影の戦域
/crow_observation/mission_brief.md
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縦坑観測任務 - 最終ブリーフィング
Location: 旧市街地下縦坑 第四層
Mission Type: 観測(灰色外套)
Concurrent: 正規部隊集中掃討作戦
Objectives:
1. 赤黒の近距離観測
2. 針の展開・収束パターン詳細計測
3. 弱点候補の確認
Restrictions:
- 火器使用禁止
- 攻撃禁止
- 観測のみ
Personal Note:
シーラが正規部隊にいる。
彼女を救えるかもしれない。
でも、撃てない。
観測だけだ。
朝の工業区は、油と鉄の匂いと共に、張り詰めた静けさに包まれていた。
旧市街の地下、縦坑地帯へ向かう正規部隊が集結している。彼らの機体は白い塗装に青いヴェイル、胸には制度が発行した確かな「正規の札」が光っている。
シーラ・ルクスもその部隊の一員だった。
彼女の機体、厚い防壁を持つアストラは、他の精鋭たちと同じく、規則正しいパルスをヤードに刻んでいる。
ブリーフィングの音声が硬質な反響を伴って響いた。
「繰り返しになるが、今回の任務は『縦坑戦域の集中掃討』だ。情報によれば、ノイジーの大規模な集積が確認されている。識別信号は常にオンにせよ。正規札を持つ者のみが、この戦域で『生存が保証される数字』だ」
隊長の声が続く。
「未確認機への即時射撃は隊長承認。防壁維持を優先。退路は事前に三本確保済み。Retreat Design A-2を基本とする」
シーラは頷く。彼女の表情は引き締まっていた。
/shela/internal_thought.log
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(ノクトは来ない。来れない。それが制度のルールだ)
自分が守ると決めた「数字と秩序」。
それが、彼女がノクトとの境界線として引いた唯一の線だった。
正規の数字の中に、ノクトはいない。
だから、自分が最後まで「正しい数字」を守り抜くしかない。
でも――
(あいつは、どこで何をしているんだろう)
その思考を、シーラは振り払う。彼女は仲間と共に、地下深くの縦坑へ向け、進軍を開始した。
◆
同時刻、私は古い導管路の出口で、グレイハウンドを待機させていた。
親方経由の情報屋が提供した裏ルート。組合の地図には載らない、廃坑の搬出路。私は操縦席に座り、端末の設定を開く。
System Alert
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Warning: Identification Signal Off
Status: You are now unrecorded
Official Network: Disconnected
Note: 公式記録に残らない任務
自ら識別信号を完全にOFFにする。通信網からの孤立。公式のログからは、私の機影は完全に消滅する。
「公式記録に残らない任務」。それが、札を剥奪された「灰色外套」に許された、唯一の戦場だった。
機体を縦坑の裏口へ滑り込ませる。グレイハウンドの煤けた灰色が、暗闇によく馴染む。
/personal/mission_log.md
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(私が集めるのは真実のログ。
制度が消そうとした、桁落ちの瞬間だ)
胸の石に触れる。冷たい。しかし、私の心拍より0.45秒早く脈打つ「癖」は、依然としてそこに息づいている。この残り火だけが、私自身の存在証明だった。
私は端末を開き、過去のログを確認する。
/crow_observation/
├─ obs_01_district.log // 一回目:桁落ち、逃走
├─ obs_02_warehouse.log // 二回目:設計破壊、逃走
└─ obs_03_shaft.log // 今回:近距離観測(準備中)
一回目、二回目は逃げた。遠距離、中距離からの観測。でも、弱点は見つからなかった。
Observation Summary
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Obs 01 (遠距離):
- 針展開時間:1.2s(推定)
- 収束時間:不明確
- 距離:約50m
- 信頼度:低
Obs 02 (中距離):
- 針展開時間:1.3s(推定)
- 収束時間:0.7s(推定)
- 距離:約30m
- 信頼度:中
Obs 03 (今回・近距離):
- 目標距離:15m以内
- 詳細タイミング計測
- 弱点候補の確認
- 信頼度:?
