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灰色の外套

 一週間が過ぎた。

 灰色任務を、五回こなした。囮が三回、残骸処理が二回。

 報酬は正規札の三分の一以下。でも、生き延びている。


/grey_records/status_log.md

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


Week 1 of Grey Cloak Operations


Mission Count: 5

- Decoy (囮): 3

- Salvage (残骸処理): 2


Survival Rate: 100% (personal)

Average Survival Rate (Grey Cloaks): 67%


Stone Advance Log:

- Mission 39: 0.39s (success)

- Mission 40: 0.40s (success)

- Mission 41-43: 未検出(戦闘なし・残骸処理)

- Estimated: 0.43s (at rest)


Status: 審査中(1週間経過)

Stone acceleration: 継続中


Note: 生きている。でも、孤立している。



 組合の食堂で、私は隅の席に座る。灰パンと黒煮込み。味は変わらない。でも、食べる意味が変わった。これは、生き延びるための燃料だ。

 周囲のテーブルから、小さな声が聞こえる。


「灰色外套、また生きて帰ってきたのか」

「五回連続だってよ。運がいいのか、腕がいいのか」

「石が暴走するって噂なのにな」


 笑い声はない。ただ、距離だけがある。

 その時、受付嬢が私の隣に座った。



 彼女はトレイを置き、黙って砂糖スープを啜る。

 私は驚いて顔を上げる。


「……受付嬢さん」

「黙って食べて」


 彼女の声は、いつもの平坦さ。でも、目だけが少し温度を持っている。

 しばらくして、彼女が小さく口を開く。


「五回、生き延びたわね」

「……はい」

「灰色外套の生存率、知ってる?」


 私は首を振る。


「五回任務で、三人に一人が死傷する」


 彼女の声が、わずかに沈む。


「あなたは運がいい。それとも――」


 彼女は私を見る。


「石が、守ってるの?」


 私は灰パンを握りしめる。硬い。指が痛い。


「……わからないんです」

「わからない?」

「石が先に動くことがあります。でも、それが救いなのか、暴走なのか――」


 私は言葉を探す。


「境界が、わかりません」


 受付嬢は砂糖スープを一口啜る。


「監査官の報告、読んだわ」


 私は息を呑む。


「あなたの石、加速してる。でも、あなたは生き延びてる」


 彼女は続ける。


「監査官は『危険』と書いた。でも、結果は『生還』」


 彼女は私を見る。


「データが、矛盾してるのよ」


 私は何も言えない。

 受付嬢は立ち上がる前に、小さな紙片を置いた。


「情報屋の住所。親方から聞いたでしょ」


 私は頷く。


「あなたのログ、裏では価値があるらしいわ」

「……知ってます」

「売りなさい。灰色任務の報酬だけじゃ、生きていけない」


 彼女は去ろうとして、立ち止まる。


「でも、尻尾を掴まれないように。組合は、ログの流出を把握してる」

「……」

「証拠がないから動けない。でも、時間の問題よ」


 受付嬢は去っていく。私は、彼女の背中を見送る。


(時間の問題)



 その夜、私は初めて「情報屋」を訪ねた。

 工業区の裏手、古びた建物の地下。埃っぽいカウンター、古い端末。照明は薄暗く、客の顔が見えにくい。

 情報屋は四十代くらいの男だった。痩せていて、目だけが異様に鋭い。


「親方からの紹介か。端末を」


 私は端末を差し出す。彼は画面をスクロールし、最初の囮任務のログを開く。

 数秒の沈黙。


「……これは」


 彼の目が、わずかに見開かれる。


「いい"ノイズ"だ」

「ノイズ……ですか」

「ああ。組合が嫌がるデータのことだよ」


 情報屋は画面を拡大する。


「君のログには、石の異常挙動が記録されてる。0.39秒の先行挙動、位相の微細変動、静圧の局所偏差」


 彼はカウンターに、紙幣を置いた。正規報酬の二倍。


「今回は、これで買わせてもらう。次からは、もっと出すかもしれない」


 私は紙幣を見つめる。札を持たない傭兵の計測が、正規の報酬を上回った。



「なぜ、このログに価値があるんですか」


 私は訊く。

 情報屋は端末を操作し、組合の公式報告と私のログを並べた。


「これを見ろ」


 画面には、同じ戦域の二つのログ。一つは組合の公式報告。もう一つは私の生ログ。


Comparison Log - Same Location, Same Time

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


Official Report (組合):

- Threat Level: 低

- Anomaly: なし

- Completion: 通常ノイジー掃討任務成功

- Note: 異常値検出されず


Noct's Log (生ログ):

- Phase Anomaly: +0.4°(微細変動)

- Static Pressure: +2.1%(局所偏差)

- Stone Advance: 0.39s(先行挙動)

- Note: 自動補正前のデータ


Discrepancy: 完全不一致


「同じ場所、同じ時間。でも、記録が違う」


 情報屋は私を見る。


「組合の自動補正システムは、特定の閾値を超えた異常値を『計測誤差』として処理する」

「でも、君の石は――」


 彼は画面を叩く。


「学習してるから、異常値を記憶する。自動補正が効かない」


 私は息を呑む。


「つまり……」

「君の石は、組合が消したいデータを、勝手に保存するバグなんだよ」


 情報屋は続ける。


「普通の石は、自動補正に従順だ。異常値を検出したら、すぐに忘れる」

「でも、君の石は『学習』する。異常値を記憶する。だから、消される前のデータが残る」


 彼は私を見る。


「組合にとって、君の石は『欠陥品』だ。でも、俺たちにとっては『真実の記録者』だ」


/analysis/stone_as_bug.md

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


石の特性分析


正常な石の挙動:

