance(veil, rear_bias=-0.18);

coolant.trim(5ms);



 ヴェイルが薄く起動する。膜の縁に、さざ波のような振動。

 ブーストを0.6秒だけ噴かす。空気がわずかに押し返してくる。

 数列が走る。グラフが一拍遅れて沈む。


《位相誤差:0.31°→0.27°(補正)》

《冷却応答:-4.8ms》

《コア温度:+3.2℃(許容範囲内)》


 私は呼吸を一度外す。わざと乱す。石がどう戻すかを見るために。


《バイタル変動検知/石リズム:+0.2Hz》

《相関係数:0.61→0.68(短期上昇/注記)》


 親方が腕を組む。口は開かないが、目が問いを投げてくる。

 私は端末に注釈を書く。


注記:“同調”ではなく“追従”。石が操機士のリズムへ位相を合わせる挙動。

危険:操機士の不調が石へ伝播するリスク。

利点:ピーク制御のスパイク低減。


「――止め」


 親方の声。私はスイッチを切り、ヴェイルの膜を落とした。

 沈黙が戻る。親方は端末を受け取り、ログをざっとめくると、短く言った。


「神様じゃねぇ。だが、“寝言”でもねぇ。……“追従”だな」


「うん。だから条件で縛る。数字の枠で」


「枠を二つ増やせ。操機士の脈拍がしきい値+15%超えたら停止、呼吸が乱れたら冷却優先。――機体じゃなくて、お前側の安全条件だ」


 私は思わず笑った。親方の“ことわざ”は、いつも現実に効く。


「了解。人間側のガードを厚くする」


「それから――噂はもう広がってる。灰帯にも嗅がれた。出所は追うな。出すな。

 見せるのはこのログと、枠だけだ。仕組みは外に置くな。置くならここだ」


 私は端末を胸に抱え、こくりとうなずいた。



 組合の朝は、夜の自慢話が冷めて、現実の数字が表に出る時間だ。

 掲示板の前、札を眺める背中がいつもより少しだけ多い。入っていくと、会話の流れが一瞬だけこちらを避け、また戻る。


「……本当にやりやがったのか?」

「三分でノイジー掃討、ログ付き。“E-”の札で戻ってきてる」

「ちび助だろ? 灰色の犬の」


 嘲りよりも、確認のニュアンスが増えた。

 真ん中の列で、見覚えのある背中がこちらをちらと見やる。昨日「また旧式の小型だ」と笑っていた男だ。目が一瞬だけ泳ぎ、すぐに札へ戻る。


 私は足を止めない。札の前で止まる操機士は、噂の的になる。

 端まで歩き、壁で体勢を整え、E帯だけを絞り込む。


(今日は護衛がいい。分母が読める。分配の計算が立つ)


 候補は二つ。

 ひとつは鍛冶ギルドの素材回送。もうひとつは昨日の鉱山村へ向かうスクラップ回収隊の護衛。

 後者の備考に、小さな赤字がある。


※先日発生したノイジー掃討後の回収作業。副次脅威:人間(現地“徴発団”)


(――人間、ね。灰帯の従兄弟みたいなもんか)


