小犬の一撃
Combat Log - Final Strike
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Target: 赤黒
Weakness Hypothesis: 推進系補助ヴェイル
Timing Window: 針収束開始の0.4s前
Duration: 0.4s(推定)
Sample Size: 1回
Confidence Level: 低
Restriction: 観測任務(火器使用禁止)
But: シーラが死ぬ
Decision: 観測を中断。撃つ。
縦坑の四層目。空気を切り裂く緋色の針が、部隊の機影を次々に沈黙させていく。
シーラのアストラは、すでに限界を超えていた。導線防壁は崩壊し、ヴェイルの破片が鋼鉄の床に降り注ぐ。腹部の石が過熱で悲鳴を上げる。耳元には、仲間の断末魔と、システムが停止する乾いた音が入り交じる。
退路A-2、封鎖。退路B-3、封鎖。退路C-1、封鎖。
正規の設計図は、完全に無力化されていた。
赤黒の冷徹な無線が、戦域全体に響き渡る。
『計測不能。逸脱排除を継続する』
その声は、「規格外」としてこの場にいる正規部隊員と、その背後にある「制度」の失敗を同時に裁いていた。
シーラは、もはや操縦桿を握る力も残っていなかった。
/shela/final_moment.log
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(……駄目だ。この設計図じゃ、絶対に退路は作れない)
緋色の針が収束していくのが見える。
これは最後の一撃だ。
石のコアを狙う、選別の実行。
「……もう持たない」
◆
その瞬間だった。
赤黒が最後に針を投射しようと、その縫い目を最大に展張したとき――縦坑の暗がり、四層と五層を繋ぐ古いケーブルラックの影から、不意の閃光が走った。
それは、計算された軌道を描く一撃だった。
私は五層の死角から、三回の観測で積み重ねたデータを脳内で展開していた。
// crow_observation - 統合解析
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obs_01: 遠距離観測
針展開時間:1.2s
収束時間:0.8s
推進系の位相変動:観測距離不足で未確認
信頼度:低(遠すぎる)
obs_02: 中距離観測
針展開から収束の間に位相ノイズ検出
推進系補助ヴェイル:+0.3°のズレ(疑い)
タイミング:不明確
信頼度:中(距離はまだ遠い)
obs_03: 近距離観測(今回)
推進系補助ヴェイル展開:針収束の0.4s前
位相ズレ:+0.3° → +0.35°(0.4秒間)
持続時間:0.4s(固定と推定)
信頼度:中(明確な観測は1回のみ)
仮説:
針の収束開始から0.4s前、
推進系補助ヴェイルが0.4秒間だけ強化され、
その間だけ位相が+0.35°ズレる。
総合信頼度:低〜中(サンプル数3、うち明確な観測1回のみ)
私は呼吸を整える。一拍吸って、二拍吐く。
三回の観測。三回の逃走。そして、一回だけの、不確かな発見。
/personal/doubt.log
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(確証はない)
(観測回数が足りない)
(でも――)
赤黒の針が最大展開する。その瞬間、推進系の補助ヴェイルが、わずかに立ち上がる。
Phase Detection
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位相微細変動:+0.3° → +0.35°
(来た――今だ!)
私は撃つ――その直前。
石が0.45秒先に反応しかけた。私の恐怖を感知して、勝手に動こうとする。
Warning: Stone Advance Detected
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石先行挙動:0.45s(検出)
→ 過出力の兆候
→ 制御不能のリスク
Action: 逆相入力
私は逆相を入れる。石を、静める。
/personal/control.log
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(今は、お前に任せない)
(私が撃つ)
// force::override(veil, phase=-179.9°)
// 石の先行挙動を強制抑制
// accept: 制御を取り戻す
石が静まる。推進が戻る。照準が、私の意思だけで固定される。
閃光は、赤黒の複雑な縫い目の中枢を貫くのではなく、推進系の補助ヴェイルが展開する、わずか0.4秒の位相のズレを狙った――つもりだった。
ズシャッという、電子的な悲鳴が混じった、鉄の擦れる音。
赤黒の外套が裂け、火花と油の混じった黒煙が散る。その動きは一瞬だけ、ノイズのように鈍った。
Hit Confirmation
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(当たった――!)
でも――
私は即座に理解する。弾道が、わずかに逸れている。推進系の補助ヴェイルの中心ではなく、その外縁部。
ダメージは入った。でも、致命傷ではない。
Damage Assessment
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損傷評価:推進系外装部/出力低下 推定10-15%
推進系補助ヴェイル:機能維持(弱体化)
結論:外した
/personal/failure_analysis.log
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(外した――)
(狙点が甘かった)
理由分析:
- 観測回数不足(明確な観測1回のみ)
- 狙点精度不足(中心ではなく外縁)
- 距離・角度の誤差(15m、斜め上方30°)
- 推進系補助ヴェイルの詳細構造が不明
- 0.4秒のウィンドウ内での射撃精度
サンプル数が足りなかった。
三回の観測では、不十分だった。
無線が、初めて「秩序」ではなく「苛立ち」の感情を伴って響いた。
『くそっ……誰か、誰でもいい!今俺を撃ったやつを確認してくれ!未確認機!』
オープンチャンネルであることを忘れたままに放たれたそれは、「予測を裏切られた」ことに対する、どこまでも人間らしい感情に則ったものだった。
/personal/realization.log
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(人間……?)