私は機体を五層のケーブルラックへ滑り込ませる。ここは死角だ。正規部隊の視界からも、ノイジーの気配からも外れている。
観測者の位置。
端末に、観測項目を書き出す。
obs_03_checklist:
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□ 針展開時間(一回目:1.2s / 二回目:1.3s)
□ 針収束時間(一回目:? / 二回目:0.7s)
□ 展開と収束の間隔
□ 位相変動のタイミング
□ 推進系の補助動作
□ エネルギーの流れ
□ 弱点の可能性
(一回目は遠すぎて、展開時間しか取れなかった)
(二回目は中距離で、収束パターンを観測できた)
(三回目は――)
私は深呼吸する。一拍吸って、二拍吐く。
/personal/determination.log
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(近距離で、全部見る)
(そして、パターンを見つける)
(でも――撃てない)
(観測任務だから)
(撃てば、私の位置がバレる)
(観測は、終わる)
◆
正規部隊が縦坑の四層目、鉄骨が複雑に絡み合った静圧が不安定な空間へ到達した。
私は五層の暗がりから、静かに観測を始める。
HUDに正規部隊の配置が浮かぶ。識別信号をOFFにしているが、受信は可能だ。
Tactical Display
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正規部隊:12機
シーラ・ルクス:前衛(識別信号確認)
静圧:安定
ノイジー反応:中
順調だ。彼らの退路設計は教科書通り。三本の退路、防壁の配置、火力の分散。
でも――
私のHUDに、わずかな異常値が浮かぶ。
Anomaly Detection
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静圧偏差:+0.3%(局所)
位相微細変動:-0.08°(四層天井付近)
Note: 数値は誤差レベル
正規部隊のHUDでは自動補正で消される範囲
でも、私の古い石は、それを記録する
私は記録を開始する。
// obs_03_shaft.log - START
timestamp: 08:42:13.004
phase_reversal: standby
observation_distance: 近距離(約15m)
target: 正規部隊(シーラ含む)
stone_advance: 0.45s(現在値)
◆
正規部隊が四層へ完全に侵入した瞬間、異常は発生した。
Warning Alert
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Static Pressure Deviation: -4.8%
Spatial Anomaly: 確認
Phase Reversal Noise: 検出中
坑内の空気が一瞬にして硬直する。照明が一斉に瞬き、正規部隊の後列機のHUDが、赤い警告を発した。
音はなかった。虚空に緋色の縫い目が現れる。それは美しい技術的な秩序を伴い、空間そのものを切り裂いた。
赤黒が姿を現す。
私は呼吸を止める。記録を続ける。
// 針展開開始
timestamp: 08:42:14.221
seam_deployment: start
pattern: 緋色/複数針/天井・壁・床の三方向
deployment_time: 計測中
赤黒の針が展開される。一回目、二回目と同じ。でも、今回は近い。細部が見える。
針の根元。わずかな光の歪み。空間が、ねじれている。
Detail Observation
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(位相変動――)
// 針展開中
timestamp: 08:42:14.821(+0.6s)
deployment_time: 0.6s経過
phase_distortion: 針の根元で検出
location: 赤黒機体の推進系付近
私は目を凝らす。赤黒の機体。針を展開している間、推進系が――
Critical Discovery
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位相微細変動:+0.3°(推進系補助ヴェイル)
(補助ヴェイル?)
針の展開中、赤黒の推進系が補助的なヴェイルを張っている。
姿勢制御のため?
それとも――
// 針展開完了
timestamp: 08:42:15.421(+1.2s)
deployment_time: 1.2s(確定)
note: 一回目と同じ
phase_distortion: 継続中(+0.3°)
針の展開が完了する。赤黒の攻撃は、後列機二機の機体を貫くのではなく、ヴェイルの位相に直接干渉し、強制的な自己放電(桁落ち)を誘発させた。
二機は一瞬にして沈黙した。
正規部隊の隊長機が叫ぶ。
「全機、防御隊形! Retreat Design A-2 を実行、退路確保を急げ!」
退路A-2。教科書通りの撤退設計。でも――
// 赤黒の動き
timestamp: 08:42:16.221(+0.8s after attack)
target_prediction: 退路A-2の座標を事前把握
action: 針投射、退路封鎖
timing: 隊長指示から0.8s後
(予測している。正規部隊の退路設計を、事前に読んでいる)
赤黒の針が、退路A-2の出口を完全に封鎖するように、三方向から鉄骨を貫いた。退路が潰された。正規部隊の生存を保証するはずの「設計(Design)」そのものが、最初の数秒で完全に否定されたのだ。
私は記録を続ける。
// 針収束開始
timestamp: 08:42:18.021
seam_convergence: start
note: 次の攻撃準備
針が収束を始める。次の攻撃のため。
その瞬間――
私は見た。
!!! CRITICAL OBSERVATION !!!
