灰色の外套
一週間が過ぎた。
灰色任務を、五回こなした。囮が三回、残骸処理が二回。
報酬は正規札の三分の一以下。でも、生き延びている。
/grey_records/status_log.md
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Week 1 of Grey Cloak Operations
Mission Count: 5
- Decoy (囮): 3
- Salvage (残骸処理): 2
Survival Rate: 100% (personal)
Average Survival Rate (Grey Cloaks): 67%
Stone Advance Log:
- Mission 39: 0.39s (success)
- Mission 40: 0.40s (success)
- Mission 41-43: 未検出(戦闘なし・残骸処理)
- Estimated: 0.43s (at rest)
Status: 審査中(1週間経過)
Stone acceleration: 継続中
Note: 生きている。でも、孤立している。
◆
組合の食堂で、私は隅の席に座る。灰パンと黒煮込み。味は変わらない。でも、食べる意味が変わった。これは、生き延びるための燃料だ。
周囲のテーブルから、小さな声が聞こえる。
「灰色外套、また生きて帰ってきたのか」
「五回連続だってよ。運がいいのか、腕がいいのか」
「石が暴走するって噂なのにな」
笑い声はない。ただ、距離だけがある。
その時、受付嬢が私の隣に座った。
◆
彼女はトレイを置き、黙って砂糖スープを啜る。
私は驚いて顔を上げる。
「……受付嬢さん」
「黙って食べて」
彼女の声は、いつもの平坦さ。でも、目だけが少し温度を持っている。
しばらくして、彼女が小さく口を開く。
「五回、生き延びたわね」
「……はい」
「灰色外套の生存率、知ってる?」
私は首を振る。
「五回任務で、三人に一人が死傷する」
彼女の声が、わずかに沈む。
「あなたは運がいい。それとも――」
彼女は私を見る。
「石が、守ってるの?」
私は灰パンを握りしめる。硬い。指が痛い。
「……わからないんです」
「わからない?」
「石が先に動くことがあります。でも、それが救いなのか、暴走なのか――」
私は言葉を探す。
「境界が、わかりません」
受付嬢は砂糖スープを一口啜る。
「監査官の報告、読んだわ」
私は息を呑む。
「あなたの石、加速してる。でも、あなたは生き延びてる」
彼女は続ける。
「監査官は『危険』と書いた。でも、結果は『生還』」
彼女は私を見る。
「データが、矛盾してるのよ」
私は何も言えない。
受付嬢は立ち上がる前に、小さな紙片を置いた。
「情報屋の住所。親方から聞いたでしょ」
私は頷く。
「あなたのログ、裏では価値があるらしいわ」
「……知ってます」
「売りなさい。灰色任務の報酬だけじゃ、生きていけない」
彼女は去ろうとして、立ち止まる。
「でも、尻尾を掴まれないように。組合は、ログの流出を把握してる」
「……」
「証拠がないから動けない。でも、時間の問題よ」
受付嬢は去っていく。私は、彼女の背中を見送る。
(時間の問題)
◆
その夜、私は初めて「情報屋」を訪ねた。
工業区の裏手、古びた建物の地下。埃っぽいカウンター、古い端末。照明は薄暗く、客の顔が見えにくい。
情報屋は四十代くらいの男だった。痩せていて、目だけが異様に鋭い。
「親方からの紹介か。端末を」
私は端末を差し出す。彼は画面をスクロールし、最初の囮任務のログを開く。
数秒の沈黙。
「……これは」
彼の目が、わずかに見開かれる。
「いい"ノイズ"だ」
「ノイズ……ですか」
「ああ。組合が嫌がるデータのことだよ」
情報屋は画面を拡大する。
「君のログには、石の異常挙動が記録されてる。0.39秒の先行挙動、位相の微細変動、静圧の局所偏差」
彼はカウンターに、紙幣を置いた。正規報酬の二倍。
「今回は、これで買わせてもらう。次からは、もっと出すかもしれない」
私は紙幣を見つめる。札を持たない傭兵の計測が、正規の報酬を上回った。
◆
「なぜ、このログに価値があるんですか」
私は訊く。
情報屋は端末を操作し、組合の公式報告と私のログを並べた。
「これを見ろ」
画面には、同じ戦域の二つのログ。一つは組合の公式報告。もう一つは私の生ログ。
Comparison Log - Same Location, Same Time
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Official Report (組合):
- Threat Level: 低
- Anomaly: なし
- Completion: 通常ノイジー掃討任務成功
- Note: 異常値検出されず
Noct's Log (生ログ):
- Phase Anomaly: +0.4°(微細変動)
- Static Pressure: +2.1%(局所偏差)
- Stone Advance: 0.39s(先行挙動)
- Note: 自動補正前のデータ
Discrepancy: 完全不一致
「同じ場所、同じ時間。でも、記録が違う」
情報屋は私を見る。
「組合の自動補正システムは、特定の閾値を超えた異常値を『計測誤差』として処理する」
「でも、君の石は――」
彼は画面を叩く。
「学習してるから、異常値を記憶する。自動補正が効かない」
私は息を呑む。
「つまり……」
「君の石は、組合が消したいデータを、勝手に保存するバグなんだよ」
情報屋は続ける。
「普通の石は、自動補正に従順だ。異常値を検出したら、すぐに忘れる」