赤黒は、システムではないのか。
制度の影、選別装置――そう思っていた。
でも、今の声は――
人間の、怒りだった。
◆
「システム 戦闘モード・起動。」
《180》
瓦礫の影から、札を剥奪された灰色の機影が現れる。グレイハウンド。
制度の識別信号は外され、正規の通信網には存在しない「ノイズ」そのもの。その姿は、縦坑の煤と埃に馴染み、存在感を消している。
私は、損傷で動きが鈍った赤黒に照準を合わせながら、冷たい声で返した。
「反復3サイクル目で、パターンを観測した。推進系補助ヴェイル、針収束の0.4秒前に強化される。そこを狙った」
私は続ける。
「外縁部に当たった。中心は外した」
/personal/honesty.log
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不完全を認める。
完璧な一撃ではなかった。
でも、それが真実だ。
シーラは、崩れ落ちた機体の中で、「灰色の外套」の姿に、息を呑んだ。
「ノクト……!? なんで……札もなしに、何で戦場に!?」
私はシーラの方を見ようともしなかった。正規部隊の生死ではなく、ただ赤黒の動きだけを計測し、照準を合わせ続ける。
その瞳には、制度のルールも感情もなかった。あるのは、数字と波形だけだ。
/personal/method.log
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(三回観測した。三回逃げた。だから、撃った)
(でも――完全には当たらなかった)
(観測が、足りなかった)
私の胸の石が、心拍より0.45秒早く脈打つ。でも、今は暴走していない。
逆相入力で、制御した。石に頼るのではなく、石を使った。それが、私の答えだ。
◆
赤黒は苛立ち、その選別ロジックを私とシーラの両方に向けた。
『規格外、観測者と連結。二重逸脱』
緋色の針が、再び私とシーラに向かって投射される。損傷しているが、まだ戦える。私の一撃は、決定打にはならなかった。
/personal/assessment.log
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(外した――)
(0.4秒の隙は本物だったが、狙いが甘かった)
(もう一回、観測が必要だった)
私はHBを吹かし、シーラの砕けた防壁のわずかに残った位相を縫うように、回避運動に入る。
Tactical Calculation
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(シーラの防壁は、まだ生きている)
(薄いが、一秒だけ持つ)
私の回避軌道が、シーラの防壁の残骸を通過する。シーラは反射的に、私の回避運動が作る空間へ向けて、最後の魔力を絞り出し防壁を張り直した。
それは、六十分の厚さではない。一秒の猶予を作るだけの、薄い膜。でも――
二人の動きが、一瞬だけ「共闘」として成立した。
私の「計測に基づく回避」と、シーラの「反射的な防御」。私が事前に準備した非規格の退路を、シーラの規格の防壁の残り火が保護する。
それは和解ではない。理解でもない。ただ、技術者としての、反射。
三分の刃が、六十分の膜に、一瞬だけ守られる。
赤黒の攻撃は、予測された「正規傭兵の退路」ではなく、「規格外の計測」に阻まれた。
致命的な損傷は免れた。しかし、赤黒は完全には止まらない。推進系の損傷で機動力が落ちているが、まだ戦闘可能。
私の一撃は、時間を稼いだだけだ。
◆
無線に、再び冷徹な声が混じる。しかし、そこには明確な「数字」の敗北があった。
『これ以上の計測は成立しない。今日は退く』
赤黒の縫い目が静かにほどけ、その機影は急速に縦坑の暗闇へ消えていった。
正規部隊の機影が、かろうじてHUDに残っている。彼らは赤黒の撤退に気づき、震える声で「生還」の報を上層部に上げた。
シーラは、自らの機体を無理やり起動させ、私の灰色の機影に向かって進んだ。彼女の体は震えている。
制度を守ろうとした自分と、制度を捨てて自分たちを救った私。その間で、彼女の秩序が崩壊していた。
「あんた……札を剥奪されて、制度を捨ててまで、何をしてるの」
私は、通信を切る寸前、短く答えた。
「祀ってるんじゃない。ただ、計測してるだけだ」
シーラの声が、わずかに震える。
「……計測、って」
「三回観測した。三回逃げた。だから、撃った」
私は続ける。
「数字でも、癖でもない。制御だ」
「でも――」
私は言葉を遮る。
「完璧じゃなかった。推進系を損傷させたが、致命傷には届かなかった」
私は自分の失敗を認める。
「観測が足りなかった。三回では、不十分だった」
/personal/acceptance.log
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不完全な一撃。
でも、それが私の限界だった。
三回の観測では、足りなかった。
その言葉を最後に、私は通信を切り、機体を裏ルートの暗闇へと滑り込ませ、その姿を闇に隠した。
残されたのは、鉄と焦げた油の匂い、そして規格外の閃光の残像だけだった。
◆
シーラは、一人、縦坑に立ち尽くしていた。正規部隊の仲間が、救助を呼びかける声が遠くに聞こえる。でも、彼女の耳には届かない。
/shela/confusion.log
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(計測……)
ノクトは、祀っていなかった。