 私は後者を取った。受付に札を置く。

 以前と違い、受付嬢の目は温度が少しだけ上がっていた。


「ノクト・アッシュ。護衛二日、行き先は北の鉱山村。回送隊三台、契約は固定報酬+回収品歩合。

 “副次脅威”の項目、読んでますね?」


「読みました。人間対処の枠は昨夜、更新しました」


 彼女は小さく目を見開き、すぐに端末へペンを走らせる。


「再現試験ログの添付、ありがとうございます。安全条件も確認。――戻ってきてください」


「戻ります。枠の中で」


 カードがカウンターを滑るとき、背中で囁きがひとつ跳ねた。


「噂じゃなくてログだとよ」


 それでいい。噂は刃だが、ログは装甲だ。



 ヤードへ戻ると、親方はすでに荷台のアンカーを見ていた。

 回送隊が使う細い索具は、荒地で唸りがちだ。接続部の共鳴は、操機士の耳にも石の脳にも悪い。


「ここ、緩衝挟む。振動を石に入れるな」


「了解。ヴェイルの基底をちょっと上げる。共鳴拾わないように」


「それと――人間が来たら、“昨日の笛”を先に吹け。正当性は腕章に持たせろ。お前は数字で動け」


「はい。話は短文で、合図は短三で」


 親方は工具箱の底から、使い込まれた小さなナイフを一本取り出した。

 刃は短く、柄に穴があいている。


「封切り用だ。網や索を切るための工具。――武器にするな。武器は相手に理由を作る」


 私はそれを受け取り、上着の内ポケットへ差した。手の中で、刃より穴の感触が心を落ち着かせる。


「祀る前に、冷やせ。争う前に、逃がせ。……二つ目のことわざも覚えとけ」


「覚えます」



 北へ伸びる土道は、昨日より静かだった。

 ノイジーの群れが散ったせいで、鳥の声が戻っている。

 回送隊の荷車が前を行く。私はハッチを開けたままその後ろで犬を操り、護衛枠に合わせて歩調を揃える。


 HUDを確認。

 三分の刃は沈黙したまま。戦闘モードは起動していない。

 通常稼働、作業モード。推進は低出力、冷却系は常温。

 護衛任務に必要なのは「撃つ力」じゃない――「守り抜く手順」だ。


《護衛プロトコル:ON》

《視界リンク:隊列後方/側面/前方スイープ 30sローテーション》

《人間対処枠:待機》


(設計とは、三分を切る前に済ませること。帰還用の刃は温存する)


 私は犬の視野を広げ、路地の索具や人影を検出する。

 異常なし。だが――

 村の手前、尾根道の陰影が濃くなる。見張り台の代わりに、大岩が二つ、谷口を押さえるように転がっていた。


(嫌な配置)


 私は速度を落とし、斜面へ視線を上げる。草の間に、先の丸い杭。結び目。人の手だ。

 谷口の向こうから、四人が出てきた。昨日の灰帯ではない。服の色が違う。こちらの土地の徴発団か。


 先頭の男が、槍を斜めに構え、口だけ笑う。


「回収分の四割を置いていけ。村の取り分だ。道理だろう?」


 私はすぐに笛を取り出し、短く三回吹いた。谷の向こう、腕章の影が二つ、待機していたかのように動く。

 男の笑みが一瞬だけ固まる。


「腕章を呼ぶ必要はねえ。話し合いで――」


「契約。固定+歩合。署名と印。合意外は違約」


 私は短文だけで返す。手と腰と出口を見る。

 隊列の一台目がわずかに後退し、片輪を下げた。荷が前へ寄って索が唸る。


 犬の胸部ハッチを開け、地面に飛び降りる。

 降りて動く操機士は無防備だ。だが今は、それを呑むしかない。

 穴のあいた柄の小ナイフで、索の締結部に指を入れ、僅かに緩める――切らない。

 隊列の重心が戻り、唸りが消える。石がざわつかない。


(三分を切るより、降りて手で済ませる方が安全だ。今はそれが正解)

(争う前に、逃がせ。まず荷を逃がす)


 腕章が到着するまで、三十秒。

 男は状況を測り、槍を肩へ戻す。背後の二人が縄をほどき、杭が倒れる。


「二割だ。妥協してやる」


「契約外。組合で」


 腕章がこちらに立った。布の赤が、谷の風に揺れる。

 徴発団が舌打ちを残して去る。人間は石より不確実。だが合図と数字は、意外に強い。


 私は息を一拍吸って、二拍吐く。

 昨日の震えは来ない。胸の石が一度だけ明滅した。


《人間対処枠:正常終了》

《備考:笛(短3)→腕章誘導→契約提示→荷の安定化→相手撤退》


 索が落ち着いたのを確認し、私はすぐに犬へ戻った。

 回送隊の運転手が窓から身を乗り出し、親指を立てて見せた。


「助かった。石が怒らねえ音だ」


「怒らせないのが仕事です」



 回収は淡々と進んだ。昨日の戦場の跡は、もう風でならされはじめている。

 砂に埋もれた関節ピン、割れた遮熱板、焦げたケーブル。

 夜が来る前に、荷台はほどよく重くなった。


 戻り道、尾根の上で私は一度だけ振り返る。

 風が石の表面を撫で、細い音を作った。

 “噂は刃、ログは装甲”。

 歩き続けるなら、装甲を重ねるしかない。


 ヤードの灯が見える頃、親方から短い通信が入った。


「戻りでいいニュースだ。札が一枚、お前宛てだ。Eじゃねぇ。Dの下端。

 条件つきだが、名指しだ」


「差出人は?」


「鍛冶ギルドの分工房。――“冷やしてから祀る”連中だ。話が早ぇ」


 私は笑う。石が心拍に合わせて、ほんの短いリズムで応えた。


「受けます。枠を作ってから」


 言葉に迷いはない。

 三分の刃は、最後まで沈黙したままだった。

 戦闘を起こさず、通常稼働のまま護衛を通した――それでも、データは残る。

 評判は数字で動く。ならば、この選択もまた設計のうちだ。


「おう、前夜に鍵を回せ」


 通信が切れ、夕闇がやわらかく沈んでいく。

 灰色の犬は、三分の設計図を胸に、次の一歩を踏み出す準備をしていた。

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