「でも、君の石は『学習』する。異常値を記憶する。だから、消される前のデータが残る」
彼は私を見る。
「組合にとって、君の石は『欠陥品』だ。でも、俺たちにとっては『真実の記録者』だ」
/analysis/stone_as_bug.md
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石の特性分析
正常な石の挙動:
1. 異常値検出
2. 一時記録
3. 自動補正により削除
4. クリーンなログのみ残る
私の石の挙動:
1. 異常値検出
2. 学習・記憶
3. 自動補正を無視
4. 生データが残る
結果:
- 正常な石 = 自動補正に従順 = 制度が認めるデータ
- 私の石 = 自動補正を回避 = 制度が消したいデータ
矛盾:
監査官「石の学習は危険」
情報屋「石の学習は真実の記録」
両方、正しい。
◆
帰り道、私は工業区の夜道を歩いた。紙幣がポケットで重い。生活費は、あと三週間分に延びた。
でも、胸の奥が冷たい。
(私の計測は、金になる)
(でも、それは裏でしか価値がない)
(表の世界では、私は『ノイズ』だ)
広場の祠が、まだ薄く光っている。死に石の欠片が、油灯の光で揺れている。
老人が立ち止まり、手を合わせる。祀る者と、祀られる者。
(私も、祀っているのか)
(それとも、祀られているのか)
私は足を止めず、ヤードへ向かう。
◆
翌日、二本目の灰色任務。古い戦域の残骸処理。正規部隊が掃討を終えた後の、静かな戦場。
私は慎重に進む。HUDに敵影はない。でも、油断はできない。
ノイジーの残骸が、砂に半分埋まっている。壊れた機体の破片。焦げたケーブル。
私は一つ一つ回収する。使えそうな部品を選別し、荷台に積む。
その時、砂の下から、何かが光った。魔力石の欠片。拳の半分くらいの大きさ。表面に亀裂が走り、もう出力は返さない。
死に石だ。
でも――
私は欠片を拾い上げる。冷たい。でも、誰かの体温を知っていた気がする。
表面に、細かな擦過痕。使い込まれた痕。この石も、誰かの機体で、誰かの恐怖と共に走っていた。
(そして、燃え尽きた)
私はポケットに石を入れる。仲介人は、こういう欠片も買い取るだろう。スクラップとして。
でも、私にとって、これは記録だ。燃え尽きた者の、残り火。
◆
任務を終え、戻る。仲介人が荷台を確認し、報酬を渡す。
私はポケットから、死に石の欠片を取り出す。
「これも、買い取りますか」
仲介人は欠片を見て、首を傾げる。
「死に石か。値はつかねぇな。ただのスクラップだ」
「……そうですか」
私は欠片をポケットに戻す。
仲介人が言う。
「だが、祀りたいなら、止めねぇぞ。裏の世界じゃ、誰も文句は言わねぇ」
祀りたいなら。その言葉が、胸に刺さる。
(私は、祀っているのか)
◆
夜、貸し間の机で、端末を開く。
生ログを見返す。位相異常。石の先行挙動。静圧の局所偏差。
全て、情報屋が買ったデータ。
私は新しいフォルダを作る。
/grey_records/
├─ mission_01_decoy.log
├─ mission_02_salvage.log
├─ mission_03_decoy.log
├─ mission_04_salvage.log
├─ mission_05_decoy.log
├─ anomaly_patterns.md
└─ stone_fragment_01.jpg
死に石の欠片の写真を撮り、保存する。これも、記録だ。誰も認めなくても、私だけの真実。
石の先行挙動のグラフを開く。
obs_石の先行時間:
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任務17: 0.18s
任務23: 0.22s
任務28: 0.31s
任務32: 0.34s
任務35: 0.37s
任務38: 0.41s(赤黒戦)
任務39: 0.39s(灰色・囮)
任務40: 0.40s(灰色・囮)
任務41-43: 未検出(残骸処理・戦闘なし)
推定: 0.43s(貸し間)
加速傾向は続いている。でも、任務39で一時的に減速した。
(状況依存?)
(それとも、石が学習を調整している?)
答えは、出ない。
窓を少し開ける。夜風が紙を揺らす。
遠くで、誰かの機体が帰還する音がした。
カン、カン。
帰還成立の音。私にも、まだ聞こえる。
でも――
机の端で、胸スリットの石がわずかに明滅した。私の心拍より――
《推定:0.44秒先行》
また、加速した。
(監査官は正しかった)
(加速は止まらない)
(でも、この石がなければ、五回の任務で死んでいた)
私は古い石を握りしめる。冷たい。でも、私の体温を知っている。
/personal/final_note.md
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note:
石の「バグ」が、組合の「自動補正」を回避する。
私の「欠陥品」が、唯一の「真実」を記録する。
だから、この石を手放さない。
加速は止まらない。
0.44秒。
次は0.45秒か。0.5秒か。
監査官の問い:「いつまで?」
私の答え:「わからない。でも、今日も生きている」
矛盾:
監査官「危険」
情報屋「真実の記録者」
シーラ「依存」
受付嬢「データが矛盾してる」
全部、正しい。
でも、私はこの石で歩く。
理由:
この石が、私を覚えているから。
私が燃やした夜の、残り火だから。
保存音が短く鳴る。
灰色の犬は、加速する石を胸に、明日へ歩き続ける準備をする。
報われなくても、記録されなくても、私のログは残る。
石の「欠陥」が、真実の証人になる。
裏の世界でしか価値がなくても――
それが、私の存在証明だ。