石に頼っていたわけでもなかった。
ただ、三回観測し、三回逃げ、そして撃った。
それは、制度が認めない方法だった。
でも――
(私たちを、救った)
(完璧じゃなかったけど)
(不完全だったけど)
シーラは拳を握る。新品の石が、規則正しく脈を打つ。応答が速い。位相誤差が小さい。数字は完璧。
でも――
/shela/doubt.log
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(ノクトの古い石は、0.45秒先に動いた)
(それを、制御していた)
(そして、不完全な観測で、赤黒を撃った)
私が信じた数字は、本当に正しかったのか。
完璧な数字より、不完全な計測の方が――
その疑念を、シーラは振り払う。
「……考えるな。制度が正しい。それだけだ」
でも、声が震えていた。
◆
縦坑の最深部。赤黒の機影が、停止している。損傷した推進系から、かすかにノイズが漏れていた。
内部通信が流れる。
『小犬……いや、違う。あれは灰か』
赤黒は、以前の「小犬」という蔑称で呼ぶのを止め、「灰」として再認識した。それは、計測不能な存在への、システム側の初めての「脅威評価」だった。
『0.4秒のズレを突かれた。推進系補助ヴェイルの展開タイミング、三回観測されていた』
赤黒のパイロット――そう、赤黒にも人間がいる――が、苛立ちを隠さず言う。
『三回の観測で、俺のパターンを読んだ。規格外の計測だ』
『外縁部を掠めただけだが――次はもっと精度を上げてくる』
彼は端末を操作する。
『推進系補助ヴェイルの展開タイミングを変更する。0.4秒前ではなく、ランダム化だ』
パイロットは続ける。
『次。奴のログのパターンを最優先で解析せよ。規格外のデータは、排除しなければならない』
赤黒は、次の対戦に向けて、「計測」を「脅威」として自らのシステムに組み込み始めた。そして、小さく呟く。
『灰色の犬……面白い。次は、お前の計測を、俺が計測する』
◆
私は、裏ルートを抜けて、工業区の外れへ出た。夜の冷気が、肺に刺さる。
機体を降り、装甲の縁に指を置く。叩かない。今日は、誰も聞いていない。
カン、カンの音は、もう私には届かない。
でも――
私は端末を開く。
/crow_observation/
├─ obs_01_district.log // 一回目:桁落ち、逃走
├─ obs_02_warehouse.log // 二回目:設計破壊、逃走
├─ obs_03_shaft.log // 三回目:近距離観測
└─ strike_01_shaft.log // 攻撃:0.4秒のズレ、攻撃実行
strike_01_result:
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target: 推進系補助ヴェイル(0.4s window)
result: 外縁部損傷(推定10-15%)
evaluation: 不完全(致命傷に至らず)
reason_analysis:
観測回数不足(明確な観測1回のみ)
狙点精度不足(中心ではなく外縁)
距離・角度の誤差
推進系補助ヴェイルの詳細構造が不明
conclusion:
弱点は存在する。
しかし、一撃必殺には届かなかった。
三回の観測では、不十分だった。
next_action:
赤黒は私の計測を学習する。
推進系補助ヴェイルの展開タイミングを変更する可能性。
同じ手は、二度通用しない。
次は、四回目の観測が必要。
より近く。より正確に。
保存音が短く鳴る。
私は古い石を握りしめる。冷たい。でも、私の体温を知っている。
0.45秒の先読み。今日は暴走しなかった。逆相入力で、石を静めた。
祀るのではなく、制御する。それが、私の答えだ。
でも――
/personal/reflection.log
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(完璧じゃなかった)
(三回の観測では、足りなかった)
(次は、もっと正確に)
窓を少し開ける。夜風が紙を揺らす。遠くで、誰かの機体が帰還する音がした。
カン、カン。
帰還成立の音。私には、もう聞こえないはずの音。でも――
/personal/achievement.log
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(シーラは、生きている)
(不完全でも、救えた)
私は端末を閉じる。
机の端に、誰かが置いていった紙コップ。砂糖スープの、冷めた甘さ。
私は飲まなかった。ただ、窓辺に置いた。四日前。もう、完全に冷めている。
でも、捨てられない。
遠くで、梁が二度鳴った気がした。
カン、カン。
/personal/final_note.md
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(まだ、聞こえる)
灰色の犬は、不完全な一撃を胸に、四回目の観測へ向けて歩き続ける。
赤黒が私を計測するなら、私は赤黒を計測し返す。
(次は、もっと正確に)
(次は、もっと近くで)
(そして――)
それが、制度の外で生きる、私の戦い方だ。
石の暴走を制御し、
不完全ながら弱点を突いた。
祀るのではなく、使った。
監査官の警告:「いつまで?」
私の答え:「わからない。でも、今日はシーラを救えた」
保存音が短く鳴る。
灰色の犬は、明日へ歩き続ける。
報われなくても、記録されなくても――
計測し続ける。