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針が収束を始める直前。
0.4秒前。
赤黒の推進系の補助ヴェイルが、わずかに強く光った。
位相微細変動:+0.3° → +0.35°(0.4s)
(これは――)
針の収束前、推進系の補助ヴェイルが一瞬だけ強化される。
姿勢制御のため。
針を収束させる反動を、推進系で吸収している。
(これが、隙か)
// 針収束完了
timestamp: 08:42:18.821(+0.8s)
convergence_time: 0.8s(確定)
note: 二回目と同じ
observation_重要:
針収束開始の0.4s前、推進系補助ヴェイルが強化される
持続時間:0.4s
位相変動:+0.3° → +0.35°
再現性:要確認(一回目・二回目は観測距離不足で未検出)
結論:
推進系補助ヴェイルの強化タイミングが、弱点の可能性
ただし、これが毎回発生するかは不明
三回の観測では、サンプル不足
◆
シーラは最前線で、渾身の力で防壁を展張する。六十分の耐久力を持つ彼女の膜は、物理的な攻撃を跳ね返すための絶対的な数字だ。
「持ちこたえろ……! 全機、私を基点に動け! Retreat Design B-3へ切り替え!」
彼女は叫ぶ。退路A-2が潰されたため、予備の退路B-3へ移行する。正規の手順。正しい判断。
でも――
// シーラの判断
retreat_switch: A-2 → B-3
timing: 封鎖確認から2.1s後
prediction: 赤黒は次の動きを――
赤黒の針が、退路B-3へ向かう通路の天井を貫いた。音もなく。シーラの指示より、1.3秒早く。
/personal/frustration.log
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(予測している。次の退路も、読まれている)
私は歯を食いしばる。記録を続ける。
// 二回目の攻撃
timestamp: 08:42:24.421
target: シーラの防壁
method: 位相反転(内圧利用)
シーラの防壁が、赤黒の攻撃を受ける。音もなく、防壁の内側から。
Warning: Shela's Veil
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位相相関: -179.9°(反転)
自己放電: 誘発
静圧偏差: +12.3%
石温傾き: +5.1℃/min
シーラの分厚いヴェイルが、抵抗する間もなく緋色の針に切り裂かれる。それは物理的な損傷ではない。膜の位相が強制的に反転させられ、「防御」のロジックそのものが「攻撃」に切り替わったのだ。
シーラは血を吐くような苦痛と共に叫ぶ。
「なぜ……! 私のヴェイルが、なぜ!?」
無線に、赤黒の冷徹な声が響く。
『君たちの「防御」は、我々の「選別」の失敗を記録するノイズとなる』
『真実を観測した者は、規格外のデータだ。故に、ログごと消去する』
私は記録を続ける。指が震えている。
// 赤黒の攻撃パターン(総括)
method: 位相反転(内圧利用)
effect: 防壁を内側から破壊
timing: 防壁展開から3.2s後
observation_推進系:
針展開時:補助ヴェイル +0.3°(常時)
針収束前:補助ヴェイル +0.35°(0.4秒間)
※針収束開始の0.4s前に発生
hypothesis:
推進系補助ヴェイルの強化タイミングが弱点
ただし、攻撃可能かは不明
距離:約15m
角度:斜め上方
サンプル数:1回(信頼度:低)
弱点らしきものは、見えた。でも、確証はない。三回の観測では、まだ足りない。
/personal/conflict.log
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(もう一回、見たい)
(でも――)
シーラのアストラが、鉄骨に叩きつけられる。
腹部の石が、限界を超えた負荷に悲鳴を上げている。
正規部隊の残存機影はわずか。
退路C-1へ向かおうとする機体を、赤黒の針が先回りして封鎖する。
三本の退路、全て潰された。
正規の設計は、完全に無力化された。
私は拳を握る。爪が手のひらに食い込む。
Choice Point
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(撃てば、シーラを救える)
(でも、撃てば、私の位置がバレる)
(観測は、終わる)
(そして――)
(確証のない弱点で、赤黒を止められるのか)
私は観測者だ。
影の外套。
存在しない者。
でも――
シーラの機体が、もう一度叩きつけられる。石の悲鳴が、無線に漏れる。
/personal/realization.log
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(駄目だ。もう持たない)
その時、赤黒の針が最後の収束を始めた。天井、床、壁の全方向から、シーラへ向けて一斉に。
赤黒の冷たい無線が、戦域全体に響き渡った。
『規格外の石、制御不能な設計、そして失敗のログ。全てを計測不能として処理する』
『逸脱排除を実行する』
シーラは崩れ落ちる機体の中で、必死に操縦桿を握りしめた。
「……駄目だ、退路が……!」
その瞬間、私は決断した。観測を、終える。
// obs_03_shaft.log - INTERRUPTED
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result: 弱点候補発見(推進系補助ヴェイル/針収束0.4s前)
confidence: 低(サンプル数不足)
action: 救出優先
reason: ――シーラを、見殺しにはできない
私は起動シーケンスを入力した。
《戦闘モード起動――稼働限界:180》
灰色の外套が、暗闇から姿を現す。三回の観測。三回の逃走。そして――
/personal/final_decision.log
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(確証はない)
(0.4秒の隙。一回しか観測していない)
(でも、撃つしかない)
私は照準を合わせる。赤黒の推進系。針が収束を始めた。
0.4秒前。補助ヴェイルが強化される、はずの瞬間。
Final Calculation
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距離: 15m
角度: 斜め上方 約30°
推進系補助ヴェイル強化: 0.4s前(推定)
持続時間: 0.4s(推定)
位相変動: +0.3° → +0.35°(推定)
成功率: 不明
根拠: サンプル数1
信頼度: 低
でも――
(今だ――)