1. 異常値検出

2. 一時記録

3. 自動補正により削除

4. クリーンなログのみ残る


私の石の挙動:

1. 異常値検出

2. 学習・記憶

3. 自動補正を無視

4. 生データが残る


結果:

- 正常な石 = 自動補正に従順 = 制度が認めるデータ

- 私の石 = 自動補正を回避 = 制度が消したいデータ


矛盾:

監査官「石の学習は危険」

情報屋「石の学習は真実の記録」


両方、正しい。



 帰り道、私は工業区の夜道を歩いた。紙幣がポケットで重い。生活費は、あと三週間分に延びた。

 でも、胸の奥が冷たい。


(私の計測は、金になる)

(でも、それは裏でしか価値がない)

(表の世界では、私は『ノイズ』だ)


 広場の祠が、まだ薄く光っている。死に石の欠片が、油灯の光で揺れている。

 老人が立ち止まり、手を合わせる。祀る者と、祀られる者。


(私も、祀っているのか)

(それとも、祀られているのか)


 私は足を止めず、ヤードへ向かう。



 翌日、二本目の灰色任務。古い戦域の残骸処理。正規部隊が掃討を終えた後の、静かな戦場。

 私は慎重に進む。HUDに敵影はない。でも、油断はできない。

 ノイジーの残骸が、砂に半分埋まっている。壊れた機体の破片。焦げたケーブル。

 私は一つ一つ回収する。使えそうな部品を選別し、荷台に積む。


 その時、砂の下から、何かが光った。魔力石の欠片。拳の半分くらいの大きさ。表面に亀裂が走り、もう出力は返さない。

 死に石だ。

 でも――


 私は欠片を拾い上げる。冷たい。でも、誰かの体温を知っていた気がする。

 表面に、細かな擦過痕。使い込まれた痕。この石も、誰かの機体で、誰かの恐怖と共に走っていた。


(そして、燃え尽きた)


 私はポケットに石を入れる。仲介人は、こういう欠片も買い取るだろう。スクラップとして。

 でも、私にとって、これは記録だ。燃え尽きた者の、残り火。



 任務を終え、戻る。仲介人が荷台を確認し、報酬を渡す。

 私はポケットから、死に石の欠片を取り出す。


「これも、買い取りますか」


 仲介人は欠片を見て、首を傾げる。


「死に石か。値はつかねぇな。ただのスクラップだ」

「……そうですか」


 私は欠片をポケットに戻す。

 仲介人が言う。


「だが、祀りたいなら、止めねぇぞ。裏の世界じゃ、誰も文句は言わねぇ」


 祀りたいなら。その言葉が、胸に刺さる。


(私は、祀っているのか)



 夜、貸し間の机で、端末を開く。

 生ログを見返す。位相異常。石の先行挙動。静圧の局所偏差。

 全て、情報屋が買ったデータ。

 私は新しいフォルダを作る。

/grey_records/

├─ mission_01_decoy.log

├─ mission_02_salvage.log

├─ mission_03_decoy.log

├─ mission_04_salvage.log

├─ mission_05_decoy.log

├─ anomaly_patterns.md

└─ stone_fragment_01.jpg



 死に石の欠片の写真を撮り、保存する。これも、記録だ。誰も認めなくても、私だけの真実。

 石の先行挙動のグラフを開く。

obs_石の先行時間:

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


任務17: 0.18s

任務23: 0.22s

任務28: 0.31s

任務32: 0.34s

任務35: 0.37s

任務38: 0.41s(赤黒戦)

任務39: 0.39s(灰色・囮)

任務40: 0.40s(灰色・囮)

任務41-43: 未検出(残骸処理・戦闘なし)

推定: 0.43s(貸し間)



 加速傾向は続いている。でも、任務39で一時的に減速した。


(状況依存?)

(それとも、石が学習を調整している?)


 答えは、出ない。

 窓を少し開ける。夜風が紙を揺らす。

 遠くで、誰かの機体が帰還する音がした。

 カン、カン。

 帰還成立の音。私にも、まだ聞こえる。


 でも――


 机の端で、胸スリットの石がわずかに明滅した。私の心拍より――


《推定:0.44秒先行》


 また、加速した。


(監査官は正しかった)

(加速は止まらない)

(でも、この石がなければ、五回の任務で死んでいた)


 私は古い石を握りしめる。冷たい。でも、私の体温を知っている。


/personal/final_note.md

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


note:

石の「バグ」が、組合の「自動補正」を回避する。

私の「欠陥品」が、唯一の「真実」を記録する。

だから、この石を手放さない。


加速は止まらない。

0.44秒。

次は0.45秒か。0.5秒か。


監査官の問い:「いつまで?」

私の答え:「わからない。でも、今日も生きている」


矛盾:

監査官「危険」

情報屋「真実の記録者」

シーラ「依存」

受付嬢「データが矛盾してる」


全部、正しい。

でも、私はこの石で歩く。


理由:

この石が、私を覚えているから。

私が燃やした夜の、残り火だから。


 保存音が短く鳴る。

 灰色の犬は、加速する石を胸に、明日へ歩き続ける準備をする。

 報われなくても、記録されなくても、私のログは残る。

 石の「欠陥」が、真実の証人になる。


 裏の世界でしか価値がなくても――

 それが、私の存在証明だ。

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